叔母の姉夫婦が、3・11の2時46分の地震の後、その長女とメールで連絡が取れたにもかかわらず、それ以降、音信不通になってしまいました。
車で逃げようとしたら、車庫のシャッターが停電で開かず、「じゃあ、足で逃げよう」と言うことになりましたが、前年に心筋梗塞で入院していたこともあったおじ様は、杖をついての避難。
その後、「鍵をかけ忘れた」と、医院に戻ったりして、逃げ遅れたそうです。
地震の直後には、無事であったので、本当に悔やまれます。
その医院の跡地に訪れました。
Google Mapでは、未だにその地点を示してくれています。
でも、医院どころか、町全体が亡くなってしまった鵜住居。
震災後、一年 。
医院の基礎部分には、草も生えておりました。
車の行き来もありました。
玄関部分のタイルは、きれいに残っていましたが、建物がありません。
でも、果断に、パンジーが植えられていました。
叔母に聞いたら、「妹がボランティアで毎週訪れているので、そのときに植えたのかも」と言っていました。
ここは、小児科、内科の医院があったんですよ。
トイレが、かろうじて残っていました。
鵜住居の町。
本当に、何も残っていません。
鵜住居小学校。
こちらの児童達は、みんながんばって逃げて、大体無事だったんですよね。
医院よりも、海岸に近いところなんです。
それだけに、悔やまれます。
釜石の医師会のコメントも・・・