「がん哲学外来の話」を読み返し、思い出したことがあります。
私は末期がんの母を病院で看取ったのですが、彼女が意識混濁で臨終に向かう頃、緩和の先生がやってきて彼女の手をずっと握っていました。で、反対側で手を握る私は長い沈黙を破り、この本のことを話してみました。
その先生もお読みになったとのこと。でも、「特に何も得るものはなかった」とおっしゃり、あら、どうしてですか?などと、先生と話が盛り上がったのです。
その先生も主治医と同様、外科出身で同じがんの専門医ということを私は存じていたので、話が進むうちに、どうしてもお尋ねしたいことが胸の内に湧き上がりました。
それは、抗がん剤治療の順番、時期、投与期間などなど、、、主に治療に関することでした。あの時、あの薬を先に使っていたら、開始時期を早めた方がよかったのではないか、もっと母に我慢をさせて治療を続ければよかったのか・・・。
主治医には絶大な信頼を寄せていたものの、お尋ねできなかった小さな疑問が私の心の中で澱となって淀んでいました。10年近くも同じ先生と付き合っていると、こんなこともあるのです。病院との関係もこれで最後だと思うと、何だか全てを精算したい気分になったのでした。
するとその先生は、このタイプのがんには抗がん剤があまり効かない。乳がんのように薬の効きが良いわけでもないし、治療も確立していない。どの薬をどの順番で使ったとしても、結果は似通っている。薬のエビデンスは、実際はあまり有用ではない。このがんの生存率は個人差が大きく、エビデンス通りの人は稀なのだから、と。
「それよりあなたのお母さんは、どんな人ですか?」
と、質問返しされました^^;
あら、先生、それは「がん哲学外来の話」の著者も必ず聞く質問って書いてありましたよ、キャッキャッ(>▽<)というわけで、また盛り上がってしまいました。
なぜ先生がそんな質問をされたかというと、患者さんがこういう状況になると、「なぜ私がこんな目にあうんだ」と言うこと多い。しかしあなたのお母さんは全く言わない。そこに関心を持ったとのこと。
私はとっても嬉しくなりました。これこそ、私が最大限、努力をしてきたことなのですから。。。
このブログを共同で始めたyukoさんのアドバイスです。
「死を怖がらせないようにすること」。
末期がん患者の心に、希望を持たせることは本当に難しい。
しかし、やり遂げられるのは家族しかいません。Yukoさんのアドバイスに従い、私も相当のエネルギーを費やす数年間を送りました。
その点を専門家に評価されたことは、兄妹や親族に評価されることより、私にとって、ずっとずっとずぅ~っと嬉しいことなのです。
更に先生は、「このがんには抗がん剤の治療より、日々の過ごし方のほうが重要なんですよ。普段、病気のことは考えず、いやなことをかわして過ごす人のほうが、長期生存する印象があります」。
あら、先生、それも本に書いてありましたわよ( ´艸`)と、またまた盛り上がったのでした。
この本の著者は病理医でしたが、この緩和の先生は臨床医。直接がん患者さんと接しているわけで、ケア時の良いところも悪いところも、美しいところもそうでないところも、実際に直面している。話がリアルでシャープなんです。
結局、1時間近くも時間を頂戴してし(^^;)、私の質問の一つ一つを丁寧に答えてくださいました。
うちなる疑問が全て解決したら、、、1週間前から食欲が全くなくなり激やせしていたのですが、何だか急にお腹が空き、昼食に焼肉定食をもりもり食べる始末。私って、結構たくましい性格してるのねなんて、自分に笑っちゃいました。
で、よっしゃーっと拳を握って気合を入れ、再び病室に戻ったのであります。これって生前のグリーフケアかしらん?と思いながら。。。
参考:グリーフケア
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![なかのひと](http://nakanohito.jp/an/?u=154648&h=658079&w=48)
This blog “The salon of breast cancer women authored by Noe:l” is able to read in Japanese:-)
私は末期がんの母を病院で看取ったのですが、彼女が意識混濁で臨終に向かう頃、緩和の先生がやってきて彼女の手をずっと握っていました。で、反対側で手を握る私は長い沈黙を破り、この本のことを話してみました。
その先生もお読みになったとのこと。でも、「特に何も得るものはなかった」とおっしゃり、あら、どうしてですか?などと、先生と話が盛り上がったのです。
その先生も主治医と同様、外科出身で同じがんの専門医ということを私は存じていたので、話が進むうちに、どうしてもお尋ねしたいことが胸の内に湧き上がりました。
それは、抗がん剤治療の順番、時期、投与期間などなど、、、主に治療に関することでした。あの時、あの薬を先に使っていたら、開始時期を早めた方がよかったのではないか、もっと母に我慢をさせて治療を続ければよかったのか・・・。
主治医には絶大な信頼を寄せていたものの、お尋ねできなかった小さな疑問が私の心の中で澱となって淀んでいました。10年近くも同じ先生と付き合っていると、こんなこともあるのです。病院との関係もこれで最後だと思うと、何だか全てを精算したい気分になったのでした。
するとその先生は、このタイプのがんには抗がん剤があまり効かない。乳がんのように薬の効きが良いわけでもないし、治療も確立していない。どの薬をどの順番で使ったとしても、結果は似通っている。薬のエビデンスは、実際はあまり有用ではない。このがんの生存率は個人差が大きく、エビデンス通りの人は稀なのだから、と。
「それよりあなたのお母さんは、どんな人ですか?」
と、質問返しされました^^;
あら、先生、それは「がん哲学外来の話」の著者も必ず聞く質問って書いてありましたよ、キャッキャッ(>▽<)というわけで、また盛り上がってしまいました。
なぜ先生がそんな質問をされたかというと、患者さんがこういう状況になると、「なぜ私がこんな目にあうんだ」と言うこと多い。しかしあなたのお母さんは全く言わない。そこに関心を持ったとのこと。
私はとっても嬉しくなりました。これこそ、私が最大限、努力をしてきたことなのですから。。。
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「死を怖がらせないようにすること」。
末期がん患者の心に、希望を持たせることは本当に難しい。
しかし、やり遂げられるのは家族しかいません。Yukoさんのアドバイスに従い、私も相当のエネルギーを費やす数年間を送りました。
その点を専門家に評価されたことは、兄妹や親族に評価されることより、私にとって、ずっとずっとずぅ~っと嬉しいことなのです。
更に先生は、「このがんには抗がん剤の治療より、日々の過ごし方のほうが重要なんですよ。普段、病気のことは考えず、いやなことをかわして過ごす人のほうが、長期生存する印象があります」。
あら、先生、それも本に書いてありましたわよ( ´艸`)と、またまた盛り上がったのでした。
この本の著者は病理医でしたが、この緩和の先生は臨床医。直接がん患者さんと接しているわけで、ケア時の良いところも悪いところも、美しいところもそうでないところも、実際に直面している。話がリアルでシャープなんです。
結局、1時間近くも時間を頂戴してし(^^;)、私の質問の一つ一つを丁寧に答えてくださいました。
うちなる疑問が全て解決したら、、、1週間前から食欲が全くなくなり激やせしていたのですが、何だか急にお腹が空き、昼食に焼肉定食をもりもり食べる始末。私って、結構たくましい性格してるのねなんて、自分に笑っちゃいました。
で、よっしゃーっと拳を握って気合を入れ、再び病室に戻ったのであります。これって生前のグリーフケアかしらん?と思いながら。。。
参考:グリーフケア
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緩和の先生って、絶対必要ですね。
最近、どこの病院でも緩和というジャンルに力を入れ始めているようですが、まだその専門の先生って、どんななのかは、よく知りません。
なので、ちょっと緩和治療の先生の仕事がちょっと知ることができたかも。
>お尋ねできなかった小さな疑問
長いけれど、そういうのってありますよ~。
その時は、大きな問題の方が優先されちゃって、聞けなかったりして、残っちゃったり、今後のこともあるから、ま、ここは聞かないでおこうかなとか、変な気を使ってしまったり。
(あくまで私の場合ですけど)
でもすっきり疑問をはき出せてよかったですね♪
お久しぶりです。
ノエルさんのお母様は緩和ケアをお受けになって、安らかに旅立たれたのですね。
思い起こせば、
ノエルさんが治療を受けてしんどいとき、お母様を気遣い、なんともないふりをされていたことがありましたね。
また、お母様の病状が進むにつれて、ノエルさんに不安を訴えてこられ、それを受け止めてなだめてさしあげることもありました。
ノエルさんにとって、どれだけ負担が大きくストレスの強いことだったか、お察しいたします。
でも、ノエルさんが誠心誠意をこめてお母様へ尽くされたからこそ、お母様は安心して病気や死に立ち向かえ、旅立つことができたのでしょう。これは最高の親孝行だと思います。
長年のノエルさんのお母様へのご尽力に心から敬意を表するとともに、お母様のご冥福をご祈念申し上げます。
ノエルさん。親密な人の死を心の底から受け止めるにはやはり時間がかかります。どうかご自愛くださいね。
緩和ケアで良いドクターに巡り合えて幸運でしたね。臨終のときに安らかに死を迎えられるのは幸せです。
私もいつの日か、そういう幸せな死を迎えたいと願っています。
それではまた。
「がん哲学外来の話し」をよっしぃ先生が紹介した時、私はそんなにおもしろい本だとは思いませんでした(爆)。がん患者をがん患者が介護している私が読んだら、わかるなー、この例もこの話も、どっち側の気持ちも…という感じです。ぜひ読書感想文をkei☆さんのブログでアップしてくださいね。
私の場合、緩和の先生が偶然にも主治医と同じがんの専門医だったことは、長らく心にたまった澱を精算する大きなチャンスでした。この先生、第一印象はクールで素っ気無く、説明も教科書通り。何だかなあ…でした。だから思い切ってお尋ねした時、気分を害されるんじゃないかと冷や冷やしました。結局、自分がスッキリしたくて話ちゃったんですけど(苦笑)。
Yukoさん
Yukoさんのアドバイスを基に、なんとか頑張り抜きました。
自分が頑張った分だけしか戻ってきませんね。私の場合、介護の密度はそれほど濃くないのかもしれませんが、費やした時間は長い。総じて良い看取りができたんじゃないかと、自画自賛です。
親密な人を先に看取ったYukoさんなら、私が今、どんな気持ちでいるか、よくご存知ですよね。私はそういう人の存在が嬉しいのです。ディスプレイの向こうには、気持のつながった人がいると思えることは、たとえネット上での関係であっても温かいものです。
喪に服す時間は必要ですね。一気に自分の気持ちにケリをつけることはできない。ここはやはり一つ一つ、ケリをつけ重ねていくものだとぼんやり感じています。
緩和の先生は第一印象が悪くて、また私自身に余裕がなくて、先生のケアは冷たーい、みたいなことまで言ってしまいました。先生は怒らずにそういうケアをした理由まで説明して下さったのですが、その都度、家族に説明しながらケアするのは難しいのだということがわかりました。こちらも、いちいち専門家のすることに口を挿まず、信頼すべきだと思った次第です。
と、まあ、赤面と反省を繰り返すようになったので、私もかなり正気を持ち直してきました。
臨終のとき、安らかに死を迎えられるようにするにはどうしたらいいか。
まだまだ先に考えたい課題ではありますが、今回は深く考えさせられました。と同時に、自分一人で答えるというより、一緒に荷を背負ってくれた人たちと答えればいいことでもあるのかも、とも思いました。