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魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-

 世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記

切り裂きジャックの画家

2013-12-07 | 月影と星屑
 

 ウォルター・リチャード・シッカート(Walter Richard Sickert)は、印象派が開花しなかったイギリス絵画史のなかで、19世紀から20世紀にかけてのビクトリア朝後期、フランス印象派をイギリスへと持ち込み、20世紀モダニズム絵画を先駆した、重要なポジションにある画家。が、彼が有名な理由は、ロンドンを震撼させた連続猟奇殺人、「切り裂きジャック」事件の容疑者だからだろう。

 祖父、父ともに画家で、シッカートも演劇を志したのちに、絵に転身。ダンディーなアメリカ人画家ホイッスラーに師事し、当初は師匠の画風よろしく、色彩の繊細な諧調を追っていた。
 パリ訪問時には印象派に遭遇。彼が心酔したのは、印象派運動に加わりつつも一線を画していたドガ。パリ滞在中はドガのアトリエに入り浸り、その手法をせっせと取り込んだ。シッカートの絵に見られる「自然の制約からの解放」、つまり人工光の効果や視覚的空間の演出、デッサンに拠る力強い人体表現などは、まったくドガから受け継いだもの。

 が、シッカートが好んだ色彩は、そのインパスト(厚塗り)と相俟って、暗澹と重苦しく、気が滅入ってくるような代物。一方、トーンは狭いがエモーショナルで、何らかの物語、ビクトリアンな下世話な物語を、暗示する。この暗示を強調するために、醜悪で、嫌悪感をもよおすほど悪趣味な演出をほどこす。

 実際、表現の演出や主題の選択が、絵画としてはあまりに卑猥で下劣であり、ぶっちゃけて言えば、性的に挑発的で、描かれる女性がみんな売春婦に見える、というのが、当時シッカートがこうむった非難だった。
 これぞシッカートの意図。彼は、従来の絵画は感傷的すぎる、ヌードも理想的ポーズを取りすぎている、と考えていた。絵画は現実がそれを持つとおりダークな側面を描かなければならない、ヌードは日常的なそれがそうであるように、味気なく単調なものでなければならない、というのが彼の意見。そのために敢えて、モデルに売春婦を雇い、思惑どおりの芳しくない評判を得たのだった。

 こうした思想が高じて、シッカートの関心は都会の汚れた文化へと向かう。下層庶民の都市生活をリアルに描くために、1905年、彼はロンドンの労働者階級街であるカムデン・タウンにアトリエを構える。
 そんな彼にピッタリの題材を提供したのが、1907年にカムデン・タウンで起こった殺人事件。犯人が性交後、眠る売春婦の咽喉を切り裂き、朝になって姿を消した「カムデン・タウン殺人事件」はジャーナリズムにセンセーションを引き起こした。
 シッカートもまた、切り裂きジャックの犯罪に夢中になる。すでに仕上げていたメランコリックな冴えない裸婦の絵のタイトルを、もともとは「どうやって家賃を支払おう?」だったところを、「カムデン・タウンの殺人」に変更。こんな調子で、殺人シリーズを作り上げた。

 カムデン・タウンのアトリエに移った頃からシッカートは、アバンギャルドの画家たちを擁護し、出入りさせるようになっていた。で、1911年、彼らを束ねて、「カムデン・タウン・グループ(Camden Town Group)」を結成する。
 彼らの絵は、第一次大戦前夜の都市生活を描いたものとして評価されているが、三度の展覧会は成功しなかった。グループのなかでただ一人、シッカートだけが、存命中も、死後も一貫して、重要な画家という評価を揺るがせなかった。
 81歳で死去。

 画像は、シッカート「横たわる裸婦」。
  ウォルター・リチャード・シッカート(Walter Richard Sickert, 1860-1942, British)
 他、左から、
  「アンニュイ」
  「黄色の袖」
  「パリ、エルドラド」 
  「鉱夫」
  「ヴェニス、サン・トロヴァーゾ」

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