青黴のつぶやき

春退社8月結婚9月~上海に留学
その生活を中心に今日の出来事
中国語を勉強しながら何を思う?
声の小さなラガーマン

雄太面談 2013年1月17日 四

2013-01-17 23:30:46 | 上海日記:生活の中で
~三つ子の魂~

阪神大震災の日
中国にいるともう遠い記憶

下午
幼稚園の老師と面談
家長会というらしい

普段の様子はネット上でも確認できるが
それとほぼ合致していた
入園して半年
家での行動を見ていても進歩が見られる
ときより興奮したり泣いたりと感情的になると
抑えが利かない
それはまだ小さいからで
この先自分なりに調整できると思う
老師も言葉の問題はあれど怒っているらしいが
どうしても伝わりにくいようだ
楽しいことと悪ふざけは違うというところは気をつけなくてはいけない

雄太は日本人だけではなくいろんな国の子たちと遊ぶらしい
まあ
言葉いらずなのかもしれない

昨晩会っていなかったこともあるが
雄太とのりのり遊んだ







幼稚園で変わったことのひとつは
音楽に対してそれこそノリノリだということ



踊ったり跳ねたり
楽しいらしい

そりゃあ小腹も空く
リンゴは丸かじりしたい年頃





謙吾はまだ食べられない





それからばあさんからもらった紙風船



ただ
空気入れが使いたいのか
どうなのか
ゴム風船やビーチボールを期待してか
「もうちょっと」

いくらやっても空気が抜けてしまう紙風船にひたすら空気を入れ続けた

それから仕事





風呂も泣かず
片づけもして
歯も磨く



大きくなった

あとは
寝相が落ち着くとよいが
寒い夜
とにかく風邪を引かないようにと
ひたすら布団をかぶせた
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そして去った 2011年5月31日 二

2011-05-31 23:35:06 | 上海日記:生活の中で
~5月終わり~

まあご苦労なくらい晴れて 暑かった
先月退社すると聞いていた部下が本日最終日であった
実家に帰って仕事するらしい
本当のところはよくわからない

実家に帰る必要があったから転職したのか
やっぱりやりたい仕事があって それが実家だったのか

ただ言えること
彼の中国語は聞きやすかった
遅い口調というわけでもない
というか
調子に乗れば
ぎゃんぎゃんに速い口調になる
100%は無理だが
雰囲気込みで理解しやすかった

どれだけゆっくりしゃべってもらっても全く理解不能な人もいる

こちら広州は広東語が主流
地鉄で普通語が聞こえれば
それは広東人同士ではない
でも
広東語は理解していない
普通語じゃなければ広東語

もし上海にいれば
普通語じゃなければ上海語

そんな感じ

レジのおばさんが広東語使うときもある

そんな感じ


彼の実家は
河南だったか
河北だったか
湖北だったか
湖南だったか

名探偵にきかないと地理感覚はいまいちであるが
そうやって3年が過ぎて 自分が去るのだろう

雄太は歯を磨いているのか

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有終の美をかざれたともいいきれないが 2007年1月22日 一

2007-01-22 23:41:41 | 上海日記:生活の中で
~実習最終日~

ここ数日、そこまで寒くない
そんな朝
最後の班車に乗った
いつもの運ちゃんじゃなかった

工場に行くと、いつもどおり作業前の慌しい風景があった
違うのは、自分が今天、静かに去るだけである
彼らは明天以降も同じようにラインに並ぶのだ

勝手にものすごく長い時間働いた会社のようだが、2週間である 

人事部で辞職申請書をもらったあと
まず、担当してくれた課長さんに伝えた
そのとき、金曜日手作業でまとめて、日曜日打ち込んだ資料を見せたら、じゃあ、少ししたらミーティングを開きましょうということになった
その間、現場では世話になった一人「世話損リーダー」に挨拶に行った
いつもは長話をするが、忙しそうだったので軽めに終えた


ミーティング
私が最終日だと言うことは急なことであった

その実習の締めとして、課長が開いてくれたような感じがした
つまり、彼らにはそのミーティングが必要だったかはわからない
その内容は、私が準備した資料をもとに、過去にも聞いた話を再度繰り返しているだけのような気がしたからである
でも、生産ライン初体験の自分に、この改善作業にかかわった2週間足らずでどういうことが必要かなどを聞いてくれた
そして、その回答は経験のある彼らにはすでにわかっていたことかも知れないが
真剣に聞いてくれた
そして、私が作ったような統計はやった方がいいですよと伝えたら、そうすべきだとも言ってくれた 
最後に、感謝の言葉をもらい、また機会があれば仕事しましょう 

このような、ミーティングまでできるなら、もっとやれたかなとも思ったが
帰国しないなら、今天も放置だったかな
などと思い直した
そして
自分が書いた図面から完成した冶具が届いた
ところが
作成ミスで使い物にならなかった 
言っておくが、私のミスではない
 
とまあ、最後はうまくいかなかった


仲良くしてくれた王君と食事した
彼は、初日にたまたま世話してくれた若者
その日をきっかけに、昼食も誘ってくれたし、仕事中も分からないことを教えてくれた
彼は今の仕事に満足していない
若干、弱者意識が強い部分はあるが、よく考えて仕事をしている
日本語も勉強したいと言っていて、少ししか教えられなかった
また、上海にきたら遊ぼうと言ってくれた
その後、各部署に辞職申請書へのサインをもらいに行かなくてはならなかったのだが
医務室の場所が分からず、それも彼に聞いた
なにからなにまでであった 

もうひとり
張り切り損リーダーの下で働く娘がいた
彼女は私語厳禁にもかかわらず、勇敢に私語を挑んできた娘だった

残念ながら体調不良で欠勤してたので、その妹分に挨拶した

そのあとも、怖そうなおばちゃんリーダーなどにあいさつ回りをした
最初面接をしてくれた部長さん
明らかに、自分をどう扱うべきか困っていたが、最後はほっとした表情だったようにも見えた
しかし、街でみかけるマナーがかけ気味の中国人に比べると、もちろん仕事という部分もあるが、ここの作業員たちはみんなまじめに働いている
そして、書類もそろい、制服も返して手続き完了
また機会があれば、もっと中国語うまくなって、彼らと一緒に現場作業したいと思った 

あっという間だった
それは留学生活の終わりも近づいていることであり、それもまたあっという間だった 
そうは言っても、1.5年の留学が終わっただけであり
これから先は、まだまだつづくのである

その前に、続くのがかたずけ
飛行機への預け荷物は間違いなく重量オーバーだな
といいつつ、DVDやら小説やら買い込んでしまった 
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誰の送別会か 2007年1月21日 天

2007-01-21 23:51:58 | 上海日記:生活の中で
~行く人たち~

昨晩、飲んだくれて寝たのは晩かったが、早起きした
韓国人チェジウがお先に帰国することになった
西安旅行からの付き合いだが、エンゲル係数の高い、中国嫌いの韓国人だった
彼らは、夜通し部屋で騒いでたようで、寝ぼけ眼であった

空港まで見送りに行くの行かないのと周りが右往左往している間に
みんなと握手を終えたチェジウは出租車に乗って行ってしまった
同学の女性二人を連れて 

それから上午は相互学習の娘と会った
もともと、お互い年末の語学考試が終わっていたので、あとは私の帰国前に会うということだった
急だったこともあるが、紀念品をくれると言う話は前からあった

紫砂壷をくれた
紫砂は伝統な陶器のひとつ
彼女曰く、私が年齢も割合と高いので何をあげればいいのか分からなず、お父さんに相談して購入したそうだ 
飲むほどに陶器からのなにやら成分がうまいこといって、お茶がおいしくなるらしい
さすが、お父さん
実用的で、中国物で、賢い 
私はというと
嫁が仕事上で手に入れたアニメカレンダー
でも、私はガンダムとかアンパンマンとかそういうのは知っているが
半分は知らないアニメだった
だから、反応も微妙だろうと思った

大喜びしてくれた
何より、ほとんどの日本アニメを知っていた 
「ダカーポ」って知ってる 
彼女はそれも知ってた
ということで、紀念品交換は成功だった 
涙の別れってことはなかったが、少ない中国人の知り合いの中でも付き合いの長いひとりであり、まあまた連絡を取り合いましょうと言うことになった
そして
来期からも相互学習をしたいから、可能ならば紹介して欲しい
できれば、若い男 
ということだった


飯も食べずに、電車に乗った
家から一番近い3号線は昨年末、北側に10駅延びた
その最終駅まで行ってみたのである
 

もう、長江も近いそのエリアは、鉄鋼所が並ぶ閑散としたところだった
新しい駅ではあるが、田舎である
しかし、そこにたどり着くまでには、高層マンションがいたるところに伸びていた

家に戻ると、金曜日に手でまとめた不良データを電脳に入力した
帰国するしないは別として、せっかくやったし、月曜日にミーティングをやることにもなってたから、ネタ作りである
凝りようもないのに、いろいろ凝っていたら日が暮れた

今回帰国前にいろんなものを元相部屋君に届けておこうということにした
第1弾の電子レンジ
荷台に積んで歩いていった
まあ、かわりようもないその部屋は、誰かが出て行くたびに荷物置き場となる
今回もそうなのだ

明天帰国すると言う、彼のあれと一緒にご飯を食べた
集まった人は顔見知りだったが、そこで実は自分も帰国するといことを告げた
良くも悪くも、留学先で群れた日本人たちだが
帰国、就職などで離れる時期に来ていた


引き続き、はかどらない片づけをした
帰国を決意して1日経ったが、後悔はなかった
明天からはまた別の生活が始まろうとしていて
それに対して不安のようなものがあるのが実際である
まあ、1ヶ月先立ったとしても、別れはあるからね 

そして、思っていたより荷物が多くて、放棄しかかっていた 
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そして帰国することにした 2007年1月20日 六

2007-01-20 23:17:23 | 上海日記:生活の中で
~どたばたは続く~

それは昨晩、保齢球をやるまえから始まっていた
いや、実際は昨年冷え込みが激しくなってきた頃からかもしれない
だから、数時間で決めたようでいて、長い間考えてきたことである

上午から続いた家族会議 
今天明天中に、帰れたら帰るという風にもなったが
実習先への挨拶などはやるということで、月曜日は実習へ行き、火曜日に帰国することにした
 

決め手は家庭の事情であるが
それ以外にもいろいろあるだろう
12月の上海ジャパニーズで優勝した
その代償でHSKが受けられなかった

優勝して、飛行機に乗れず、仲間と分かち合った時間はかけがえのないものであることは間違いない
一方で、最近になって出てきた成績
自分は暖かい頃に6級を2度取っただけだったが、7級取った同学、自分と同じ6級取った元相部屋の話などを聞くと、語学留学に来てたわけだし、また日本で受験できると言っても、今ほどいい環境では受けられない
そして、彼らにどういっても、言い訳になるのだ
で、HSKという目標がなくなると、大学での授業が終わったこともあり、語学勉強をするということはなかなかできなくなった

それから、実習
最初は実習もやらなくてもいいのではという考えもあった
すぐに、就職活動してしまう
ただ、中国で将来働くかもしれないことを考えると、やはりいい機会だと思った
実際、その実習と言う中途半端な立場は受け入れ先からは扱いにくい存在だったかもしれない
何より、自分が何かやりたいが、数週間でできることは少ないし、それは受け入れ側の問題でもない
もちろん、嫌になったわけではないが、いろいろなことを考慮した場合に、帰国を選択することにした

そうなるといろいろとやることは大変である
チケットを入手して、部屋のかたずけ
日中は橄欖球の練習は欠席し、夜の飲み会に参加した
今回の帰国
急であったこと
2月の春節に正式に家を解約するために上海に戻ること
などから、周りの人には伝わりにくかった
まあ
橄欖球関係者以外にも時間があった人には伝えたが、どうもどたばたして
「じゃ、2月に戻ってきたときに」

なってしまう人がいた
つまり暫定帰国みたいな 

さて
そんなわけで、久々に橄欖球飲み会で、明け方まで飲んだわけではないが
酔いが廻った
ほろ酔いで嫁に電話していたが、それは家の外であり
電話を終えて、家に戻ると、黒いコートは白いまだら模様になってた 
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言われたわけじゃないが 2007年1月19日 五

2007-01-19 23:21:05 | 上海日記:生活の中で
~実習第10日~

あっという間に1週間

あっという間でもないが 
でまあ
担当の方は夜勤と言うことで、16時30分出勤

放置
というか、放任ということで
勝手にデータを集めて、勝手に集計することにした
実際
不良改善にもかかわらず、具体的にどこでどうよくないのかという統計は取られていないようだった

不良の数はどの産品も目視で確認され、正の字で記され
1日ごとに事務所に届けられる
ところが
まず
その届けられた記録がどこにあるのかたどり着くまでが大変であったことも、ちと驚き

電脳はない
しょうがないので手書きで表を作り、今月約2週間分をまとめていく
急いでやっても、そのあとやることもないので
過去にないくらい何回も確認して、間違いがないようにした
合計もすべて自分で計算
表計算ソフトは確かに便利だということを感じながらも、完成した
これ
1日少しずつまとめていけばいいのに 

これが、彼らに役に立つのかどうかはわからないが
月曜日にミーティングをやるっていってたし、ネタにはなりえる 


同学たちと飲み会
駅からは出租車がつかまらず、歩くこと20分
それも手伝ってビールはおいしかった
 

お決まりの保齢球
それがなんと3ゲーム
球技を含め、スポーツは嫌いじゃない
体を動かすのも好きだ
でも
保齢球は投げた後の反応までを競うというか楽しむ部分に含まれるので
苦手
店員にまだ終わらないの 
って言われるほどやっていたが、対して伸びなかった 

そして 
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第一印象は大事ですよ 2007年1月18日 四

2007-01-18 21:20:27 | 上海日記:生活の中で
~実習第9日~

ちょっと冷え込んだかな
ロ加ロ厘と工場食堂の中華が続く、今天このごろ
まあ、意味があるかどうかは置いといて
体によさそうなので、ロ加ロ厘を温めるときには、酢を足している
おかげで
酸っぱい 

ようやく班車乗り場は固定されたようである
この運ちゃん
乗り場を何度も変えてくれたのだが、運転だけは速い
朝も、夕方もラッシュ時にもかかわらず、浦東から五角場まで30分でたどり着く
行く先が混んでいると分かれば、すぐに裏道を使う
巨体を揺らしながらの走行で、隣にぶつかりそうになる場面もあるくらい 
ただ、工場に着いたあと、停まりっぱなしのその車体を見るに
彼は昼間何をしているのであろう 

改善作業自体は、私が来る前から始まっていた

私が書いた図面もある
今は、その冶具待ちだが、なかなか来ない
ようやく下午に届いたが、設計ミスで再度作り直し 

放置 

まあ、事務所の装置説明書を読み漁り、現場で何かしら見つからないかとうろうろし
時間を過ごすことにはだいぶ慣れた

ひさびさに課長さんと話した
現状どう思うかと聞かれたのだが、正直、作業員だけではどうしようもできない部分がでかい
すなわち装置での処理が悪いと伝えた
もちろん
私はその装置に詳しくないが、消去法でたどってもそこにたどり着くのである

のびのびになってた会議を来週に開くこととなった
その課長も言ってたが
「時間が過ぎるのはほんとに速い

だからというわけでもないが、ちょっと気になるデータ集めをすることにした

事務所にいた女性に資料の場所を聞いた
その人とはそのとき初めて口を聞いたのだが
最初びびって発音がおかしかったのか、なんなのか
一度聞き取れないと
「この人、何言ってるかわからなーい」と、両手を挙げて他人に助けを求めた
これは良くあることで
先週も現場の人に話しかけて、だめなときがあった
そうすると、一生懸命聞いてくれず、放置される

物分かりのいい人が代わりに聞いてくれるのである
日本人留学生が探す資料
いろんな人を巻き込んで、みんなで右往左往して結局、最初に聞いた女性の後ろの女性が管理してた

また、その人が愛想ナシね 
少しは笑いなさいよ 

ということで、明天はそれをまとめてみよう
そうしよう 
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参観に行く 2007年1月17日 三

2007-01-17 21:59:48 | 上海日記:生活の中で
~実習第8日~

はっきりしない天気
相変わらず、傘はいらない霧雨
ようやく固定したであろう班車乗り場
ズボンの裾は跳ねた泥で汚れてた 

朝の朝礼
というのはおかしいが、まあそのときに出た
各改善作業とも、目標を立てたはいいがそのままになってる
だから
明天、一度会議を開きましょうということになった
まあ
自分はどうのってことはないが、多少なりとも関わったことがようやく人の前で発表されるのである
今の職場は、おそらく1年に満たない若者が数人いて、彼らは電脳も与えられていない
したがって、先輩に借りて資料作成に当たっていた
与えられている仕事の量と、語学の問題があるが
彼らよりはいけてると勝手に自負する自分
それはさておき、その中の一人も連れて、他社へ参観に行った 
普通、参観というと、取引先の工場を想像する
実際、上課でやって商務漢語でも、そういった場面がでてきて
じゃあ、今度、なにそれの売買について話をしましょうってことになる
しかし
訪れた場所は、完成品が違うので競合ではないのだろうが、作業は同じ工場
その行った工場でどういった加工機器を使っているのか
また、不良品の程度はどうか
などを調査しに行ったわけである
ちょっとへんである 
そこは中国企業で、今いる日系企業といろんな面で対称的だった
まず、閑散としている
安全ポスターもはがれていて、安全そうじゃない
そして作業員が少し年配の擦れた感じのあるおばさんたち
それでも、不良品は少ないと言ってた 

工場に戻り、早速、加工現場を覗いてみた
そしてら、張り切り損おばちゃんに遭遇した
それは、やっぱり張り切り損なのか、単調な仕事に刺激を与えるためなのか
はたまた
私が好きなのか 
そのおばちゃん、親切に、そのときやってない部品加工をやって見せてくれた
それからは話がそれまくり
上海で家を買えとか
こっちは物価が安いから日本よりいいとか
そのおばさんのミーティングの時間で、みんな集合してるのに話をやめなかった 

その話は、全く関係なくもなく、自分はどうしようかとまた考えるのであった 

担当の人は、下午使って、日本語版のOSを電脳に入れようとしてたが
うまくいかなかった
日本語ということで手伝ったが、なかなかうまくいかず4時間も要した
彼ら、今回の日本語OSに限らず
装置の説明書などは日本語のまま使っていて、なんとなく読んでいるのであった 
そして、時々恥ずかしそうにやってくるので
こちらも恥ずかしそうに手伝うのであった 
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これはだまされているのか 2007年1月16日 二

2007-01-16 21:50:55 | 上海日記:生活の中で
~実習第7日~

朝から傘はいらないまでも霧のような雨
またしても、乗り場の変わった班車に乗って、実習先へ
そしたら、また運ちゃんが「やっぱり昨天の乗り場にしよう」って  
そして
恐るべきことが 
担当者が欠席
昨天はそんなこと何も言ってなかったのに 
まあ
文句を言ってもしょうがないので、自分なりにラインを覗き見しながら、問題点を再度おさらい
ひとつのラインでそこまでたくさんの種類を流すわけではないので
何が流れても、見覚えのあるものたち
むしろ、現場で働く娘たちの方が交代制なので知らない顔ばかり
そして
また、ちらちら見られながらもライン見学
まあ
劇的に変化はないが、これまで自分が思ってたことがすべてではないと気付いた
そして
根は深し
上周来たときは、素人だがすぐに改善できそうな気がしたが
こうして本筋に近づくと、素人には無理だと気付く
そして
日本から最近やってきた方も言ってた
「経験が必要だろうなぁ」
 


その方と話してたら、帰りの班車に乗り遅れた 
仕方がないので、出租車に乗った
浦東から五角場は近くない
そして、橄欖球の時もまれにあるが、乗車拒否をされることがある

そういうこともなく乗ったのだが、もうすぐ橋を渡ろうとする手前で、変なアラーム音とともに停車
なんでもオイル漏れして走れなくなったらしく、少し安めに払って降りた
すぐに乗り換える
カーナビの付いた出租車
橋に乗るには合流が必要
すると
「今、ライト光ったの見えただろ捕まりたくないから、ここからは合流できないよ」
と、別の汽車は平気で合流してるのに、カーナビも合流しろと言ってるのに、なんか知らんがそこで合流せずに、直進 
過去にも同じ場所でそういうことをされた記憶があるが
これってわざとそんなこと言ってんのかなと思った
直進すれば先の合流点があるのに、Uターンして分けわかんなくなって
カーナビを見ながらも、その通りにいかない 
「このあたりに住んでないからよくわからないんだよ」
と、言い訳がましい
たった5分だが、班車に乗り遅れたばっかりにとむかついてたら
「安くするから」と、運ちゃんから言ってきた 
どうも初心者らしいその運ちゃんにいらいらしながらも到着
勝手に値段決めて、支払って降りた

寄った先は沃尔玛
言わずとしれたアメリカの超市
ここには、日本の食材もすこし売っている
そして
米を買った
日本ブランドの中国産か
まあ
見た目は、かなり中国物だが、最近はやりの「緑色食品」だし
安めだし
何より、ロ加ロ厘週間だし 

そういえば、実習中に、元同僚から就職の誘いがあった
先日に続いてそういう話である
また、情報を集めてということになるが、もうそういう時期である
迷ってナンボ
家族会議は続く
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いずこへ 2007年1月15日 一

2007-01-15 20:42:25 | 上海日記:生活の中で
~実習第6日~

小雨の中、班車乗り場へ
この運ちゃんが気が変わりやすいのか、何なのか
もともとは公共汽車乗り場に停車していたが、混み具合を考慮してか
その公共汽車乗り場の反対側集合となった
でも
そこはただの道で目印もないので、ちゃんと乗れるか心配

まあ
ちゃんと乗れたからいいのだが、公司に着くなり
「明天は、やっぱり曲がったところにしよう」
 

そのおっちゃんは、自分が日本人ということを知っているから、親切に教えてくれるのである

さて、実習
改善作業と言っても、結果をみて効果があったかというには多少の時間がかかる

まあ、素人目にいろいろと気付く点などをメモしていくのだが
やはり、昨天、橄欖球仲間に紹介された仕事のことでいろいろと考えてた
自分がこの先どう行くのがよいか
もちろんそれはこの先、変化していくのだろうけど
その突然沸いてきた話はどうなのか
まあ
のほほんとしている自分にはこういう話は何かしらきっかけになる
やってきたこと
やりたいこと
いろいろ
気がついたら
少しうとうとしてた
そして
嫁に起こされた 

先週の打ち合わせでは、本日はミーティングの予定だったのに結局開かれず
しかも
私主動で開けと言わんばかりの感じだった
まあ
それはよいとして、準備が整うのに時間がかかるので、また後日ということになった 

家に戻って、嫁と人生相談
嫁も興奮気味
たまたまこういう話がでたが、就職間近になればいずれにしろ、熱くなるだろうけど 

結婚の次に、大きな選択を迎えているのには違いないからな 
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