閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

時間軸について・その2

2016-06-11 11:15:32 | Q&A

さとうさんからご質問をいただきました。

 いつもサンゴロウとドルフィンの物語を楽しく読ませていただいています。
 どうしても気になることがあったので質問させて下さい。
 ドルフィンシリーズは、『最後の手紙』から少したった後の物語でしょうか?
 『最後の手紙』の季節が春の始め頃だとして、(予想です)
 『ドルフィン・エクスプレス』の季節は春の中頃だと考えました。
 そこから『光のカケラ』まで、春から冬にかけての物語ということは、
 『最後の手紙』から『光のカケラ』まで、1年たたない中でのお話だったのか!
 と衝撃を受けました。
 今まではドルフィンの物語は最後の手紙から何年か後の、
 ずーっと先の物語だと思っていましたので、
 年月を経て、サンゴロウがより渋くなってる!
 と勝手に思っていました(^^;;
 でもよくよく考えると、ミサキは大きくなってないよな~と。
 このように私は勝手に解釈したのですが、どうでしょうか?

 

じっくり深く考えて読んでくださってありがとうございます。
作者冥利に尽きる、という気持ちです。

えーっと。
ちょっと待ってね、本持ってくる。

その間に、以前にお答えした 「時間軸について」 を
もう一度参照していただいて…と…

はい、お待たせしました。どすん!(=15冊)

『最後の手紙』は、たしかに、サンゴロウシリーズの最後の巻です。
が、時系列的にも最後かというと、それはよくわかりません。
というのも、『金の波銀の風』という番外編がクセモノで、
この3つの短編は、もしかしたら、サンゴロウシリーズよりもあとの、
ドルフィンシリーズの時期に重なる可能性もあるからです。

これもどこかに書いたかもしれませんが、『手紙』が最後になったのは、
諸事情によりシリーズを10巻で終わらせる必要が生じたからで、
ほんとはここで「王手」がかかるはずではなく、世界はもっと
(たぶん「ドルフィン」側にも)ぼんやりとめどなく広がっておりました。
だから、あとから全体を見渡してみると、『手紙』はなんとなく
突出した奇妙なマイルストーンのように見えます。
これは計画性のない作者のせいなので、いまとなってはしょうがない。 

さて、手がかりは、『最後の手紙』に出てくる「みかんの花」でしょうか。
人間界と同じに考えるなら、これは晩春から初夏の季節感です。
(海ツバメが営巣中というのも、同じく)
一方、『ドルフィン・エクスプレス』は、もうすこし早春の空気なので、
この2つは同じ年の連続した話というわけではなく、間に少なくとも1年、
たぶん数年はあるんじゃないかと、わたしは思います。
ただ、十数年も後、ということはなさそうだけど…。

ドルフィンのサンゴロウが、ぐっと渋いキャラになっているのは、
テールという若者の視点で書いたせいでしょう。
ずっとサンゴロウの一人称だったら、こんなに違いは出ないと思う。
(つまり、内的葛藤も外には表れないヒトなのだよね)
テールとの書き分けの都合上、「渋め」に調整したということもあります。
『旅のはじまり』のときから、サンゴロウさんは年齢不詳だったし、
そこから『手紙』まで、7年かそこらは経過していますから、
それなりに年齢も重ねているわけで。

(あれ? 「7年」で、いいんだっけ?) 

このいい加減な作者は、創作ノート的なものをきちんと作る習慣がなく、
本が完成すると、校正刷りをはじめ、元原稿からメモの切れ端まで、
きれいさっぱり捨てちまうもんですから、
(ええっ? 捨てちゃうの? って言われましたが、とっとくもの?)
時間がたつと忘れてしまったりします。
そもそも自分で考えて自分で書いたということを忘れちゃうらしい。
困ったものです。
でも、こうして「客観的に」解読をこころみるのもなかなか楽しいので、
「じゃあ、これはどうなんだい」っていうあらたなご質問がありましたら
いつでもどうぞ。
 

 

最後の手紙―黒ねこサンゴロウ旅のつづき〈5〉
 
偕成社 1996年

 

ドルフィン・エクスプレス
 
岩崎書店 2002年

 


 

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