閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

衣装について

2011-12-06 09:59:28 | Q&A

◆せいらいさんからのご質問です。

>最近気付いたのですが、私がダボッとした上着やボーダーの服が好きなのは
>サンゴロウのおかげかも…なんかかっこいい気がして。(笑)
>サンゴロウの服にボーダーが多いのは、何かあるんでしょうか?
>彼はそういうの無頓着そうだと思いますが…


着ていて気分の良い服というのは、価格や流行に関係なく、
「良い服」であります。
ボーダー(横縞)シャツを好む黒猫、じつは遠いご先祖が
しましま猫だった・・ということは、ないか(笑)

ボーダーというのは、作者の設定にはなかった部分です。
1巻の「帽子」と、ときどき出てくる「黒い防水コート」などは、
文字でそう書いてあるんですけど。
意図的に書いてあるのは、他に、ナギヒコ先生の白衣とか、
カイの「ゆったりしたうすいシャツ」とか・・その程度かな。

あ、シーナさんの衣装はわりと詳しく書いてあるほうですが、
たぶんこれは、イカマル視点の部分だからで、
サンゴロウは、彼女のブーツくらいしか気にとめてないらしい。
つまり、何を着ているかは、着る人の趣味をあらわすだけでなく、
見る人の価値観をあらわす、ともいえます。

じつをいうと、登場人物が猫ということもあって・・
服を着て立っていること自体が、そもそも現実的でないので、
着ているものの描写はあんまり具体的にできないのですね。
詳しくリアルに書けば書くほど不自然になっていく。

でも、何も書かないと、つかみどころがなさすぎるので、
「帽子」とか「ブーツ」とか、印象的なものは書いてあります。
そうすると、読んだ人は、それを核として、そのキャラクターの
年齢職業性格習癖その他いろいろと総合し、自分なりに
アイテムを集めてきて、ビジュアルイメージを作り上げるでしょう。
そこには、その人の好みや知識や経験がさまざまに反映されます。
その人が画家であれば、得たイメージを、さらに2次元化して
(つまり自分で描きやすいようにして)絵に描く。
その過程で、偶然かつ必然的に「ボーダーのシャツ」が出てきた。

・・というようなことではないかと、わたしは想像しますが、
えーと、実際はどうなんでしょうか、描いた人?


「描いた人」は、ストライプとボーダ―の違いを最近知ったくらい
服装に関し無頓着なので、なにもありません。(すぐ忘れるし)

絵的には、タッチが活かせるのと、模様として具体性が無く、
形や動きがだしやすい表現、というのはあるかもしれません。


・・だそうです。なるほど。
つまり無頓着なのはサンゴロウではなく画家であったと(笑)

 

「えーっと、つまり、ボーダーっていうのはですね・・」
「そっちはマドラスチェックだろ」 

 

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ファンレターについて

2011-08-15 16:30:53 | Q&A

◆ひよ豆さんからのご質問です。

サンゴロウ、ドルフィンシリーズが大好きで、
ファンレターを書いたのですが、
住所を教えていただけないでしょうか?


ありがとうございます♪
住所は一般公開していませんので、
お手紙は出版社あてに送っていただけると嬉しいです。

サンゴロウは偕成社、ドルフィンは岩崎書店、
どちらでも大丈夫です。
本の最後のページを見ると住所が書いてありますので、
住所と、出版社名と、「編集部御中」と書いて、
ねんのため、本の題名と著者名も書いていただけると、
担当の人がそのまま転送してくれます。

時間がかかっても、ちゃんとお返事書きます。

「ずいぶん待たせたじゃない」
(「青いジョーカー」より)

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デビュー以前について

2011-04-15 11:34:44 | Q&A

◆ネコドリさんからご質問いただきました。

>竹下さんのえがかれる言葉にすっかりやみつきになっております。
>デビューされる以前から、お話づくりはされていたのでしょうか?


お話づくりは・・たぶん4歳くらいからですねえ。
記憶している最初の創作は、男の子の月旅行の話で、
それが5行くらいで行って帰ってきちゃうという・・
なんとも軽量コンパクトな超短編でしたけど(笑)

当時からフィクションを書くことだけが好きで、
小学校の夏休みの自由課題は毎年「手作り絵本」でしたが、
ふつうの作文や読書感想文はまったく苦手だったような。
中学高校の頃は、詩をメインに書いていました。
いまでも、一字一句にこだわってちっとも先に進まないのは
そのせいじゃないかと思います。

詩は100篇くらい書いて、当時はやっていた詩の投稿雑誌に
2回くらい載せていただいたと思うんですけど、
ある時点で、もういいや、という気持ちになって
ノートを全部捨てちゃったので、ひとつも残っていません。
わたしの父は詩を書く人でしたが、わたしのことは
「散文のほうが向いている」と言っていました。
結果的にはそのとおりだったのかもしれません。

デビューというのが、時期がややあいまいで・・
このへんは前にもちょっと書きましたが、
最初の童話集『星とトランペット』を出す2年ほど前から
ちょこちょことアルバイト的なことをしていました。
19歳で、月刊保育絵本の文を書かせていただいたのが、
たぶん「お仕事デビュー」ではないかと思います。
絵を描かれたのは深沢邦朗さんです。
話の内容はどうってことのないものでしたが、
生まれて初めて見たプロの画家さんの原画は
ためいきが出るほど綺麗でした。

 

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ついでに・・

「こっそりすぎる」と叱られましたので、
ほんのちょっぴり大きい声でも言っておこう。
別館<海岸通り6番地>を、限定つきですがオープンしました。
→ こちら です。
すみません、入口に鍵がかかっているときは、
クイズに答えて(?)お入りください。

携帯でも読めるかもしれませんが、雰囲気が良くないので・・
なるべくパソコンでご覧いただけると嬉しいです。

 

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青い羊の丘について

2011-04-11 16:37:01 | Q&A

◆ゆうきさんからご質問をいただきました。

>いつも本を読ませて頂いています。
>特にサンゴロウのシリーズなど、大好きです^^
>それでお聞きしたい事があるのですが、『青い羊の丘』は、
>ニュータイプロマンスという雑誌にのっていたお話でしょうか?
>2、3年前に数回読んだだけなのですが、凄く印象に残っています。
>もしそうであれば、単行本などで出版はされていないのでしょうか?


ありがとうございます。
そうです、『青い羊の丘』は、
イラストレーターあづみ冬留さんとのコラボ企画で、
2006年から2009年にかけて12回連載させていただきました。
季刊だったため、年4回のゆ〜っくりペースでした。
『木苺通信』と共通の世界を使ったので、
いろいろと舞台裏でも遊べて楽しいお仕事でした。
主人公は違うので、出会わない設定ではありますが、
微妙にニアミスもあったり。

単行本は、そうですねえ・・えーと・・
どうなりますでしょうか?
(と、誰に聞いてるのかな・・笑)
ひきつづきガンバレ編集Gさんです。
良いお知らせのできる日が来ますように。


追記:
鈴果さんも、メッセージありがとうございます。
あづみさんのトレカのボックスセットに、
「青い羊の丘」の絵が9枚入っていますよ。

 

さらに追記:
2011年7月、単行本になりました!→こちら

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トランプについて

2011-02-06 19:39:03 | Q&A

◆つぐみさんからのご質問です。

>『三日月ジョリー』の中で出てくるトランプは
>「月」と「剣」ですが、ほかのマークはなんですか?
>同じものでも人の世界と猫の世界でデザインの違うものは
>他にもありますか? うみねこ船もうみねこ島特有の船ですね。


「月」と「剣」と・・
あれ?

『流れ星レース』のほうには、
「月、ヒトデ、水晶、花」って書いてありますねえ。
えーと、マークは5種類あるんだっけ。
各12枚ずつで、ジョーカーをいれて全部で61枚。
じゃあ「ツーペア」ってどういうゲームなの・・?
という突っ込みはなしということで(笑)

三日月島のテール君たちがカードをやっているのは
サイモン横丁の「キャプテン・ファンの店」。
ここのマスターのファンさんは『波のパラダイス』にも
ちらっと顔を出しますが、謎めいた経歴の持ち主で
なんとなく気になる存在であります。
そしてテールの同僚のリックとダース。
テールはひとりでどんどん動くキャラクターなので
書くのはとっても楽だったのですが、それでもときどき
スピードが鈍ることがあって、そういうときには
よくこの脇役コンビに助けてもらってました。感謝。

マークの「5種類ある」カードや、ガラス玉のビリヤードは
三日月島(特にサラ港近辺)独自のものです。
月ねこ族は遊び好きで、いろんなゲームを発明しています。
サンゴロウシリーズにもたびたびトランプが出てくるのですが、
カバー裏のイラストにあるように、こちらは人間界のトランプと同じ。
船は、うみねこ島のほうが特殊な進化をしていますね。

他には・・猫の「手」の形状を考えると、いろんな道具類が
かなり人間界とは違うのかもしれませんが、
まあ、あんまりこまかいことを考えすぎちゃ面白くない。
ということで、本日はこのへんで〜。
(・・逃げた)



これは「世界の猫トランプ」。
ジョーカー2枚を含め、すべて違う種類の猫の絵で、
気が散るためゲームにはまったく不向き。


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踊るサンゴロウについて

2011-01-23 22:05:20 | Q&A

◆直美さんからのご質問

>サンゴロウシリーズのもくじのページのサンゴロウは
>飛んだり跳ねたり踊っているようだったりしていますよね。
>私はサンゴロウはクールでもの静かなイメージ
>(でも機敏に動ける感じはします)だったので、もくじのサンゴロウは
>違う面を見られた気がしてなんだかうれしかったです。
>サンゴロウも踊ったり鼻歌歌ったりしてたのでしょうか?
>船に長い間乗っていると陸に戻った時
>駆け回ったり飛び跳ねたりしたくなりそうですね。


いーえ、しません(キッパリ・・笑)

踊ったり歌ったりするサンゴロウは、
(いや、「踊ったり」はなかったっけ)
あとにも先にも4年前の子どもミュージカルだけです。
ミリちゃんとのデュエットとか、
「ふたりのサンゴロウ」のシーンとか、よかったですね。


もくじと、表紙(カバーをはずしたとこ)のちっこいサンちゃんは、
画家のちょっとしたお遊びだと思われます。
児童書なので、シリアスな絵ばっかりだとかたくなるから、
という配慮だったのでしょう。
たぶん。
わたしはシリアスでも全然かまいませんが(笑)

ちなみに、このもくじのスタイルは、ドルフィンの1冊目
『ドルフィン・エクスプレス』にもなんとなく続いていますが、
なぜか2冊目以降は消えてしまったようです。


絵本でも童話の挿絵でもそうですが、文章と絵が別の人の場合、
作家のいうとおりに画家が描く、というのでは
出来上がりはあまり面白くありません。
むしろ作家の考えつかないようなことをしていただいたほうが
思わぬ方向に思わぬ世界が広がる可能性があります。
「二人三脚」という比喩がよく使われますが、
その言葉は適切でないと思います。
あれではどちらも不自由だし、だいいち脚の数が減るんじゃ
駄目じゃないか。

ただし、どっちかが、あるいは両方が暴走すると
世界が崩壊してしまうことは確かなので、
そこんとこが、難しいといえば難しい、のですよ、ね?
はい、バトンタッチ。
ぽん。


(以下、描いた人)

ウーン。

あまり深く考えずに描いていた気がします。
(今、久しぶりに見ました)

本編が始まる前の準備体操というか、腕慣らしというか……。
ここは文章もないし、作家さん側からの要望もない部分でしたから、
本編のサンゴロウとは関係ありません。
見開きの目次として、なにか絵があったほうがよいので
描いただけです。
本編のサンゴロウは、作者の方もおっしゃっているように、
ぼくもしないと思っています。
シャイな人(ネコ)だから。

本編のお話にはないけど、もっといろいろなサンゴロウの動きを
描いてみたくなる、というのか、
1枚の絵の向うに100枚位のデッサンがあって、
1枚の絵ができる、というのか。
純粋に、描いてて楽しかったから・・・

”サンゴロウの世界”はもっともっと描いてみたい絵がたくさんあります。


(閑猫追記)

シャイなネコ・・
そ、そうだったのか・・

(上の画像は本文とは関係ありません)


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時間軸について

2011-01-20 09:44:27 | Q&A

◆せいらいさんからのご質問

>黒ねこサンゴロウシリーズの大ファンです。最近、質問の答えで、
>いろいろな新しいことが分かってとてもうれしく思っています。
>質問なんですが、『ケンとミリ』でケンが出会ったのは、
>『最後の手紙』で記憶を取り戻した後のサンゴロウなんでしょうか?
>サンゴロウは「ケン」と呼びかけていますから。
>私としては、こう考えると最終回の後もサンゴロウは元気にやっているのかな…と
>ちょっと近況を知れた気がしていいかなと思っていました。


本が出て何年もたってから「新しいことがわかる」のって、
著者の姿勢としては、間違ってる気がするんですよね。
そうなら最初からそうとわかるように書いとけ、って(笑)

そもそも真実とは何か。
本人の言うことだからって全部信じていいのか。
「嘘つきは作家のはじまり」って、わたしはよく言うんですけど、
『旅するウサギ』のマシュマロに騙されてくださった方なら、
その手口はだいたいおわかりのはず・・。


さてさて・・(にっこり)。
シリーズ全体の「時間軸」には諸説ありまして、
どれが正しく、どれが間違い、というふうには思いません。
どうも、ブロックの(・・「ブロック」については聞かないでね;)
あっち側とこっち側で、多少ずれやゆがみも生じているらしく。
『最後の手紙』は、やみねこ問題ともからんで、
記憶を「取り戻した」のか?というラストの解釈も微妙なため、
(どうして霧が晴れる「前」で終わってるのか、とか、ね)
ここでは詳しく書かないでおきますが・・

えーと、ご参考までに、著者設定では、『ケンとミリ』のサンゴロウは、
『青いジョーカー』の直前にあたります。
(正確にいえば、ジョーカーの「0章」につながっているだけで、
そのあとの話とは特に関係ありません)
しかし、じゃあ『ほのおをこえて』のサンゴロウは
ケンに再会したあとなのか、っていうと、それもまた微妙。
つまり、「旅のつづき」5冊は、最後が最後、という以外、
出来事が起こった順に並んでいるとは言い難い。

『ケンとミリ』はどちらかというとサイドストーリーで、
こっち側の現実的な話に終始し、サンゴロウの出番が少ないので、
「旅のつづき」のトップに出すにはふさわしくないんではないか・・
というのが当時の出版社側のご意見でした。
ところが、著者は、これをサイドストーリーとは全然思っていなくて、
むしろ(見かけによらず)非常に重要な「鍵」の巻だから、
どうしてもここに置く必要がある! と言い張って、
だいぶモメましたっけね。(すみません;)

前にも書いたように、「いきあたりばったり」な著者なので、
10巻全体を通しての構想、なんてものは皆無だったんですけど、
ぼんやりと「らせん構造」を考えていたわけです。
というのは、

前半5冊でひとまわりする。
元の位置に戻ってくるが、軌道が円ではなく、らせんなので、
5巻は1巻よりひとつ上の段階になっている。
後半5冊でもうひとまわりする。
すると『ケンとミリ』は『旅のはじまり』の上に、
『ほのおをこえて』は『やまねこの島』の上に、
『最後の手紙』は『霧の灯台』の上に重なるはず。
(3か所でとめておけば、らせんは固定できる)

そして5巻と10巻をつなぐものが「霧」、そして
「ハッピーエンドだ」という合言葉。

まあそんなことを(著者だけがこっそりと)考えていたので、
現実的な前後関係とかは二の次になったようです。


ドルフィンシリーズのほうも、「いきあたりばったり」は変わりませんが、
いちおうきちんと時間軸にそっています。
これは、テールがサンゴロウみたいな自由業(?)じゃないからでしょうか。
なんと、1巻から5巻までで、時間的には丸1年たっておりません。
が、サンゴロウシリーズとの関係でいうと、

『キララの海へ』から数年おいて『ドルフィン・エクスプレス』。
『最後の手紙』よりあとに『流れ星レース』。
『ほのおをこえて』よりあとに『波のパラダイス』。
『青いジョーカー』よりあとに『光のカケラ』。

と、ここまでは確かなんですが・・いや、そうでもないか?

アタマこんがらがってきましたね。
春休みの自由研究のテーマに、いかがでしょう?

 
 
 


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サンゴ屋について

2011-01-18 11:36:44 | Q&A

◆みのりさんからのご質問

>サンゴロウはどうやってサンゴ細工を売る仕事を見つけたのでしょうか?
>また、サンゴ細工屋のことが気になります。
>代々サンゴ細工職人なのでしょうか。
>サンゴ屋もカジキ船長も、渋くてかっこいいおじさんねこで大好きです。


サンゴ屋のおやじさんと、カジキ船長は、
わたしも大好きなキャラクターですよ。

まず、サンゴについて。
ときどき勘違いされることがありますが、
「サンゴ細工」の材料になるのは、陸地近くの浅い海で見られるサンゴ
(いわゆる「サンゴ礁」になるサンゴ)ではありません。
太陽光のとどかない深い海底にだけ育つ別の種類のサンゴです。
一般的な色は、赤、ピンク、白などです。

うみねこ島の特産のサンゴは色のバリエーションが多く、
他の島にはない青や紫などもあるのが特徴です。
また長い時間をかけてゆっくり成長するので、
質が緻密でかたく、加工には熟練の技術が必要です。
とくに深いところでとれる透明感のあるものは水晶サンゴと呼ばれ、
数が少ないため、かなりの高値で取り引きされています。

じつは、サンゴロウシリーズで、サンゴ屋だけはモデルがあります。
(ということを、いま思い出した!)
アメリカ東海岸の小さな島で、スクリムショーという
伝統工芸品の店をやっていたおじさんです。
スクリムショーは、鯨の歯や骨に細密な絵を彫りこんだ飾り物で、
ボトルシップ同様、船乗りがひまつぶしに作ったのが元だとか・・
19世紀、メルヴィルの『白鯨』の時代の話ですね。
もちろん今では鯨は使えないため、本物はたいそう高価になっています。

さて、サンゴロウとサンゴ屋の出会いは・・
えーと、名前つながり?(笑)
海岸をぶらぶら歩いていれば目につく店なので、
なんとなく入ってみた、とか、たぶんそんな感じでしょう。
人(猫)の才能を見抜く目がある、というのが、
サンゴ屋とカジキ船長に共通する点で、
それは「かっこいいおじさん」の必須条件かもしれない。
サンゴロウも、このふたりへのリスペクトは常に忘れません。



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ピン・ポン・バスについて

2011-01-16 10:12:57 | Q&A

◆yoyomsmsさんからのご質問

>3歳の息子は乗り物シリーズの大ファンです。
>毎日シリーズ全部読まないと寝ません。
>『ピン・ポン・バス』や『うみへいくピン・ポン・バス』の
>風景は実際に見ることができますか?
>海が広がるシーンや灯台など、毎回目を輝かせて見ているので、
>バスに乗せてあげて同じ風景を見せることができたら
>どんなに喜ぶだろうと思います。
>今住んでいるのは北海道の北見市というところで今は真っ白な世界です。


うわぁ、真っ白な世界! 見てみたいです。
わたしは雪の少ない地方しか知らなくて、
いま住んでいるところも東海地方の某半島なので
(半世紀前には「東洋のハワイ」とか言われていたことも・・笑)
2年に1度くらい、うっすら白くなればラッキーだけれど、
それもたいていお昼まではもたないのです。

『ピン・ポン・バス』(偕成社 1996年)は、
家の前を走っている路線バスがモデルになっています。
息子が小さいときは、毎日「バスに手を振る」を実践していたし、
小学校もこれに乗って通っていました。

バスの整備工場に行って詳しく取材をさせてもらったので、
マニアの方なら、どこの会社の何年の何型とわかるくらい。
ですが、絵本が出てからすでに15年近くたち、
残念ながら、この型式のバスはもう走っていません。
『うみへいくピン・ポン・バス』は前作から8年後に出たもので、
こちらは行先に合わせてブルーの車体にしてみました。

この2冊の絵本に描かれている風景は、実際にあるものと、
ないものが、いろいろパッチワークのように組み合わされています。
ここは○○みたいな感じ、と、わたしがイメージを言って
描いてもらった場面もあるし、描く人におまかせした場面もあります。

『うみへいく〜』の駅や電車は、いちおうモデルがありますが、
このように踏切を渡るバス路線は実在しません。
灯台も、近隣の2か所の灯台が微妙に混ざっているので、
これとそっくりのものはないと思います。

バスがトンネルを抜けると海が見える、というシーンも、
実際に探すとぴったりの場所はなかなかないもので・・
なくても描いてしまえる、というところが、
写真や映像とは違う、絵本の良さだと思います。
つまり、これは想像力のつくりだす世界。
想像って、ときには実写以上にリアルになれるもの。
「ほんとにありそう」
「どこにあるのかな?」
「行ってみたい!」
と思っていただければ、作った側は大喜びです。

(ということで、絵本のとおりではありませんが、
半島をぐるっとまわれば「それっぽい」風景は
たくさん見ることができますので、
ぜひお出かけくださいませ)

 
 
 

 

 
 
 

 

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メビウス公園について

2011-01-14 20:22:15 | Q&A

◆美雪さんからのご質問

>『旅するウサギ』について質問です。
>メビウス公園を作った建築家のイメージの元はガウディですか?
>グエル公園なら、メビウス公園とつながっていても
>違和感がないと思うのですけど。


さっそく読んでくださってありがとうございます。
ご想像のとおりです。
メビウスは19世紀のドイツの数学者ですが、ガウディは
メビウスより60年ほどあとに生まれたスペインの建築家です。

ガウディ建築は、写真集やカレンダーで眺めていたので、
本物は見たことないのに、ほとんど見たような気持ちになっています。
きちっとした新しいビルディングには興味がなくて、
「なんだろこれ?」っていうような変な建物や、廃墟が大好き。

最初、メビウスの輪をトンネル状にして、
その中をくぐって遊べるプレイストラクチャーを
作れないか、というようなことを考えたのですが、
森博嗣さんの小説にそういう建築物が書かれていたので、
おっとっと・・とあきらめました。
(そもそも物理的な物の見方ができない作者なので、
あまり複雑な立体物の描写は不可能だと思われます)

おまけですが、メビウスの輪の、センターラインではなく
幅の3分の1のところをずーっと切っていくと、
さらに手品っぽい面白い結果になるので、
試してみてください。

作中の建築家のビジュアルイメージは、
ガウディ本人にはあまり似ていなくて、
チャールズ・ダーウィンとカーネル・サンダースを
足して割ったような感じ・・って、どんな人なんだ・・(笑)

 

話は変わりますが、美雪さんに、
「北海道の百人一首は下の句を読んで下の句の札をとる」
「しかもその取り札は木でできている」
というお話をうかがって、びっくり。
ヒグマが津軽海峡を泳いで渡れない、というのはわかるけど、
百人一首が北海道だけ独自の進化をした理由がわからない。
下の句カルタの謎。

 

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クルミ先生について

2011-01-13 10:15:40 | Q&A

◆かーこさんからのご質問

>実はずっと疑問に思っているのですが、
>「サンゴロウ」のやまねこ族のクルミ先生と、
>「ドルフィン・エクスプレス」の・・

 


おっとっと、『光のカケラ』までお読みでない人は、
この先ネタバレご注意です。

 

 

これくらいあければ大丈夫?


>『光のカケラ』に登場するコノミ先生は、
>同一人物(この場合、猫物?)なのでしょうか?
>私はずっと同じ人物だと思っていて、お名前が違うのは、
>うみねこ島にやってきて、新しい自分として生きるという決意の元、
>名前を変えたのでは…と勝手に推測しております。


はい。そのとおりです。
ノアの農園に就職する際に名前を変えたようです。
ナギヒコ先生か、サンゴロウか、どっちかの
アドバイスがあったのでは・・という気もしますが、
このひとだったら、自分ひとりで決めそうかな。

読者の方には簡単にわかるかなあと思ったので、
わざとわからないような感じで書いたのですが、
わからなさすぎたみたいで、
(挿絵もあんまり特徴がはっきりしないし)
よく聞かれます。
「クルミ」=「木の実」なんですけど・・
カタカナ表記だと、いまいちピンとこないですね。
すみません。

(追記:
『最後の手紙』で、農園をたずねたサンゴロウ視点で
「クルミ」と呼んでいることと、『光のカケラ』でテールが
「コノミ」と紹介されたことは、矛盾しておりません。
『光〜』も、サンゴロウ視点で書けばたぶん「クルミ」になるはず)

クルミ先生は、性格からいって、シーナやヒナコさんのように
「ノリで書く」ことができないので、もし実際に会ったとしたら、
わたしはあんまり気楽に会話できないだろうと思います。
自分とかけ離れた人物のほうがずっと書きやすいなあ。

そういえば、
サンゴロウシリーズで、「サンゴロウって女嫌いですか?」と
いきなり聞かれたことがあるのですが、
(えーと、いちおう児童書ですし・・何をどう書けと?/笑)
『光のカケラ』なんか見ても、特にそんなことはないよね、
と思うんですが、どうなんでしょうか。


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翻訳について・その2

2011-01-07 09:00:00 | Q&A

つづきです。

『でんしゃがくるよ!』(シャーロット・ヴォーク/作絵 偕成社 1998年)
というイギリスの絵本の翻訳をしました。
これも、わたしが選んできたのではありませんが、
乗り物の絵本を書いていることから起用していただいたのでしょう。

原文は3人称で書かれていて、クロエとウィリアムの姉弟が
お父さんと陸橋の上に電車を見に行く話です。
電車の好きな子どもには「わかるわかる!」という感じの、
国の違いをこえて楽しめる素敵な絵本なのですが、
なじみの薄い外国の子どもの名前が出てくることが、
幼い読者にとってハードルになってしまうおそれがありました。
このときは、編集者さんとも相談の上、弟の1人称にして
「おねえちゃん」「ぼく」と訳すことにしました。

訳者はどこまでやっていいものか・・
判断は人によってさまざまだと思います。
原作者の意図を尊重するのは、もちろん当然のこと。
しかし、海外の作品を、できるかぎり原作に忠実に、
その魅力がもっともよく伝わる形で、
しかも「美しい日本語にして」子どもたちに手渡すためには、
がちがちの忠実だけではだめで、柔軟な「意訳」も
欠かせない大切な要素だと思っています。



原題は「Here Comes the Train」で
the Trainと作者名が橋の下にくるようになっている。
日本語では逆になっちゃうのも難しいところ。


以下、余談になりますが・・

ナルニア国シリーズの『ライオンと魔女』(1966年初訳)で、
エドマンドが女王にもらうturkish delightというお菓子を、
瀬田貞二さんは意図的に「プリン」と訳されました。
「ターキッシュ・ディライト」(あるいは「トルコぎゅうひ」!)では、
日本の読者にはどういうものやら見当もつきませんが、
英国ではおそらく誰もが知っているスウィーツ。
『クマのプーさん』の作者ミルンもこれを好んだそうですから、
子供のおやつというよりは、コーヒーにそえて出されるような
ちょっとおとな向きのお茶うけかしらん。
それをねだるところにもエドマンドの性格が垣間見える。
つまりこれも翻訳ならではのハードル。
「プリン」でよかったのか、という議論はさておき、
訳者の思案のしどころであったでしょう。

しかし、その「箱にどっさり入ったプリン」を
「むしゃむしゃ口にほうりこむ」という描写に
(むしゃむしゃ? 手づかみ? スプーンは?)と
妙な違和感をおぼえたわたし(読んだ当時、小4くらい)は、
あとになって、それが実はプリンではないことを知り、
さらに後年、映画でようやくその実物を目撃することができて、
(なにやら「ひとくち苺ジャム大福」みたいなものであった・・笑)
長い旅を終えたような深い満足感を味わったものでした。
そんなのも、翻訳物の愉しみのひとつ、といえるかもしれません。



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翻訳について

2011-01-06 14:52:42 | Q&A

◆春待ち草さんからご質問をいただきました。

>翻訳されている『人魚の島で』、大好きな本です。
>翻訳する本はどのように選ぶのでしょうか。
>また、翻訳のむずかしさや気をつけている事など教えて下さい。


語学を専門に学んだわけではないので、翻訳は趣味の範囲です。
お手本は石井桃子さんの名訳『クマのプーさん』です。
好きな本を勝手に(自分用に)訳してみたり、
Mにたのまれて資料本を訳したりしていますが、
お仕事としては、たまにご縁があれば、させていただく程度です。

本職の翻訳家の方々は、どのようにお仕事をされているのか、
おたずねしたことがないのでわかりませんが・・

わたしはいま住んでいるところがかなり田舎のほうで、
輸入本を扱っている書店に行こうとすると片道3時間半かかりますので、
新刊本を自分で見て選ぶということはなかなか難しいです。
(店頭でぱらぱらと見たって内容把握できないし・・笑)

海外と日本の出版社の仲介をするエージェントという会社があり、
各出版社にはそういうルートから「おすすめ本」が入ってきます。
絵本などは、国際的なブックフェアの会場で編集者が見て、
その場で商談、ということもあるようです。
そういう場合は、本が先で、訳者はあとから決まります。

『人魚の島で』(シンシア・ライラント/作 偕成社 1999年)は、
この著者の本をすでに何冊か出している編集者さんから
「訳してみない?」と声をかけていただきました。
このときは、最初のページを見ただけで、
「あ、これは、あれだ」という感じを受けました。

「あれだ」って、何だ?
ということが説明しにくいんですが・・
自分の文体に変換可能だ、ということ、かな?
目で見たセンテンスが、自分の日本語になって、すっと出てくる感じ。

これが「すっと出てこない」と、ぜんぜん楽しくありません。
学校の宿題をやってるのと同じです。
辞書さえひけば、単語や文章の意味はだいたいわかるし、
それを日本語に直すことも、できなくはないですが、
翻訳としては、でこぼこの石ころ道を自転車こいで行くような・・
いわゆる「ノリが悪い」というやつですね。

変換可能か、そうでないかは、何で決まるのか。
わたしの場合は、著者が女性のほうがうまくいきます。
(男性でも、世の中からちょっとはずれたような人だと
変換できることがあります。文豪タイプはだめです)
ライラントさんの本を読んだのは初めてでしたが、
「あれだ」に続いて「わかる」と思いました。
つまり、この人も、わたしと同じく、ある種の変身願望をもって
物語を書いている人なのではないか、と。

ご本人にお聞きしてみたわけではないので、
もしかしたら、まったくハズレかもしれませんが・・
ともかく、一方的だろうと、思い込みだろうと、
直感的に「わかる」ことは、重要です。

英語の単語を辞書でひくと、いくつかの訳語が出てきます。
たとえば「lovely」を手元の辞書でみると、
「美しい、かわいらしい、愛らしい、人格のりっぱな、すぐれた、
敬愛すべき、うれしい、すばらしい、愉快な、快い」
というような日本語が並んでいます。
一番近いのはどれか。
または、どれでもないのか。
文脈から、前後の言葉から推察するのはもちろんですが、
「この作者なら、この場面で、どんな言葉を選ぶだろうか」と考える。
そのときに、自分と何か共通点のある相手なら、想像しやすい。
あれかこれかと無駄に迷わずにすみます。

気をつけている点は・・
訳者であることを、ときどき思い出すようにすること。
訳している途中で、すっかり作者の気持ちになってしまい、
ほんのちょっとした文章のキズのようなものが目につくたびに、
「ここ、わたしだったらこう書くのになー」などと、
ついつい思ったり、しないこと。




長くなったので、次回に続きます。

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あやしい5人組について

2010-12-29 09:02:07 | Q&A

冬さんから。

>閑猫さんの本は何冊も読みましたが、本のイメージがかなり違います。
>サンゴロウさん・テール君、スターズはハードボイルドでも読んでいるよう。
>木苺やアイヴォリー、風町はなんとなく少女的なイメージ
>絵本やおてつだいねこなどは、読んで楽しい子供向け
>閑猫さんは、ほんとうは男性?少年?少女?でしょうか?

えへへ、バレたか〜。
じつは、5人でひとつのペンネームで書いてるんだよね。
本の奥付を見ると名前のうしろに小さいマークが入ってるでしょ。
知ってる人はそれで見分けられるようになってるんだけど・・

というのは嘘(笑)

物語を書くというのは、一種の変身願望なのかもしれません。
小さい子どもは、おひめさまごっこに熱中したり、
ウルトラセブンになりきったりして遊びます。
自分じゃない誰かになるのって、なんて楽しいんだろう。
しかし、おとなが「自分じゃない誰か」になる場合、
場所ややりかたや相手次第では「詐欺」になりかねない。
合法的にそれができる職業が、たとえば役者だったり、
作家だったり、するのではないかしら。

ずっと前にも書きましたが(→こことか)
モード切り替えスイッチはだいたい3種類あるようです。
切り替えのきっかけは、おもに「表記」ではないかと思います。

絵本や幼年童話は、ひらがなメインで書きますので、
使う言葉も、やさしい、わかりやすいものを選びます。
「困難」は「むずかしい」になり、
「難解」は「わかりにくい」になる。
そうしていくと、自然と内容も限られてきます。
ひらがなで書きにくいことは書けないから書かない。
つまり、最初の発想段階からまったく違ってきます。

ひらがな世界は、小さい子どもの立ち入り自由な場所で、
危険なモノや怖いモノは置いてありません。
ひらがなのおしごとだ、と思うと、ここの扉を開きます。
この世界の「ことば」は、子どもの不安を和らげ、
楽しい方向を示す「あかり」として存在します。
だいじょうぶだよ、と。
こっちにおいで、と。
(そうであるべきだ、と思っています)

一方、ひらがな規制をはずすと、世界は限りなくひろがり、
不安定なわけのわからぬモノがどっと流れ込み、
わいわいがやがやと大変なことになります。
それをなんとか仕切って整頓するためには、
自分自身がしっかり何かに「なりきる」ことが不可欠なのです。
まず自分の役を決める。立つ位置を決める。
そこから見回して、すばやく取捨選択をしていく。
その結果、必要なものだけが周囲にあつまり、
コンパクトで居心地の良い「巣」ができる。

(あ、そうか。つまり、物語をつくるのは、
というか、こういう文章を書いていること自体、
自分の頭の中を整理整頓したいからなのですね)

読者の方からみて「イメージが違う」のは、
もともとひとりの中にいくつかの人格が混在しており、
その時々でどれかが「仕切り屋=主役」を名乗り出て、
お気に入りの材料で巣をつくるから、ではないかと思います。

(・・ほらぁ、やっぱり、5人いるんじゃないか/笑)

>サンゴロウさんとアイヴォリーを読んで、たくさんのものを捨ててでも、
>本来の自分を生きたかったのかなと感じました。
>また、サンゴロウさんをはじめ、自立して一人でも生きていける
>強さを持った人物が多く出てきますね。
>こういったところは、作者さんの人生観でしょうか?

それは人生観というほどのたいしたものではなく、
単なる個人的な「あこがれ」にすぎないのでしょう。
現実には、人は一人では生きていけませんし、
「強さ」も裏返せば「協調性に欠ける」ということになります。

でも、現実は現実で、ちょっとそのへんに置いといて。

とりあえず、どれくらい現実と離れたことを想像できるか・・
ずっとずっとずーっと遠く離れれば、いつかそのうちに
地球をぐるっと一周して戻ってきて
現実の背中をポンと叩いてやることができるのではないか・・
というようなことを、閑猫は、日々研究中です。


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しっぽについて

2010-12-28 08:33:07 | Q&A

◆真樹子さんから。

>サンゴロウたちも、気分によってしっぽがパタパタしたり、
>太くなったりするんでしょうか?
>ケンカの時「しゃーっっ!!」とか言ったりはしないと思いますが…笑
>サンゴロウはクールだけど、しっぽだけパタパタしてたら
>ちょっとかわいいなっと思いました。


あはははは・・!
そうか、猫ですもんね。
じつは、しっぽだけパタパタ、してたのか。
(可愛いすぎる、それ)

うちの黒猫珊瑚も、ふだんは細ーいしっぽですが、
たまに太くなると、ほわんほわんですごく立派です。
でも、気分の切り替えが早い子なので、
すぐ元に戻っちゃうのが残念です。

動物が人間のように考えたりしゃべったりしているように
書くことを「擬人化」といいますが、
サンゴロウは、逆に、人間を猫の姿で書いたような感じなので、
これは「擬猫化」とでもいうのでしょうか。

動物に服を着せる場合、しっぽはなんとかなるのですが、
帽子をかぶせるのは耳が立ってるとちょっと難しいです。
無理ではないけれど、なんとなく安定がよくないのね。
これは、絵がついて初めてわかったことなので、
サンゴロウが帽子をかぶっているのは1巻だけです。
ユニフォームのあるテール君も帽子はありません。

 
 
 


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