閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

2017-06-03 14:17:58 | 日々

びっくりするような強い風が一日吹き荒れる。
山桜の枯れ枝が音を立てて降ってくる。
中には人の背丈ほどの大きなものもあり、落ちたはずみにあじさいのつぼみを何本か折ってしまう。
木々の青い葉が小枝ごとひきちぎられたようになって飛んでくる。
もみじ、こなら、もくれん、大きな朴の葉も。
ベランダの日除けがバタバタ暴れて危ないのではずした。
台風以外でこんなことは珍しい。
夜遅くになってようやく静かになる。
翌朝みたら、青いプラムの実もたくさん落ちていた。

 



地面には桜の実。
ミニミニさくらんぼ。
どこにでも、踏まなければ歩けないほど大量に落ちている。
いかにもさくらんぼらしい柄のついた赤いのは、渋くて食べられない。
黒く熟すと、渋みがやや薄れ、ちょっとアメリカンチェリーの風味に似てくる。
ホワイトリカーに漬けると素晴らしい香りのお酒になるけれど、柔らかく熟したものは、地面に落ちるとすぐつぶれてしまうから駄目だ。
枝から摘むには、木が高すぎて駄目。
人の手の届く高さで実のなる山桜を、10年前には知っていたけれど、もうその木もうんと大きくなってしまった。

木のてっぺんでカラスがこそこそと何かしているのを見つけた。
そのへんに巣でもあるのかと、陰から見ていたら、さくらんぼをついばんでいるのだった。
カラスの体重を支えるには梢の枝は細すぎるので、翼を半開きにあぶなっかしくバランスをとりながらがんばっている。
1個ついばむごとに、枝が大きく揺れて、10個も20個もぱたぱたと雨粒のように降ってくる。
カラスも落ちた実は拾わないのだろうか。
人が見ていないときは地面に降りているのかもしれない。

桑の実も熟し始めた。
桑の木は成長が早いから、あっというまに手が届かなくなる。
その上、地上2メートル以下の枝は鹿が全部食ってしまう。
もっと高い位置の枝でも、長く伸びて先端が垂れ下がったのを狙い、後足で立ち上がり、枝先を「あむっ」とくわえて体重をかけて引っ張り下ろし、めきめきとへし折ってしまう、らしい。
(現場を見たわけではないけれど、状況からみて、絶対そうとしか考えられない!)

 

ところで、
前に「豆大福の謎」で書いた、ずーっとお正月のまま変わらないディスプレイの、その後。
このまま夏を越すんじゃないか、もう来年のお正月まで行っちゃうのではと、通るたびに横目でちらちら見ていたところ、なんと5月の末に変わっていました。
すだれに麦わら帽子。ハイビスカス的な明るい色の花。ワイン?の瓶。
お正月から、春も梅雨も飛び越えて、一気にトロピカルムードに大変身。
うん、これであと3、4か月は大丈夫だ。
よかったよかった。
(夏と冬の二期制になったのかな…)

しかしですね、わたしは一度に4つ以上のアイテムを見るとぜんぜん覚えられない、ということが判明しました。
ぱっと全体を一枚の画像として把握する、ということができないんだろうな。
あたふたと腕いっぱい抱え込もうとして、結局あれもこれも取り落としてしまう感じ。
2度目に見たら、椰子の木の絵と、マリンストライプに錨の絵と、ひまわりの造花と、かごバッグもあった。
ワイン瓶の隣にトゥーカンみたいな九官鳥(チョコボールのキョロちゃん?)みたいな鳥がいたような気がしたけれど、きょう見たらそんなものはなかった。

さらに、2月下旬に購入した車のナンバーをまだぜんぜん覚えていないことにも気づき、ちょっとあせっているところ。12桁のマイナンバーが覚えられるのに、たった4桁がどうして覚えられないのっ。

 

本日のにゃんこ

クレちゃんの秘密のお昼寝場所のひとつを偶然発見した。

 

暑い日に猫のいるところは涼しいに決まっている。 

 

誰にも言わないから大丈夫だよ。

 

本日の「いいね!」

エミリー・ディキンソンの押し花帖

考えてみたら、わたしはエミリー・ディキンソンの詩をちゃんと読んだことがない。
中高生のころはもっぱらビートルズの歌詞などに興味をひかれ、古典に目を向ける機会を逸した。
韻文を読むのは難しいし、和訳で読むのはまた別の意味で難しい。
今だったら読めそうな気もするけれど。

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