閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

サンゴロウの絵について・その2

2010-12-16 17:08:49 | Q&A

サンゴロウ&ドルフィンの「絵」についてのご質問がたくさんあり、
重なる部分はまとめさせていただいています。
ひきつづき、描いた人が回答します。どーぞ。

◆i.rさんから。

>本文の挿絵の方で、サンゴロウとドルフィンとではペンタッチが違うように見えますが…
>意図的に変えて描かれてるのでしょうか?      
>また、悩みに悩んだ絵、何か思い出深いエピソード等がありましたら教えてください


サンゴロウとドルフィンでは、扱われているテーマや、物語の展開から、
現実世界との接点や、物語世界の方向性というか、
何に重点を置いているかという点で、
微妙に世界が違うと感じたので変えています。


悩んだ絵というのはないのですが、
『流れ星レース』の表紙は、描いてみて作者に見せると、
「ちょっと違う…」ということで、何枚もいろいろ描きました。

住んでいるところが海に近いせいもあり、
あっ、これは散歩したあそこの浜だ、これはあの磯の崖だ…と、
取材とかしないでも、身体に刷りこまれたものが
白い画面に見えてくるので、そこに色を置いていくだけです。

そのほか、描きたかった絵や、描きたいシーンが
文章の中にたくさん含まれているので、
ひとり仕事場で「これこれ、この場面が描きたかったのだ」とか
「うーん、きれいすぎ! 完璧!」と自画自賛して、
わくわくして描いていました。

『青いジョーカー』の中に、鳥の学者さんが、
鳥の巣の作り方を説明しているところがありますが、
その当時は、鳥の巣を集めて喜んでいる段階で、
まだ鳥の巣の博士になっていませんでした。

  鳥類学者イソキチ君

また、フランスで行った灯台の灯台守の人が
「霧の灯台」のカイとそっくりなイメージで、
あまりに似ていて、作者と思わず顔を見合わせてしまったことなど、
現実が後からついてくるようで、不思議です。

  フレネルの灯台(1836年建造)

白地に、描きすぎても描かなすぎてもいけない、という緊張感の刺激が、
うまく形になるのが、たまらない快感で、どれもとっても好きな絵です。

童話の本ということで、1色刷りという白地に黒だけの形態で描いているのですが、
自分の中では、深い深い世界が、できあがっているので、
いつか絵本や絵としても発表できたら、おもしろいと思っています。

 

閑猫追記:

サンゴロウとドルフィンは、世界はつながっていますが、
読者の方はご存じのように、出版社が違います。
どうしてそうなったか、ということには、ここではふれませんが、
変わるんだったら、がらっと変えてしまおう、という意識が
作者にはありました。

本のデザインというのは、カバーの絵だけの問題ではありません。
版型から、紙の種類や厚さ、中の文字の書体や大きさなど、
すべてが合わさって、その本の「すがた」が出来ます。
もちろん作者・画家の意向もありますが、それ以上に、
それぞれの出版社、編集者、デザイナーさんたちが、
内容にふさわしいようにと工夫を凝らしてくれるところで、
そういう人たちのセンスや好みも入ります。
また、現実的なコストの面から、特殊な紙やインクが使えたり、
使えなかったり、ということもあります。

たとえばサンゴロウシリーズは、カバーの紙の風合い、本文の紙の色、
本文のゴチックという書体などにはっきりした特徴がありますが、
それを、他社でもそっくり同じに、というわけにはいきません。

結果として、その違いが、うみねこ島と三日月島の文化の違い、
サンゴロウとテールの性格や、おかれている状況の違いに、
ちょうど重なってくれたんじゃないかなあ…という気がします。
ドルフィンシリーズは、表紙がつるっとして、中の紙が白いので、
それだけでもかなり雰囲気が違って見えるかもしれません。

サンゴロウシリーズの表紙(カバー)絵は、枠のパターンがあるので、
見た目にもそろってシリーズ物らしくなっています。
ドルフィンのほうはゼロからいきなり始まったため、
表紙を描く人は、毎回、あれこれ悩んでおられました(…ね?)

『流れ星レース』の巻だけ、担当編集者さんが男性だったので、
こころもち男の子テイストになっているのも面白いです。

 
 
 
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