母の肖像

Maman, tu ne me manques pas.

あんたなんか

2016年07月27日 | 記憶 souvenirs
あんたなんか、と言われて育った。あんたなんかどこもいいところがない。何の価値もない。あんたなんか誰にも愛されないと。

だからもしあんたでもいいと言ってくれる男が現れたら、誰でもいいからその人に結婚してもらえと。あんたなんかそれしかないんだよと。

つまり安売りをしろと。

今これを思い出すと、怒りがこみあげてくる。子供になんということを吹き込むのか。冗談にしても度がすぎていないか。

しかしあの頃はなんとも思わなかった。それどころかそのとおりだと思っていた。親の言うことはすべて正しいと思っていた。

そう思うと悔しい。もっと早く気がついていれば。

子供を誇りに思う?

2016年07月27日 | 記憶 souvenirs
自分の子供を誇りに思うという親がいると聞いたことがある。誇りに思うなんてとんでもない。母は自分の子供を恥じていた。母にとって子供は恥だった。人前にはとうてい出せない、恥ずかしい生き物だった。いつまた子供に恥をかかされるのか気が気ではなかった。いつもそれでびくびくしていた。

だから実際に恥をかかされる、あるいは恥をかかされたと感じると激しく子供を責めた。

母の頭にあるのは自分のことだけ。自分が人によく思われたいという「誇り」だけ。それが踏みにじられないことだけ。

だから子供にはあれもこれも禁止し、してはならないこととしなければならないことで子供を縛り上げた。恥をかかされると仕返しに恥をかかせた。踏みにじらると仕返しに踏みにじった。