母の肖像

Maman, tu ne me manques pas.

気の毒なコドモ

2013年01月08日 | 記憶の整理 classement
他の人による自分への評価が気になってしかたがない時期は誰にもある。とくに自己と他者の境界がまだあいまいな子供時代の終わりには。人が自分のことをどう思うか、何と言うか。少しでも自分をよく見せたい、すべての人に好かれたい。そのことばかり考える。そのために細心の注意を払う。

しかし成長して、自己と他者の境界がだんだんはっきりしてくるにつれてわかってくる。人は人、わたしはわたし。すべての人によく思われることなど不可能だと。人に迷惑をかけたり、不愉快にしたり、法律を犯したりしなければ、わたしはわたしのままでいいのだと。人に自分へのよい評価という請求書をつきつけてまわらなくても、自分さえよければそれでいいのだと。

母はそれに気づかないままなのか。今でもあの時期にいて成長が止まったままなのか。そう思うとなんだか気の毒になる。いつも人の顔色をうかがってびくびく、おどおどして、人の評価に一喜一憂して。わたしにも覚えがあるけど、あの時期はほんとうに楽しくなかった。

いっぽうで気が楽にもなる。母にとって自分の子供は、自分の価値を体現するものでしかなかったのね。できの悪い子供は自分の価値を下げる。だから勉強しろ、よい成績を取れと強要した。わたしにだめだだめだと言い続けたのは、わたしがほんとうにだめだったからではないかもしれない。

顔色をうかがう

2013年01月06日 | 記憶の整理 classement
母はとくに知らない人に対してはいつもおどおどとした様子をみせる。高圧的であったり、傲慢、尊大なところはみじんもない。人につきつける「わたしの言うことに賛成しろ、わたしに拍手しろ」という要求とは大きく乖離しているようにもみえるが、

あれは、おそろしくもろく傷つきやすい自尊心を抱えているからではないか。そしてそれを守ろうと必死だからではないかと思う。風が吹いてもそれは傷つく。そしてそれを守ろうとして汲々とするあまり周りを見る余裕がない、前後の見境もない。もちろんひとの気持ちなんか考えられない。後にも先にもあるのはただただ自分だけ。自分が低い評価を受けているのではないかと不安でならないのだ。

自分の価値は、自分がほかの人からどのような評価を受けるかで決まる、それがすべてだ、と母は考えているようだ。

だからそれを知るために人を詳細に観察する。ちょっとした視線や表情、言葉の端や抑揚にも敏感に反応する。自分がどのような評価を受けているかが重要なポイントだ。それがまだわからないうちは不安でならない。なので顔色をうかがう。

もちろんその人に何か「欠点」がないかも観察する。言動、服装、ヘアスタイルやメイク。もしあればそれを指摘し(つまり悪口の材料にし)自分が優位に立てるからだ。

人を否定すれば自分を肯定できる。自尊心を守るためなら手段は選ばない。

悪意はある

2013年01月06日 | 記憶の整理 classement
前に「悪意はない」「自分で自分の言っていることがわかっていないコドモ」というようなことを書いたと思うが、今回帰ってみて、これはやはり違うような気がしてきた。

皮肉の毒矢を放つからには悪意はあるのではないか。正直に率直に自分の感じていることを表現しない。正面切って相手への不満をぶつけない。皮肉やあてこすりは陰湿でひきょうなやり方だ。表現が婉曲なので、反撃されてもそんなつもりはなかったとシラを切れる。逃げ道は確保されている。

そこにあるのは相手を傷つけたい、そうすることで自分が優位に立ちたいという、立派な悪意ではないか。少なくともあの皮肉の毒矢攻撃に関して、母は自分で自分の言っていることがよくわかっているのではないか。

ストレスなし

2013年01月05日 | 記憶の整理 classement
結婚するとほぼもれなくついてくるストレス。これが母にはない。

住んでいるのは自分の実家の近くで、父の両親との同居はもちろん兄弟姉妹ともつきあい全くなし。弟もわたしも父方の親戚には誰ひとり会ったことがない。いわゆる「嫁の義務」なし。冠婚葬祭のつきあいなし。姑とのバトルなし。

なので父の両親の「介護問題」もなし。父親は母が子供の頃亡くなっている。母親は実家にいる母の弟の嫁が介護していた。母はときどき様子を見に行っていた程度。

父は倒れてすぐ亡くなったので夫の介護もなし。

「バカばっかり」だと言って、近所づきあいもしていない。

専業主婦で仕事はしていない。

こうやって書き出してみるとちょっとびっくり。これだけ「恵まれて」いる人はそういないんじゃないか。これで文句を言ったらバチが当たると思うのだが、幸福の尺度は人それぞれのようで。

お正月

2013年01月05日 | 記憶 souvenirs
毎年いやな思いをするだけなのになぜ実家に帰るのだろう。たった2泊しただけなのにもう1年終わった気分。

まず会っていきなり「あら、ひさしぶりね、何年ぶりかしら」と。毎年帰って来てるのに。ふだんできる限り連絡しないようにしているのを皮肉っているのだ。ここは知らんぷりをする。

ほかにも「あなた、飲んでも赤くならないのね、いいわね」とか。おまえは飲んだくれだ、それはとてもはしたなく、みっともないことだと言いたいらしい。わたしは一滴も飲めない、飲んではいないと言うと、「あらそう、じゃ、どうしてグラスの中身が減ってるのかしら」と。これは弟のグラスでわたしのではないと言ってもうすら笑いを浮かべるだけ。信じていない。

たまったポイントを使いたいのであの店に行きたいというので車で連れて行くと、そのポイントカードを忘れてくる。それを棚に上げて道を間違えた、この道じゃない、この道であるわけがない、ぜったいに違うと何度も何度も何度も言う。ボケているわけではない。

夕飯に何を食べたいか聞いてくる。あれもあるし、これもあるわよ。これも「翻訳」が必要だ。ほんとうは弟とわたしが食べたいものが知りたいわけではない。おまえたちが決めろ、手伝え、何とかしろという意味なのだ。それは長年のつきあいでわかっているのだが、めんどうくさいので適当に言い逃れようとすると怒りだす。しかたなく台所に入ると、調味料の瓶は賞味期限が切れて何年もたったものばかり。食材も足りないものばかり。それを指摘するとまた怒りだすので、黙って買いに出る。

口をついて出るのは、愚痴と人の悪口と自慢とうわさ話。誰それが病気になったとか、亡くなったとかうれしそうに話す。病気なんかになったり死んだりするのはバカだからだ。自分はぜったいにそうはならないとでも言わんばかり。お気に入りは叔父の悪口で何度も何度も言う。あなたの弟はわたしの叔父なんだけど?と言ってもわからない。わたしたちが何も知らずに叔父とつき合って、嫌な目にあうといけないから教えてやっているのだ、「教育的措置」なのだと胸を張る。自分の夫がわたしの父であることも理解していなかったのだから当然か。

母の放つ毒矢のこれは一部。うちに帰っていっぱい刺さっているのをひとつひとつ抜いて傷の手当をする。けっこうたいへん。

だけど、母が人の悪口ばかり言うと、わたしは母の悪口を書いている。母のしていることと、わたしのしていることはどこが違うのか。けっきょく同じことではないか。そう考えるとまたいやな気分になる。

毎年このくりかえし。来年は実家に帰るのはやめようかと思う。母にはしばらく会わないほうがいいかもしれない。身体も頭も今のところ問題ないようだし。時が解決してくれるかもしれない。わたしの頭が冷えて、いつか笑って「許せる」ときが来るかもしれない。それを期待して。