他の人による自分への評価が気になってしかたがない時期は誰にもある。とくに自己と他者の境界がまだあいまいな子供時代の終わりには。人が自分のことをどう思うか、何と言うか。少しでも自分をよく見せたい、すべての人に好かれたい。そのことばかり考える。そのために細心の注意を払う。
しかし成長して、自己と他者の境界がだんだんはっきりしてくるにつれてわかってくる。人は人、わたしはわたし。すべての人によく思われることなど不可能だと。人に迷惑をかけたり、不愉快にしたり、法律を犯したりしなければ、わたしはわたしのままでいいのだと。人に自分へのよい評価という請求書をつきつけてまわらなくても、自分さえよければそれでいいのだと。
母はそれに気づかないままなのか。今でもあの時期にいて成長が止まったままなのか。そう思うとなんだか気の毒になる。いつも人の顔色をうかがってびくびく、おどおどして、人の評価に一喜一憂して。わたしにも覚えがあるけど、あの時期はほんとうに楽しくなかった。
いっぽうで気が楽にもなる。母にとって自分の子供は、自分の価値を体現するものでしかなかったのね。できの悪い子供は自分の価値を下げる。だから勉強しろ、よい成績を取れと強要した。わたしにだめだだめだと言い続けたのは、わたしがほんとうにだめだったからではないかもしれない。
しかし成長して、自己と他者の境界がだんだんはっきりしてくるにつれてわかってくる。人は人、わたしはわたし。すべての人によく思われることなど不可能だと。人に迷惑をかけたり、不愉快にしたり、法律を犯したりしなければ、わたしはわたしのままでいいのだと。人に自分へのよい評価という請求書をつきつけてまわらなくても、自分さえよければそれでいいのだと。
母はそれに気づかないままなのか。今でもあの時期にいて成長が止まったままなのか。そう思うとなんだか気の毒になる。いつも人の顔色をうかがってびくびく、おどおどして、人の評価に一喜一憂して。わたしにも覚えがあるけど、あの時期はほんとうに楽しくなかった。
いっぽうで気が楽にもなる。母にとって自分の子供は、自分の価値を体現するものでしかなかったのね。できの悪い子供は自分の価値を下げる。だから勉強しろ、よい成績を取れと強要した。わたしにだめだだめだと言い続けたのは、わたしがほんとうにだめだったからではないかもしれない。