母の肖像

Maman, tu ne me manques pas.

ねじれている

2016年05月25日 | 記憶 souvenirs
ねじれている。

ほとんどすべての人は自分より価値が低く「下」である。上から目線で容赦なく批判する。Tous nuls. みんなバカばっかり。そのいっぽうで、人を恐れている。何か批判されるのではないか、バカにされないか、見下されているのではないか。だからいつも不安でならない。

自分はほかの人より優れている、すばらしい人間であるという根拠も実績もない誇りがある。そのいっぽうで劣等感を抱えている。ほかの人に対する引け目を感じている。だから素直に率直に人の中に入っていけない。人と「健全な」関係を築けない。

子供の上に立ち、支配し、コントロールし、自分の思い通りに動かそうとしようとする一方で、子供に気に入られようとする。好かれたいと思っている。子供の言動や好みに迎合しようとまでする。その一方で実際に子供に好かれ、甘えられるとぞっとして払いのける。

これらねじれた側面のどれが、いつ、どのように表れるかは誰にもわからない。たぶん本人にも。

表れ方はたいていの場合、極端である。人はすべてひとり残らず自分よりバカであったり、自分にはまったくどこにも価値がなかったり、子供の好みはすべて何から何まで素晴らしかったりする。

そうしてこの極端は何の前触れもなく、いっぽうから全く逆のそれへとかんたんに移行する。理由は誰にもわからない。たぶん本人にも。