母の肖像

Maman, tu ne me manques pas.

帰省

2015年01月03日 | 記憶 souvenirs
元旦の夜、夕飯をすませてからやっと行った。

まいどおなじみ段ボール御殿でカニ歩き。「寒くない」と言って冬でもほとんど暖房はしないので、家に入っても気温は外と同じ極寒。息が白く見える。コートが脱げない。2階の部屋にとりあえず出してはある寝具で寝床を作る。石油ストーブを運び、灯油を入れ、火をつける。けっきょく風呂も入らず、メイクも落とさず寝た。風呂場はもっと寒いし、汚いし、物であふれているし。氷水で歯を磨くのがやっと。布団に入っても頭が寒い。あまりに寒くて朝方目がさめた。まさにサバイバル。

「わたしも衰えたから」と何度も言っていたが、それについてコメントはしない。フォローもしない。聞こえなかったふり。

親戚の誰かが高齢で寝たきりだかになっているから、見舞いに時々行っているらしいが、その親戚を思いやるとか、気の毒に思うとかいうよりはむしろ見舞いに行っている自分を自慢していた。あれもしてやった、これもしてやったと。

ひきこもりの息子とむずかしい状況になっているおじの話。というより憎しみのこもった悪口大会。「わたしなんかどれだけたいへんな思いをしてるか」と。もっとたいへんなのは当事者だと思うけど?

朝食。外で食べてもよかったけど、そこまでするのも感じ悪いかと用意してくれたものを食べた。全品甘ったるい出来合いの「おせち」。あたたかいものはインスタントの卵スープだけ。気持ちが悪かった。

父の7回忌をどうしようかという話を弟にしていたらしい。3回忌を誰にも知らせずしたのは誰だっけ?

3日にどこかで売り出しがあるので行きたいと言っていたが、軽く流して無視した。2日に帰るって言ったでしょ。

今に始まったことじゃないので、してはいけないことはわかっている。とにかく距離をおく。部屋から出ず、なるべく話をしないようにする。あれがないか、これはどうしたと聞くだけで機嫌を損ねるのでそれも言わない。ひとりで語り続ける話は黙って聞く。おかげで衝突はどうにか避けられた。皮肉や嫌味の攻撃もなかった。

ただいやな後味だけが残る。