母の肖像

Maman, tu ne me manques pas.

エピソード

2012年02月24日 | 記憶 souvenirs
思い出したエピソードをいくつか。こんなことがあるたびに傷ついていましたが、これも「コドモのすること」と笑って許せる、そして笑い話にしてしまえる、そんな日が来るといいなと思います。

お歳暮に大きな新巻の鮭を贈ったことがあった。(近所に住んでいる)叔父と半分ずつしてもらうつもりだったが「うちに来て切ってもらえば」と言うと「だめよ、ぜったいだめ!」と拒否。「そんなことしたら好きなように切って、大きい方を持っていくに決まっている」のだという。「そうでしょ、そう思わない?」「ぜったいそうするわよ」「そんなのいやよ、ぜったいいや」と言い張る。あとで見ると、鮭は母が自分で2枚におろしたらしく、切り口がぎざぎざの哀れな姿になっていた。

実家に帰ったときに、父と弟と4人で出かけた時のこと。父は手術のあとで歩くのがまだおぼつかなかったが、母は父を助けようともしないでひとりで車に乗り込み「何をぐずぐずしてるのよ」「さっさとしなさいよ」と父をののしる。そして自分は車くらいすぐに乗れる、シートベルトの締め方だって知っていると得意げだ。目的地に着いても、父には目もくれず行ってしまう。父をいたわる気などない。そんなことより何でもさっさとできる自分をほめてもらいたいらしい。このとき以来、父はいっしょに出かけるとは2度と言わなかった。

叔父とわたしは気が合うのだが、母よれば叔父は、この上もなく意地悪で冷たくて強欲で狡猾でケチらしい。たとえほんとうにそうだとしても、ひとが機嫌よくつき合っている人間のことをよくもまあそこまでこきおろすものだと思うが、反対意見は禁止。「ひとをぐさりと傷つけるようなことばかり言うのよ」「近くに住んでいないあなたにわかるわけがないわ」あげくは「あんたたち仲が良くていいわね」

その叔父の長男はいわゆるニートだ。母はその従弟がかわいそうでならないと言う。「父親がああだからあんなことになったのよ。子供は愛情をもって暖かく優しく接してやるものよ。そうしてやればけっして『へん』なことにはならないのに」これを聞いたときには椅子から転げ落ちそうになった。弟もわたしも、子供の頃、母に暖かく優しく接してもらった記憶はひとつもない。わたしたちが「へん」なことにならなかったのは、たんに意気地がなかっただけ。

父が亡くなったあと、叔父がごみ屋敷の整理を手伝ってくれた。ついでに家の中をチェックし、危険だからと階段に手すりと滑り止めをつけてくれたのだが「これって足がひっかかるのよねと『友だち』が言っていた」と、何度もくりかえしわたしに言う。実際にひっかかった経験はないようなのだが。台所の照明も、暗いと気持ちまで暗くなるだろうと明るくしてくれたのだが「明るすぎるから元通りにしたの」と、これまた何度も何度もわたしに言う。せめて黙っていてくれたらいいのに。

最後に

2012年02月23日 | 記憶の整理 classement
母は自我の発達が途中で止まっているコドモでした。とにかく、自分、自分、自分だけが大切。自分の評判、自分の心の平安。ほかの人間はみんな自分の思う通りにすべきだ。それがすべて。そして母はそれに忠実に生きています。私利私欲のためでも、権力欲のためでもない。傲慢さや、過剰な自信があるわけでもない。悪意も(たぶん)ない。ただ子供のように無邪気に、純粋に、何の疑いもなく。

やっとそれがわかりました。まるで闇が消えて視界が一気に開けたようです。

母の言動にはいつも混乱させられていました。怒りと悲しみでいっぱいになることもありました。母がうとましかった。母が恋しい思ったことはありません。なぜそのように思うのか、その理由がわかりました。それは母がいつもわたしに思い込ませようとしていたように「私が悪い」せいではありませんでした。そんなふうに母を愛せないことで罪悪感を抱く必要はなかったのです。母を愛せない、母を愛せない自分を愛せない、という罪悪感の連鎖がこれで断ち切れました。母の呪縛は呪縛にすぎない、つまりうそだったとわかりました。呪縛から解放されました。

わかったからといって、母との関係が変わるわけではありません。このことを母に話すつもりもありません。コドモに何がわかる?わかっただけで満足です。意味もわからないまま、ただ苦しんで死ぬよりいい。

わたしに「母」はいなかったのだと思います。生物学的にわたしを産んだ人間はいましたが。わたしを育てたのはコドモでした。しかし母の生き方は否定しません。受け入れます。人それぞれ生き方はありますから。ただ、わたしにはもうかまわないでほしい。母は母の世界で生きていてくれればいい。

そしてこういう人間を「母」に持った自分の運命も受け入れます。子供は親を選べません。「母のない子」はわたしだけではないでしょう。

母がコドモでなかったら、自分の人生はどんなだったろうと想像するのはちょっと楽しいです。わたしは価値のない人間でも、能力のない人間でもなかったかもしれない。この世に居場所を見つけることができたかもしれない。わたしは幸せになれたかもしれない。意味のないことで悩まなくてもよかったかもしれない。

これからですか?これからはこれまで何度やっても、どんなにがんばっても成功しなかった「自分探し」に再度挑戦してみようと思います。ほんとうの顔と境目がわからなくなってしまっている仮面をはがすのは、容易なことではないかもしれませんが、こんどはうまくいくかもしれません。

また何か思い出したら書きます。

時系列

2012年02月22日 | 記憶の整理 classement
そろそろ終盤です。あと少し。時系列をざっとまとめてみました。

1. 高校卒業まで いわゆる子供時代
2. 大学時代 母との蜜月時代
3. 結婚する前 蜜月の終わり 
4. 結婚後 今日まで 


1. 「無敵の独裁者」全開の時代。前半はすでに書いたとおり。後半になると少しトーンが変わる。すべてを強制し、直接コントロールするのではなく、それとなく誘導するようになる。つまり、わたしの意見を尊重しているようなふりをしながら、それとなく自分の意図する方向にもっていくのだ。たとえば志望校を決めるとき。高校受験のとき志望校は母が決めた。ほかに選択肢はなかった。大学受験になると、いっしょに受験案内を見たりして、それとなく自分が希望する大学や学部を吹き込んだ。母の望むことと望まないことは、この頃文字通りしっかりと叩き込まれた。もっとも大切なことは、自分の感じることや考えることはいっさい表現しないこと。うそをついても、隠し事をしてでも、けっして本心は見せないこと。そして母の感じることや考えることに賛成し、それを支持していれば波風はたたない。「いつも明るく機嫌よく」していること。

2.それまでの「教育」が開花した時代。わざとらしさなしに調子を合わせる。わたしが一流とは言えないまでも世間体は悪くない大学に入学すると、安心したのか母は勉強しなさいとはぱったり言わなくなった。そうしてわたしを友だちのように扱うようになった。学生生活のこと、サークル活動のこと、ボーイフレンドのこと。何でも話した。成績のことを話すのは慎重に避けたが。いっしょに買い物に行き、服や靴を買ってくれた。仲のよい母と娘。母とわたしの蜜月時代。今思うと、母はわたしの私生活を逐一聞き出し、それを通して自分の「失われた青春」を追体験していたのかもしれない。

3. 就職し、結婚が決まると母の態度はまた一変した。自分がすすめておきながら喜ぶようすはまったくなかった。「幸せな」結婚をしようとしている娘に嫉妬したのか。くやしかったのか。裏切られた気がしたのか。こんなことに使うなんてお金がもったいない、育てたかいがない、感謝もしてない、と皮肉とあてこすりの嵐。わたしは(その頃飼っていた)猫以下の恩知らずだと言っていた。冗談ではなくまじめに。直接じっくり話し合ったりするのではなく、とげのある言葉を投げてよこす。父に向かって聞こえよがしに言う。うちを出るときには、それこそ感謝のかけらもなかった。ただ母のもとを逃れられることにほっとしていた。

4. 結婚後はおおむね冷淡。無関心。何か「問題」が起きても知らん顔。自分の世間体に悪い影響さえおよぼさなければそれでいい。これはすでに書いたとおり。さもなければよく知りもしないわたしの夫の肩をもつか、おなじみ「あなたが悪い」でかたづける。

父の悪口-2

2012年02月20日 | 記憶 souvenirs
まいどおなじみ父の悪口。物心ついた頃からずっと聞かされてきたので、どこのうちでもそれがふつうだと思っていました。聞くたびにいやな気分になりましたが、なぜそんな気分になるのかわかりませんでした。

傷ついていたんですね、わたし。今になってようやくそれがわかります。母にとっては赤の他人でも、ただむりやり結婚させられただけのろくでもない男でも、わたしにとっては父です。血のつながりだってあるんです。父はわたしに属するもの、わたしは父に属するものです。悪しざまに言われて、いい気持ちのするはずがありません。

父親との関係は、子供自身が父親と直接かかわりながら自分で築くべきものだと思います。父親をどう思うかは、他の人間に言われてではなく、子供自身が自分の意志で判断すべきこと、なのではありませんか。母は夫と子供の間に立ちはだかって、両者が直接かかわるのを阻みました。そうして子供に悪口をくりかえし聞かせて、ゆがんだ父親像を刷り込みました。よけいなお世話をしてくれたものです。

わたしを傷つけた。
わたしから父を奪った。

そんな権利など母にはなかったはずです。


恐るべきコドモ

2012年02月20日 | 記憶の整理 classement
世間体にこだわるのは
周りの大人によく思われたいから
ねぇねぇ、わたしかわいい?
わたしのこと好き?

自分さえ満足できればそれでいい
人の気持ちは考えない
そんなものがあることさえ知らない

自分より年下の子供には
むりやり言うことを聞かせればいい

どこまでも純真で
どこまでも無垢な
この自分、自分、自分だけ
恐るべき幼稚さ

恐るべきコドモ