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セスタバジカ Cesta Basica

「基礎的なバスケット」という意味のポルトガル語。
ブラジルでは「日常生活を送るための必需品のセット」を指します。

お知らせ

2012年3月をもって食料品・日用品の配布は終了しました。これまで皆様からお寄せいただいたご支援・ご協力に対し心よりお礼申し上げます。なお今後はブログの更新も基本的には行わないつもりです。(もし活動を再開するようなことになれば、ここでお知らせします。)

立ち上げました


既に私たちの「セスタバジカ」運動を中日新聞(3/19)と毎日新聞(3/22)で取り上げていただきましたが、これからも支援の必要性をアピールし続けるため、本日ブログを立ち上げることにしました。(ブログ作るの初めてだけど大丈夫かな?)また、時には自分の思いを綴ってみたいと考えています。言い足りないことがまだまだあると感じているので(2009年3月24日記)。

この活動の目的

2009年3月15日に放送されたNHK-BS「世界のドキュメンタリー」にて南米コロンビアの "La Voz del Secuestro"(誘拐の声)というラジオ番組を紹介していました。ゲリラに誘拐された人質に向けて家族がメッセージを届けるための放送です。再会のラストシーンはちょっと言葉にならないほど心打たれましたが、アナウンサーの「この放送がなくなる日を待っています。そして、その日まであなた方とともにいます。」という言葉も強く印象に残りました。私たちの思いもこれと一緒です。

本会の概要

名称:セスタバジカの会
事務局の所在地:滋賀県彦根市八坂町2500 滋賀県立大学
代表:泉 泰弘(同大学の環境科学部生物資源管理学科に所属)


フードバンク活動をしている在京NPO法人の御厚意によるトラック便、および一般市民や各種団体から寄せられた物資を支援グループの代表者に取りに来てもらい、各家庭への配達はそちらに任せています。(個人への直接手渡しは行っていません。

これまで以下の団体に配りました。

・彦根カトリック教会(ブラジル人グループとフィリピン人グループ)
・ウィズユー(自立支援センター)
・Grupo Ipê(南米系市民をサポートしているボランティア団体)
・Assembléia de Deus(長浜のプロテスタント教会)
・サンタナ学園(愛荘町のブラジル人学校)
(外国人家庭の事情に詳しい本会メンバーにも配布をお願いしています。)

・活動再開(2010年10月)以降はペルー、ベトナム、ボリビア、および日本人の世帯にも配付しています。

これまで支援の基準は「とくに緊急を要する家庭」というやや曖昧なものでしたが、再開前に聞き取り調査を実施し、家庭の状況や支援を必要とする理由を元に判断することとしました。なお調査は支援グループの代表者にお願いし、こちらで作成したヒアリングシートに記入してもらっていますが、その目的はあくまで「限られた支援物資をなるべく緊急度の高い世帯に配付する」であり、一部で噂されているらしき「個人情報の強化」というのが全くの誤解であることを申し添えておきます。

現在必要としている物資(食料品と日用品)は以下の通りです。少量でも結構です。

、塩、砂糖、小麦粉、即席麺(袋入り&カップ)、パスタ、缶詰類、食用油、
石けん、洗剤(洗濯用&台所用)、トイレットペーパー、紙おむつ、粉ミルク、その他

なお最重要品目のについては事務局が精米機を備えていますので玄米でもOKです。籾のままでも(種もみの残りでも)何とかします。おこめ券も大歓迎です。


これらの物資は品目ごとに仕分けし、米などの基幹食糧とその他の品を組み合わせたセット(すなわちセスタバジカ)を所帯数だけ作って月に1度提供しています。


支援の受付は随時行っております。
(配布日までは施錠可能かつ清潔な場所で責任を持って保管しています。)
まずはメールアドレスcestabasica@hotmail.co.jpまでご連絡下さい。
(迷惑メール対策として@を全角表示していますので半角の@に直して下さい。)

併せて本会が作成したチラシもご覧下さい。PDFファイルをダウンロードしていただくことも可能です。

昨日と今日のこと

2010年09月29日 | 日記
昨日の朝、ブラジルから日本に向けて穴を掘った少年の写真(ブログ9月18日掲載)を使って授業をした先生から、その取り組みの様子と子どもの感想文がメールで送られてきた。言葉より涙が出てきた。子どもの思い、お母さんの思いが授業を受けた子ども達にちゃぁんと伝わっている。

そのお母さん、9月はたった1日しか仕事がなかった。これからどうするのだろうと思っていたら、教育委員会から採用通知、ブラジルの子ども達の支援員として勤務されることになった!やったー!ばんざーい!祝うぞー!

私が学校に着くなり校長先生が駐車場にやってきて、車から車にこっそりずっしり30Kのお米を積んでくださった。支援にどうぞとくださった。
夕方には図書館の方が重いでしょうから、と言って10キロに小分けして3袋お米をくださった。うるうる  
この場をお借りして心からの感謝を申し上げます。

そして今日
ずっと続く無理解や誤解にもう嫌気がさしていたけど、保護者と生徒と学校関係者で話し合いをしたら、少しは理解につながり誤解も少しは解けた。1年半続いた理不尽な対応にこれで終止符が打てそうでよかったなーと思っていると、すでに退職されている元用務員さんからおいしい炊き込みご飯の差し入れがあった。両方の嬉しさで涙腺が緩みそうになった、おっとここは職員室、緩んではならぬ。夜、ありがとうの電話をかけると、「N先生から最近とてもたいへんそうと聞いていたから何かおいしいもの作って届けようと思ったのよ、」と言ってくださった。N先生が私のことをそのように感じてくださったことも嬉しかったし、それを聞いてそのように思ってくださったことも嬉しかった。この件は本当にきつくて、とうとう生まれて初めて自分から病院に行ったほどだ。国民健康保険を自分で払いながら、一度も保険証を使ったことがなかったからちょっとうれしい気持ちもあったけど、医者に「早く寝るようにすれば良くなります」と言われて、薬さえ出してくれなかったのだから私は本当に丈夫にできている。私はいつも自分のことでいっぱいで、N先生のように人の様子を気にかけることができていないな、と思う。元用務員さんには在職中からお母さんのように接してもらっている。いろいろな人に支えられていること、甘えていることを、こんな事がなければすっかり忘れている自分を不甲斐ないなーと思う。

いよいよ明日はNさんが外国籍の子どもの高校進学について議会で質問してくださる。
どうかどうか少しでも身のある答弁をもらえますように!(らーた)


続々と

2010年09月28日 | 日記

今日は午前中に草津の多文化共生支援センター(SHIPS)さんからお米5kg袋×30=150kgをいただきました。だいひょうが以前からお願い(おねだり)していたものです。いつもいつも本当にありがとうございます。

そして午後には野洲の諸岡 or 師岡様が白米5袋(計60kg)を届けて下さいました。前日に「健康上の理由で玄米しか食べられなくなったので白米を提供したい」という電話連絡を受けていたのですが、早速翌日に持って来ていただけるとは! 本来ならば直接にお礼を申し上げるところですが、どうしても抜けられない業務のため対応できませんでした。ここに感謝の意を表します。

さらに、らーたさんからは米の寄附情報が3件も!! 皆様の温かいご支援を心強く感じております。감사합니다.(←Gracias や Obrigado ばっかしでは芸がないと思ったので。でも文字化けしてるかな?)

2つの会議

2010年09月26日 | 日記

午前 セスタバジカ再開のための話し合い 参加者12名

基準を決めると言いながら、困窮にはいろいろなケースがあるから、セスタバジカがほしいと言う人が現れたらヒヤリングをして「あーそれは大変だ」とわかったらお届けするということになった。それで問題が起こったらまた考えるのだ。

午後 外国の子どもの教育についての勉強会 参加者17名

高校の入試制度を変えないとどうしようもない。
とにかく夢に架ける橋を1本でもつくりたい。
そのためには『不利にならない配慮』と『特別枠を持った高校」がどうしても必要だ。
県立高校統廃合の動きのあるこの時期に声を上げていこう!と決まった。

この入試制度は高校生活を奪っているだけではなく、楽しい中学校生活も奪っている。
日常会話さえままならないのに、高校入試に配慮がないという理由で定期テストも実力テストも配慮無しで受けさせられる。点数が取れなくて悔しがったり、劣等感に苦しんだりしている。一体どこの誰が彼らに本当にわかるように教えたと言うのだ?
高校にいくためには評価をつけねばならないから、わからなくてもいいからずっと椅子に座っていなさい、と言う先生がいる。そんなことを毎日毎日続け続ける苦痛を思いやったことはあるか?教師の仕事は評価をすることではなく教えるのが仕事のはずだ。それができているのか?できないだろう?できないのは仕方がない、だって子どもの母語がわからないのだから。せめて自分のできないことを棚に上げて無理難題を押し付けるのはやめてほしい。
大人達のできないことを子ども達の自己責任のように処理し続けている、こんな最悪なことも、入試制度が変われば少しは改善されるのだ。

昨夜Nさんが議会でその件について質問すると言って下さった!!
願っていた事ではあったがこんなに早く実現するとは思っていなかった!
草の根の勉強会・議会での質問・マスコミの力も借りて世論も高めたいところだ。
午後の会議にセスタバジカの会からもたくさん参加してくださり、仲間なんだなぁとうれしくなった。それとも私が強引すぎ?(らーた)

ふたたびのたんたん

2010年09月23日 | 日記
生徒に対する無理解や理不尽さについて抗議したくなっていた。
けれど半年ぐらい前に私の行動パターンや欠点についての忠告を長いメールで綴ってくださった人がいて、少し前からそれをプリントアウトして繰り返し繰り返し読んでいた。よく考えなきゃ、よく考えなきゃ・・・
抗議するタイミングは昨日だったけど、たまたま忠告をくれた人と晩ご飯を一緒に食べることになったので、そんな日に抗議するのはとりあえずやめておこうと思った。

今朝目が覚めたとき、夫が最近はまって読んでいるアルボムッレ・スマナサーラの1冊『怒らないこと』がすぐ横にあるのが目に付いた。それでそのまま読み始めて読み終わった。
怒ることが自分を破壊し人をも破壊に至らしめるほど危険な感情であることが書かれていた。自分こそ正しいと思うから怒りたくなるとも。怒りをためてきた自分に思い当たる事もあり、はずかしくなった。
M氏がいつも笑い飛ばそうよ!と言うけど、笑いの効用についても書いてあった。無理してでも笑うと本当に笑えてくるものだ。私はあほな事ばかりしているから笑いのネタには困らない。

夕方、友人がたまたま教えてくれたクリスタルボウルのコンサートに行った。
初めに瞑想体験があって、終わりにメッセージカードのプレゼントもあった。
初めての瞑想体験は一呼吸ごとに生まれ変わっていくようなイメージとともに眠気がやってきて、あまり自分を見つめることができずに終わってしまった。持ち帰ったメッセージカードには『大きな試練は深い喜びをもたらす』とあった。

そうか、私は今試練の中にいるのかもしれない。
抗議などしないで、いつか蜘蛛に教えられたように自分にできることをたんたんとしていこう。
昨日抗議しなくてよかった。晩ご飯を一緒に食べるのが昨日でよかった。
ばらばらにある出来事を繋ぎ合わせてふたたびここにつながった。たんたんと。(らーた)


ありがたくない収穫物

2010年09月22日 | 日記

今日の午後は水田と隣接した畑の地下水位を調べるために穴を掘りました。(深さは50cmほどあります。)一つ目はスムーズにいったのですが二つ目は強烈な抵抗に遭いました。スコップではまるで歯が立たないのでツルハシを持って来て何とかかんとか掘り起こしました。

大人の頭よりも一回り大きな石が2個も! 県大の圃場は杜撰な造成(何でも業者が他所で掘った大量の土砂を捨てたらしい)のせいで私が着任する前はそれはもう酷い状態だったそうですが、今でもこんな大石が出てくるんですね。

帰りに通りかかったS先生のトウガラシ畑です。世界各地のコレクションが栽培されているのですが、どうも去年より種類が増えているような気が・・・・


これまで見たこともない変わった形の品種もあります。右下の丸いのは黄色のミニトマトに紛れ込んだら区別が付かないでしょうね。囓って口から火を噴くまで。

やはり曲がっている空間?

2010年09月21日 | 放浪記

とある国際関係のイベントに昨日行ってきました。2度目です。今の場所に移ってから初めて足を運ぶということを考慮して会場に直行すべきだったのでしょうが、少し遠回りしてブックオフに寄ったのが運の尽き。道に迷って20分近く彷徨うことになりました。(地図を持っていても全く役に立ちません。方向音痴はらーたさんといい勝負ですね。)とくに紛らわしい矢印のせいで(責任転嫁)違う道に入ってしまったのが最悪でした。ところでこのフォークダンス、確認しなかったのですがどこの国でしょう? 民族衣装は東欧っぽいですが。

滋賀県青年海外協力協会(SOCA)は4ブースを借りて各種展示と販売をしていました。3年前に大津で開催された時には出店の手伝いをしましたが、今回は単なる野次馬(冷やかし)です。ガーナとフィリピンのOGによる民芸品等の販売コーナーに来た兄ちゃんは完璧な日本語を話していましたが、本人曰くチベット人とのハーフとのこと。ホンマかいな? 全然そうは見えへんけど・・・・

反対側にはJICA滋賀デスクのブース。子ども達が自分の名前をアラビア語で書いていました。昨年「(FM滋賀)出演ならず」の回でゲスト出演してもらった国際協力推進員の魚谷さんも写っています。協力隊関係者のみならず当日は数多くの顔見知りと出くわしました。

入場者の多くが国旗の付いたシャツを着ているので「何だろう?」と思っていたところ、実は入口で配られている好きな国のシールを貼っていると判り、私もパラグアイのをもらいに行きました。ところがところが、南米は写真最下段の4ヶ国のみ。これは酷い! 中米は知名度が決して高いとはいえないカリブ海の国(例えば共和国でない方のドミニカ国とか「○○○○○○○○および○○○○○○○○諸島」のようなやたら長ったらしい名前の国)まで含め10ヶ国以上ありましたから、著しくバランスを欠いていると言わざるを得ません。プンプン!(主催者に文句言っとくんだった。余談ですが、トリニダード・トバゴ生まれでインド系のノーベル賞作家、V・S・ナイポールの小説を今年に入って3作読みました。どれもメチャ面白いですわ。)

往きは県道2号線(大津能登川長浜線)経由でしたが、同じ道を戻るのも芸がないと思ったため帰りは8号線を走りました。交通量の多さは覚悟の上。途中で四日市まで40キロちょっとの表示を見ましたが、さすがに寄り道する気にはなりませんでした。ところで、この看板によれば彦根~敦賀間は58kmですが、数キロ伸び縮みしていたような・・・・ま、そのくらいは誤差の範囲内として大目に見ましょう。(←何様?)

帰宅まで3時間半を見込んでいたのですが、ほぼ3時間で着いてしまいちょっとビックリ。飛ばしたので最後はバテましたが。なお先週初めに引いた夏風邪もかなり良くなっていました。(家で寝ているよりも少しきついぐらいの運動をした方が免疫力がアップするようなので、体調を崩したら遠乗りに出かけるようにしています。)

ほろりほろり

2010年09月19日 | 日記
知人がコンサートの招待状をくれていたので、夕方、友人を誘って文化プラザに行った。まもなくコンサートが始まる、という時になって携帯電話が鳴った。京都に引っ越した元生徒からだった。「どうしたのだろう?何かあったのかな?」気になるので会場の外に出て電話をかけなおした。
「先生、今私にはどんどん先生が増えて国語の先生、数学社会の先生、理科の先生 英語の先生 日本語の先生もいます。5人の先生が私の家まで来て勉強を教えてくれています。私は来年絶対に高校に合格します。12月には日本語能力試験2級も受けます。だから心配しないでください。」と、こんな嬉しい電話だった。

最近、いろいろな無理解や差別に苦しくなって、この仕事をもうやめようかなーと思っていた。生徒に向けられている無理解や差別に、私が負けてどうするねん!!とずっと思ってきたけど、心の中にどんどん累積する怒りをもうどうすることもできなくて、怒っている自分は被害者なのか、加害者なのかもわからなくなっていた。そんなイライラする気持ちを少しでもやわらげたくてコンサートに来たのだけど、その前の生徒の言葉に、私の中の黒い塊がするすると溶けていった、解けていった、融けていった、熔けていった・・・

すぐコンサートが始まって、美しいピアノの音色にさらに癒されて、顎の奥と目頭がキューンとなって、我慢したけど涙が出て出てしょうがなかった。「あ~、また生徒に救われた、あ~、また辞められない」と思いながら、ほろりほろりしていた。

元生徒は、まじめで優秀で最大限の努力をしたのに推薦がもらえず、一般入試を受けたけど合格できなかった。競争率が高くて、日本に来て1年と少しの身に受験の壁は越えられるはずがなかった。京都に住まいを移したから、もう私にはしてあげられることが何もなくなったけれど、京都の先生にうまく繋ぐことができた。京都の先生が彼女の周りにいろいろな支援者を増やしていってくださった。元生徒はパソコンだけが相手の毎日だったけど、ほとんど毎日誰かが支援に来てくれていると言う。本当によかった。
彼女の電話は、私に外国籍生徒の周りは無理解や差別ばかりではないことを思い出させてくれた。

彼女は進学できなかったけど、推薦をもらって合格し高校生活を満喫している外国人生徒がいる。彼女が行きたかった高校だ。
他府県では不利にならない配慮があり高校から大学へと進学し、教師になった外国人生徒がいる。教師は彼女の夢だった。その教師は彼女と同じ年齢で日本に来た。国籍も同じだ。
たまたま通っている学校によって、たまたま住んでいる所によって、こんな不公平が起こることを見過ごすわけにはいかない。だから勉強会を始めて、高校制度についても考えるのだ。
25日(土)13:30~近江八幡人権センターで どなたさまもいらしてください(らーた)

・・・のつづき

2010年09月18日 | 日記
お母さんは、親子が離れ離れになるようなことは2度としないと誓ったそうだ。
「今このような時代が来て、そう決心したことをとてもよかった」と言われる。
「今は収入が少ないので、国にぜんぜん送金できていない。もし子どもを向こうにおいていたら、このことをどう感じただろうか。見捨てられたと思うかもしれない。今近くにいて私の苦労を見ているから本当のことがちゃんとわかる」と。
本当に2人の子どもを抱えて、必死で歯を食いしばってがんばっておられる。
少し前のブログに彼女のことを書いている。
S先生 お疲れ様でした。


そういえば、数年前、別の生徒の帰国先にホームステイさせていただいたときのことも思い出す。まだ日本でがんばっている両親の代わりに、夜寝る前に子守唄を歌ってあげたことがある。その時に生徒がこう言った。「ドラえもんのどこでもドアがあったらいいな」と。
2歳の子どものように穴を掘ったらお母さんに会えるとは思っていなくても、そんなものあるはずはないとわかってはいても、どこでもドアがほしいと言った生徒は、当時まだ10歳だったな。

この国も先のことは分からない。子どもを置いて出稼ぎに行くことがあるかもしれない。
こういう経験をしてきた方々に心を寄せ、想像力をたくましくしておいたほうがいいのかもしれない(らーた)

・・・・・!

2010年09月18日 | 日記
今日、元生徒宅を訪ねた。お母さんからこれまでの人生についていろいろお話を聞いた。驚いたり感動したりしたことはたくさんあるけれど、頭からも心からも離れなくなってしまった事がある。

お母さんは子どもを生んで、たった3ヶ月で子どもを残して日本に戻らなくてはならなかった。8ヶ月経って迎えに行ったけど、ある事情から日本に連れてくる事ができなかったそうだ。日本で親子一緒の生活が始まったときにはもう息子は2歳になっていた。
それまでの、離れ離れの生活の中で、「息子が私に会うためにこんな事をしたのよ」と見せられた写真・・・

自分の体がすっぽり入るぐらいの穴の中に幼い頃の元生徒がいる。毎日毎日小さなスコップで掘ってつくった大きな穴。誰かがお母さんは地球の反対側にいる、ちょうどここの反対側にいるんだよと教えたから、どんどん掘っていけばお母さんに会えると思ったらしい。もうすぐお母さんに会えると期待いっぱいの笑顔で写っている写真を見て、私は言葉を失ってしまった。いとこも一緒に手伝ったという。

たった3ヶ月お母さんに育てられただけだから、きっと顔も憶えていない。温もりを残せるほどの時間もなかったことだろう。それでもお母さんに会いたいと思ったのは、彼を預かって育てていたファミリーたちがいつもお母さんの話をし、その優しさ、偉大さを彼に伝えていたからだろう。掘っても掘ってもついにお母さんには会えなかっただろうけど、掘りながら掘りながらお母さんのことを思っていたに違いない。ずっとずっと心が繋がっていた。時空を超えて。

だから2年経ったけど親子として仲良く暮らし始めることができた。それは今も変わらない。親子の絆についてつくづく考えさせられた、というありきたりの言葉では言い足りない。ぴったりの言葉がまだ見つからない。(らーた)

学内からも

2010年09月17日 | 日記
昨日の午後は長浜北高校(自宅から400mほど)にてミニ講座(出前講義)をしたのですが、その際に使用したプロジェクタを返しに行ったところ、部屋にいた山元君という学生(ドイツに留学し一時帰国中)から「お米を提供したい」という予期せぬ申し出がありました。草津でお米を作っているというお父様にこの場を借りてお礼申し上げます。

また少し前には郵便受けに「セスタバジカの会に寄付しますのでお使い下さい」とのメッセージと共にギフトカードが入っていました。昨年10月にも同じものを寄贈していただいた匿名希望の先生と思われます。本当にありがとうございます!

学内からの寄付は決して多いとはいえないのですが(苦笑)、それだけに余計嬉しいですね。

嬉しくて忙しい毎日

2010年09月16日 | 日記
活動を再開するに当たって、物資が集まるか心配していたが、今年もお米を提供しますよ、と言ってくださったり、提供者を探して届けてくださったり、買い置きしていたものやいただきものだけどどうぞとくださったり、お米格安で分けますよ、と電話があったり、最近毎日嬉しい事が続いている。

雇用は戻ったものの、厳しい生活は続いている。

「先生は給料いくら?」と聞かれたので、「今月は9000円よ。」と言うと「いいなー」と言う。
「僕もお手伝いをしているからお小遣いをもらうよ。」というので、「それで何を買うの?」と聞くと「何も買わない」と言う。
「そう?貯めて何か買いたいものがあるの?」と聞くと「ない!」と言う。
「そうか、ないのかー」と言うと「僕はたくさんお金を貯めてお母さんにあげるんや」と言う。
家計のやりくりを垣間見ているのかな?お母さんの喜ばれる顔が目に浮かぶ。

25日午前に会議をする。
物資を提供してくださる方々の思いをそのまま支援を必要とされる方にまっすぐ届けたい。
私達は何者でもないからお届け先の基準を厳密に決めるのは難しいけれど、不公平にならないよう、必要なところにはもれなくお届けしたい。そのためにしっかり話し合いたい。

25日午後からは外国にルーツをもつ子どもの教育についての勉強会をする。たくさん来てくれるといいな。この勉強会で高校の入試制度についても考えてみたい。(らーた)



あなたに夢中

2010年09月11日 | 日記
友人がチケットを譲ってくれたので娘と3人で劇団四季のクレイジーフォーユーを見に行った。寝ないために直前にコーヒーを飲んだけど、やはり眠ってしまった。何でも見る事は苦手だ。スポーツも映画もテレビも劇も、見るよりは自分がやりたい。がもちろんそんな才能はない。娘たちは大感激して「よかった!綺麗だった!すごかった!」を連発していたけど、話についてもいけない。それでも子どものときは宝塚歌劇団のベルサイユのバラを見て感激してもう一度同じベルサイユのバラを見に行ったことがあった。そして将来女の子が生まれたら宝塚に、男の子が生まれたら野球の選手に、などと思っていたことを思い出した。子どものくせに自分の子どもの将来を思い描いていた事がおかしい。娘が生まれたとき人並みに親ばかだったし、天才かも!?と思うことは1度だけではなかったけど、今となっては、生きていてくれたらそれでいいと、夢も希望もなくなったけど、それがきっと本人にとってはいいことだと思う。

夜は彦根にできたシュハスカリアに行った。お肉の油が適度に落ちていて日本人向けにしているのかな?と思った。ブラジル色を前面に出さないでアメリカの国旗も飾っているし、お店の名前も『1ポンド』 お店の人も日本人なのかブラジル人なのか、いろいろ謎めいている。このお店が繁盛して大きくなったらいいな。そして日本語もポルトガル語も話すことのできるブラジル人生徒の雇用先の一つになったらいいな。(らーた)

イチオウカゼ

2010年09月10日 | 日記
今日も琵琶湖に行った。
強い風に当たりながら、今日のことを思い出していた。
思わず声まで出して笑ってしまったけど、風と波の音でかき消され、変なおばさんとは気づかれなかっただろう。

生徒に『胃』と『腸』の漢字と意味を教えたときのこと。『胃腸風邪』という病気があることも教えた。そうしたら「そういうことだったのか!」と言う。お腹が痛くて病院に行ったら「一応風邪」と言われて「本当は何の病気だろう」ととても心配していたそうだ。
日常会話ができる生徒も、漢字の熟語になるとこんな風に難しい。

そういえば、こんなことを聞いて大笑いした事もある。
あるお父さんがガソリンスタンドで、いつも「元気ですか?」と聞いてくれるから、「はい、元気です、ありがとうございます。」とこたえていたという。そう聞かれて嬉しかったに違いないのに、「現金ですか?」と聞いていると知ったから、がっかりされたかな?
耳が正確な音を聞き取る事もやはり難しい。

あぁ、どちらも笑ってしまって、なんて私は無礼者!
では、私も告白しよう。
アエロモッサ(スチュワーデス)とレイチモッサ(コンデンスミルク)を間違えて「このプリンにはスチュワーデスが入っています」と言って笑われたことがある。
コエーリョ(うさぎ)とコリェール(匙)を間違えて、コーヒーにウサギを入れる???と周りをビックリさせたのは夫。

外国語は難しい!(らーた)

久々の精米

2010年09月09日 | 日記

提供していただいたお米を少しずつ精米&袋詰めしています。(先日の余呉の見知らぬ方に続き、身内も少しばかり寄贈してくれました。)加えて大学の「埋蔵米」も一袋半ゲット。(実は学生主催のイベント用に取ってあったのですが、一向に使われる様子がないので強奪、いや、ありがたく頂戴しました。)

ただし「半袋」の方はこの有様。こういうのを「目にするのもおぞましい光景」というのでしょうね。(蛇足ですが、うごめいている無数の黒い生き物はコクゾウムシです。)やっぱり米は常温で一夏越したらあきませんわ。

全部で5kg入り40袋ほどになるでしょうか。とはいえ、これでは全然足りません。(支援世帯数を絞ったとしても1回配ったらお終いです。)ということで引き続き皆様のご支援をお待ちしています。

ところで、お盆休み以外にも夏期特別休暇(任意)という制度がありながら、それを全く利用してこなかっただいひょうですが、明日は(天気次第では月曜日も)休みます。家の稲刈りなので。この猛暑と好天続きで予定より1週間早まりました。

今年は圏外

2010年09月09日 | 雑感
今朝の「NHKおはよう日本」でエコカー補助金の前倒し終了のニュースを見ました。これを受けて各メーカーは一斉に減産に踏み切るそうです。これでまた大量の派遣切り、ということにならなければいいのですが・・・・(トヨタの関係者によると「当面雇用は維持する方針」とのことでした。)

ところで先月末に開かれた長浜日本語教室の講師会議にて「日系ブラジル人と地域社会 ─ 長浜市への日系ブラジル人の転入経緯と今後の課題」という興味深い資料をもらいました。作成されたのは佛教大学社会学部の近藤敏夫先生です。(先生とは昨年春の長浜国際交流協会のお花見で初めてお会いしました。たしか同協会の役員を務めておられたと記憶していますので、先に行われていたそちらの会合の資料が回ってきたと思われます。)その中に「長浜は東海地域自動車産業へのジャスト・イン・タイム派遣のためのストック場所になっている」との一文がありました。時給の安い長浜は日系ブラジル人には人気がないものの比較的安定した雇用は可能なので、常に雇用調整のリスクを抱える愛知や静岡の自動車産業の補完的、というよりクッション的な役割を担っているということです。(非正規労働者が「雇用の調整弁」になっているとはよく言われてきましたが、さらに二次的な弁があるという訳ですね。)

つまり日系ブラジル人にとって長浜は本来一時的な腰掛け(短期間に高収入が得られる場所が見つかればそちらに移っていく)のはずなのですが、近年は長期滞在者が増える傾向にあるそうです。その第一の理由は「思ったほど貯金ができず帰国予定が立たないこと」のようですが、「長浜の生活環境が家族持ちの日系ブラジル人に評価が高い」という調査結果も出ているみたいです。社宅や会社の用意したアパートではなく、個人で借りた民間のアパートや公営住宅、および持ち家に住む人の割合を足すと4割を超えるという今年4月のデータも載っていました。そういえば過去に「全国住みやすい都市ランキング」でトップテンに入ったこともありましたね。私にはあんまり実感はなかったのですが・・・・・(ちなみに2009年も21位に食い込んでいました。でも今年は圏外へ。ついでながら近畿のランキングを見ると滋賀県では守山が1位(全国では10位)、栗東が3位(同21位)、草津が4位(同24位)、彦根が9位(同57位)などとなっています。長浜の転落はやはり合併の影響でしょうか?)

(この後に資料の最後にあった「今後の課題」にコメントして締め括るつもりでした。が、上手くまとまらなかったので断念。やはり日記ほどはスラスラと文章が浮かびませんわ。)