私は社会人になりたての頃の一年半ぐらい、毎月の日経エレクトロニクスを結構真面目に読んでいました。もちろん技術者になりたてだし、わからないことも沢山あったんですけれども(今でもわからないことだらけですが)とにかく技術に詳しくなりたいと思って読んでいました。
その当時「ユビキタス・コンピューティング」とか「ユビキタス・ネットワーク」ていうキーワードがよく出てきていました。
ユビキタスっていうのは遍在(いつでもどこでも存在する)といった意味で、ユビキタスコンピューティングやユビキタスネットワークという概念はまだ実現されているものではなくて、こういう風に世の中がなって行くよ、なって行くに違いないよ、というふうに紹介されていました。コンピュータ技術やネットワーク技術の当時の行き先・進化の目的を示唆していたのだと思います。
具体的にユビキタスコンピューティングというのは、何時でもどこでもコンピュータのような高機能な電子計算機が使える状態を言いまして、当時(1990年後半〜終盤)の私にはあんまり想像がついていませんでした。かろうじてPDA的なものが少し出てきていましたが、当時コンピュータというのはあまりパーソナルに使って便利楽しいという感じではなくて、仕事とか研究とか(ゲームもあるかな?)で使うものという意味合いが強く、PDA持っていたってそんなには来ないメールをチェックするとか、スケジュールを入れておいて確認するとかぐらいの用途かなぁって思っていました。
ユビキタスネットワークは何時でもどこでもネットが使えるよという状態を指し示していて、当時は据え置きのPCを使って家や会社に引かれた通信ラインを使ってインターネットに繋ぐというのが当たり前の時代だったので、外でもどこでもネットワーク出来るってどういう感じ?電話ならたしかにそうだけどね?みたいな感じで思っていました。そんなことに本当になるのかね?っていう気持ちもありましたね。
で現代。
いろいろ過程はありましたが、ユビキタス、実現してますね。
持ち歩ける高度なコンピュータであるスマホ、どこでも通信を可能にする4Gなどの無線通信や公衆Wifi。ユビキタスなんて言っていたこと忘れてましたけど、実現してましたね20年ぐらい掛かって。
というわけで凄いなって思ったって話です。当たり前かな?
とここで重要なのは、どこでもスマホでネットワークにつなげたって、見たいコンテンツや知りたい情報に辿りつけなければ意味がないんですね。だからハード(スマホ)とインフラ(通信)が整備されたとしたって、ネットにコンテンツがないと使う理由がない・便利にならない。ハードだけじゃダメで、やっぱりソフト(コンテンツ)な訳です。
誰が考えたんだか知らないけど、今のこの状態は必然ですよねぇ。技術革新って凄いな〜。
それでは。