私の暮らし♪

日記的に持論などを綴っております

胃がデカくなるの話

2023-01-22 15:57:18 | 持論
例えばお正月や旅行に行ったときなんか、食べてばっかりになりがちです。
そういう状態が続いたとき、朝おながが空いてお腹がグーっとなって目覚める、なんて状態になることがあります。それまではそんなことなかったのに。
そして「いやーお腹すいたわー」って食べていると、どんどん沢山食べられるようになっていきます。
(そしてこの傾向に本能を委ねて食べているとどんどん大食漢になっていくんだと思われます)

このように「胃がデカくなった感・デカくなっている感」を経験されたことは、誰しもがあるのではないでしょうか。
逆もあります。食べずにいるとあまり食べなくても平気になる「胃が小さくなった感」。

世間一般の見解では、実際に胃が大きくなる小さくなるということはなく、食べ物が多く入った状態が続くと胃の周りの筋肉が伸びきったような状態にはなるだろうとのことです。
私もこれには納得します。そうだろうなと思います。
では本質的に何が起きているかというと、満腹感という脳からの信号です。沢山食べている状態が続くと満腹感の指令を出すのが遅くなり、結果沢山食べてしまう(食べられる)。逆に少ししか食べないでいるとすぐに満腹感の指令が出るようになる、脳の慣れ、という見解がほとんどです。
でも私は兼ねてより「それだけじゃない気がする」と思っていました。
満腹感の話だけであれば、満腹を感じるのが遅い=一回の食事量は増えるでしょう。
でも胃がデカくなっている状態の時は、(普段より多く食べていても)お腹が空くのが早いし、食べたいという欲も強くなります。前述の通り、成長期でもないし運動してカロリー消費が激しかったわけでもないのに「お腹が空いて目が覚める」なんて状態になってしまいます。満腹感を感じるのが遅いじゃなくて、空腹感を強く感じるようになります。つまり食べたくなってしまう、この説明がつきません。

と思って調べていたらこんな記事を見つけました。
ものすごく要約すると、食欲をコントロールするホルモンの「レプチン」が効きにくくなると、食欲を抑えられなくなるという研究結果です。
ではどうやったらレプチンが効きづらい状態になったかというと「マウスを高脂肪食で2か月間飼育」とあります。
これを見て私は激しく納得いたしました。やっぱりそうなんです、高カロリーの食事=カロリー過多によって食欲の増進が起きるのです。

大体の食べ過ぎというのは、キャベツの千切りだとか、大根の煮物やサラダなどの食べ過ぎではありません。そもそも、そんなものを食べすぎてもカロリーはたかがしれているし、容積も大きめだし咀嚼が必要なので、胃もいっぱいになり満腹感も得られやすい。
じゃあ何を食べ過ぎているのか。
エネルギー効率の良いもの=高カロリー・高脂肪のものです。甘いものや生クリーム・バター・油、そして肉です。これらは容積が少ないのにカロリーが高いですし、買ってくるだけで食べられるものが多く存在していて、簡単に食べ過ぎることが可能です。
実験でもマウスに安定的に大量のキャベツ食(通常のバランスの取れた食事)を摂らせることは難しかったのではないかと思います。食べるのに時間がかかるし、通常の餌を置いておいても必要以上に食べる行動をとるとは限りません。今まで食べていた量で満足して食べなくなってしまう可能性も高い。カロリー過多の状態を一回強制的に作るためには、高カロリー食=量は増えずカロリーが高い高脂肪食を与えることが必然であったのだろう、との予測も出来ます。

そして一旦高カロリー食でカロリー過多な状態を作ってしまうと、それをきっかけにどんどん食欲が抑えられなくなる。
研究では2ヶ月という時間で検証していますが、私は数日でもこの傾向に火がつき、どんどん食欲が増進する状態が起きていると思います。

確かに沢山食べたい、お腹いっぱいになりたい、脂っこいもので満足を得たい、簡単にお腹いっぱいになってしまいたい、という衝動は本能にも根ざしているし、とても強いものだと思います。
食べ過ぎは食べ過ぎを呼ぶ。
簡単に入手できて加工できてすぐ食べられるものは食べ過ぎを呼ぶ。
咀嚼すら要さず簡単に食べられるものは食べ過ぎを呼ぶ。

でも
手間をかけて料理を作り、バランスの良い食事を心がける。
ゆっくり噛んで大事に食べる。
足るをしる。
私は、容姿は人より劣っても、食べることに対し美しいおばさんでありたいと改めて感じるのでした。

ストレスで痩せるか太るか(2)

2023-01-22 09:42:04 | 持論
続きです。

私はストレスで太るタイプではなく痩せてしまうタイプで、割と日常的なストレスであまり深刻でない場合に代償行為的に食べてスッキリ!ならあり得るかな〜と思い至っていたところですが、それはあくまで私のケースであり、本当にストレスを抱えた時に人がどうなるかは依然ミステリアスです。

ストレスで痩せるか太るかとは、ストレスによって過食気味になってしまうか・食べられなくなってしまうかの違いでしょう。
※たまに食べてないのに太ってしまう、といってる方がいますが、これは無視します。当たり前ですが、消費カロリーより摂取カロリーが少なければ絶対に体重は減少します
これは、各人が受けたストレスの内容や重度にもよるし、各人の体調や家庭環境やタイミングによっても違うだろうと、結局一概にどうとは言えないものだという中庸な結論に今は至っております。

ただその人それぞれの傾向、はあるような気がしています。
それは結局「うっかり体重が増えてしまう方かどうか」なのだと思います。つまり、ストレスがかかったかどうかより、普段どっち寄りなのかに引っ張られるのだと思います。
私は楽しい気分で食べたいのであって、憂さ晴らし的に食べたいのではないので、落ち込んだりストレスがかかると食べなくなり結果痩せます。
仕事が忙しくてストレスフル、食事に気を使えなくてむっちりしていく、の流れも30代に一時期ありましたが、このケースの場合は胃が痛くなって食べられなくなって流れが途切れました。

ここまで書きましたが、結局なーんだという結論でした。

次は私が若い頃から体感していた「胃がデカくなる」の話を書きたいと思います。

ストレスで痩せるか太るか(1)

2023-01-10 08:27:30 | 持論
大変ご無沙汰しておりましたが、書いておきたいことがあって久しぶりにブログのページを開きました。

愛之助ちゃんが亡くなる前と比べると、私は5キロぐらい痩せています。
一番痩せてしまった時には43キロぐらいまで減ってしまって、BMIで言うと16を切りそうでした。私は上半身の方が痩せてしまう体質なのもあって、その時は手首が怖いほど細くなってしまい、肌もどんどんカサついて色黒じゃないのになんとなく浅黒い感じになっていって、流石に若い子や意図的にコントロールしている芸能人じゃないんだからみっともないと思いました。食べないとは思うしお腹も空くのですが、食後の悪心がひどくて少ししか食べることができません。成人女性の必要カロリーの半分ぐらいしか摂取できていなかったのではないかと思います。お菓子などの甘いものを食べたいとも思わないので、ちょっとづつ確実にやつれていっていました。

今は少し体重が戻ってきて、普通に食べられるようになりました。
そして驚いたのが、同じ調味料で同じように自炊しているのに、今はなんでもとても甘く感じることです。たまに砂糖入っているんじゃないか?と思うぐらいです。これは今が甘く感じると言うのもあるのかもしれませんが、もしかしたら愛之助が死んでからずっと、食べ物の味がしなくなっていたのかもしれない、と思いました。

私は若い時は「痩せの大食い」タイプで、35歳ぐらいまではずっと痩せ型(50キロ前後)でしたが大学生の時は大盛りのお店にいって完食ができたし、バイキング(今でいうビュッフェ)にいったら、どのお友達よりも食べることができました。大学生の時アルバイトしていた飲食店では「○ちゃんは沢山食べてくれるから」と、自分の顔よりも大きなオムライスを作ってもらって食べたりしていました。
社会人になってからも、男性(特に細身でも少食でもない)と焼肉どっちがたくさん食べられるか勝負をして勝ったこともあります。食べるのが大好きでしたし、沢山食べたいって思っていました。普通のラーメンはすぐに麺がなくなる、その点二郎系は満足度が高いと思っていました。
35歳を過ぎて、いいものを食べる余裕ができ外食や飲むことが増えたらやはり体重が増えだしました。その頃はラーメンやつけ麺にもハマっていました。

でも(これは一貫してなのですが)私は「食べるぞ!」と思った時は食べるのですが、普段の食事からずーっと大食漢なのかと言うとそうではなくて、大抵は通常の食事の量より少し多いぐらいでした。あとは、必要以上に食べるための買い物に行ったり調理に時間を割いたりするのは無駄だとも思っていました。あとお金も無駄です。ケチ、と思う人もいるかもしれませんが、今になってまとめると「いっぱい食べたいという欲を満たすために体・健康を維持する以上に食べることが何になるのかを考えると、それは無駄である」と考えていたのだと思います。
つまり、沢山食べると言うことは、私にとってはたまのレジャー・イベント的なものでした。

私は子供の頃は、1日のお小遣い(おやつ代)を使ってしまったらおしまいなので、今日は何を優先するかというテーマを決めておやつを選んでいました。お腹が空いても家にある食べ物は、野菜であったり魚であったりで、お菓子がどこかに置いてあるなんてことはないので100円を何にどう配分するかは非常に慎重に検討する必要があります。
もし初の試み等で、お腹が空いてしまったり思ったような満足が得られない場合は失敗ですが、でも大きな問題ではありません。夕飯があるからです(当たり前すぎますが)。家のご飯は魚と野菜中心で、私の地元は調味料がとても美味しいのもあって、おばあちゃんとお母さんが作ってくれるご飯はなんでも美味しいので毎日楽しみです。
それに、ハードな部活をしているならまだしも、3食食べていてどうしても辛いぐらいお腹が空くことなどあるでしょうか?友達と野山を駆け回っておままごとをしておしゃべりしたりしていれば空腹感など忘れてしまいます。
つまり私は子供の頃から「無駄に食べる」と言うことはしていなかったし、基本的にはある分だけ食べて満足していました。

前置きが長いですが、今までの実績からしても、私は大きなストレスがかかった時に食べることができなくなり痩せてしまいました。
その根底に何があったかを考えると、必要以上に食べることに対する疑念が本能的に常に存在しているのだなと思いました。意気消沈・何もやる気がない・集中できず仕事ができない、のに、食べることだけはやりたい、と言う心理が理解できません。
なので私には「ストレスで過食」があまり理解できませんでした。
これは、本当に悩んでいる人には申し訳ないけれど、過食に至る行動(食材を買うなど)を取れるじゃん・動けるんじゃん、と思ってしまいます。
でも、私が考えているよりも小さなストレス、嫌なことがあったむしゃくしゃする、などだったらどうなのかというと、それは代償行為的なレジャー的に沢山食べることで補ってきた面はあるかも知れません。
つまり、もしかしたらそれは私が考えているような大きなストレスの話じゃないってことならなんとなくわかる気がしてきたのです。

今日はここまでにします〜

愛之助がなくなりました

2021-08-31 07:41:27 | 日記
今日はブログ開設1500日だそうです。1年以上ぶりの投稿で衝撃ですが、愛之助が亡くなりました。
6月になってちょっと普段過ごす場所が変わり、変だな?まだそんなに暑くないけど暑いのかな?などと思いつつ、便も出ているしご飯も食べるので、呑気に構えていたらある日全く食べなくなりました。病院に連れて行ったら何か大きなものがある・恐らく腫瘍と言われ、その後生体検査で悪性リンパ腫と判明しました。

抗癌剤治療を始め、いろいろ手を尽くしたのですが、最初に腫瘍があると言われた日から70日目の朝、お空に戻っていきました。
治療は副作用が大きく辛い思いをさせたと思います。だけどお世話できて良かった。眠れない夜、嫌がるのにケージに入ってもらっての雨の中の通院、数時間ごとのシリンジでの給餌、トイレ見守り、朝晩の点滴、薬を嫌がってご飯食べなくなって悩んだり、不快であろう鼻カテーテルを何度も設置したり、辛い思いをさせてばかりいたけれど、たまに元気になってくれたときは本当に本当に嬉しくてこの時間が永遠に続けばいいのにと思っていたよ。
苦しそうな姿を見るのは辛かったけど、それでも愛之助がいて介護できていた時間はやっぱり幸せだったよ。

実は、父を2月に亡くしました。
コロナの状況から2020年の1月末に帰省して以降、一度も会えずにいたところ、介護状況が重くなり母も参ってしまい、どうなることかと思っていたところ運よく療養施設に入れました。ベストな選択肢を取れた・仕方ないことだ、とは思うものの、私が駆けつけられなかったこと・施設に入れることになってしまったことを悔やんでいたところ、入所半年経たずになくなってしまいました。
コロナが怖いという母が絶対に帰省するなというので、葬儀にも出られなかったので母をちょっと恨んだり、後悔ばかりしていました。
もっとおいしいものを食べに連れて行ったり、爪を切ってあげたり、大相撲にももう一度連れて行けた、いくらでもできた。なのに、いつか、今度、条件が揃ったら、と思っていたら、どんどん介護状態が悪くなってできなくなっていた。
今できなかったらできないことがあるんです、待っていたらダメになることがある、そりゃ私はオリンピックアスリートじゃないけど、待てないこと沢山あると思い知りました。
そんな後悔に苛まれつつ過ごしていたら、愛之助がこんなことになってしまいました。
解っていたはずじゃなかったの?散々後悔していたじゃないの?と父が身を持って教えてくれたことを全然いかせてないと愕然としました。
食欲が減退する年齢になったときの選択肢が残るよう、あまり色々な種類の食事を与えていなかったけど、いくらでも美味しそうなカリカリやパウチあったのに、食べさせてあげればよかったのに、病気になった時にはすでに遅く、もう食べられなくなっていました。もっともっと大事に愛之助との時間を過ごせたのに、ジョギング 行ったり、夜遅くまで仕事したり、愛之助をケアできたのにしそうできていませんでした。
父のうえ、さらに愛之助まで奪われるなんて想像もしていなかったです。

このブログは消してしまおうか迷ったのですが、自分の思い出として取っておくことにしようと思います。記事の愛之助の写真を見て思い出して懐かしむ、というところまでは心の整理ができる日が来るとは思えないところもあるのですが、楽しかった日々を消すことはできないので。いつかそういう時がきたら、消さなくて良かったって思えることを信じて。

金沢&七尾巡業の旅(1)

2019-10-20 23:23:18 | 日記
10月の頭に実家帰省のついでで、一日だけ金沢観光と七尾巡業に行けたので、その時のことをこれからぼちぼち書いていこうと思います。自分の日記です。

当日は東京は雨全く降っていないんですけど、北陸に雨台風が来ていて、大学時代を過ごした金沢を散策するのを楽しみにしていた私にとっては気分が下がってしまったんですけど、仕方なく折りたたみ傘をボストンバックに忍ばせて、新幹線に乗り込みました。
新幹線ってすごく運行が強くて、いままで台風の後とか天候が荒れてる時とか在来線が止まっているようなときでも新幹線だけは動いてるのを何度か見てるし、こっちには台風の田の字もないし休みも取ったしということでちゃんと早起きしました。予報によると金沢の風雨ピークの時間は午後らしかったので早めに金沢について何処か建物に入ってしまえばいいんでね、というわけで東京を早く出て9時半すぎに金沢駅に着きました。
新幹線のなかでは雨の降り具合があんまりわからなかったんですが(半分寝てたし…)着いたら安定の曇天、新しくなって二度目ぐらいの金沢駅は綺麗になってるしでかいし、人も結構いるなぁなんて思いながらひとまず予約しておいたホテルを目指しました。金沢はホテル増えましたよね、私が大学生の時なんて西口のほうって本当に何にもなかったけど増えたし、もともとある方も増えてる。西口には新しい綺麗なホテルが多いけれど、もともと便利なのは兼六園側のほうなので私は東口のほうに取りました。

なんでかっていうと、金沢は観光スポット自体がそこまで広範囲ではなくてコンパクトにまとまっていて歩きながらでもたくさん巡れる方だと思うんですけれど、駅からはちょっと離れていて、バスでの移動になるんですね。観光スポット同士はわりかし近いんですけれど、雨が多い土地柄だし、効率よくめぐるのにはバスが絶対便利なんですね。金沢はバスが凄くいっぱい走っていて、観光スポット同士の移動だったら本当に山手線なみに来るし、観光用に循環しているバスなんかもあるので、バス一日券買って移動するのがおすすめです。
で、バスを前提にするとほとんどのバスは東口から出てるし、西口は主要な観光スポットと逆なので時間ロスしがちになる、というわけで東口がいいです。

ホテルに荷物を預けて東口のバス会社の営業所で一日バス券500円を買っていざ、広坂方向へ!
広坂には私が大学を卒業してから出来た、21世紀美術館っていうちょっと有名な観光スポットがあるんですけど、まずはそこへ!
一日の感じとしては、広坂に出てしまって香林坊に戻って武蔵が辻に戻って、そのあとは大学時代に住んでいたあたりを散策っていう感じかな〜と算段。雨とか風の具合にもよりますが。

駅からバスに乗るときには結構な雨風だったんですが、ずーっとという感じでもなく強くなったり弱くなったりを繰り返す感じでしたね。やっぱ台風は来てるんだ(たしか低気圧に変わってはいたけど)と思いながらバスで移動。
広坂で降りて現代アートに途中触れながら美術館着。
中をぐるっと一回回ってみて、まぁそれだけでも割と面白い建物だなと思ったんですがせっかく東京から来たんだし、人が蛇行して並んでいるところがあったので並びました。
そうしたら券売機がなくて人が売り子やってるんですけれど外国人の方なんかが割と多かったり、数人程度の団体さんがあってまとめて説明するので一緒に買ってくださいなどなど、まぁいろいろ個々の事情に対応して大変なのはわかるんですけれど、ものすごい進まないんですよね、列が。
入場券の売り子の仕事をしている中年の女性は3名でどの人も忙しそうで、人がどんどんやってきて休憩なんて一息もできない感じで大変そうなんですけど、コミニケーションが取りづらいお客さんがいて説明が大変だったりで、ちょっとイラっとしたりなさっている…。
で、それを見ていた私の前に並んでいる関西から来てる風の女性二人組が「お前のイライラをぶつけられてもね〜」と、この方々もイライラなさっている様子。
まぁつまりは、券を売るなんて言う人間がやらなくても良さそうな仕事を人間がやっているせいで待たされているわけなんですが、待つのは人間嫌いだし、もっといろいろできるでしょ?と思うからイライラするんだと思うんですよね。
個々の事情とかがあるので、確かに人がやらなきゃならないこともあると思います。でもだいたいの人は券売機で問題がないんですよね〜。
会場のキャパ的にそんなに人を入れてもね、っていうのが現実的にはあるんだと思うんですが、だったら時間で分けて入場とかいろいろできるわけじゃないですか。
っていうか本当に人間がやらなくてもいいじゃんね、と思ってしまいました。
その後ろで中がゴミゴミしないように大きな荷物を持って並んでしまった人の荷物を預かる仕事をしていた女性がいましたけど、まぁ百歩譲ってこっちは人間がやったほうが場所とかの節約になりそうなので、まぁしゃないかなとか思っていました。

で、肝心の有料の展示内容はアート過ぎてついていけず、一番有名な下から見るプールも改装中で見れず、この前行った東京芸術大学の学園祭のほうがまだおもろかったような?と思いながらそそくさと出てきてしまいました。
九谷焼の展示だったらもっと楽しめたので、県立美術館のほうに行くべきだったと思われますが、まぁ行ってみないと解らないので良い体験でした。

この時点で11時半ぐらいで、ちょこっと小腹がすいてきました。では続きはまた。