歳をとってだんだん厭味な女になったみたい。
誰か止めて~ぇ! 止めて~ぇッて言ってるのに、誰も止めてくれないからもう一つ。
「毎日、セールスマスターブログを書いていたら、だんだん馬鹿になっちゃったみたい。サイテーイ!」って私じゃなくって、沢尻エリカが言うのよ。厭味かしらん?
実は若い人たちの国語力に不安を覚えています。きちんとした日本語で文章が書けない。語彙が余りにも貧しい。豊かな語彙は思考も豊かになる。豊かな思考は豊かな情緒を育てる。国語力の低下は国の興亡に関ります。大袈裟かも知れませんが、現在起こっている諸々の社会現象はこの国語力の低下にあるとすら考えています。
先日、早稲田大学で「日本語の文章講座」が開設されたと新聞記事にあった。理論整然と話したり書いたりすることが出来ない学生。ゼミで議論していても自分の思い込みや考えを言いぱなしで、意見の論証や反対意見よりどう優れているかなどをきちんと説明できない為、議論が深まらないと言う。理論的思考力の欠如である。ゼミの風景が目に浮かぶ。ひょっとして指示代名詞ばかりが飛び交ってはいないだろうか?「あれ」「それ」「これ」…まずは本を読む事だろう。
きちんとした日本語で文を書くことが深く考えるという事に繋がる。日本語で考え、書く。文章にする事で考えをまとめる。この一連の作業がとても大切なこと。いわゆる論理的思考力が出来るようになるのである。また、自国の言葉でしっかりと考える事は、自国を理解する事であり、自分達の根底を知る事である。自国を知る事で他国を理解出来るのであり、真の国際化なのだ。その為にはもっともっと本を読んで欲しい。読む力は我慢強さでもある。我慢強さは総ての知的活動において不可欠な要素である。すなわち『生きる力』なのだ。乱読でも何でもかまわない。正しい日本語に触れて欲しいと切に願う。