老いのひまつぶし

東海地方に在住の80才の男性です。
日常の喜怒哀楽を綴って行きます。

木の芽田楽

2013-04-24 14:26:02 | 日記
母の体調も回復しディサービスに出掛けるようになり、2ヶ月振りに妻と外食に出掛けました。

隣の市に在る木の芽田楽のお店です。ここは老舗でこの時期には近在のお客様で大賑わいです。
最近はお城ブームで当市には国宝の古城があり、街廻りのマップにも載せてあるので来店者が増えて居ります。

お店では注文を受けてから焼きに入るので、少し時間が掛かります。混雑するので昼12時前に行きましたが満席に近い状態でした。

私達が注文したのは田楽定食 (\1,100) ・いも田楽と田螺田楽です。定食は豆腐の味噌田楽(8本)・菜めし・吸い物・香の物です。

焼き立ての田楽に山椒と一味を掛けて頂きます。味噌の甘辛さに山椒の香りが絶妙です。いも田楽は里芋の小芋です。

田螺の田楽、田螺とは何?と思われる人がいらっしゃるので説明します。これは淡水に住む巻貝の一種なのです。

私の子供の頃、田舎では池や田圃で採っては食べたものです。久し振りに食べましたがやはり泥臭い味は変わりません。

妻は食べた経験が無く一串も食べないで「変な味で堅い」と止めました。懐かしい和食で気分もゆったりできました。




ライラックの花が満開

2013-04-18 16:26:42 | 日記
我が家の裏庭に在るライラックの花が今年もいっぱい花を咲かせました。

花言葉(甘い誘惑)の通り甘い香りが回りに漂います。その匂いに誘われて色んな虫たちが寄って来ています。

この木は元は当時A県I市に住んで居た娘宅に植えられて居たのです。

娘の長男が小学校に入学した際、記念に市から頂きました。

当市は国内で有数の花木の苗の生産地として有名なのです。

その孫も現在は中学3年ですからもう植樹から15年目になりますね

婿が転勤で東京の社宅住まいの為我が家の庭に移植されました。毎年花が咲くと写メで知らせて居ます。







センサーマットを設置

2013-04-07 10:29:23 | 日記
誤嚥性肺炎を患って入院して居た母が、無事退院して来ました。

入院期間はほんの僅かですが、短期間でもベッドで終日寝て過ごす事で脚力が落ちてしまいました。

以前はベッドから自分で降りて下着を下げて脇にあるポータブルトイレで排尿排便をして居たのが、
退院後は両手で自分を支え無いと立って居る事が不可能になりました。当然自分で下着の上げ下げはふら付いて出来ません。
なので介助が必要になるのですが、常時母のベッドに付添って居る事は無理です。

そこでケァーマネージャーさんと介護用品を扱う業者さんに相談して徘徊感知装置(センサーマット)を利用する事としました。
これは人がそのマットの上に乗ると、別にある報知装置へ無線で警戒音が出て知らせて呉れる物です。

リース契約をして早速設置して利用しました。確かに母がベッドから降りるのを察知して呉れて安心です。

でも、昨夜から今朝まで母がトイレで起きるのが4回(11:30 1:30 3:00 5:20)あり、その都度起こされました。
今まででも母の起きる気配で気が付き起きて居たのですが、1~2回は見逃して居たのでしょうか。

これだと確実に起こされるので、熟睡が出来ず間違いなく睡眠不足になりそうです。

今もこのブログ作成中に2回も呼び出しを受けて母の枕元へ駆け付けた次第です。あ~ぁ先が思いやられます。

孫娘のうるうる涙に

2013-04-03 13:14:48 | 日記
小学6年になる孫娘が春休みで我が家に単身遊びに来て居ました。娘は長男(孫)の部活があるので来られない。

3月27日より昨日4月2日までおばあちゃん子になって、最近ハマったフェルトの手芸をしたり、食べたい料理の食材を買いにスーパーへ行ったりと妻にべったりの毎日でした。
家に居ればゲームをする時間の制限は受けるし、自習勉強を強制されチェックを受け叱られる事もままあります。その点我が家ではのんびりゆったり出来ます。

そんな楽しい日々もあっという間で、昨日の午後の新幹線で東京へ送り出しました。ツインタワーの食堂で希望のオムライスを妻と愉しそうに話しながら食べてホームへ。

乗車する列車の到着のアナウンスが聞こえて来たら、今まで楽しそうだった孫娘の顔が曇り瞳から涙が1~2滴こぼれて居ます。
私が「一人で新幹線に乗って帰るのが不安なのか」と聞けば、そうで無いとはっきり答えました。短い停車時間で指定の座席まで案内は出来なかったが、窓から見て居ると間違いなく座席に座りにっこり笑って手を振って居ます。

発車後に娘に乗車した時間・列車名と号車番号をメールで連絡し、あわせて孫娘が泣き顔だった事も知らせて置きました。

私達が自宅に戻ってしばらくすると、娘から無事に品川駅で会えたと電話が入りほっとしました。聞けば名古屋のホームで涙したのは「もう少しおばあちゃんと居たかった」からだそうです。
それを知った妻は、孫娘を電話口に出させて話して居ります。その目には涙が溢れ出して居りました、慕って呉れる可愛い孫娘の言葉に喜びの涙だったようです。