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サワノのお気に入りだけで構成するブログ

100gでできること

2009-04-26 | デザイン・アート・クラフト
以前誘って頂いたワークショップ「100gのキモチ」で作ったモノたちが
作品になって手元に届きました。
主催してくださった陶芸作家さんが
材料として100gの粘土を100人に渡し
自由な発想でモノ作りしてもらうという企画です。

実際に粘土を触る前に
縄文時代と弥生時代の土器の資料を見せて頂きました。
私達の祖先が縄文時代に魂を入れてゴテゴテに作っていた土器は
なぜ弥生時代に何の装飾もない、するっとした、
シンプルなカタチになったのでしょう?
言われてみれば小学校の社会科の授業から
当たり前の様に土器を見てきたけど 何故だろう?
外国文化が入ってきた影響か、定住する様になったせいか、量産する為か、
....ただの流行かもしれない

大人になったから抱くことのできる疑問。



さて、まず、ここから↓



↑これが100g。
思ったより小さなカタマリ。
これを更に半分にして「小皿」と「ぐい飲み」を作りながら
土を扱う上での基本を学んでいきます。
土はカタマリのままでは
あるいは一部だけが分厚くなってしまっては
表面と芯の温度差がありすぎて焼いた時にヒビが入る。
板状では弱い。
でも隅を持ち上げて器状にするだけでグッと強くなる。
先人の創意工夫をたった数秒で聞いている気分。

....ふむふむ、なるほど。

ちゃんとお話を聞きながら自分の作業に集中するって
た い へ ん 



↑これだけで相当な体力と気力を消耗している....。
更に表現について説明を受けます。
二つの粘土を接着することやキズをつけて表情をだすこと。
うん、頭が知識でいっぱい。

そこへいいタイミングでやってくるおやつタイム
なんと前日にこのワークショップに参加していた方からの差し入れ!



↑オレンジがのる生地を包んでいる紙の様に見えるモノ、
これ、春巻きのカワなんだそうです!
なんて素敵な発想だろう
みんなで美味しくいただきました



そのあと、集大成として作品作りに入りました。
コレは秋頃を予定している(?)作品展まで会えません 笑。
今現在、63人の方がこのワークショップに参加している模様。
会場で自分の作品に会うことも
100人のパワーに圧倒されることも
今から楽しみデス








メルキュール ウエストバーンホフ

2009-04-25 | ウィーン旅行 070326~
海外旅行で一週間ホテルを動かない私にとってホテル選びはかなり慎重です。
失敗したら旅行そのものに影響する可能性が高い。
決して高級ホテルに滞在したいという意味ではありません。
至ってツーリストクラス、☆☆☆から☆☆☆☆(←ヨーロッパ基準)。

ベルリンに行くにあたり
いろんな角度からホテルを検索して
クチコミや人のブログをチェックして
バス、地下鉄、国鉄の交通の便がいいこと、
朝ご飯が種類豊富で美味しいこと、
お役立ちスーパーが近くにあることを確認して決めました。
その際、詳しくホテル情報を載せているブログにかなり救われたので
私も記憶があるうちに
ウィーンでの滞在ホテルレビューを書いておこうと思います。



私が滞在したのはMercure Westbahnhof(メルキュール ウェストバーンホフ)。
(トップの写真)
メルキュールはパリでも宿泊しました。
美味しい朝ご飯がお気に入りデス。
日本の大手旅行会社も提携しているので安心。
ウィーン国際空港から南駅経由で西駅に停まるリムジンバスに乗って
駅に入ってくると同時にホテルを見つけられる程、目と鼻の先にあります。
これならスーツケースを引きずって歩いても苦になりません。
空港からは30分くらいで西駅に到着します。
ちなみにウィーンにもパリにもメルキュールはたくさん存在しているので
空港からタクシーで直行する場合、
どのメルキュールに行きたいのかハッキリ伝えること、と、何かで読みました。
注意デス!

↓西駅前のリムジンバス(空港から6ユーロ)。



西駅は国際列車も到着する大きな駅です。
旅行者に必要なモノ、コインロッカーやインフォメーション、両替所が揃います。
パン屋さんやピザ屋さん、カフェもありました。
ピザ美味しかった食いっぱぐれる心配もありません。
夜食の買い出しにも便利





駅構内には小さなスーパーもあったので到着した日に早速利用。
水は重いので1リットル単位でこのスーパーで調達していました。
日用品まで揃う大きめのスーパーならMariahilfer Str.をリンク方面に向かった所に
「Lastafa」というお店があります。
ここもホテルから徒歩数分の距離です。
↓駅構内のスーパー。



↓(記憶が曖昧ですがおそらく)西駅の地下鉄入口



ホテルの部屋↓&バスルーム。
ちなみに458号室でした。
レビューを書くつもりではなかったのでこんな写真でゴメンナサイ。
広くはありませんが(いたってフツーだと思います)
清潔感のある感じの良い部屋です。

  



↑決め手となった朝ご飯。美味しかったデス。
パンもシリアルもジュースも紅茶も、数種類用意されています。
どのクチコミを見てもだいたい「種類が豊富」
と書かれていましたが期待を裏切りません。
リンクしたHPでもその様子が分かる写真があります。
アジア系だと思いますがウェイターさんが
テキパキ働いていてとっても感じ良かった。
(このあたり、ラテンの国とはちょっと違いますよね)
朝ご飯が美味しいと一日元気に歩きまわれます。
腹持ちが良く、お昼はカフェでケーキセットのみでも充分なほど。



↑夕方、部屋からのながめ。
トラムも走る道路に面した部屋でしたがそれほど騒音等は気になりません。
私が鈍いだけ??



主な観光地となるリンクとは少し離れていますが 何しろ駅は目の前。
フリーパスを購入すれば料金は問題ないし、距離も気にならない程度です。
他の都市への移動や空港へのアクセスを考えれば最高の立地です。
個人的に総合で評価しても「また泊まりたーい」ランクデス。



発熱

2009-04-24 | 日々のこと
ひっっさしぶりに発熱。
38度超えで会社を休んだ。

そこに飛び込んできたのが、ツヨポン逮捕の緊急速報デシタ。
こちらのニュースもヒートアップ中。
最初は番組の企画で無茶でもしたのかと思ったけれど
酔っぱらって、深夜に、大声で叫びながら、全裸だった、とか
大丈夫かっ?

取り立ててツヨポンが好きでも
ましてやSMAPのファンでも何でもないけど
彼らとは同世代になる。
私にとっては「アイドル」の概念を変えた、
歌って踊って料理もして笑いも取れるエンターティナー。

ハラワタが煮えくり返ったのはむしろ鳩山弟の方だ。
チョーシの良い時はSMAPさまさまで
「そのテレビ、買いかえないと見れなくなるよ」みたいな言いにくいこと、
ツヨポンのキャラクターを使って言わせておいて。
あんたね、その「最低の人間」発言を中川に言えるのかっっての。



70個

2009-04-19 | ごはん・スウィーツ
いやー、70個。
ワタクシ的には満足な結果を出せませんでした、反省。
クラフトフェアの会場で「しぞーかおでん」つまみ食いしたせいでしょうか?
来年は午前中から挑みます。







本日のクラフトフェアの戦利品(3人分)↓







うちで見せてもらったKちゃんのパラオの写真すごかった!!
水族館でしか見たことないサカナがいっぱい。
シャチ、ニモ、ナポレオンフィッシュ、タイマイ、そしてサメまで。
ゆったりと泳ぐマンタの姿(動画!)は圧巻でしたー。
パラオっぽい(パラオっぽいってどんな?)お土産いただきました
早速今日から使ってみます。
ありがとー



ところでパラオって、....どこ??



クラフトフェア

2009-04-18 | デザイン・アート・クラフト
DONQのシールを集めるともらえるイタリアセットが届きました!
さっそくイタダキマス。
ふわふわのシフォンケーキみたい
軽く半分食べられちゃいます。キケン。
↑トップの写真がパンドーロ。
↓こっちがパネトーネ。トニーのパンって意味らしい。






今日は清水駅で開催されている「アート・クラフトフェア」へ。
去年辺りから会場が駅前になりました。
家から駅まで徒歩数分なのでかなりラクに行けます。
日本平の時は一本道が大混雑してバスの運転手さんに
「歩いた方が早いと思います」と言われ
バスを降りて会場まで相当歩いたもんね....。
日本平には途中「THE静岡」的な富士山ビューポイントがあったけれど
清水駅からも晴れればいい富士山が拝めます

もう松本でも静岡でも常連さんの様な作家さんも多いです。
瀬戸の陶器祭りで作品を買った作家さんも見掛けました。




明日も伊豆から来てくれるKちゃん+チビ達
&浜松から来てくれるYちゃんと行く予定。
なんか創作意欲がわいていい。
普段は見ることのナイ素材も新鮮でいい。

かるーい気持ちで鉋を購入。
これもマメの部類かな。
あれこれ見ながらどのコを連れて帰ろうか悩んでいたら お店の人に
「鉋、使ったことナイですよね?(説明しましょうか?)」と言われました。
いや、普通そうよね。
そう見えるよね。
訓練校の受験の時だって泊まったホテルの人に
「看護学校の受験ですか?」と聞かれたもんね。






今日のおやつはベーグルのラスク。
北海道コーン味。






スケッチブック

2009-04-13 | 海外旅行
以前、何処かにもチラッと書いたのだけど 大学3年の春休みに
Yちゃんと3週間のイギリス2/3周旅行に出ました。
これはデザイン科のY先生が私達の意見を参考にして組んでくれた
「ヨーロッパデザイン旅行 3週間」が、
芸術科の先生率いる「ヨーロッパ4週間 芸術紀行」に見事大敗し ポシャった為。
高校生の頃にたった一週間オーストラリアでホームスティの経験をしただけの私と
渡航初めてのYちゃんは無謀にも個人旅行に出ることになったのです。

そもそもコトの始まりは夏休みに強引に学校の工房をかりて
模型制作までが課題だった授業の椅子を実際に作ってみたこと。
そこへY先生が「意見を聞かせてほしい」とデザイン旅行の原案を持ってきたのです。
「コモ湖(イタリア)でスケッチ」なんて素敵なプラン満載の
ロンドン、ベルリン、ミュンヘン、ウィーン、ベネチア、フィレンツェ、ローマ、
バルセロナ、パリを巡るデザイン旅行。
当時「デザインと言えばバウハウス」だった私は
もちろんデッサウの校舎見学もツアーに盛り込んでもらいました。
それが、ポシャったわけです。



「ヨーロッパデザイン旅行」の為に用意したスケッチブックは
まず、何処の国に行きたいのか検討する所から始まります。
そしてJTBのお姉さんの助言もありイギリス一カ国に決定すると
イギリス大使館でたくさんのパンフレットをもらい情報を集めながら
(ネットなんて言葉すら知らない時代でした
今度は何処の都市に行きたいかの検討をします。
都市が決まったら行きたい場所を検討して、
そこに何日さけば足りるのか日程を決め 次の都市への交通手段はどうするのか、
どのくらいお金を使うのか、国内で出来ることは何か、決めていきました。
往復の航空券と最初と最後のロンドンでのホテル以外は
鉄道パスを購入した行き当たりばったり旅。

旅の準備が終わると日記に入ります。
3週間、ほぼ欠かすことなく書き続けました。



滞在したホテルやB&Bの間取りや金額もメモしてます↓



この日記、最終日の成田に向かう飛行機の中で書いた
「もう限界だぁーーーーっ」で終わっている。
実はホントに限界だったんだ。
私、13時間のフライトの後 飛行機が無事に成田空港に到着しても
気分が悪くて席から立つことすら出来ず成田空港の救護室に運ばれたのデス。
救護室と行ってもベットが数台ある倉庫みたいな所だった。
同行のYちゃんもココに6時間ほど道連れにしました。ゴメンナサイ。



今でも、旅行に出る前から準備の過程、使った金額
それから旅行中はほぼ毎日日記を書くのが習慣になっています。
自分で探して、決めて、実行する。
このスケッチブックが全ての原点。





↓当時描いたスケッチ。
本来、この為のスケッチブックだったんですけどね。






ヒロシマ橋

2009-04-08 | ベルリン旅行 090516~
戦後50年と言われていた1995年の8月6日。
朝、広島平和公園の記念式典の様子をニュースでちらっと見た後、私は新幹線に乗った。
平和公園に到着した時には式典の跡形は何もなく ただ そこでたくさんの人が祈っていた。
いつも私の旅を強力サポートしてくれるぶんぶんに連れられて
韓国人原爆犠牲者慰霊碑にも手を合わせた。
とても天気が良くて青空がまぶしいぶんだけ
50年前の真っ黒な惨状を思うだけで涙が出たのを覚えている。
そして「ヒロシマ」というカタカナ表記に意味があることを知った。





ここ数日の私はもう時間さえあればガイドブックのおさらい、
ベルリンについて書いている人のHPやブログ&写真チェック、
地図と路線図のにらめっこです。
行き当たりばったりな旅が出来るタイプではないので
最終的にはGoogle Earthで確認。


そんな中、発見してしまいました




↑写真はベルリンの市街地の地図ドUPです。
(マーカー等で非常に見にくいドUPでゴメンナサイ)
いえ、ココで言いたいのは「バウハウス資料館」ではありませんヨ。
(余談ですがドイツには「バウハウス」という名のホームセンターがあるらしい、笑)
中央の「ヒロシマ橋」分かって頂けるでしょうか?
なぜベルリンに「ヒロシマ」が?

最初は姉妹都市か何かかと思いました。
この橋を渡って北上した「ヒロシマ通り」に日本大使館があります。
....大使館、ヒロシマ通り、そしてヒロシマ橋。
うーーーん分からない。
検索しよう。
そうしよう。









ハイ、出ましたっ!

★ヒロシマ通り hiroshima strasse★
1933年、アドルフ・ヒトラーがドイツの首相に君臨。
(この人について調べる度に興味深いと思うのは
画家を志し美大の受験に失敗を重ねていた頃の勝ち組に
夭逝の画家と言われるエゴン・シーレの存在があったこと。
もしヒトラーが美大に入学していたら 彼の生涯は売れない画家だったかもしれない)
地名軍事化のため同盟国 イタリア・日本の大使館のある通りを軍人の名前に改名。
この通りは「シュペー伯爵通り」でした。
マクシミリアン・フォン・シュペー伯爵は一次大戦のときのドイツ海軍の軍人です。
1989年ベルリンの壁が崩壊する半年前、戦争を象徴する「シュペー伯爵通り」から
市民運動によって平和を象徴する「ヒロシマ通り」と名前を変えました。
2000年8月の朝日新聞にも記事が載っていた様です。

ベルリン以外の街にもいくつか「ヒロシマ通り」が存在しているようです。
ご存知の方、是非教えてください。



世界に届け、ヒロシマの祈り!



2009-04-05 | ベルリン旅行 090516~
ベルリン+ドレスデン行きの準備、着々と進めています。



個人旅行者のバイブルみたいに言われるガイドブックによると
ベルリンの壁は一夜にして築かれ(中略)ある日突然崩壊した」
みたいなことが書いてあったけれど、この文面を読んだ時
「突然の崩壊」という言葉が、私には納得できなかった。
歴史、それを動かすヒトの心に「突然」はあり得ないと思ってるから。
こんなにも頑に作り上げた壁が あっさり「突然の崩壊」をするわけがナイ。
遠いヨーロッパの国々の様子をココ、日本からニュースでだけ聞いていれば
「突然」だったのかも知れないけれど。

ビックリする程分かりやすい壁についてのHPを見つけました。
こちら
この方によると 壁は決して一夜にして築かれたものではないし
突然崩壊したわけでもない。
これなら納得できます。
ベルリンの壁が崩壊するには すでに国民の不満を抑えきれなくなって
自由化に踏み切っていたハンガリーや隣国オーストリアも関係していて
その後 チェコスロバキアのビロード革命やルーマニアのルーマニア革命
そしてソ連の崩壊にまで影響していく程の、
東ヨーロッパ全体の大きな流れの中の一部だったのです。



人の手によって世界中に築かれた(目には見えない)壁が 数えきれない程存在している。
これをまた人の手によって崩壊させなければならない。
世界中の壁が崩壊するまで、人類は一体どれだけ時間を費やすのだろうか。



トップの写真、ベルリンの壁とは無関係ですが
ヴァンジ彫刻庭園美術館の「壁」。
「登った先に男が見るものは....」という解説を読んだことがあります。
希望に満ちた光でありたい。



舞姫追憶

2009-04-04 | ベルリン旅行 090516~
森鴎外の舞姫を「立身出世のために女を捨てる男の話。
君達はこんな男に引っ掛かっちゃイカン」と教えてくれたのは
高校生の頃 誰より尊敬していた国語のK先生。
隣の席のSちゃんが「のんたん」とあだ名を付けた。
確か理由は「鼻が丸いから」

のんたんを尊敬した理由は幾つかあるけど
強烈に覚えているのは「自由ってなんだと思う?」と
教室の隅から順番にひとりひとり聞かれたこと。
当時16~7歳。
みんなが「自分の好き勝手に振る舞えること」と答えていた。
でもそれが明らかにのんたんの期待する答えではナイと察した私は
「わかりません....」と大人しく答えておいた。

「自由とは、権力からの独立なんだ!」と、力説するのんたん。
クラス一同静まり返って呆然、そして唖然。
言っている意味さえ分からないまま、言葉だけが脳裏に焼き付いた。

意味がなんとなく分かる様になったのはいつ頃だったんだろう。
例えば記憶にあるベルリンの壁の崩壊は
思えばきっとこれがのんたんの言う「自由」だったんだ。



そして決めました、ベルリン+ドレスデン 7泊9日。

一年数ヶ月、非常に良い先輩達と好きな仕事に集中してきましたが 
ワケあってあわてて休暇をもらった次第です。
って、まだ兄さん達から許可をもらっただけで上には言ってないけど強行します。
ハードな残業が続く中、一ヶ月でパスポートの更新から
航空券やホテルの手配までしなければ!←この作業は好きだけどあせる....
それまでの間に散々調べ倒したプラハやブダペストは最後まで迷った結果、
やっぱり美術館に行くことを最大の目的にしようと思って保留にしました。

昨日LufthansaのHPから飛行機を予約。
パスポートはICチップ内蔵、航空券は料金が引き落とされる手持ちのクレジットカード
宿泊先もネットで検索。どんどん旅行がラクになる。

そんなワケでメールの返信もブログの更新も滞ってますゴメンナサイ。



私がベルリンで感じる「自由」ってなんだろう。