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中国が駐日「大使館」に送り込んだ「創価大留学」3人組

2006-04-19 23:00:00 | 記事・創価学会
『週刊新潮』2005.07.20号

 中国が駐日「大使館」に送り込んだ「創価大留学」3人組

 駐日中国大使館に勤務する3人の外交官が注目されている。知日派として知られる彼らは、戦後初めて創価大学へ中国政府から派遣された留学1期生だった。学生時代に培った、公明党議員ら同窓生とのパイプを駆使して展開される反日工作とは。──

 日に日に緊張が高まる日中関係。目下、最大の焦点は小泉首相の靖国神社参拝の是非だ。8日には王毅駐日大使が「歴史問題が今でも健全な日中関係に影響している。靖国参拝が典型的なネックだ」と発言するなど、中国側の参拝中止を求める声は今も喧しい。
 この王毅大使の下で、精力的に反日ロビー活動を展開している3人組がいる。「程永華公使(50)、縢安軍参事官(50)、李冬萍参事官(49)です。程氏と騰氏は03年6月12日、李氏は04年6月2日からの勤務です」(公安関係者)
 どんな人々か──。
「吉林省出身の程氏は今回が4度目の日本勤務で、押しも押されもせぬ王毅大使の右腕的存在。李氏も同郷で、正式には政治部参事官といい、国会議員に対するロビー活動の責任者と見られています。縢参事官は山東省の出で、防諜活動などを担当する国家安全部勤務の経験者で、大阪総領事館では副領事を務めた。勿論、全員日本語に堪能です」(同)
 総勢約150人の大使館職員の中でも五指に入るエリート。実はいずれも創価大学への留学経験者だった。
「中国政府が派遣する戦後初の留学生でした。専攻は日本語で、きっかり1年間の滞在の後、帰国して外交部ジャパンスクールの中核を為したようです」(同)
 3人の初来日は、国交正常化から3年後の1975年。
「中国政府からの要請があって、両国間の友好のために受け入れました」(創価大学広報部)という。

 土下座外交を演出

「単に中国政府と学会の利害が一致したんですよ」
 と苦笑いするのは、ジャーナリストの乙骨正生氏だ。
「学会は従来から、日中の友好は池田大作名誉会長と周恩来首相(当時)の会談によるとする独自の”学会史観”を喧伝しています。これを歴史的な事実として定着させたい。更に、池田氏はかつて松下幸之助氏との対談で”中国共産党の一党支配は続かない。そうなれば、中国の学会員は何百万人にもなる”という趣旨の発言をし、中国での布教を示唆していた。一方の中国は、将来に備えて日本の専門家を育てておきたいという国家戦略があった」
 双方の思惑は一致したが、30年後に実を挙げたのは中国だった。ジャーナリストの山村明義氏が解説する。
「3人の当面の任務は、小泉総理の靖国神社参拝の阻止と見られます。李参事官は連日、王毅大使と議員会館へ出かけて与野党の議員にお国の主張を”説明”するという内政干渉を続けています。それが奏功し、自民党や民主党にも参拝反対論者が増えてきました」
 李氏はかつて部下に対し、「表立って創価学会の批判はしないように」と釘を刺したという。創価学会も公明党も、彼らにとっては今や貴重な手駒なのだ。
 2日の北側一雄国交相の訪中も彼らの功績という。
「大臣は5月に小泉総理との会談をドタキャンした呉儀副首相と会談し、中国人団体観光客へのビザ発給地域拡大の協議書にサインしました。日本の大臣に、勝手に帰国した当の本人を訪ねさせ、その上、件の非礼な態度には一切触れさせないという完全な”土下座外交”を演出し切った」(山村氏)
 同じ外交官でも、日本のチャイナスクールの面々とは雲泥の差である。



『週刊新潮』 2006.03.02号

「靖国」「海底ガス田」棚上げで日中友好を賛美する「池田大作」と「王毅大使」

 …(略)…
 1972年に田中角栄、周恩来両首相によって成った日中の国交正常化。その実現の地ならしをしたのが池田名誉会長その人なのだと、過去、創価学会はしきりに喧伝してきた。
 が、その主張がいかに事実を捻じ曲げた都合のいい”嘘”であるかについて、ジャーナリストの船木洋介氏がこう喝破する。
「当時、社会党などの野党議員たちがさかんに訪中していた。当時の竹入義勝・公明党委員長もその流れに乗り遅れてはならじと、71年に訪中。そして、3度目の訪中でようやく周恩来との会談に成功する。その際に周恩来は、賠償請求権の放棄など日本側が呑める案を示した。そして、帰国レ.た竹入が角栄にその案を伝えたことが、日中国交正常化に繋がっていった。もともと竹入は角栄と仲がよく、中国はその関係と角栄の親中派思想を見抜いていたからこそ、竹入をパイプ役に選んだのです」
 肝心の名誉会長は、すでに国交が正常化した後の74年5月に初の訪中。さらに、12月になってようやく周恩来との会談が実現するのだが、いずれも竹入氏の根回しによるものだった。
「当時は周恩来の最晩年で、体力的な問題から結局、会談は30分程度しかできなかった。それも、通訳を介しているから正味の時間はその半分くらい。しかも、周恩来からの話題も”竹入さんは元気ですか?”といった類のもので、国交正常化に絡むようなやりとりなどまったくなかった。だから、池田が国交正常化の先鞭をつけたなんて完全な間違いであり、ちゃんちゃらおかしい主張なんです」(同)
 …(略)…



『週刊新潮』2006.01.19号

 「創価大卒41人」の外務省で注目された「中国大使」

<創価大学創友会 会員住所録 2005>
 こう記された最新版の創価大学卒業生名簿をめくってみると、驚くべき数字が浮かび上がってくる。
 41人──。
 外務省(在外公館を含む)で働く創価大OBの数である。これだけの人数が集まると、当然一大勢力となり……。
<中国大使に宮本氏固まる>(読売新聞)
<中国大使に宮本氏起用へ>(産経新聞)
 元旦の新聞各紙はこぞって、外務省の宮本雄二沖縄担当大使が次の中国大使に就任する見込みだと報じた。その経緯を、外務省関係者が解説する。
「中国大使人事は、揉め続けていたんです。昨夏、飯村豊インドネシア大使が内定したと報じられました。飯村氏は、対中融和派の“チャイナスクール”ではないため、彼によってこれまでの弱腰外交が多少なりとも改善されるのではと見られていたのですが」
 結局チャイナスクール側が巻き返し、中国課長、中国公使を歴任した宮本氏の起用が決定的になったというわけだ。だが、
「候補として噂されたのは、二人だけではなかった」
 とは、ある政治部デスク。
「榎泰邦インド大使です。彼は、有名な創価学会員。南アフリカ大使だった02年に、現地を訪れた小泉首相を案内して、展示されていた池田大作名誉会長撮影の写真を見せるという荒業をやってのけた。外務省内の学会員の集まりである、“大鳳会”のボスです」
 なぜ、そんな御仁の名前が中国大使人事で飛び交ったのか。
「日中関係は学会が切り開いたと、池田氏は思っている。それだけ思い入れの強い中国の大使に、学会員を就けるのが悲願なんです。その意を受け、創友会の41人が中心となり、榎氏を中国大使にすべくバックアップ。さらに公明党のある幹部が、官邸に榎氏を推薦したと言われています」(学会幹部)
 今後も“悲願”が成就しないことを願うばかり。



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