ドイツ通信No.51
このドイツ通信は 2001年4月10日のものです。
かつて ドイツに来て以来 友人達に FAX送信してきていた物を ブログを始めてから 改めて ここに載せている一連のものです。
2007年2月現在 2度目のインターフェロンで 完全に C型肝炎ウィルス排除に
成功した主人は 前より いっそう 世界中 神出鬼没の日々です。
再び 肝炎再発か?と 心配してくださる方がいるようなので 誤解のないように
したためました。
さて 肝炎とは縁が切れても もう 何が起きても 現れても おかしくない年頃の私達 今から6年前の 出来事を 振り返り 今後は 細く長くじゃなく 太く短く生きたいものだと 思っています。
では No.50の続きを!
例えば 歯医者の麻酔 30分で切れますよぉ~!が どうかしたら 6時間。
これが ドイツにおける 日本人の薬の血中濃度。効く!効き過ぎるのだ。
だから 日本で未承認の経口抗ウィルス薬を インターフェロンと併用すると 果たして 夫に どんな作用が出るか?
以前ドイツに留学経験を持つ 日本の内科医は そこを いたく心配。
「何か 異常があって それに対する処置が 日本のそれと違うと思う まして 言葉のハンディー抱えていては 余計な不安が募るでしょう?」
仰せの通り!
例えば ドイツでは
・下痢したら ドクターは「コーラを飲みなさい!」
「・・・・・あのぅ、コーラって あのコーラ?????」 聞き間違いか? 日本人には 聞けても理解出来ない とにかく あんぐり。
・熱のある子は 氷で じゃんじゃん冷やす 額だけじゃなく“全身を!“
これも カルチャー・ショック!!!
・ 抗生物質は しぶとく 投与しない。(これは 感心かな)
さらに 内科医は 「 多分 この4月には 日本でも 経口抗ウィルス薬が 認可されて使えるようになる。あと2ヶ月待てば・・・・・」と。
いよいよ 苦しくなってきたにゃ。
主人は 仕事のスケジュールとの調整をにらみ 私は 結局 賭けだな!と。
決め手は チュービンゲン大教授の 「私なら やる!」の一言。
いや、そうじゃないわ。
一刻を争う状態ならイザ知らず 急には帰国出来ないんだもの ここで やるしかないべ!
何回かのチュービンゲン大病院通いの後 ついに インターフェロン投与が 開始されました。
入院せず 毎日 抗ウィルス薬を服用 週1回 インターフェロンを 自分で 注射する。
これを24回 行う。
しかし 意気地なしの主人は アルコール綿で 何度も 皮膚を消毒して ためらってばかり。
しゃ~ない! 私が 大学病院へ行き 注射のレッスン。
門前の小僧の私は テクニッシャン。
主人が アッ!と言う間も 与えず 腹に・・・ 太ももに・・・ プスッ!
毎週金曜日の夜は 注射の日。
問題は その後。
凄まじい副作用。
立ち上がった途端 床に ぶっ倒れる主人。
本人は 全然 覚えていない。
恐ろしさに 固まる私。
スワ~!に備えて 私は 寝ずの番。ドイツ語で 救急車呼ぶリハーサルを 繰り返す。
悪夢の週末が終わり 月曜日には 普通どおり出勤する主人。
熱は出たまま・・・食欲も無いまま・・・無表情のまま・・・。
まったく 以前と変わらぬ仕事振り。現に 今日も ミラノに出張。
(怪物じゃ!)私は そう思っとりました。
でも ますます 気味悪いことに。
食欲が無いのは 無理もない。しかし まるで赤の他人のような目付きで 私を見て
食べかけの食事を 無造作に 捨てる主人。
日本食材が手に入らない状況で 必死で 考え 消化に良いものを と 作って
祈るような気持ちでいる私に 酷い仕打ち。
これも副作用よね。
しかし まだ 始まったばかり。
これを 半年続けるのかぁ。
社員には 伏せているし 普段どおりの勤務して 週末3日間は 息も詰まるような日々。
そこへ さらに 追い討ちが。
4月から 日本でも 導入された 経口抗ウィルス薬・リバルビンとインターフェロン併用で 2名の死者と。
それ!恐れていたことが。
この情報は 主人には 絶対知られてはまずい!
ますます 注意深く 見張らねば!
そのうち 髪の毛が抜け始め・・・・。
それを見て さすがに 弱気になった主人。
「な~に、インターフェロンがおわれば 又 生えてくるわよ(はず)」と励ましながら
なによ!髪の毛なんて 命に比べりゃ・・・あ~たは 髪の毛の心配だけしとりゃ
良いんだから いい気なもんさ。
その頃 父は 目の手術を受け 再発の危険を抱えながらも 先週退院。
年齢から来る動脈硬化のため 左目の血管が切れたのだそう。
不自由な眼で 独りで この先 どうやって生活していくのか?と気がかり。
頼みの妹は 主人の転勤で とりあえず 4月に山梨県へ。
本当に こんな時こそ 飛んで帰りたいけど ドイツー日本は 遠すぎる。
私は インターフェロン最終日の8月第4週目まで 帰るわけに いかないのです。
インターフェロン治療中といっても その後の5日間を除けば 平気な顔してる主人 毎日 忙しく働く主人 思いついてウィーンや ギリシャにも 遊びに行ける。
でも 今度こそ 私は こたえたのです。
毎晩 ベッドに入ると 涙が止まらない。
(もう 逃げたい!)パスポート持って こっそり 逃げようかと思いました。
(大丈夫!あの人は 肝臓では 死なない!)心配している自分の頭が どうか なってしまいそう・・・。
このままでは イカン!なんとかせねば。
何とかするぞぉ。
で、何とかしました。
アート講座
週2回 19時から22時30分まで。
21時過ぎると シャンパンも出て みんなのドイツ語とジャズをBGMにして 絵 コラージュ作り。
私の作品は ドイツ人の感性と 大分違うとみえ 講師は 「アハ~!インタラサント!」
(面白い!)の連発。
私は スッカリ調子に乗って ノリノリ。
出来立ての作品 抱えて 帰る夜道 思わず 鼻歌歌って スキップ。
大丈夫!!!もう。
これで 私は 今を 切り抜けられる。
つづく・・・。
butterrice
このドイツ通信は 2001年4月10日のものです。
かつて ドイツに来て以来 友人達に FAX送信してきていた物を ブログを始めてから 改めて ここに載せている一連のものです。
2007年2月現在 2度目のインターフェロンで 完全に C型肝炎ウィルス排除に
成功した主人は 前より いっそう 世界中 神出鬼没の日々です。
再び 肝炎再発か?と 心配してくださる方がいるようなので 誤解のないように
したためました。
さて 肝炎とは縁が切れても もう 何が起きても 現れても おかしくない年頃の私達 今から6年前の 出来事を 振り返り 今後は 細く長くじゃなく 太く短く生きたいものだと 思っています。
では No.50の続きを!
例えば 歯医者の麻酔 30分で切れますよぉ~!が どうかしたら 6時間。
これが ドイツにおける 日本人の薬の血中濃度。効く!効き過ぎるのだ。
だから 日本で未承認の経口抗ウィルス薬を インターフェロンと併用すると 果たして 夫に どんな作用が出るか?
以前ドイツに留学経験を持つ 日本の内科医は そこを いたく心配。
「何か 異常があって それに対する処置が 日本のそれと違うと思う まして 言葉のハンディー抱えていては 余計な不安が募るでしょう?」
仰せの通り!
例えば ドイツでは
・下痢したら ドクターは「コーラを飲みなさい!」
「・・・・・あのぅ、コーラって あのコーラ?????」 聞き間違いか? 日本人には 聞けても理解出来ない とにかく あんぐり。
・熱のある子は 氷で じゃんじゃん冷やす 額だけじゃなく“全身を!“
これも カルチャー・ショック!!!
・ 抗生物質は しぶとく 投与しない。(これは 感心かな)
さらに 内科医は 「 多分 この4月には 日本でも 経口抗ウィルス薬が 認可されて使えるようになる。あと2ヶ月待てば・・・・・」と。
いよいよ 苦しくなってきたにゃ。
主人は 仕事のスケジュールとの調整をにらみ 私は 結局 賭けだな!と。
決め手は チュービンゲン大教授の 「私なら やる!」の一言。
いや、そうじゃないわ。
一刻を争う状態ならイザ知らず 急には帰国出来ないんだもの ここで やるしかないべ!
何回かのチュービンゲン大病院通いの後 ついに インターフェロン投与が 開始されました。
入院せず 毎日 抗ウィルス薬を服用 週1回 インターフェロンを 自分で 注射する。
これを24回 行う。
しかし 意気地なしの主人は アルコール綿で 何度も 皮膚を消毒して ためらってばかり。
しゃ~ない! 私が 大学病院へ行き 注射のレッスン。
門前の小僧の私は テクニッシャン。
主人が アッ!と言う間も 与えず 腹に・・・ 太ももに・・・ プスッ!
毎週金曜日の夜は 注射の日。
問題は その後。
凄まじい副作用。
立ち上がった途端 床に ぶっ倒れる主人。
本人は 全然 覚えていない。
恐ろしさに 固まる私。
スワ~!に備えて 私は 寝ずの番。ドイツ語で 救急車呼ぶリハーサルを 繰り返す。
悪夢の週末が終わり 月曜日には 普通どおり出勤する主人。
熱は出たまま・・・食欲も無いまま・・・無表情のまま・・・。
まったく 以前と変わらぬ仕事振り。現に 今日も ミラノに出張。
(怪物じゃ!)私は そう思っとりました。
でも ますます 気味悪いことに。
食欲が無いのは 無理もない。しかし まるで赤の他人のような目付きで 私を見て
食べかけの食事を 無造作に 捨てる主人。
日本食材が手に入らない状況で 必死で 考え 消化に良いものを と 作って
祈るような気持ちでいる私に 酷い仕打ち。
これも副作用よね。
しかし まだ 始まったばかり。
これを 半年続けるのかぁ。
社員には 伏せているし 普段どおりの勤務して 週末3日間は 息も詰まるような日々。
そこへ さらに 追い討ちが。
4月から 日本でも 導入された 経口抗ウィルス薬・リバルビンとインターフェロン併用で 2名の死者と。
それ!恐れていたことが。
この情報は 主人には 絶対知られてはまずい!
ますます 注意深く 見張らねば!
そのうち 髪の毛が抜け始め・・・・。
それを見て さすがに 弱気になった主人。
「な~に、インターフェロンがおわれば 又 生えてくるわよ(はず)」と励ましながら
なによ!髪の毛なんて 命に比べりゃ・・・あ~たは 髪の毛の心配だけしとりゃ
良いんだから いい気なもんさ。
その頃 父は 目の手術を受け 再発の危険を抱えながらも 先週退院。
年齢から来る動脈硬化のため 左目の血管が切れたのだそう。
不自由な眼で 独りで この先 どうやって生活していくのか?と気がかり。
頼みの妹は 主人の転勤で とりあえず 4月に山梨県へ。
本当に こんな時こそ 飛んで帰りたいけど ドイツー日本は 遠すぎる。
私は インターフェロン最終日の8月第4週目まで 帰るわけに いかないのです。
インターフェロン治療中といっても その後の5日間を除けば 平気な顔してる主人 毎日 忙しく働く主人 思いついてウィーンや ギリシャにも 遊びに行ける。
でも 今度こそ 私は こたえたのです。
毎晩 ベッドに入ると 涙が止まらない。
(もう 逃げたい!)パスポート持って こっそり 逃げようかと思いました。
(大丈夫!あの人は 肝臓では 死なない!)心配している自分の頭が どうか なってしまいそう・・・。
このままでは イカン!なんとかせねば。
何とかするぞぉ。
で、何とかしました。
アート講座
週2回 19時から22時30分まで。
21時過ぎると シャンパンも出て みんなのドイツ語とジャズをBGMにして 絵 コラージュ作り。
私の作品は ドイツ人の感性と 大分違うとみえ 講師は 「アハ~!インタラサント!」
(面白い!)の連発。
私は スッカリ調子に乗って ノリノリ。
出来立ての作品 抱えて 帰る夜道 思わず 鼻歌歌って スキップ。
大丈夫!!!もう。
これで 私は 今を 切り抜けられる。
つづく・・・。
butterrice