美容室グレープス (飯田市) 店長&スタッフ・ブログ

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訪問美容のスキルアップを目指して④ 続「姨捨山」の国で

2015年10月24日 | 訪問美容のスキルアップ

一昔前、昭和の時代には、姨捨山地区に限らず、わたしたち長野県の田舎では、

その家のお爺さん、お婆さんから、むかしの「棄老伝説」(棄てられる老人に男女差別はない)や、

口減らし(人口調整)のための、「間引き」の言い伝えは、ごく普通に耳にした話なのですが、

 

平成の今の時代、そのような言い伝えを耳にすることは、まずありません。

 

「姨捨山」の言い伝えを知らない世代の方々に、ぜひ読んでいただきたいのが、小説「楢山節考」です。

深沢七郎著。

姨捨山伝説を基にした小説です。

そののち何回かの映画化もされています。

小説も、映画も、おすすめです。

 ◆小説 「楢山節考」は、1956年(昭和31年)に発表され、 

その年の中央公論新人賞を受賞しています。

中公文庫「深沢七郎初期短編集」には、その時の選考委員による、選後座談会の模様が収録されています。

 

その選考委員の顔ぶれは、伊藤整。武田泰淳。三島由紀夫。

この作品が、当時、「知の巨人」とでも形容されたであろう、超豪華な選考委員の各氏にも、

センセーショナルな感激を与えた様子が座談会の記録から、うかがえます。

この座談会は、昭和30年代の日本人の感性、時代感覚を探る意味でも、たいへん貴重で、

本編以上に興味をそそります。

 

その一部をここでご紹介します。

各氏の発言で、印象的なものを抽出してみました。

 

伊藤整

「これ(棄老)は・・・ぼくらの2.3代前までは、何でもないあたりまえのことで、

それが明治以降ヨーロッパ的な考え方を取り入れて、ぼくらは忘れていたけれど、

この作品を読むと、ああこれが本当の日本人だったというような感じがする。

ストイックというか、個人よりも家族を大切にするというか、

それとも、

家族よりも、伝統の規律に自分を合致させることを重視する人間がいる。

・・・・・

つまり、近代文学の中での人間の考え方ばかりが、必ずしも本当の人間の考え方とは限らない。

ぼくら人間が何千年ものあいだ続けてきた生き方がこの中にはある。

ぼくらの血がこれを読んで騒ぐのは当然だと感じます。」

 

三島由紀夫

 「ふだん自分はヒューマニストというのを、甘っちょろいと思っていたけれど、

こういうのを読むと、自分はヒューマニストだと思うね。 笑。」

「ぼくは当選に全然異論はないけれど、いやな小説だね。 笑。

 好感が持てない。」  (実は、当のご本人の推薦作品がこれ。)

「・・・なにかどろどろとしたものがこわくなる。美しくない。」

 

武田泰淳

「そう、武士道がないからね。」

「三島さんはいやなものと言ったけれど、そのいやなものを忘れてはならないのだぞ、というものが

今、(この小説として)世に出てくれたことをぼくは歓迎する。」

三島由紀夫

「それはそうですね。非常に適切ですね。」

 

◆この後、鼎談のテーマは、この小説の核心でもある人間の持つ残虐性と道徳について、にすすみます。

この年の前年(昭和30年)に発表され、これも文壇にセンセーションを巻き起こした、

石原慎太郎著「太陽の季節」のそれとの比較など、さらにノリノリの盛り上がりを見せます。 

◆ぜひ、原本でお読みになってみてください。

 

さて、 

★当店では、かつて「ウェディング・ファッションショー」を開催させていただきました。

 その際に、「日本の結婚式の歴史」や、「婚礼衣装」、「和服の歴史」といったテーマでの下調べをかなり入念に行いました。

 そこで痛感したことは、時代の流れの早さです。

(昭和の初期の結婚式の記憶さえ、正確に伝承されていない。

ばかりか、のちの世代によって書き換えられている場合も結構多い)

公式の文書に残らない、風俗や文化などは、人から人への言い伝えを記録に残すことの大切さを痛感しました。

それは、きっと後世の人々の役に立つはずです。

 

あと、テレビ番組や娯楽映画で、時代劇をよく見て育った世代(わたしたちも)の頭の中には、

かなり偏った歴史のイメージが刷り込まれていることを自覚しておかなくてはいけないということです。

つまり、殿様や侍の世界しか描かれていない膨大な数の時代劇は、

日本の社会の全体像を映したものとは言えないということです。

 

江戸時代の人口構成では、農民の割合が日本の人口の8割と言われます。(「百姓たちの江戸時代」渡辺尚志著より)

信州・信濃の国(長野県)では、農民の割合はさらに多かったに違いありません。

 明治維新によるヨーロッパ的近代化の洗礼も、儒教的道徳教育の洗礼もうけていない、

そんな日本の原風景ともいえる村落共同体を舞台にした歴史が、大多数の日本人の歴史に違いないからです。

 

映画「楢山節考」   今村昌平監督

 

江戸時代の信濃の国の最も標準的な社会(村)が描かれている映画、「楢山節考」。

映画としての評価、面白さは、カンヌのグランプリ作品としてお墨付きですね。

 

たぶん私たちの祖先が見ていた風景とは、まさにこれに近いものだったのでしょう。

当時の風俗観察の意味からも、わたしの頭の中にある偏った歴史のイメージを修正する意味からも、

「楢山節考」は貴重な作品です。

 

つづく

 

 

 

 



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