6月16日から17日にかけて、東北地方に行ってきました。
ひょうんなことから決まった企画ですが、大学時代の友人たちから「東北を見に行こう」と
話があって「是非行きましょう」となったものです。
幸いなことに(か、どうかは諸先輩には申し訳ないですが)、青森と岩手に大学時代の先輩が
お見えになるのでそちらにお世話になりながら今回のツアーは始まりました。
6月16日 早朝7時30分のフライトで県営名古屋空港から岩手・花巻空港へ向かいました。
花巻空港から盛岡まではバスを利用し、盛岡からそのまま青森・八戸へ東北新幹線を乗り継いで
行きます。
午前11時前には無事、八戸に到着しましたので名古屋を出てから約4時間弱の工程でした。
八戸では先着していた友人たちや八戸在住の先輩と落ち合い、着く暇も無くそのまま八戸の
漁港付近に向かいました。
漁港の風景がこれ。
何気ない風景ですが、震災当時はそれでも大変だったようで、1週間くらいは停電状態が続いたとか・・
今では以前と変わらない漁港の状態が保たれているようでした。
昼食をともにし、そのまま「岩手の被災地を見に行こう」ということで、なんと人生で初めて訪れた
青森県に滞在することわずか2時間。
急遽、青森から海岸線を南下して岩手県に行く正に弾丸ツアーとなりました。
車での走行約2時間。着いたのは岩手県の宮古地区でした。
湾になった漁港らしきところに5Mはゆうに超える堤防があって、その上に立ったのですが、そこから
見える堤防の内側には家らしきものの基礎しかない風景が広がっていました。
たぶん当時、この堤防の内側に住まわれていた方は、この堤防をまさか乗り越えてくる「津波」が
来るとは思わなかったことでしょう・・・・
今は何もない風景ですが、当時の惨状は凄まじかったに違いありません。
呆然と立ちすくみながら『いったい何ができるのだろう・・・』と思いました。
1年3カ月以上が経過していますが、復興の軌跡は全く見えないのが現状のようでした。
宮古を後にして、車でそのまま約2時間をかけて着いたのが岩手県では内陸の盛岡市。
そこで宿泊となりましたが、「いったい何ができるのか・・」と思っても支援と言うには余りに
大きな課題でもあり、我々にできるのは盛岡の繁華街で飲み明かすことくらいでした。
写真は友人のY君ですが、カラオケを前にして得意の宴会芸を披露してくれました。
こうして見ると、被災地の現状を目の当たりにして、いささか重たいものも感じるのですが
それでも精いっぱい支援の気持ちだけは届けたつもりの弾丸ツアーでありました。
ひょうんなことから決まった企画ですが、大学時代の友人たちから「東北を見に行こう」と
話があって「是非行きましょう」となったものです。
幸いなことに(か、どうかは諸先輩には申し訳ないですが)、青森と岩手に大学時代の先輩が
お見えになるのでそちらにお世話になりながら今回のツアーは始まりました。
6月16日 早朝7時30分のフライトで県営名古屋空港から岩手・花巻空港へ向かいました。
花巻空港から盛岡まではバスを利用し、盛岡からそのまま青森・八戸へ東北新幹線を乗り継いで
行きます。
午前11時前には無事、八戸に到着しましたので名古屋を出てから約4時間弱の工程でした。
八戸では先着していた友人たちや八戸在住の先輩と落ち合い、着く暇も無くそのまま八戸の
漁港付近に向かいました。
漁港の風景がこれ。
何気ない風景ですが、震災当時はそれでも大変だったようで、1週間くらいは停電状態が続いたとか・・
今では以前と変わらない漁港の状態が保たれているようでした。
昼食をともにし、そのまま「岩手の被災地を見に行こう」ということで、なんと人生で初めて訪れた
青森県に滞在することわずか2時間。
急遽、青森から海岸線を南下して岩手県に行く正に弾丸ツアーとなりました。
車での走行約2時間。着いたのは岩手県の宮古地区でした。
湾になった漁港らしきところに5Mはゆうに超える堤防があって、その上に立ったのですが、そこから
見える堤防の内側には家らしきものの基礎しかない風景が広がっていました。
たぶん当時、この堤防の内側に住まわれていた方は、この堤防をまさか乗り越えてくる「津波」が
来るとは思わなかったことでしょう・・・・
今は何もない風景ですが、当時の惨状は凄まじかったに違いありません。
呆然と立ちすくみながら『いったい何ができるのだろう・・・』と思いました。
1年3カ月以上が経過していますが、復興の軌跡は全く見えないのが現状のようでした。
宮古を後にして、車でそのまま約2時間をかけて着いたのが岩手県では内陸の盛岡市。
そこで宿泊となりましたが、「いったい何ができるのか・・」と思っても支援と言うには余りに
大きな課題でもあり、我々にできるのは盛岡の繁華街で飲み明かすことくらいでした。
写真は友人のY君ですが、カラオケを前にして得意の宴会芸を披露してくれました。
こうして見ると、被災地の現状を目の当たりにして、いささか重たいものも感じるのですが
それでも精いっぱい支援の気持ちだけは届けたつもりの弾丸ツアーでありました。
本当にいろいろたくさん詰まった弾丸ツアーでした
日ごろの何気ない生活に感謝して生きていかなくてはと本当にかんじました。
カラオケでの宴会芸も感謝のしるし?
ありがとう。時々見てくれてたんですね。
こうして見ると、あの時あのスナックで盛り上がったのも精いっぱいの支援の気持ちだったかも・
でも、とても有意義なツアーでした。
東北、皆さんも機会あれば是非行くことをお勧めします。