ホリスティックライフ in 世田谷

都会の中の田舎に住み、ウキウキ、ワクワク楽しく暮らす。
キーワードは、ホリスティックライフ。

ボラバス、意外な展開。<その2>

2012-03-04 17:31:13 | 東日本大震災
そうなんです、結局、活動しないまま。

陸前高田のボランティアセンターに着いて、
まずはそこに届いていた(普通なら、作業をしている場所に届く)
お弁当をバスの中でいただきました。

食べ終わったころ、ボラセンの係の方がバスに。
いつもなら、活動する際の注意点を中心に
お話をしてくださいます。

今回は、ご自身の体験談がほとんど。
米崎町で生まれ育った方。
米崎町といえば、初めてボラバスに参加したときに行った場所。
その後も、ひたすら草刈をした、あの場所です。

その方が震災後、地域の方々と瓦礫の片付けや
遺体捜索をしたというお話を伺いました。

直接体験したその方のお話は生々しく、
遺体捜索では、1日に最高7体もの遺体が
見つかったことがあったそうです。

それは、ある意味つらい経験ともなって、
仲間の方たちもその後、そういった光景が忘れられず、
大変な思いをされているそうです。

パチンコに行って遊んでいるのではないか、
といったような報道があったそうですが、
それは現実逃避でもあるのです、ともおっしゃっていました。
決してそれを良しとしているわけではない、とも。

その後、地元の方の案内で、
中心地だったところもバスから降りて
案内していただきました。

これまで、バスの中から見てはいましたが、
実際に歩いて回ったのは初めてです。

市役所の屋上に逃げて助かったという方のお話も聞き、
そこでは140人の方がそこで助かり、
でも、市役所の職員は108人も亡くなったこと、
市役所の前にある市民会館は少し市役所より低かったため、
そちらに逃げた方はほとんど亡くなったこと、
などなど、心が締め付けられるようなお話ばかりでした。

図書館、消防署や体育館も近くにあり、
体育館は中まで入ってみましたが、中はまだそのままの状態で、
体育館の真ん中にひっくり返った車が残っていたのが
とても印象に残りました。

奇跡の一本松の近くまでも行きました。
もうダメとは言われながら、
かろうじてまだ立っている状態です。
見上げてみると、思ったよりずっと高い松でした。

結局、午後の作業がなかったため時間に余裕ができ、
歩いて見て回ることができたので、
それはそれでとても貴重な体験となりました。

その後は恒例、気仙沼のプラザホテルでの温泉。
前に行ったときよりも日が長くなったためか、
時間もいつもより早かったためか、
外がまだ明るいうちに温泉に入ったら、
海が見え、景色も存分に楽しむことができて感激。

作業はできなかったけれど、最後の温泉は「ご褒美」です。
買い物もいつもより多めにして、その部分で貢献してきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする