constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

モジュール化する民主化

2011年02月22日 | nazor
チュニジアおよびエジプトの政権崩壊をもたらした「民主化」現象はその勢いを加速させている。そしてエジプトの隣国リビアが次なる民主化の筆頭候補として浮上し、メディアの注目を集めている。リビア政府は、反政府勢力との対決姿勢を露にし、軍および治安機関による制圧という手段に打って出たが、反政府勢力の勢いを抑えられずにいる。それどころか、反政府勢力によって国内東部地域が制圧されたとの情報も流れており、さらに一部報道ではカダフィが国外に脱出したとも伝えられたように(この情報は否定されたが)、カダフィ体制が危機的状況に直面していることは明らかであろう。あくまで強硬姿勢を貫いているカダフィ政権が反政府勢力の制圧に成功するならば、つまり反政府デモに対する強硬手段の有用性が証明されるならば、「民主化」波及予備軍の統治者たちが同様の対応策を採ることが考えられる。その結果、「民主化」の勢いが減速を余儀なくされ、中東全域に拡大する可能性は遠のいてしまうかもしれない。その意味で、現在の「民主化」現象において、いわゆる「カスケード」段階に達することができる臨界点(thleshold point)に位置付けられるのがリビアといえるのではないだろうか。

中東および北アフリカ諸国を席巻している「民主化」現象について、今後さまざまな視点から分析・検証されることだろう。そしてそこから得られる含意や教訓も多様なものであろう。その中には「革命」的雰囲気に酔い、いささか短絡的で視野狭窄的な議論が現れるかもしれない。そうした議論のプロトタイプともいえそうなのが、古森義久の記事「反政府デモ イラク波及せず 米指摘『介入で民主化進展』」『産経新聞』2月20日であろう。古森らしく基本的に共和党政治家の発言を中心に「イラクで反政府デモが発生していないのは民主化が進んだからだ」という見方を紹介している。

まず事実確認として、今年1月以降のイラク情勢を見たとき、チュニジアやエジプトのような華々しさに欠けるものの、断続的に「反政府デモ」と呼べる動きが生じている。たとえば、イラク南部の都市クートで2月16日、州政府知事の辞任を求めるデモがあり、警備員の発砲で30人以上の死傷者が出ている。あるいはクルド人自治区スレイマニヤでも20日にデモ隊と治安部隊が衝突し、50人弱の負傷者が出ている。たしかに記事中の『ニューヨーク・タイムズ』が指摘するように、これらは、政権打倒を掲げていない点で、現在中東地域を席巻している反政府デモとは無関係の、イラク固有の事情に起因する出来事であろう。その意味で「反政府デモはイラクに波及していない」かもしれない。しかし政権打倒を掲げる動きは見られないからといって、それが政権の安定を意味するとは限らない。日常生活に関係する不満に端を発するデモに対して、治安部隊の力が必要とされる状況は、すくなくとも「民主化」が不十分である証左ではないだろうか。たしかにイラクでは、さまざまな民主主義の規範や制度が整備されているかもしれないが、しかし民主主義が十分に機能しているのであれば、日常生活で生じる不満を訴える声があがったとしても、それが直接行動に移る前段階で対処され、何らかの合意なり妥協が成立する形で解消されるだろう。むしろ日常生活に根ざす不満が依然として燻っていることは民主主義に対する信頼が十分に内面化されていないことを示唆している。デモという「街頭の政治」と治安部隊の動員・鎮圧という強制手段がその有効性を維持している限り、イラクにおける民主化は停滞し、あるいは逆行する可能性を孕んでいる。

また古森(産経)のリード文の3つ目「介入で民主化進展」という見方は、当然のことながらアメリカのイラク攻撃を正当化する言説を提供する。この言説が結果論でしかない点は言うまでもないし、そもそもイラク攻撃において民主化は半ば後付けの理由であり、民主化が進んだことによって開戦理由も正当性されるわけではない。古森が紹介するダニエル・パイプスは、イラク攻撃に対するリベラル派の批判「イスラムの教徒や教義は本質的に民主主義には合致せず、中東の民主化という目標はあまりに非現実的だ」を的外れだったと非難しているが、このパイプスによるリベラル派の言説はいくぶん戯画的でもある。「イスラーム地域に民主主義は根付かない」という言説を一般化したとき、そこに本質主義的な匂いを嗅ぎ取ることは容易いし、実際そうした見解を持つリベラル派もいたであろう。しかしリベラル派の批判において「民主主義」の意味するものに注意を向けるならば、そこで問われていたのは、アメリカで育まれた民主主義がそのまま「輸出」あるいは「移植」できるとする素朴な信念であった。民主主義と言いつつも、それはあくまでも「アメリカの」民主主義であった。それをイスラーム地域に「移植」したとき、「拒絶反応」が生じるのは当然で、ブッシュ政権の「中東民主化構想」を耳にしたとき、多くの人々が懸念を抱いたのはまさにこの点であった。

たしかにアメリカの介入によってフセイン政権は崩壊した。しかしその後の占領政策は円滑に進んだとは言いがたく、計画や見通しの甘さが明らかとなり、民族・宗派対立あるいはアルカイダの浸透を招く結果となった。それは、ブッシュ政権の描いた「民主化構想」とは程遠いものであり、現在のイラクが曲がりなりにも安定を保っていることとアメリカの介入とを直接的に結びつけるのはあまりに強引であろう。単純な因果関係に還元できないさまざまな要因が作用した結果であり、アメリカの介入は必要条件だったかもしれないが、十分条件であったとはいえない。また歴史のイフの話として現時点でフセイン政権が存続したとすれば、今回の民主化の潮流は当然ながらイラクにも影響を与え、政権の動揺・崩壊をもたらしたかもしれず、ムバラク政権のような形での体制変動が生じた場合、アメリカの(明示的な)介入は必要条件ですらない。いずれにせよ、今回の中東における民主化現象とイラクの事例を結びつけるような議論があまり意味を成さないのは明らかである。

ところで今回の民主化現象を促進している要因としてフェイスブックなどの情報通信技術が注目を集めている。2月20日放送のNHKスペシャル「ネットが“革命”を起こした~中東・若者たちの攻防~」もそうした側面に焦点を当てた番組であった。その中でエジプトの反政府運動「4月6日運動」の旗が映されたとき、そこに拳のロゴマークが描かれていた点が注意を引いた。番組がこの点に言及することはなかったが、このロゴマークは言うまでもなくセルビアのミロシェヴィッチ政権崩壊において重要な役割を担った反政府運動「オトポール」のシンボルである。オトポールの興味深い点は、セルビア一国に限定されずに、2004年のウクライナ・オレンジ革命など旧ソ連諸国などの反政府運動において、オトポ-ルの姉妹組織がその中核として活動したといわれていることにある。「4月6日運動」もまたオトポールの手法に学んでいることがそのロゴマークから窺い知ることができる。それは、反政府運動のモジュール化の一例であるといえるだろう。

なおオトポールにはアメリカ政府の多額の資金援助が流れたとの話が伝えられている。いわばオトポールは純然たる内発的な運動ではなく、運動の組織化や運営において外部勢力が介在していたわけである。それは「アメリカの介入」の一種である点で、体制変動過程において外的要因が果たす役割を示唆している。しかしながら、この点を捉えて、一方でオトポールや「4月6日運動」を「アメリカ政府の手先」と非難し、その運動を全面的に否定する議論も、他方で「アメリカの介入」の必要性を証明するものとみなし、イラク流の介入までも正当化する議論もどちらもまた性急で短絡的であろう。アメリカ政府の意図が100%体現されることはありえず、各地域の実情に合わせた組織のあり方、運動の方針が策定されるのは当然のことである。そうでなければ、民主主義の規範や制度はいつまでも「外来」のものにとどまり、それゆえに転覆される可能性を孕んでしまいかねない。この点は、アメリカによる民主化の成功例として、イラク占領政策においても参照された戦後日本を一瞥すれば明らかである。成功例といわれるにもかかわらず、憲法や戦後レジームを「押し付けられた」と不満を抱く政治家や識者が一定数存在することは、それこそ民主主義が「未完のプロジェクト」であることを示している。

コメントを投稿