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ここで私のごく身近(みぢか)な例をあげる。
私の家の向(む)かいに趙(ちょう)さんという韓国(かんこく)系(けい)在日(ざいにち)の人がいる。70歳(さい)前後で(ぜんご)で今(いま)では年金(ねんきん)生活(せいかつ)を送(おく)っているようだが、名前を訊(き)かないかぎり、どこにでもいるごく普通(ふつう)の日本人と変(か)わりがない。特(とく)に懇意(こんい)にしているわけではないので、時々(ときどき)散歩(さんぽ)で顔(かお)を合(あ)わせて挨拶(あいさつ)をする程度(ていど)だった。
ある時、海岸沿(かいがんぞ)いの散歩道(みち)で出遭(であ)った際(さい)、私はふと思いついて、趙さんの家系は何代(なんだい)ぐらい前まで遡(さかのぼ)れるのか訊(き)いてみたことがあった。すると趙さんは、やや考(かんが)え込(こ)んでしばらく宙(ちゅう)を見るような表情(ひょうじょう)をした。私は趙さんを困(こま)らせてしまったかな、と一瞬(いっしゅん)後悔(こうかい)した。しかし後(あと)でわかったのだが、趙さんは私により正確(せいかく)な情報(じょうほう)を与(あた)えたかったようなのである。その散歩の終(お)わりに、私を家に招(まね)き、A4判(ばん)大(だい)の分厚(ぶあつ)い2冊本(にさつぼん)の家系図を見せてくれたのだから。
私はある程度は予想(よそう)をしていたが、これほど本格的(ほんかくてき)なものとは考えもしなかったので、本当に驚(おどろ)いた。そしてこれは誰(だれ)が作ったのかと尋(たず)ねると、韓国にいる弟(おとうと)が作(つく)って送ってくれたのだと言う。それでは弟さんは何をしている人なのかと問(と)うと、地方(ちほう)公務員(こうむいん)だったそうで、退職(たいしょく)してから家系図作(づく)りに励(はげ)んだというのである。
ちなみに趙さんの直接(ちょくせつ)の先祖(せんぞ)、いわゆる本貫(ほんがん)地(ち)までだと、30代まで遡(さかのぼ)れるという。何とまあ、驚(おどろ)くほかない。庶民(しょみん)の名もない日本人で、これだけ先祖を辿(たど)れる人はいるだろうか?
もう一つ、中国(ちゅうごく)のことにも触(ふ)れておこう。
まだ10代だったか、20代だったか忘(わす)れたが、テレビのニュースで、孔子(こうし)の百(ひゃく)何代目かの子孫(しそん)が話題(わだい)になったことがあった。孔子は、日本人にも多大(ただい)な影響(えいきょう)を与えた思想家(しそうか)だが、紀元前(きげんぜん)に活躍(かつやく)した人物である。だからかもしれないが、いやそれにしても、普通の中国人が、誇(ほこ)らしげに百何代目だなどと名乗(なの)る社会に吃驚(きっきょう)したので、いまだに記憶(きおく)に残っている。