ともちの小さなGLOBE

人生は一期一会のLong and winding road。小さな地球儀をめぐる日々をブログにしました。

2007年12月 インドシナ:カンボジアにて

2009-04-08 21:35:09 | 
12月初旬、カンボジアを訪れた。

ひさしぶりのアジアだ、夏のインド南部で蚊に刺され、病を患い完治してからも久しい。
いつ来ても西アジア、インドシナは活気に満ちている。
その中でも取り分けカンボジアは、若者の新しい国づくりへの希望を肌で感じる。

また、プノンペンにはロシアンマーケットと呼ばれる巨大な部品市場が存在し、20年前のバイクだろうが走る事が出来る。 写真からもかなり危ない雰囲気がある。


今回訪れたのは、首都プノンペン(Phnom Pengh)を基点にコンポントム「Kampong Thom」シエムリアップ「Siem Reap」、シソポン「Shisophon」、ポイペット「Poipet」、バッタンバン「Battambang」、プルサット「Pursat」コンポンチュナン「Kampong Chnang」のトンレサップ湖をぐるっと回った地域。

カンボジアに入って目につくのは、積極的な日本のODA活動。
日の丸の付いた学校、施設が目につくのは、日本人として嬉しくもあり誇らしくもある。

トンレサップ川に掛かるフレンドシップ橋を渡り、コンポントムへ。

同行した現地スタッフは元UNTACで働いた経験のあるチャンという名の35歳の青年。
道程では路端で売っている蓮の実を食べたりして終始打ち解けた時間を過ごすが、彼にも従兄弟、叔父達をポルポトの虐殺で亡くしたという辛い過去がある。彼自身もジャングルを逃げ回りマラリアを患いながらも一命を取り留めたという。
年寄りが目立たず、二十歳そこそこの若者が多く目立つカンボジアの現実がそこにある。
チャンと食べた蓮の実の味が懐かしい。


カンボジアの高校生の足はバイク。下校時には日本の高校と変わらない賑わいがある。


一方、タイ国境の町ポイペットでは国境にカジノがある風景と2重底の荷押し車が行きかう風景がある。


コンポントムはUNTACボランティアの中田厚仁さんが志半ばにして殺害された地。
彼の名前を多くのカンボジア人が知っている。彼の名をつけた学校もある。ローカルレストランのウエイトレスに聞いても、ジャパニーズのアツと言う答えが返ってきた。
25歳で生涯を閉じた彼の残した言葉にはいつも心をうたれている。

だけれども僕はやる。この世の中に誰かがやらなければならない事がある時、僕は、その誰かになりたい。」

Webには彼に関する記載がいくつも残されている。ぜひ一度御覧になることを薦めたい。
カンボジアでは、UNTAC活動中に、警察官の高田晴行さんも尊い命を落としている。
両名の御冥福を心よりお祈りしたい。

郷愁に浸る中でもアンコールワットの夜景は壮言な美しさを見せていた。


クメールルージュを台頭させたカンボジア混乱の歴史を紐解くと、ベトナム戦争の影がある。
ベトナムへの援助を断ち切る為、USが後押し打ち立てたロン・ノル政権は、シアヌークと共に中国から戻ったポルポトとの内戦に終始したが、ベトナム戦争終結と共に中国に後押しされたクメールルージュが実権を掌握する事になる。
ここに、極端な原始共産思想に基づく都市部からの知識人の移送と反乱を恐れる事による大虐殺が行われた。
最終的には、中ソ対立からソ連と親密だったベトナムがカンボジアとの国境紛争の中から介入し、中越戦争を経てポルポトの率いるクメールルージュを一掃したが、その後、ドイモイ路線により旧退化した社会主義からの脱却を図ったベトナムがカンボジアから撤兵し、UNTACによる平和維持活動が開始され、現在に至る大国の思惑により混迷した歴史がある。
しかし、皮肉な事に結果的にクメールルージュからの開放を行ったベトナムを、多くのカンボジア人は嫌っているのも事実で、その背景には領土問題やフランス植民地時代にフランス人がベトナム人を使ってカンボジアを統治した事による反感が今もって根強いようだ。

先に述べたように、カンボジアでは日本のODA活動が目につくし、日本人に対する感情も非常に良い。しかし、日本企業の進出は政府に比べて大きく目立ったものではなく、中国、韓国の企業の進出が目立っている。
プノンペン近郊には経済特区の工業団地も建設されつつあり、訪れる毎に変化を感じ取る事が出来る。

一方、インフラ整備も充実されつつあるが、シエムリアップからシソポンに続く道はODA援助での道路整備が続く砂埃渦巻く悪路。郊外はかなりの悪路が続く。
また、舗装された道路には速度制限らしきものは無く、100km/hを超える猛スピードで車が行き来する。しかし、道路の住み分けは無く、夜間は自転車に乗った学校帰りの子供達が、この道を往来している。
皮肉にも援助で作られる道路整備による車の高速化から交通事故が相次いでいるのも事実だ。
せめて子供達の自転車に反射板をつける援助を行ってあげたいと考えている。

トンレサップ湖の夕暮れには哀愁を感じた。


光と影が交錯するカンボジア。子供達の未来に輝きがあることを切に願いたい。


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