感情の足跡:蒼 勇気

自分の存在の中で一番大切なことを見失ったとき、人は何を想い、何に基づいて決断していくのでしょうか。。。。

存在

2006年10月15日 19時39分21秒 | Weblog
君にとって私の存在はなんなのだろう。
親子である事実は一生消えることはない。
書類だけがつないでいる親子?
数ヶ月に一度の電話でしかつながりのない親子?

私は、どんな時だって君を考えないことはない。
遊んでるときだって、
仕事しているときだって、
いつも。

目の前で起こる事象にいつも君を当てはめてみて、
君ならああするだろう。
君ならこうしたかもしれない。
君がここにいたならこうなっているだろう。
って。
いつも。
いつも。。。。考えてる。

考え、想うことが届かなくてもいい。
愛するということに見返りを求めてはいけない。
男女でも。親子でも。
見返りを求めれば、やがて怒りに、怒りは憎しみに。。
変わってしまうから。
だから
片想いでもいいんだ。

君が育ち、自分で目の前のことを判断できるようになったとき。
君は、きっと事実を知り、私を恨むのであろう。
どんなに恨まれても、私は君を愛するだろう。

私の意思の固さは、君のお母さんがよく知っているから。
君のお母さんは、私のことを世界で誰よりも知っているから。
時間のある限り、話をして欲しい。

贖罪

2006年10月08日 15時56分59秒 | Weblog
悩んで、悩みぬいて、考え、考え抜いて。
人は何を悟れるのだろうか。
悟りは誰への償いにすらならないことはわかっている。

すっかり冬の気配に包まれ、明け方のため息は白くなる。

自分のすべてを否定してみても、何もできない自分。

どこにたどり着きたいのかも見えないまま、時間だけが過ぎていく。

もう、答えなんて見つからないのかもしれない。

この命が尽きるまで、考え続けて見せよう。