巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

天賦の才か努力か?米国の場合

2005-06-17 17:42:31 | 映画・小説etc.
ここ2~3ヶ月、話の流れ上の必然で、「米国は生まれながらの才能の不平等を認め、また生まれつきの才能を重視する社会である」と言ったことが何回かあった。いずれも、日日の努力やたゆまぬ精進が必要な場所で発言したことなので、言葉にしてしまったあとで「まずいことを言ったかも」と感じたものだ。

しかしこれは事実だ。米国人の多くが、生まれながらにして才能の不平等があると強く信じている。その理由は、彼等が「神」の存在を信じていることと関係がある。

生まれつき才能がある人間に対する人間に対して、英語では "gifted" という形容詞がある。"gift"とは、ご存知のとおり「贈り物」のことだが、天分に恵まれた人間に与えられる "gifted" という形容詞は、「神様からの贈り物(である才能)をもらった」という意味だ。

神様は数多の人間の中から、一部の選んだ者だけに才能を与える。才能を与えられた人間は、その才能を有効に使うべきだし、社会もその人間の才能を生かせるようにすべきだ。そうすることが神の意思にかなうことだから。

??そのようなわけで、米国ではGATE (Gifted and Talented Education) Programという英才児教育が盛んだ。"gifted" は主に知能面の才能を持つ者に、"talented" は芸術面の才能を持つ者に使われる形容詞だが、要は才能を持つものをなるべく早期に見つけて、特別な教育をさせようというわけだ。

米国では「ただならぬ才能を持っているのに、並みの子供と一緒に教育を受けてさせていたら、それは社会にとっても本人にとっても不幸なこと」と、考える人が多いらしい。だから米国では公立学校などに通っていても、「もしかして才能があるかも」と感じた先生からの連絡で、半ば義務的に英才児向けの学校に転校させられたり、こういう子供たちだけを集めた特別な授業を受けさせられたりするようだ。

ではこういう米国型の社会において、「努力はしているが、あまり才能はない」という場合にはどうなるのだろうか。

答えのひとつが、「フェーム」("Fame" 1980)という4年制のニューヨーク市立舞台芸術高校を舞台にしたミュージカル映画の中に出てくる。演劇・音楽・ダンスなどの舞台芸術の分野のプロになるべく、普通の高校の学習科目に加えて専門科目の授業で技術を磨く、8人の生徒の4年間を中心に描いた、アラン・パーカー(Alan Parker)監督の作品だ。この映画は後にテレビシリーズにもなり、また劇場ミュージカルにもなった。

映画のなかで、厳しい入学試験(実技)を通り抜けてきた新入生に、演劇科の教師は言う。

才能があれば大丈夫だとは思うな。強力なテクニックと良いエージェント、そして何よりも、厚い面の皮が必要だ。


つまり「才能を持っている」ことが、入学の大前提になっている。

そして時には入学した後で、才能がないことが明らかになることもある。こんなときに、生徒自身に才能がないことを自覚させ、生徒がめざしていた道を諦めさせるのも教師たちの仕事だ。

この映画のあるシーンで、リサという2年生のダンス科の生徒が、ダンス教師から最後通牒を突きつけられるシーンがある。リサは4歳からダンスを習っており、ダンサーになることは彼女の子供のころからの夢だった。しかし芸術学校に入学後の彼女は、レッスンについていけなくなってきていた。

教師はリサに向かって、「あなたを入学させたのは、こちらのミスだった」と言う。それでもなおも「もっと稽古をして、もっと上手くなるから」「トップダンサーになりたいわけではない。踊りたいだけ」と、すがるリサに教師は続ける。

「もっと上手くなる」では、ダメなの。あなたは満足なレベルには行けないでしょう。あなたには才能がない。聞きたくないことでしょうし、言うほうだって辛いことだけれど、でも本当のことよ。


教師から高校2年の女の子に突きつけられる、「貴女には才能がないので、これ以上はやっても無駄」の厳しい言葉。それが「本人のため」なのだ。

では、日本はどうだろう。

日本では、こつこつとがんばる人間が評価される。日本人のプロセス志向とは、言い換えれば「努力」を評価するものだ。この「努力が重要である」というのは、見方を変えれば「人間がもともと持っているものは、似たようなもの」という前提があるのではないだろうか。

「好きこそものの上手なれ」という言葉があるのも、「一生懸命勉強すれば、良い学校に入れる」と信じて、親が子供の学習にかなりの金をかけるのも、「努力が大切」だと思っているからであろう。「誰にも負けないものをひとつ持て」というのも、ジャンルをせまく絞り込んで大層な努力をすれば、「誰よりも秀でる分野ができるはずだ」という考え方からだろう。が、世の中そんなに甘いものじゃあないだろ…と、アマノジャクなわたしはうがってしまうのである。

もちろん努力は必要だ。が、ときには、普通の人がなかなかできないような難しい物事を簡単にこなしてしまうような「平均値」を超えた人間がいることも、きちんと認めるべきだろう。こういう人間は「努力が重要である」という日本人の前提を脅かすので、組織内では結構嫌がられるのだが、それはその人の責任ではない。

というわけで、最後は「フェーム」の紹介を。

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この作品を見た人がよくびっくりするのは、TVドラマ「ER」の憎まれ役、ロマノ先生の役をやっているポール・マクレーン(Paul McCrane)が、この作品では演劇科に入学する内気なゲイの生徒を演じていることだ。しかも髪の毛はフサフサで、自作の歌をギターで弾き語りするという、多芸ぶりを発揮している。(しかし良く見ると、若いのに額にかなりの天然の剃り込みが入っている。)

ちなみに舞台芸術の高校で一般教養科目(普通高校でやるような科目)もきちんと学ぶのは、もし舞台芸術の職業に就けなかった場合に、専門科目しかやってこなかったという状態では、とても悲惨なことになるからだ。そう、最低限の「保険」はかけておかないと、ね。


2 Comments

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これを読んで、私が愛読している漫画「ドラゴン桜... (josh)
2005-06-17 20:35:34
これを読んで、私が愛読している漫画「ドラゴン桜」はとても日本的なのだろうなと感じました。すごく簡単にいうと勉強のできない人に勉強をさせて東大を目指す話(ちょっと説明が適当かも)今週のモーニングに掲載された最新の話では「あたまがからっぽだから東大にいける可能性がある」とかいう発言まで登場しました。
私は努力したら、努力しないけど才能ある人を凡人が上回ると勝手に思ってます(爆)。
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わたしも「モーニング」を読んでいますので、当然... (ふくしまゆみ)
2005-06-18 21:14:16
わたしも「モーニング」を読んでいますので、当然「ドラゴン桜」も読んでいます。あれは面白いですね。今度ドラマ化されるとかで、それも楽しみにしています。(みる時間があるかはわかりませんが。)
そのついでに「ヤングジャンプ」を手に取り、「夜王」も読んでいたりします。
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