goo blog サービス終了のお知らせ 

巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

取材する側の真実、取材される側の真実

2005-01-25 22:27:58 | 日記・エッセイ・コラム
個人や組織が、ある日マスコミの取材の依頼を受ける。相手はTV局とか新聞社だ。「自分たちがマスコミに載るかもしれない!」受けた側は一生懸命対応する。これだけ真摯に対応し、こちらの主張も繰り返し伝えたのだから、こちらの主張や「あるがままの姿」がきちんと反映されているだろうと思う。

ところが、その成果であるテレビ番組や新聞・雑誌の報道などを見て、愕然とする。

「こんなこと、言った覚えはない!」
「これじゃあ、当社が金の亡者みたいだ!」

ありがちな話である。

むかしむかし、わたしが会社勤めをはじめて2年目に、当時わたしが働いていた不動産会社が、NHKの取材の依頼を受けた。「主婦を企業の戦力として活用した成功例」として、わたしたちの部署が統括する女性営業職グループを取材し、首都圏のみに流される特集番組で紹介したいというものだった。

わたしたちの部署は、NHKの取材班と熱心に打ち合わせをした。色々とスケジュール調整をして取材の便宜をはかり、取材班とひんぱんにコミュニケーションをとった。でき上がった番組は、「主婦が主婦であることの感性を活かしてマンションを販売し、それが成功している企業がある」という趣旨の特集だった。わたしたちは喜んだ。「これで、彼女たちの働きが一般にも認められる。」と。

数ヵ月後、この番組のためにNHKが取材した社内の映像を、わたしたちもう一度見ることになった。しかも、とんでもない形で、だ。

会社が、世間を騒がす株がらみのスキャンダルを起こしてしまった。そのニュースに、「主婦を戦力として活用した成功例」の取材で撮影され、会社の積極的な人材活用を証明していた映像がふたたび、くり返し使われた。同じ影像に、異なるナレーションがつけられた。女性を積極的に活用する企業風土を証明していた映像は、ナレーションによって「この会社の企業文化の異常性を証明する映像」となり、映像であるだけにかなりのインパクトと説得力とを持って、この会社の「異常性」を視聴者にアピールしたのである。

数年前、再就職支援会社に勤めていたが、この会社ではマスコミからの取材依頼をひんぱんに受けた。当時、再就職支援業というのは日本人の多くにとっては新しいもので、このような業種が成り立つようになったこと自体、終身雇用の終焉を象徴するショッキングな出来事だったからだ。

「失業した人たちの傷ついた心のケアをし、現実を教えてこれまでの終身雇用や大企業への精神的依存から抜けきれぬ元従業員のマインドセットを変え、再就職のお手伝いをする存在」
「個人にも企業にも、そして社会全体にも役に立つ産業」

これが、わたしたちが取材を受けるに当たって、常にアピールしたかったことだった。が、マスコミの見方は少しばかり違っていた。

「終身雇用の終わりをビジネスチャンスにする必要悪的産業」
「終身雇用の崩壊を促進する業界」
「失業率が高くなれば高くなるほど儲ける業種」

ある日、日経新聞の取材に対して当時の社長が、再就職支援業の意義と業界の見通しを答えた。ところができ上がった記事には、

「失業率はまだまだ上がりそうです。」と、○○社長は笑みを浮かべる。


などと、まるで失業者が増えることを喜びほくそえんでいるかのように書かれてしまった。実際は○○社長は内気な性格ゆえ、知らない人と話すと緊張して意味不明の微笑み浮かべてしまう人だったのだが…

こんなことを書かれるので、わたしたちは取材には過敏になった。が、同時に取材される側の強いエゴがあった。わたしたちは「社会に役立つ産業として認められたい」「同業他社よりも素晴らしい企業だということを示したい」と思うあまり、実際以上によく見せようとし、その手段としてマスコミを利用したかった。マスコミの取材を受けるたびに「失業者の再就職をお手伝いする姿」を強調し、この産業のもひとつの一面である「企業の雇用調整を手伝う姿」を、極力見せまいとしていた。

また取材依頼を受けるたびに、職場では個人のエゴが極力発揮された。自分を売り込みたいばかりに、最初にマスコミに応対した人の持ち物を勝手に開けて名刺を探し出し、名刺の電話番号に電話をかけて自分を売り込みぜひTVカメラにおさめてくれるように頼み、自分ではなく他の人間がマスコミから指名を受けたことに怒って、製作会社に電話をかけて抗議したりするような事件も、実際に起こった。こんなときに頼んでもいないのに、製作会社からインタビューをお願いされた人は不幸だった。インタビューされたくても要請されなかった人の恨みを買ってしまったからだ。そしてこんな取材を受ける側のゴタゴタを、取材するTV会社は敏感に感じ取った。

こんな状態であるから、マスコミとしても、取材対象がマスコミにみせる姿や主張を、「それが真実である」とおいそれと信じるわけにはいかないのだろう。取材される側には、「見てほしい自分」がいる。ときには「その見てほしい自分」を真実だと思いこんでいる。しかし残念ながらそれは、取材される側独自の色メガネからみた真実でしかない。

したがって取材する側としては、現場における取材対象の主張の如何にかかわらず、事前に下調べした知識から「たぶんこういう状態であろう」とつくったシナリオをつくって、そのシナリオにふさわしい映像を探していくことになるのだろう。しかしこれも、マスコミの色メガネでみた真実でしかない。

では、唯一無二の絶対的な真実とは? それはおそらく存在しない。あるできごとをみるために、わたしたちにはなんらかの色メガネが必要だからだ。しかし色メガネの色は人よって違う。だから真実の数も無数にある。どれも真実だし、どれも真実でないといえる。

ちなみに、最初の例でとりあげた「主婦が主婦であることの感性を活かしてマンションを販売し、それが成功している」という趣旨の特集の番組の影響は絶大だった。それから数ヶ月、企業が株にかかわるスキャンダルを起こすまで、様々な企業の人事担当者が、「女性活用のノウハウを聞かせてほしい」と訪ねてきたのだ。しかし訪問してくる企業が抱く、わたしたちの会社の女性の人材活用に対するイメージは、非現実的なレベルにまで高まっていた。

「どうやらあの番組のせいで、当社は実際以上に女性を活用して成功している会社として、過大評価をされているようです!」わたしたちは別の意味で、マスコミの影響力の強さにぞっとしたものである。