売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

『幻影2 荒原の墓標』第36回

2014-09-20 14:30:13 | 小説
 最近は日没が早くなり、いよいよ秋だな、という感じになりました。日中はまだ暑いのですが、朝晩はめっきり涼しくなりました。
 私も1日の気温の較差が大きいせいか、風邪を引いてしまい、時々咳が出ます。
 季節の変わり目は体調を崩しやすいので、気をつけなければと思います。

 今回『幻影2 荒原の墓標』はいよいよクライマックスです。


            7

 事件はこれですべて終わった。誰もがそう思った。しかしそうではなかった。真の恐怖はこれから始まろうとしていた。
 鳥居は捜査本部の倉田警部に、パトカーの警察電話で、武内の身柄を拘束したと連絡をした。
「それじゃあ、行こまいか」
 鳥居が覆面パトカーのドアを開け、武内に乗るように促した。鳥居は帰りに北勢署に挨拶に寄るつもりだ。捜査本部の倉田と柳が北勢署まで迎えに来ることになっている。
 そのとき、千尋が 「美奈さん、気をつけてください。邪悪な霊が近づいています。それも三体も」 と警告をした。
 千尋の警告を受け、美奈は三浦たちに、 「邪悪な霊が近づいているそうです。注意してください」 と大声で伝えた。
 すると、今までおとなしくしていた武内が、急に暴れ出し、鳥居を突き飛ばした。鳥居は不意を突かれ、転倒した。
 武内は裕子を後ろからがっちりとつかまえ、のど元にポケットから取り出したシャープペンシルの先端を当てた。三浦は武内に飛びかかろうとした。
「おとなしくしろ、シャーペンとはいえ、こいつの喉を突き破るのはたやすいことだ」
 武内は三浦を牽制した。
「何するの? やめて、お兄さん」
「俺は秋田ではない。佐藤だ。そして、大岩、山下もここにいる」
「何だと? 佐藤、大岩、山下だと?」
 立ち上がった鳥居が、三人の名前を聞いて、叫んだ。
「そうだ。秋田に殺された佐藤だ。怨霊に殺され、俺たちは死んでも死にきれず、この世に戻ってきた。秋田は死んでいて、もう殺すことができないので、代わりにこの娘をなぶり殺しにしてやる」
 美奈には、武内の身体から追い出された秋田の霊が、 「よせ、ゆうを放せ」 と武内に飛びかかるのが見えた。しかし、山下、大岩と思われる二体の霊に、はじき飛ばされた。そして強力な怨念の念力により、動けなくされてしまった。千尋も金縛りにされてしまったようだ。
「おい、女、きさまが持っている車のキーをよこせ」
 武内が美奈に迫った。裕子を人質に取られているので、やむなく美奈はパッソの電子カードキーを手渡した。
 武内はパッソに裕子とともに乗り込んだ。そして美奈も後ろに乗るように命令した。武内はパッソを発進した。パッソは国道を東の方向に進んだ。三浦と鳥居は覆面パトカーで後を追った。北村を危険に巻き込むといけないので、北村の了承を得た上で、その場に残してきた。北村は登山のベテランなので、その場に残しても、特に問題はないと思われた。
「この道は以前、御池岳からの下山のときに歩いたことがあるから、わかります。西藤原まで、僕の足なら一時間もかからずに歩けますから、暗くなるまでに、駅に着けますよ。三岐鉄道の電車で帰ります」
 北村は三浦たちを安心させた。天気は安定しており、夕立の恐れもなさそうだった。

「いいか、妙な真似しやがったら、車ごと大事故を起こしてやる。それでも秋田の妹を殺すという目的は達成できるんでな。武内がどうなろうと、俺たちの知ったことじゃねえ。これは脅しじゃない。俺たちは霊体なので、事故に遭おうと、関係ないからな」
 佐藤に操られている武内が、運転しながら後ろの席にいる美奈に釘を刺した。
 鳥居は警察電話で、女性二人が人質として武内に連れ去られ、パッソで逃走中、ということを捜査本部に連絡した。倉田は北勢署に連絡し、すぐに手配してもらうと返答した。
「くそ! 殺された佐藤、大岩、山下の霊だと!? いったいどうなっとるんだ。こんな幽霊だらけの事件なんか、俺の三〇年の刑事生活で、初めてだがや」
 鳥居はかなり困惑していた。これは現実なのか? 武内か秋田が芝居しているのではないのか? 三〇年の刑事生活とはいっても、鳥居は数年間交通機動隊で暴走族などの取り締まりをしていた。
 パッソは非力なコンパクトカーとは思えないほどの猛スピードを出した。三浦は覆面パトカーに赤色灯を付け、サイレンを鳴らしてパッソを追った。しかし、特別仕様のスカイラインをベースとしたパトカーでも、パッソに追いつけない。目いっぱい飛ばせば追いつけないことはないが、一般道でそんな危険な行為はできなかった。
「おい、トシ、おみゃーさんの彼女のパッソ、違法なエンジンチューンしたるんじゃないだろうな?」
 パッソのあまりのスピードに驚いた鳥居が三浦に尋ねた。
「いや、そんなことはありえませんよ。ひょっとしたら、霊の超能力のようなものかもしれませんね」
 美奈は交通の流れを妨げない程度のスピードは出しても、決して無茶な運転をしない。そのことをよく知っている三浦は、美奈が車をチューンアップしているはずがないと思った。
 美奈もパッソが一般道で一五〇キロ近いスピードを出していることに驚いた。そんなスピードがそう簡単に出るはずがない。しかもエンジン音はそれほどうるさくなかった。無理なスピードを出そうとすれば、エンジンがうなるような音を出すはずだ。これはひょっとしたら、霊たちの念力のようなものの作用なのだろうかと考えた。美奈はパッソの守護霊となっている多恵子に、どうか私たちをお守りください、と祈った。
 武内は非常線が張られていることを予見し、捕まる前に藤原岳登山口でもある聖宝寺(しようほうじ)の近くにパッソを停めた。そして、二人に 「出ろ」 と命じた。武内は二人を藤原岳登山道に連れて行った。美奈は 「今しょうほうじ」 と、素早く三浦に今いる場所をメールした。漢字変換する余裕がなかった。
「どこに行くんです?」 と美奈が訊いた。もう暗くなりつつある。ヘッドランプもない状態で登山道を行くのは無謀だ。
「これからおまえたちの死に場所に向かう。秋田が好きな鈴鹿の山をおまえたちの墓場にしてやろう。これもせめてもの思いやりだと思え」
 武内はそう言いながらほくそ笑んだ。裕子ががっちりとらえられ、のど元に鋭いシャープペンシルの先端を突きつけられているので、美奈は何もできなかった。三浦たちも追いかけてきてくれるとはいえ、相手が怨念霊だけに、状況は最悪だと思った。千尋でさえ、三体の悪霊が相手では、歯が立たないようだ。
「美奈さん、ごめんなさい。私たち兄妹(きようだい)の問題なのに、美奈さんまで巻き込んでしまって」
 裕子は泣きながら美奈に詫びた。
「何言ってるのよ。気にしないで。私たち、親友でしょう。それにまだ希望を失ってはいけないわ。頑張るのよ」
 美奈は強い口調で裕子を励ました。
 武内はどんどん登山道を先に進んでいく。薄暗くなり、視力が弱い美奈は足下がよく見えない。ときどき石や木の根などに躓き、バランスを崩した。もう遅い時間なので、登山者には出会わなかった。
 途中で長命水という小さな滝があった。登山者の多くがここで飲み水を補給する。
「裕子さん、ここで少し水を飲んでおいたほうがいいですよ。まさかこんなことになるとは思わなかったので、飲み水を用意していなかったから。この先、もう水はないの」
 美奈は裕子に勧めた。
「何をやっている。早くしろ」
 武内は二人を急かした。
「あなたも水を飲んでおいたほうがいいわ。武内さんは生身の人間ですからね。肉体の方が脱水状態になれば、あなたも困るでしょう」
 美奈は武内に憑依している、佐藤の霊に言い聞かせた。
 実際は武内の身体(からだ)が脱水状態で動けなくなるほうが好都合なのだが、美奈としては、事件に無関係の武内を危険にさらすことをしたくなかった。
「暗くなっているから、足元に気をつけて。岩が滑るといけないから」
 美奈は両手で掬って水を飲むとき、裕子に注意した。
「冷たくておいしい」
 裕子はちょうど喉が渇いていたので、おいしそうに水を飲んだ。美奈も続いて飲んだ。武内もやむなく水分を補給した。武内が水を飲んでいる隙に、美奈は素早く三浦に携帯電話で、 「今藤原岳登山道で、長命水のところです。山に向かいます」 とメールを打った。
 三浦と鳥居は聖宝寺の近くに美奈のパッソが停めてあるのを見つけた。美奈からメールを受けた三浦は、捜査本部に 「武内は聖宝寺から藤原岳に向かう模様」 と連絡し、そのあとを追った。
 北勢署の応援が四人やってきて、三浦たちと合流した。鳥居は手際よく状況を説明した。ただ、悪霊のことを話せば、混乱を招きそうなので、そのことは敢えて省略した。武内は犯行を自白し、出頭するつもりであったのが、拘束直前になり、人質を取って逃走したことにした。二人の人質については、逃亡生活に疲れた武内が、たまたま出会ったその二人の女性に説得され、出頭を決意したのだが、拘束直前になって、翻意したと説明した。真相は武内を拘束し、二人の人質を保護した後に、改めて説明すればいい。
「加茂署の事件の容疑者、武内雅俊が、女性二名を人質に取り、藤原岳の登山道を登っていったということですね」
 北勢署の刑事、坂部が要約して反芻した。
「もう暗くなってきましたが、今日は満月です。武内は月明かりで行動するかもしれません。我々も少しずつ進みましょう。ただ、ライトをつければ、武内に我々の行動がわかってしまい、刺激するといけないので、月明かりで慎重に行動しましょう」
 三浦が提案をした。今夜はちょうど満月でほんのりと明るい。

 佐藤に意識を乗っ取られた武内は、わずかな月明かりを頼りに、登山道を進んだ。いくら霊が憑依していても、佐藤も大岩も山下も、登山の経験がなく、武内の肉体はあまり速くは歩けなかった。それに裕子もいる。
 乱暴者の佐藤は、 「どうせ殺すのなら、早いところやってしまおう」 と意見したが、大岩が 「明るくなってから、山の上で刑事たちに惨劇を見せてやろう」 と反論した。
「刑事の一人はこの美奈とかいう女の恋人のようだから、そいつの目の前で崖から突き落としてやるのもおもしろい」 と大岩は提案した。山下もそれに賛成した。
 美奈は悪霊たちが相談している声を聞くことができた。千尋が守護霊となり、いつの間にかこんな能力が身についたのかしらと美奈は考えた。ただ、常時霊が見えたりするわけではなく、必要に応じて霊の存在を感じられるようだ。やはりいくら寺の娘でも、常時霊が見えるのでは、たまらない。
 とりあえず明るくなるまでは大丈夫だ。その間に何とかできるのではないか。きっと千尋さんも手を貸してくれる。美奈はそう前向きに考えることにした。怯える裕子には、 「絶対大丈夫だから、心配しないで。私には守護霊の千尋さんがついているのだから。それにお兄さんも護ってくれますよ」 と勇気づけた。
「そうですね。きっと兄が護ってくれますよね」
 裕子も兄が護ってくれると信じることにして、笑顔を見せた。作り笑いではあったが、笑顔を作ることにより、気分が少し楽になった。
「お兄さん、どうかゆうを護ってください」
裕子は心の中で兄に祈った。
 美奈は裕子を連れて逃げようかとも思ったが、相手は怨念霊だ。美奈一人ならまだしも、裕子を連れてでは、とても逃げ切れない。捕まった場合、どんな仕打ちをされるかわからないので、焦ってうかつな行動はしないほうがいいと考え直し、チャンスを待つことにした。
 三人は月明かりを頼りに、少しずつ登山道を進んでいった。満月といっても、杉の樹林が覆う登山道では、月明かりはわずかしか地面に届かない。登山経験が豊富な美奈も、ヘッドランプなしで夜の登山道を歩くのは、初めての体験だった。日の出前のまだ真っ暗なうちから行動したことは何度もあるが、そのときはヘッドランプを使用していた。相手は肉体を持っていない霊体なので、遭難などを懸念することはなかった。憑依している武内の肉体がたとえどうなろうと、どうでもよかった。自殺志願者以上に無謀だった。
 明るいときなら、美奈は聖宝寺から藤原岳の山荘まで、二時間ほどで登ってしまう。しかしこのときは、暗くて十分道が見えないので、何倍もの時間がかかった。靴もトレッキングシューズではなく、一般のスニーカーだ。それに、昼食を食べてから、軽くスナック菓子をつまんだだけなので、空腹だった。登山に慣れていない裕子は、美奈以上に疲労がたまっている。まだ九月上旬で、寒さがないことだけはよかった。登山道を外さないよう十分注意し、ときどき武内に、そちらじゃありません、と指摘した。

 美奈たちはのろのろと登山道を進んでいった。裕子が辛そうなので、美奈はときどき休憩を要請した。最初のうちは要請に応じた武内も、 「いい加減にしろ。どうせおまえたちは死ぬんだから、休憩など必要ない。とっとと歩け。俺たちにとっては、おまえらがのたれ死にしても、いっこうにかまわないんだ」と命じた。
「あなたは平気でも、武内さんの肉体の方が辛そうですよ。武内さんが歩けなくなったら、あなたたち霊だって困るでしょう。まあ、そうなれば私は裕子さんを負ぶって逃げますから、そのほうがかえって好都合ですが」
 美奈は空腹で、とても裕子を背負って逃げる体力などなかったが、はったりをかけた。武内に憑依している佐藤は、やむなく武内の肉体を休ませた。
 六時間以上かけて藤原山荘に着いたころには、裕子は精も根も尽き果てていた。携帯電話の時刻表示を見ると、すでに日付が変わっていた。三浦から 「すぐ後ろを追っているから、がんばれ」 とメールが届いていた。霊たちを刺激しないよう、着信音はオフにしてある。美奈はこっそりと、 「今藤原山荘に着きました」 とメールを送った。
 美奈も空腹で歩くのが精一杯だった。何か口に入れたかった。こんな状態で、しかも夜間の暗い中、無謀な登山をして、よく無事にここまで来られたと思った。暗い道を歩いたため、何度も転倒し、美奈も裕子も傷だらけ、泥だらけだ。長命水の水場以来、水も口にしていない。石灰岩でできている藤原岳は、水が乏しかった。これが普通の登山なら、どんなに楽しいことだろう。できるものなら、小屋の中で少し休みたかった。藤原山荘は無人の避難小屋とはいえ、大きく立派な山荘だ。
 屈強な武内の肉体ももう疲労困憊なのか、思うように動かないようだった。佐藤は 「くそ、人間の身体は不便だ」 と悪態をついた。不便だといいながら、未浄化な霊たちは、また人間の肉体に戻ることを切望している。死によって肉体を失った霊は、人間界に帰りたくてたまらないのだ。だから霊波というか、波長が合う人間を見つけると、すぐさま憑依しようとする。かつての千尋も、霊界の暗闇の中で美奈を見いだして、美奈にすがったのだった。
「しょうがない。朝までこの小屋で休むとするか。だが、逃げようとするなよ。こいつの肉体は眠っても、俺たちは起きているからな。逃げようとすれば、すぐさまおまえたちを殺す」
 武内を操っている佐藤の霊が美奈と裕子に告げた。そう言って、武内はごろりと横になった。
 美奈と裕子はとりあえず体力を回復させるため、壁際のベンチの上に横になった。窓から月の光が差し込み、小屋の中はおぼろげに見えた。空腹と喉の渇きでなかなか寝付けなかった。山荘の標高は一〇〇〇メートルを超えているので、夜はさすがに冷えてきた。美奈と裕子は身体を寄せ合った。

 そのころ、三浦たちはもう藤原山荘の近くまで来ていた。先ほど美奈から、武内は山荘で寝ているとメールが届いた。
 六人の刑事はそっと山荘に近寄った。窓から覗くと、月明かりで、誰かが横になっているのが見えた。体つきが大きいので、武内と思われた。
 三浦が軽く窓ガラスをとんとんと叩くと、美奈がその音に気づいた。窓の外を見ると、三浦が立っていた。三浦の姿を見て、美奈は目に涙があふれた。美奈はうとうとしていた裕子を起こし、 「警察の人が来てくれたわ。さあ、逃げるのよ」 と小声で言った。
 すると今まで眠っていた武内が起き上がった。
「逃げても無駄だと言っただろう。俺たちにはすべてお見通しだ。外にデカどもがいることもな。幸い今夜は月夜で明るい。月の下で、派手に殺人ショーだ。おまえの兄貴にも、おまえの身体を切り刻むところをたっぷり見せてやる」
 武内は登山ナイフを振りかざした。登山者が忘れていったナイフのようだった。少し眠ったため、肉体の疲労は回復していた。武内は裕子に躍りかかった。裕子は恐怖で立ちすくんだ。そのとき、美奈は渾身の力を込めて、武内に頭から体当たりをした。美奈の不意打ちに、武内はもんどり打って倒れた。
「やりやがったな、このアマ!」
 武内はすぐに立ち上がった。美奈はさっきの体当たりの際、左の前腕部にナイフで軽い切り傷を負った。パープルのメガネもぶつかった衝撃で、どこかに落としてしまった。
 六人の刑事が一斉に小屋の中に飛び込み、武内を取り押さえようとした。だが、六人すべてが弾き飛ばされてしまった。三浦も鳥居も、山荘の壁に身体を打ちつけた。
「三浦さん!」
 美奈は悲鳴をあげた。
「何だ、こいつは。まだ武内に触れてもいないのに、どうなっとるんだ?」
 鳥居が訳がわからん、と呟いた。
「無駄無駄無駄。てめえらは俺の身体に指一本触れることはできん。これから恐怖の殺人ショーをおまえたちにも見せてやる」
 武内は怯える裕子を小屋の外に引きずり出した。外は満月で、かなり明るかった。小屋のあたりは樹木が少なく、満月の光がふんだんに注いでいた。美奈と刑事たちも武内を追って、山荘の外に出た。
「やめて、お願い。助けて、武内さん。あなたはそれほど悪い人ではないはずよ」
 裕子は悲痛な思いで、武内の心に呼びかけた。
「何度も言っとるだろう。俺は武内ではない。俺はおまえの兄貴に殺された佐藤だ。そして大岩と山下もここにいる。俺たちもおまえと同じように命乞いをしたが、聞き入れられずに殺された。俺たちはおまえの兄貴がしたことと同じことを、おまえにしてやる」
 怨念霊たちは、自分たちが秋田にしたことを忘れ、勝手な主張をした。
 それを聞いていた、事実を知らない北勢署の刑事たちが、不審に思った。武内の真後ろにいた北勢署の坂部が飛びかかった。しかし、武内に触れることもできず、弾き飛ばされた。坂部は吹き飛ばされて背中を強打し、激痛で動けなくなった。他の刑事も何とか武内を止めようとしたが、金縛りにあったかのように、身体の自由がきかなかった。
「くそ、あいつめ、なんか超能力でも使いやがったのか?」
 柔道で鍛えた精神力で、金縛りを打ち破ろうとした鳥居だが、どうしても身体が動かなかった。
「すまない、美奈さん。この僕がいながら、何もできないとは」
 三浦も無念そうに美奈に詫びた。
「まず、このかわいい目玉をくり貫いてやろう」
 武内はナイフをかざして、裕子の目をめがけ、振り下ろした。
「いやー、助けて、お兄さん」
 裕子は兄に助けを求めた。美奈も千尋に祈った。
 ナイフが裕子の目を貫こうとする寸前、秋田宏明と千尋が、武内の背後にいる佐藤の霊に飛びかかるところが美奈には見えた。そして武内はすんでのところで、ナイフを手放した。裕子にも兄が助けてくれたのが見えた。いや、目を閉じていたので見えるはずもないが、心でその情景をはっきりととらえていた。
 千尋と宏明は、三体の怨念霊に挑みかかった。
「あなたたちはもう死んで肉体は消滅したのだから、いつまでも人間界の怨みを抱くことなく、一刻も早く自分が行くべき霊界に戻りなさい」
 千尋は説得を試みた。
「ふん、あんな恐ろしい地獄にまた戻る気はないね。きさまこそ、地獄に叩き落としてやる」
 三体の怨念霊は、邪悪な通力で千尋を縛り付けようとした。そこに宏明がなだれ込んだ。
 刑事たちを縛っていた金縛りが解けた。三浦と鳥居は、美奈と裕子を武内から引き離した。北勢署の刑事たちが武内を取り押さえようとしたが、武内を取り巻く異様な気配を感じ、動くことができなかった。
「今、千尋さんと裕子さんのお兄さんが三体の悪霊を封じようとしています。でも、やはり二対三で、形勢は不利のようです。このままでは千尋さんも危ないです」
 美奈は自分に見えている状況を三浦と鳥居に説明した。北勢署の刑事たちも、その話を聞いていたが、何のことか理解できなかった。美奈は何とかしたいとは思っても、手出しができなかった。ただ、祈るのみだった。
「なんということだ。守護霊と怨霊の戦いとは。俺はわけがわからんくなってきたがや」
 事態は鳥居の理解を超えていた。事情をある程度知っている鳥居ですらそんな状態だったので、北勢署の刑事たちは、何が起こっているのか、さっぱりわからず、困惑していた。ただ、目の前でとんでもないことが起きているのではないかということは、刑事たちの誰もが感じていた。裕子も美奈に指示されて、兄に頑張るよう、心の中で声援を送った。今できることは、祈ることしかない。
 しかし、どう見ても千尋には不利だった。
「あなたたち、霊としての今の境界を悟り、自らが向かうべき霊界に戻りなさい。そして反省し、少しでも高い霊界に向上できるように精進しなさい」
 千尋がいくら説得しても、怨念霊たちは聞く耳を持たなかった。
「いけない、このままでは千尋さんが危ない」
 そう感じた美奈は、パッソの守護霊となっている多恵子のことを思い出した。
「私の交通安全の守護霊であられる多恵子さん、お願いします。どうか千尋さんに力を貸してください」
 美奈は心を込めて多恵子に祈った。どうか多恵子さん、お願いします。
 すると、美奈の祈りが通じたのか、そこに新たな霊体が現れた。そして、千尋、宏明に加勢して、怨念霊たちを説得し始めた。ただ説得するだけではなく、千尋、多恵子は真っ白に光り輝く霊の波動を怨念霊たちに浴びせた。美奈にはその情景がありありと心に感じられた。白銀のまばゆい光のオーラがはっきりと見えた。今まで押され気味だった千尋だったが、多恵子の協力を得て、徐々に三体の怨念霊を押し始めた。
 千尋たちの白銀のオーラは、だんだんと強くなった。そして、逆に怨念霊たちの勢いが削がれていった。やがて怨念霊たちも輝く霊体となって、消滅した。
 終わった。美奈はそう思った。非常に長かったようで、またほんのわずかな時間だったようにも感じられた。
「終わりました。北村先生の作品で予告された、一連の事件は、すべて終わりました」
 美奈は三浦と鳥居に告げた。三浦と鳥居は美奈のその言葉で事件が終結したことを理解した。だが、北勢署の刑事たちは何が何だかわからないという状態だった。主犯の武内が気を失って倒れているので、事件が終わったということは理解できたのだが。
「お兄さん、どうなったのかしら」
 裕子が兄のことを懸念した。美奈には、怨念霊が消滅したあと、宏明の霊体も、千尋と多恵子の白銀に輝く霊的エネルギーをふんだんに浴び、まばゆい光となって消えていったのを見ることができた。
「お兄さんは大丈夫ですよ。輝く光となって、自分が行くべき霊界に向かいました。いつかきっと守護霊となって、裕子さんを護ってくれますよ」
 美奈は力強く裕子に告げた。そして、改めて千尋と多恵子に、心からお礼の言葉を贈った。