愉しい触れ合いを目指してゆとりの有る人生を歩みましょう

平凡な日常生活にまつわる拘り情報、写真、並びに体験談等を交えて皆さんとの交流を深めて参りたいと思います。

6年振りの日本想い出の旅を求めて:

2014-01-11 00:15:13 | 闘病・介護

8年間の闘病生活を経て

昨年2013年の10月に6年振りの日本旅行を決行しました。 家内が72歳で初めて初期の認知症状と診断されて以来8年経ちました。初期の診断から二年後になって圧水頭症の疑いが発覚されて脳の手術を施しましたが、既に手遅れとの事で回復の兆しは見受けられない侭、現在に至っております。 

2012年の8月には意識不明となり即時入院する事態となり9月に入って退院後は生命維持の安否に拠りホスピス介護管理施設に移され我が家で介護を続けて参りました。それ以来総ての服用していた飲み薬は直ちに中止された状態で週に二度の診察を受けて来ました。 体調は日増しに衰弱して朦朧とした日々を繰り返していました。 

所が2012年11月16日、金曜日の午後9時半頃から突然意外な嬉しい出来事が起こったのでした。 私達の親しい友人(女性)がラスベガスから訪問していた最終日の夜の事でした。 それまで長い間口もろくに利けなかった家内が何事も無かった様に突如として彼女に話し掛けて来て、驚いた私達は信じられない家内の話振りに次々に質問を投げ掛けて何時まで会話が続けられるのかと試して見たら何と1時間余り会話を続ける事が出来たのでした。 その時の信じられない嬉しさは生涯忘れられません。 その日以降の毎日はまるで目が覚めた様な別世界に暮らす楽しい日々を迎えました。

家内の容態が回復し始めたかの様に見えた様子を詳しく医師に説明した結果、医師にも不可解な結果に回答出来ませんでしたが、早速2013年の1月からリハビリを始めて見る事にしました。最初の数ヶ月は家内には厳しくて拒否していましたが、徐々に動作が機敏になり始め漸く歩行器具を利用して独りで歩行出来るまでに丈夫になったのです。

その頃から家内が漸く元気を取り戻した間に出来る事なら日本に居る身内に再会させて遣りたいと思う気持から日本旅行を決定したのです。 そして2013年7月18日に不意な事故を起こしたのでした。(ブログ 2013年12月27、29日参照)

9月月末まで一生懸命リハビリに専念して10月の季節を選んで30日間の日本旅行に踏み切ったのでした。 旅行には車椅子と歩行補助器具(Walker)を備えての旅仕度を整えて無事30日間の日程を完了させて元気にハワイの我が家に帰宅しました。 

異変が発生

10月31日に無事ホノルルの我が家に戻り30日間の終えた日本の長旅の疲れを一気にして寛いだのです。 つくづく我が家でゆっくり寛げられる良さ、嬉しさ、そして安心感に満たされ元の生活に戻ったのです。 11月は毎日身体を休めて元気を取り戻し日本での楽しかった想い出に耽って過ごしました。 11月もアッと言う間に過ぎ去り12月に入ってから少しづつ家内の体調に不安が募り始めたのです。 あれほどリハビリで頑張って体調の回復振りに日本の皆も驚いて喜んでいてくれて居たのに、又何時しか体調が崩れ始めました。 まるでリハビリを始める以前の状態になりつつ有るのです。 僅か一ト月の間の疲れの休息でこれ程までに素早く体調が衰弱するとは思いも寄らずうっかりしていました。 今までどんなに苦労して来た私とした事がこのような結果を生み出した事に凄く腹立たしく思われ、悔やまれています。 それとも家内は既に限界に達したのではと言う思いも大いに考えられます。 先ず気付いた事は家内が急に歩けなくなって来た事です。思えば、リハビリで鍛えた筈の足は日本の30日間の旅行中には殆ど車椅子に頼らざるを得なかった事、歩行は部屋内だけに留まっていたのが最大の原因かと思います。 だから11月に戻ってからも休まずに歩行訓練に励んでいたら良かったのです。 然し11月は私自身に取っても30日間の疲れを癒すのに必要な休息でした。
次に気付づいた事は家内の話し方に異状を感じました。舌が回らなくて言葉がはっきり話せなくなり、話したい言葉が思い出せなくなりました。 そして意味不明な言葉を発する様になった事。 その言葉は再び訊いても繰り返して言えないなど言語障害の状態が現れ始めました。 会話は何時も不完全で全てを言い切れずに終わってしまいますが、どうにか通じています。 それに全てに置いて動作が鈍くなって来ました。 痴呆症状を伴う認知症状だと言われて来ましたが、これが将にその状態である事を実感しています。年を取ると仕草がだんだん子供に戻ると言う事を良く耳にしていましたが、それも頷ける様になりました。 何とも言えぬ寂しさを感じます。


脳の活性化に依る回復の兆し?

長年の孤独な闘病生活から抜け出して久し振りに懐かしい身内の再会や新しい出会を体験し、更には愉しかった観光旅行の数々を観覧した事では、家内に取っては可なりの刺激を受け脳の活性化に繋がった事で見違える様に正常な行動や動作が身に着いて来た様に思われ、皆も同感して喜んでいました。

愉しかった記憶は未だ脳裏の隅に焼き付いて残っています。 記憶喪失の症状は決して回復した訳では有りませんが、何時までも良い想い出として覚えていて欲しいです。 
家内には最早一から遣り直しする事は不可能でしょうが、私の存在が記憶に留まっている間は最善の介護に努めて余生を送る覚悟でいます。

日本で大変お世話になったゆらさん、ぷうさん、ひろし爺さん、その他の方々には斯様な結果報告のブログとなり大変心苦しく思い、申し訳ない気持ちで一杯です。 然しお陰様で家内の脳裏には愉しかった一生の想い出をしっかり留めて居ります。 本当に有難うございました。心より感謝しております。