少し前のニュースになるが、今月10日、ブッシュ大統領がイラク問題に関する演説の中で「2006年はより厳しい戦いと、さらなる犠牲が予想される」と述べ、「勝利に向けた一層の前進が見られるだろう」とも付け加えたそうである。ブッシュ大統領の「戦争中毒」ぶりは前々からよく知られているところ。今さら何を聞いても驚かないが、「犠牲」という言葉が出てくるたびにやはり神経のどこかに痛みが走る。
――あなたが一人で力み返って、自分一人が犠牲になるというなら、それはかまいませんよ。勝手にして下さい(むろん、他の誰にも迷惑のかからないやり方で、犠牲とやらになって欲しいものですが)。しかし、「犠牲になる」のはあなたではない。――
「貴い犠牲」とか「○○を実現するためには犠牲がつきもの」などと平然と言うのは、常に犠牲を強いる側である。犠牲にされる側は、「何でこんな目に……」と髪をかきむしりながら殺されてゆく。もちろん、貴い犠牲なるものを信じさせる方向への巧みな誘導が存在するわけで、それを信じて死んでいく人々もいるのだが……。しかし、繰り返して言う。犠牲を讃えるのは(犠牲を賛美し始めるのは)いつも命令する側、人を駒のように動かす側、自分は傷つかずにいられる側の人間である。
犠牲、などいう言葉は聞きたくない。人が、人の生活が、人の生きている場所が、何ものかの生け贄になることなどあってはならない。
――あなたが一人で力み返って、自分一人が犠牲になるというなら、それはかまいませんよ。勝手にして下さい(むろん、他の誰にも迷惑のかからないやり方で、犠牲とやらになって欲しいものですが)。しかし、「犠牲になる」のはあなたではない。――
「貴い犠牲」とか「○○を実現するためには犠牲がつきもの」などと平然と言うのは、常に犠牲を強いる側である。犠牲にされる側は、「何でこんな目に……」と髪をかきむしりながら殺されてゆく。もちろん、貴い犠牲なるものを信じさせる方向への巧みな誘導が存在するわけで、それを信じて死んでいく人々もいるのだが……。しかし、繰り返して言う。犠牲を讃えるのは(犠牲を賛美し始めるのは)いつも命令する側、人を駒のように動かす側、自分は傷つかずにいられる側の人間である。
犠牲、などいう言葉は聞きたくない。人が、人の生活が、人の生きている場所が、何ものかの生け贄になることなどあってはならない。
このようなことを書かないといけない時代が来るとは私は思ってませんでした。このような人たちは化石だと思っていました。一部にいても、賢い国民はだまされないぞと。
現実は意図もたやすく乗せられて行く。今は、なぜ日本が第二次世界大戦に突っ走ったのか、なんとなく想像できるようになった気がします。
華氏451度さんの記事は読ませていただくたびに、改めて世相への怒りを湧きたさせてくれます。
本日は早朝から少々体調が怪しいものですから・・・テレビの証人喚問を見ています。
明日には、体調も回復するでしょうから、また、地域を回って国会請願の署名をもらいに参りましょう。・・・多くの、テレビ漬けになっている方々がいらっしゃいますから・・・
テレビを見たり、新聞を読んだりする時間もなく、酒を飲み友と語り、ブログを駆けずり廻っています。
国(国民)を守るためと言って戦争を起こし、国民に犠牲を強いる。これって「権力者の私利私欲のため国民に犠牲を強いる」と考えてしまうのですが?
本当は「国民の幸せのため権力者は私利私欲を捨て犠牲になる」というのが権力者の務めですよね。これじゃぁー、誰も権力者にならないか?
こちらのエントリーについてですが、ほんとに同意です。読み始めたとき、ブッシュさんが「犠牲」とか言うと、なんかほんとに「生け贄」ってイメージだなあ、と思いながら読んでいたら、華氏451度さんも同じこと書いてました。
大多数は、いいようにコントロールされているようです。
しかも、「国を守る英雄」と思いこみ、犠牲にまでなっているのに、
権力者のコントロールに気づかず、命まで差し出して、バカです。
早く目覚めないと、今の演出上手な権力者に日本も同じようにコントロールされていく。
日本の格差の広がりを歓迎している小泉さんの腹のうちが見えます。