〈なぜか安倍官房長官の本などを……泣〉
私は活字中毒で、手の空いている時は何か読んでいないと落ち着かない。常に読むことに集中しているとは限らず、目は字を追いながら、頭では別のことを考えていたりするのだけれども(つまり環境テレビならぬ環境活字として、本を利用している面もあるのだ)。そんなわけで出かける時は必ず本を携えるか、さもなければ駅前の書店でひょいと何か1冊買う癖がある。軽くて携帯に便利というだけの理由で、持ち運ぶのは文庫か新書が多く、電車の中などでハードカバーの本を開くことは少ない。
今日は何と……安倍晋三著『美しい国へ』(文春新書)を読んだ。数日前から、この本が書店に平積みされているのは知っていた。本当は読む気はなかったのだが、とくらさんや再出発日記さんがブログで話題にされていたので、ついつい買ってしまったのだ……。いや、ヒトのせいにしてはいけない。読んでおいた方がいいかも知れない、という気持ちは(ほんの少しだけれども)自分の中にあった。安倍官房長官の本? 読まなくてもわかるさ、読むだけ無駄じゃん、という方も多いだろう。しかし、「読まなきゃわからない」ことも世の中には少なくない(と私は思う)。どれほど馬鹿げていたとしても、そのくだらなさの度合いは読んで改めてわかる、ということもあるのだ(読まなくても100%わかるという方は別。私はあまりカンが鋭くないので、読んで初めてわかる人間である)。読んでみたら意外な発見が……ということもないではない。というわけで、730円プラス消費税を支払った。(ひどく損したような気になって、おかげで今日の昼食は立ち食い蕎麦ですませるはめに陥った)
〈おそらくゴーストライターの代筆であろうが〉
この本は安倍晋三著、となっているが、おそらく90%以上……私の感覚では99%の確率で、本人が書いたものではあるまい(世の中には意外な事実というものもあるから、100%とは断言できない)。秘書が書いたか、あるいはフリーの人間がゴースト・ライターをしたのかはわからないが、いずれにしても「代筆」であろうと思う。もっとも――書店に並んでいる本は小説以外、かなり高率で代筆なのだが、「だからダメ」とは私は思わない。訴えたいこと、記録に残しておきたいことがあるが、忙しくて文章書いてる時間がないとか、文章を書き慣れていないなどの理由で書けない人達が代筆を頼むのは、悪いことではない(ちなみに、ゴースト・ライターというのは私のような二流のフリー・ジャーナリストの収入源のひとつでもある。私は自分の信条として政治家とタレントさんのゴーストはしたことがないが、僻地で長年教育に携わってきた小学校教師だの、伝統工芸の職人さんだのの著作?を代筆したことは何度もある)。
そしてたとえ実際に書いたのはゴースト・ライターであったとしても――従って構成や表現は彼のものでなかったとしても(ゴースト・ライターは独自に資料にあたるのはむろんのこと、場合によっては名義上の著者に代わって取材することもある。ライターが文中で使った故事を名義上の著者が知らず、あれはどういうことですかと密かに聞いた、などという話も枚挙にいとまがない)――「言いたいこと」の核は彼のものであるはずで、私はその部分だけを読み取りたいと思った。
〈あなたの言葉と私の言葉〉
言葉というのは便利なものだな――というのが、『美しい国へ』を読んだ私の第一の感想である。
著者(本当に自分が書いたかどうかは別として、少なくとも名義上の著者ではある)安倍氏は、この本の中に叡知、努力、可能性、信念、未来、平和、理想……エトセトラ、誰もが否定できない高邁な言葉をこれでもかと言うほどちりばめる。いや、単語だけではない。
「自らかえりみてなおくんば、千万人といえども吾ゆかん」という孟子の言葉を御存知の方は多いと思う。安倍官房長官は著書の中で「私の郷土である長州が生んだ俊才、吉田松陰先生が好んで使った言葉」としてこれを紹介し、自分の「信念」に重ね合わせている(孟子の言葉は、もしかするとゴースト・ライターが安倍氏の主張をきらびやかに飾るために挿入したのかも知れない)。
私は孟子も吉田松陰もさほど好きではないが、安倍官房長官に引用されて嬉しくはないだろうな、とは思う(先生、などと言われても嬉しくはあるまい)。「千万人といえども」などと格調高く言われると、私を含めた雑草のような庶民はつい納得してしまう。しかしよく考えてみれば、「千万人といえども」と思っているのはお互い様なのである。
観念的な言葉など何ものでもないということを、この本はあからさまに見せてくれる。上滑りな美しい言葉は人を酔わせるが、「それらの言葉が意味するところ」を私達は冷静に見ておかねばならない。
〈すり替えの論理〉
ずらずらと並んだ綺麗な言葉を「そんなもの、単なる言葉だろ」と言い捨てれば、この本は突っ込みどころ満載である。いちいち書いていると果てがないので(私のエントリはやたら長くて読みにくくわかりにくい、という助言を戴き、多少は反省もしているのである……)、例として二つ三つ挙げておく。
○空き缶投棄と愛国心
著者は日常的なモラルと「国に対する愛」を結びつける。かなり粗雑な結びつけ方だが、粗雑であるがゆえに、うっかり読み飛ばせば納得しかねない怖さがある。
【飲み終わったジュースの空き缶を平然と道端に捨てられる人は、その土地に愛着を持っていない人だ】(94ページ)
自分か帰属している土地を綺麗にしたいという郷土愛、それが国に対する愛につながると安倍官房長官は言う。ちょっと待てよ、と思うのは私だけだろうか。
○改憲論
直接的には「改憲すべき」という主張は述べられていないが、「9条否定」の思想は繰り返し繰り返しBGMのように流れている。
【たとえば日本を攻撃するために、東京湾に大量破壊兵器を積んだ工作船がやってきても、向こうから何らのま攻撃がないかぎり、こちらから武力を行使して相手を排除することはできない】(133ページ)
【憲法という制約を逆手にとって、きれいな仕事しかしない国が、国際社会の目にずるい国だと映っても不思議はない】(141ページ)
彼は、「国を守る」ことを至上の課題とする。「国家のため、国民のため」という表現をしているが、彼の中でどちらが重いかといえば「国(=国体)」のほうであろう。
○再チャレンジの思想
「顕著な格差の拡大は見られない」と(小泉首相そっくりのことを)言いつつ、「負けた者が再挑戦できないような社会は絶対にダメ」と言う。何気なく聞いていると「そうですね」と頷きそうになるが、これまた「ちょっと待て」である。彼はひとの人生を「勝ち負け」で色分けしているのだ。
【競争がおこなわれれば、勝つ人と負ける人が出る。構造改革が進んだ結果、格差があらわれてきたのは、ある意味で自然なことであろう】(224ページ)
駆けっこをしたり相撲をとったり、囲碁将棋の盤に向かうなら、そりゃ勝ち負けは出るでしょう。しかし人間が生きるというのは、そんな単純なものじゃあない。勝つとか負けるとか、そんな価値観でキレイに整理できるはずないだろう。人間の人生の勝ち負けを言える者があるとすれば、それは――無神論者の私が言うのはおかしいのだが――神仏だけである。(6月30日付けで「再チャレンジなどいたしません」という記事も書いたことがある)
◇◇◇
以上、簡単な紹介のみ。興味が湧かれたら、書店で立ち読みしてください(ますます腹が立ってくるので、その意味で値打ちがあるかも知れない)。綺麗な言葉の羅列が目立つ代わりさほど目新しいことが書かれているわけではないから、速読できる(綺麗な言葉というのはこんなふうに使うのか、という参考にもなるかも知れない……)。
あ~、むかむかする!イライラする!安倍さんとか小泉さんが吉田松蔭のことをとりあげるのは、山口県人として許せません!国益など何も考えていない、この二人に、吉田松蔭のことが理解できているわけない!
テレビ討論や記者会見で歴史認識を聞かれても、『将来の歴史家が判断する』などと逃げの一手でした。
久しぶりに彼の考えを、生の言葉でテレビで聴きました。
何と安部晋三は、東京裁判は国際条約(サンフランシスコ講和条約)を結んだ時点(日本の独立)で失効していると考えているのです。
A級戦犯は日本が独立すれば全て免責され、戦争犯罪は無かったことにとされる、彼はこう考えています。
今まで何を聞かれても、喋らなかったはずです。
仕事の一部?とはいえ、安部晋三の新刊本を実費で買って読まなければ成らないとは、想像するだけでも可哀想です。
私も小林よしのりや西尾幹二を読みますが決して定価では買いません。
新刊で買って印税が彼らに入るのが、どうしても許せません。
わずかの金額でも社会の害悪に手を貸した気分にさせられます。
『新しい歴史教科書』を読もうと探しているのですが、見つかりません。
あの教科書、本当に大量に発行されたのでしょうか。?其のままゴミ箱に直行したのでは無いでしょうか。
私は完全に駄作だと思っている映画も、あまりも話題作だと一応1200円ほど払って見に行くことにしています。「俺は見ていないけど、これは駄作だ」というのと、「俺は見たけど、あれは駄作だった」というのとでは全然説得力も違うし、第一「やはりあなたは映画通ね」と尊敬される場合も時にはあるからです(^^;)
やはり買うなら今この時期でしょう。華氏451度さんの指摘はホンの一部です。薄い本ですが、文句を書こうとしたらまだまだ数倍は書けます。
……うちの市内のブックオフにはありましたねぇ,一冊。
# もっとも過疎地のブックオフだから,大阪あたりの都会から流れてきた人が持ち込んだものだと思うけど。
# 誰か狂信的な奴が自腹で買って,わざと持ち込んだに違いない……
皆さん,古本屋を丹念に回りましょう。こういう本は新刊で買うべきものではないです。<華氏さんには悪いけど
KUMAさん、そうそう、そうなのです。文句のつけどころは無数。「やっぱりこんな男が首相になったらオシマイだ」と再確認(そんなことはわかっている、と言われるかも知れませんが……何度でも何度でも確認するに越したことはない)させてくれる本でした。
藤原なにがしが原案を持ち込んで,それを小川洋子に小説化させた『博士の愛した数式』みたいなもんですな。ほとんど,ライターと編集者によって作られた本。養老先生の『バカの壁』と言い,最近このような「でっちあげ本」ばかりがやたら目につきます。
私も日本語で(もちろん本名)十冊近い共著や著書や訳書を出してますけど,年々編集者の介入が強くなって来ている気がしてなりません。