歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

法華経と浄土三部経(二つの深法)

2009年08月07日 | 法華経と浄土三部経
法華経と浄土三部経(二つの深法)

また『法華経』には
『大無量寿経』が出世本懐経である
と示している御文があるのだ。

一切経の中で深法と説かれてあるのは
法華経と大無量寿経しかない。
無上甚深の教えであるということだ。

ところが『法華経』には
この法華経を信じ得ない者のためには
如来の余の深法を教えよとあり、
その言葉を釈尊は受けて、
『大無量寿経』のみを深法と呼び
出世本懐経として開顕していられる。

『法華経』の
「信受せざらん者には、
 当に如来の余の深法の中に於て示教利喜すべし」
の御文の意味は
法華経を如実に実践できない者には、
余の深法によって救いを得べきである
ということである。

『大無量寿経』にはそれを受けて
「一向に意をもつぱらにして、乃至十念、
 無量寿仏を念じたてまつりて、
 その国に生れんと願ずべし。
 もし深法を聞きて歓喜信楽し、
 疑惑を生ぜず」

一向専念無量寿仏の身になり、
弥陀の本願(深法)をまことと
聞きぬいた時、
大安心・大満足の絶対の幸福の身に
なれると説かれているのだ。

これによって、法華経では助からないことを
知らせて大無量寿経に送り込む法華方便の
明らかな文証となるのである。


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