歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

一日一訓(30日 誤りを犯さないことを)

2011年09月30日 | 一日一訓
一日一訓(30日 誤りを犯さないことを)

「誤りを犯さないことを誇りとするよりも
   誤りを直ちに改めることを誇りとしよう」

生涯にただ一度の敗戦
「三方ヶ原の合戦」が、
家康を天下人にしたといえば
意外かもしれぬ。

三方ヶ原は浜松市の北方に広がる、
東西八キロ、南北十二キロの台地である。

元亀三年十二月二十二日。
家康(三十一歳)の一万一千が、
武田軍二万五千と激突し惨敗した。

当代随一の名将・武田信玄の
遠江侵攻に、どう対処すべきか。
籠城持久戦を主張した信長にたいし、
家康は積極作戦を考えた。

長期の今川氏からの解放感と、
浅井、朝倉を撃破した自信から、
〝信玄恐るるに足らず〟
の思いあがりが家康にはあった。

一方、浜松城の堅塁を
知っていた信玄は、
大胆な欺瞞作戦で、
家康を三方ヶ原へと誘いだし、
武田騎馬隊の勇名をほしいままにした。

信玄が投げたエサに
食いついた家康は、
若気のいたりといわれても、
しかたがなかろう。

命からがら、
彼は浜松城へ逃げ帰っている。

「彼を知りて己を知らば、
百戦してあやうからず。
彼を知らず己を知らざれば、
戦うごとにあやうし」
 
孫子の言を三方ヶ原で、
家康は証明させられた。

ただし家康の偉大さは、
敗因が慢心にあったことを深く反省し、
信玄を師とあおいで、
彼の戦術戦略を学びとったところにある。

三方ヶ原の敗戦から
二十八年たった慶長五年。
石田三成と天下を争ったとき、
みごとに彼は、
この失敗の教訓を生かした。

まず、石田三成ら反徳川勢に
挙兵させるため、
みずから上杉討伐に
出かけてスキをつくる。

決戦前日には
〝三成の本拠、佐和山城を突く〟
との偽情報を流して、
大垣城に拠る西軍を
関ヶ原へ誘いだすことに成功し、
殲滅している。

信玄が自分にとった戦法を、
そっくりまねたのだ。
失敗を成功のもとにするのは、
心構え一つである。


一日一訓(29日 他人にゆずる気持ちを持つようにしよう)

2011年09月29日 | 一日一訓
一日一訓(29日 他人にゆずる気持ちを持つようにしよう)

「他人にゆずる気持ちを持つようにしよう」

世界に名高いニューヨークの
ウールウォース商会が、
監督一名を募集した。

応募した希望者には、
立派な推薦状を
たずさえた者が多い。

ところが採用されたのは、
なんの学歴もない、
紹介状も持たなかった一青年である。

採択理由に、
こう記されてあった。

「彼は一葉の紹介状も
 持参しなかったが、
 実に多くの、
 明白な紹介状をた
 ずさえていた。
 彼は部屋に入るとき、
 まず足のちりを払い、
 入室すると静かに
 扉を閉じた。
 注意深い性格がうかがえる。
 席に着こうとしたとき、
 彼は、身体の不自由な
 老人のいるのを見て、
 すぐに席をゆずった。
 親切でやさしい人格が
 知られる。
 部屋に入るや、
 まず帽子をとって一礼し、
 はきはきと我々の質問に答えた。
 丁寧で礼儀正しいことがわかる。
 彼はまた、少しも
 先を争うことなく、
 己の番のくるのを
 規律正しく待っていた。
 その服装はお粗末だったが
 清潔で、髪はきれいに
 ととのえられ、
 歯は乳のように白かった。
 署名した彼の爪の先には、
 少しのあかも見ることは
 できなかった。
 これこそは、なにものにも
 勝る紹介状ではあるまいか」
 
社会は有為の青年を望んでいる。

高校、大学は林立し、
知的教育は急進している
かもしれないが、
徳育はかえって
退歩しているのではなかろうか。
 
ウールウォース商会幹部が
見ぬいた、
なにものにも勝る紹介状を
身につけたものこそ、
社会国家を浄化することが
できるのであろう。

また、意見が衝突したら、
独りしか渡れない丸太橋を
思い出すことだ。

左右から同時に渡れば
二人とも動けなくなることは
明らかである。

先に譲った人が
相手より幸せな人だ。

譲られた人は、感謝して
通ればまた幸せになれる。

当然の如く通る人は、
最も不幸な人である。

「他人に譲る気持ちを
 持つようにしよう」

「この世でもっとも不幸な人は
 感謝の心のない人である」

一日一訓(28日 総てのことを善意に解釈するようにしよう)

2011年09月28日 | 一日一訓
一日一訓(28日 総てのことを善意に解釈するようにしよう)

「総てのことを善意に
 解釈するようにしよう」

約三百年前のこと。
後藤艮山という漢方の名医がいた。

十二時も過ぎたある真夜中、
一人の女性が訪ねてきた。
〝よろず屋〟の嫁女である。

「先生、一生のお願いです。
 毒薬を一服盛ってください」
 
ただならぬようすだ。

「なにに使うのか」

「お母さん(姑)に死んでもらうのです」

〝よろず屋〟の、嫁と姑の
犬猿の仲は評判だった。
よく心得ていた艮山は、
断ったら嫁が自害する、
と見てとった。

「よし、わかった」

しばらくして艮山は、
三十包の薬を渡し、
神妙にこう言った。

「一服で殺しては、
 あなたがやったとすぐバレる。
 あなたは磔、私も打ち首。
 そこで相談だが、この三十包、
 毎晩一服ずつ飲ませるのだ。
 三十日目にコロリと
 死ぬように調合した」

喜んで帰りかける嫁女に、
艮山先生、なおもこう諭す。

「わずか三十日の辛抱だ。
 お母さんの好きなものを食べさせ、
 やさしい言葉をかけ、
 手足をよくもんであげなさい」
 
翌晩から嫁女は、
言われたとおりを実践した。

一ヵ月目の夜、いつものように
もみ終わると、ツトお姑さんが立ち上がり、
驚く彼女に両手をついて、こう言った。

「今日はあなたに、
 あやまらねばならないことがある。
 今まできつくあたってきたのは、
 代々続いた、
 この〝よろず屋〟の家風を、
 はやく身につけてもらうためであった。
 それがこの一ヵ月、
 あなたは見違えるように
 生まれ変わった。
 よく気がつくようになってくれた。
 もう言うことはありません。
 今日かぎり、一切をあなたに任せて、
 私は隠退します」

己の心得違いを強く後悔し、
艮山先生へ駆けこんだ彼女は、

「先生、一生のお願いでございます。
 毒消しの薬を、はやくはやく、
 作ってください」

涙ながらに、
両手をついてたのむ嫁女に、
艮山先生、大笑い。

「心配ないよ。
 あれは、ただのソバ粉だよ。
 ハッハッハッ」

一日一訓(27日 現在は過去と未来を解く鍵である)

2011年09月27日 | 一日一訓
一日一訓(27日 現在は過去と未来を解く鍵である)

「現在は過去と未来を解く鍵である」

仏教の三世とは、
吸う息、吐く息の中にあると
教えている。

すなわち、念々のうちに
三世がおさまっている。
ゆえに、ただ今の一念を
徹底的にたたけば、
昿劫流転して来た自己も
明らかになるし、
未来永劫の後生の一大事も
知らされることになる。

それは

「自身は、現にこれ
 罪悪生死の凡夫、
 昿劫より已来常に没し
 常に流転して、
 出離の縁有る事無し
 と深信す」

と叫ばれた善導大師の
お言葉でも明らかな事実だ。
 
これを『因果経』には、

「汝ら、過去の因を知らんと
 欲すれば現在の果を見よ。
 未来の果を知らんと欲すれば
 現在の因を見よ」

と説かれている。

これは、過去を知りたければ
現在を見よ、
未来を知りたければ
同じく現在を見よ、
現在とは悠久の過去と
永遠の未来とを
包含しているものだ
と教えられたものである。

だからこそ、現在の救いが
なくして未来の救いがある
道理がない、と仰る。

「この世はどうにもなれない、
 死んだらお助け」

などと言っている
浄土真宗の聞き損ないの同行は、
本当の仏教を全然知らないことが
よく分かる。
 
ただ今、不可称、不可説、
不可思議の大功徳に生かされて、
ただ今が浄土に遊ぶ
大満足の境地に救われなければ、
未来は絶対に助からない。

未来の救いは現在、決定されるもの。
いや、現在を抜きにして未来はない。
 
わが親鸞聖人が、
現生不退、平生業成、
不体失往生を力説されたのは、
実に仏教の真髄を
顕正するためであったことが
よく分かるではないか。






一日一訓(26日 蒔かぬタネは生えぬ)

2011年09月26日 | 一日一訓
一日一訓(26日 蒔かぬタネは生えぬ)

「蒔かぬタネは生えぬ 刈りとらねばならぬ一切のものは
   自分のまいたものばかり

ある人が、十月の始めごろ、
旅に出て東の国を通った。 
 
涼しい風が、そよそよと
稲の穂を渡り、よく実って、
見渡すかぎりの黄金の波である。

そばには農夫が、
ニコニコ顔で、
たばこをすいながら、
のんきに仕事をしていた。

その後その人は、
またその国を通った。

すると黄金の波は
米俵と変わって、
家々の軒下に山と
積まれている。

どの家からも、
楽しそうな談笑が
聞こえてくる。

旅人は、これをみて、

「東の国は極楽だ。
 苦労もしないで、
 あんなにたくさんの
 収穫があるのだ」

と、うらやましがった。

これを聞いた隣の人は、

「そんな国なら、
 一度いってみたいものだ」

と、五月の始めごろ、
東の国へと旅に出た。

東の国へ入ると、
みんな泥だらけになって、
汗水流して、
一生懸命に働いている。

意外に思いながら、
ついでの旅の用事を
すませて六月の終わりごろ、
東の国を通ると、
頭から焼けつくような
日に照らされ、
滝のように汗をだくだく流し、
それでも一生懸命に
働いていたが、
いっこうに黄金の波も、
山と積まれた米俵も
見られなかった。

「隣の人にだまされた。
 東の国は極楽どころか
 苦労為損の地獄だ。
 ばかばかしい」
 
プンプン怒りながら
その人は帰ってきたという。

成功の裏に涙あり。

まかぬ種は生えぬ。
因果の大道理を
知らぬ者はあわれである。






一日一訓(25日 この世で最も不幸な人は 感謝の心のない人である)

2011年09月25日 | 一日一訓
一日一訓(25日 この世で最も不幸な人は 感謝の心のない人である)

「この世で最も不幸な人は 感謝の心のない人である」

不治の病にかかった大富豪が、
奇跡的に快方に向かった。

全快に近づいたとき執事を呼んで、

「すぐに主治医へ、
 百万円包んでお礼に
 いってくれ」

と命じた。

「だんなさま。
 全快なさってからで
 よいのではありませんか」
 
不審そうな執事に、
こう富豪は話したという。

「いや、すぐで
 なければならぬのだ。
 あの絶望のとき、
 もし私の病を治してくれたら、
 全財産をさしあげてもよいと、
 本心から思った。
 ところがどうだ。
 危機を脱すると、
 そんなにまでする人は
 ないのだから、
 半分ぐらいにしておこうか、
 に変わってきた。
 だんだん調子よくなるにつれて、
 三分の一でもよいのでないか。
 財産の執着が次第にふくれ、
 百万円だすのも
 バカらしくなってくる。
 医者は病気を治して
 当然でないか。
 いくら治療しても死ぬ人がいる。
 治ったのは医者の腕と
 ばかりは言えない。
 してみれば法外な礼は、
 他人に笑われるだけ、
 と考えだしたのだ。
 こんな私は、健康体に
 なってからだとビタ一文ださず、
 請求されるまで
 自分の手元において、
 利子まで計算するにちがいない。
 そんな恩知らずに、
 私はなりたくないのだ。
 起きあがれないときに
 百万円持っていってくれ」

〝借りるときのえびす顔、
 返すときのエンマ顔〟

といわれる。

就職をたのむときや、
なにかお世話になるときは、
愛嬌をふりまき、
おべっかのかぎりを尽くす。

このご恩、終生忘れはせまいと、
そのときは思うのだが、
いつの間にやら見向きも
しなくなるのが人情である。

ご恩をありがたく
感謝する者は成功し、
ご恩を当然と流し去る者は、
必ず信用を失う。


一日一訓(24日 沈んで屈するな 浮んで奢るな)

2011年09月24日 | 一日一訓
一日一訓(24日 沈んで屈するな 浮んで奢るな)

「沈んで屈するな 浮んで奢るな」

イタリア、オーストリアと戦い、
連勝のナポレオンが凱旋した。

イルミネーションや旗行列、
たいまつや鐘、祝砲など、
国民の慶賀は、その極に達する。
 
部下の一人が、
うやうやしく祝辞をのべた。

「閣下、このような盛大な
 歓迎を受けられ、さぞ、
 ご満悦でありましょう」
 
意外にもそのとき、ナポレオンは、
冷然と、こう言っている。

「ばかを申すな。
 表面だけの騒ぎを
 喜んでいたら大間違いだ。
 彼らは、少しでも
 情勢が変われば、
 またおれを
 〝断頭台に送れ〟
 と言って、やはり、
 このように騒ぐだろう。
 雷同の大衆の歓迎など、
 あてになるものか」
 
幕末の剣客で
名高い千葉周作が、
ある晩、二、三の門弟を
連れて、品川へ
魚つりに出かけた。

松明を照らして、
沖へ沖へと魚を
求めてゆくうちに、
方角を見失ってしまった。

どちらが陸か。

さすがの周作先生も、
ろうばいして、
多くの松明をどんどん燃やさせ、
四方をうかがうが、
まったく見当がつかない。

あせりながら海上を、
さまよううちに、
たよりの松明が尽きた。

いよいよこれまでかと
観念した。
ところが、よくぞ言ったもの。

〝窮すれば転ず、
 転ずれば通ず〟

あたりが真っ暗になるにつれ、
闇の中にくっきりと、
濃い陸地の影が
見えてきたではないか。

一同、歓呼の声をあげた。

後日、周作が、その体験を
知人の漁夫に話すと、
ニコニコしながら、
こう言ったという。

「先生らしくもないことです。
 松明で陸は見えませぬ。
 松明は足元を照らすもの。
 遠いほうを見るときは、
 かえって、その光が
 じゃまします。
 そんなとき私たちは、
 ワザと松明を消すのです」
 
松明にたよっている間は、
遠い陸地が見えないのだ。

目先に一喜一憂していては、
遠大な未来を見とおすことは
できないのである。




一日一訓(23日 最も勇気ある行為とは)

2011年09月23日 | 一日一訓
一日一訓(23日 最も勇気ある行為とは)

「最も勇気ある行為とは 最も困難なことにあたる行為である」

宮本武蔵は生涯六十数回、
真剣勝負をしたが
一度も遅れを
とったことがなかった。

その決闘で吉岡一門と
三度にわたる決闘は有名である。
最後が一乗寺下り松の戦いだ。
相手は清十郎の嫡子又七郎を
奉じた七十名余の門弟たちであった。

武蔵の戦法は凄かった。
若干十才であったが、
総大将の又七郎を
一刀両断で斬り捨てた。
不意をつかれ
呆然自失となった門弟達は
武蔵の敵ではなかった。
阿修羅の如く振りかざす
武蔵の剣の前に門弟達は
次々、斬り倒されていったのだ。

彼の兵法は学ぶべきところがある。
人生の中でやりたいことは多くあろう。
しかし、一番やるべき
大問題を解決せずして、
人生の勝利者と成り得るだろうか?

やりたいことをやっていても
喜べないのは、
やるべきことをしていないからだろう。
最大の敵を破らねば。
くれぐれも仇討ちを
忘れてはいけない。










一日一訓(22日 恐れを知って)

2011年09月22日 | 一日一訓
一日一訓(22日 恐れを知って)

「恐れを知って、
しかもそれを恐れない者こそ
真の大勇気者である」


ブレーズ・パスカルは
フランスの哲学者であり、
人間の矛盾が信仰に
よって解決されると説いた。

また科学者としては
流体の圧力に関する原理が著名である

「最大の哲学者でも、
 自分の身を置くに
 十分な広さの板の上に
 乗って断崖のきざはしに
 座るとしたら、
 彼の理性がどんなに
 身の安全を保証しても、
 やはり想像に打ち負かされて
 しまうだろう。
 普通の人ならば
 こんな状態を考えただけで、
 色を失い、冷や汗を
 流すであろう」
 (パンセ)

第二次大戦中、ドイツの
フィリップ工場に大変精密な
プレス機械が入り、
日本の特使が見学に行った。

1ミリの誤差もなしに
プレスしてゆくのを見て、
特使は驚き

「これは凄い。
 私の命にかけて、
 保証します」

と誉め上げた。
これを聞いた工場長。

「では、あなたの懐にある
 懐中時計をこの上に置きませんか」

という。
形見の品だが嫌と言えず、
しぶしぶプレス機械に置いた。
しかし、機械は見事に
時計の真上で止まったのだ。

特使は前以上に誉めた。
すると工場長、今度は
手を乗せないかと言ってくる。

手の一本ぐらいなら
命に別状はないとやむなく置いた。

プレスが音をたてて降りてきた。
この手ともお別れかと観念したが、
プレス機械はギリギリの処で止まった。
 
これに特使も大喜び。
ますます機械の性能を褒めたたえた。
すると冗談のお好きな工場長。
再度こう言ったのだ。

「では、今度はあなたの頭を
 乗せてみませんか」

ここであなたなら、どうするだろう。
特使はその場をすごすごと
退散していったが、
誰も特使を笑える者はいない。
道徳理屈で納得したつもりでも、
自分の命に関わることに
なった時、理性など
吹っ飛んでしまう。

「死なんか怖くない」というのも、
その一例かもしれない。





一日一訓(21日 苦しみから目をそらさず 凝視するようにしよう)

2011年09月21日 | 一日一訓
一日一訓(21日 苦しみから目をそらさず 凝視するようにしよう)

「苦しみから目をそらさず 凝視するようにしよう」


金剛石が一個、
川ばたの小石の群れに、
まじっていた。

一人の商人が、
めざとく発見し、
王様に売却した。

王冠を飾った金剛石の輝きは、
大衆を魅了してやまなかった。

小石どもの耳にも、
それが入ったので大騒ぎ。
金剛石の幸運が、
小石どもにはうらやましくて、
たまらなかったのである。

小石どもはある日、
そばを通った農夫を
呼びとめて哀願した。

「うわさによると、
 我々と一緒に、
 ここにころがっていた
 金剛石のヤツメが、
 都で、今では大出世
 しているそうです。
 アイツも我々も同じ石ですよ。
 我々だって、
 都へいけさえすれば、
 出世するにきまっている。
 どうか、都へ連れて
 いってください」
 
ふびんに思って農夫は、
小石を荷に入れ、
都へ持参した。

望みどおりに小石らは、
あこがれの都へはきたが、
むろん、王冠を
飾るどころではない。

道路に敷かれて、
毎日、多くの車の
わだちに苦しめられ、
後悔の涙にくれたのである。

顔をしかめて飛んで
ゆくフクロウを、
連れのハトが呼びとめた。

「おいおい、そんな、
 うかぬ顔して、どこへいく」
 
さびしそうに、フクロウが答えた。

「知ってのとおり、
 この里の者たちは、
 悪い声のオレを嫌うので、
 所を変えようと
 決心したんだよ」
 
くくと笑って、ハトは、

「それはムダだよ、
 フクロウさん。
 いくら所を変えたって、
 おまえの声を変えないかぎり、
 いく先の者はやはり、
 おまえを嫌うだろう。
 古巣を捨てる覚悟があれば、
 声を変える努力を」

と、忠告したという。

自己を磨くことこそ、
出世の要諦。

輝く存在になりさえすれば、
人も物も自然に集まる。

己の、たゆまぬ錬磨を忘れて、
出世のみを追い求むることは、
かえって失敗の原因となる、
と知るべきであろう。