歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

人間の実相を語る歴史人(人間死んだらどうなるか)

2011年06月30日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(人間死んだらどうなるか)

我々は悠久の過去より、
六道輪廻を繰り返してきた。
その迷いの打ち止めを
できるのは人間界のみである。

その人間が死んだらどうなるのか。
流転輪廻を繰り返してゆくには
違いないが、
人間死んだらどうなるか。
よく知っておかねばならない。

私たちは、己の行為によって
未来の運命のタネを日々刻々と
造っている。

世の中にいくら背の高い人が沢山いても、
一番高い人はただ一人のように、
沢山の業があっても、
その中で一番重い業は一つしかない。

生涯に造った業の中で最も重い業が、
私たちの死後生まれる世界を決定し、
これを「引業」という。

引業以外の一切の業を「満業」といい、
死後の男女・貧富など、
さまざまな運命を引き起こす。

私たちは、体と口と心で行為をするが、
この身口意の三業の中でも
最も重いのは意業である。

口も体も、つまるところは
心に動かされているにすぎない。

「一人一日のうちに
 八億四千の憶いあり、
 念々になすところ
 これみな三塗の業なり」

「四六時中、心は変わり通しで、
 いろいろなことを思っている。
 そのすべてが他人にはとても言えぬ、
 三悪道に堕ちねばならぬ恐ろしい
 タネまきばかりだ」

と善導大師は懴悔され、親鸞聖人も、

「いずれの行も及び難き身なれば
 とても地獄は一定すみかぞかし」
     (歎異鈔)

「微塵の善もできない親鸞なれば、
 地獄へ堕ちて当然だ」

と、悲嘆なされている。

これは、善導大師や親鸞聖人だけの
ことだろうか。

総ての人間はやがて死んでゆくが、
一息切れると同時に無間地獄へ堕ちて、
八万劫年苦しみ続けねばならぬ
という大事件をいうのだ。

死後の世界を認める人も
認めない人も関係なく、
この一大事から逃れることはできない。

地獄の実在を肯定する人にも、
否定する人にも同じく
この一大事が惹起致する。

経典に釈尊は、

「一切衆生、必堕無間」

と説かれている。

これは、総ての人間は
必ず無間地獄へ
堕ちて苦しむということだ。

後生の一大事の
説かれていない経典はない。

大無量寿経には

「心は常に悪を念い
 口は常に悪を言い
 身は常に悪を行い
 曽って一善の無し」

の十方衆生は
一息切れた後生は

「遠く他所に到りぬれば、
 能く見る者なし。
 善悪自然にして
 行を追うて生ずるところなり。
 窈窈冥冥として別離久しく長し。
 道路同じからずして
 会い見ること期なし。
 甚だ難し、甚だ難し。
 また相値うことを得んや。」

死んで堕ちる地獄とは、

「お前も来たのか、
 俺も来たよ。
 一緒に助け合って
 地獄の苦に耐えてゆこう」

というような世界ではない。
自分の撒いた種が皆違うのだから
堕ちる世界も皆違うのだ。
地獄の寿命が尽きるまで
まさに孤独地獄に
堕つるのだと教えられている。

その地獄の激しさは

「寿終わりて、
 後世にもっとも深く
 もっとも劇(はげ)し。
 その幽冥に入り、
 生を転じて身を受く。
 たとえば王法の痛苦、
 極刑なるがごとし」

死んで堕ちる世界は
この世のどんな苦しみも譬えることが
できない、苦しみの激しい世界である。

と、明らかにされた。

観無量寿経には

「あるいは衆生ありて、
 五戒・八戒および具足戒を毀犯す。
 かくのごときの愚人、
 僧祇物を偸み、現前僧物を盗み、
 不浄に説法す。慚愧あることなし。
 もろもろの悪業を
 もってして自ら荘厳す。
 かくのごときの罪人、悪業をもっての
 ゆえに地獄に堕すべし。
 命終わらんと欲る時に、
 地獄の衆火、一時に倶に至る」

「あるいは衆生ありて、
 不善業たる五逆・十悪を作る。
 もろもろの不善を具せる
 かくのごときの愚人、
 悪業をもってのゆえに
 悪道に堕すべし。
 多劫を経歴して、
 苦を受くること窮まりなからん」

と、全ての人間は十悪・五逆の罪人。
そんな極悪人でありならが
悪を犯しながらも
自分に恥じる心もない、
他人に恥じる心もない
無慚無愧の十方衆生で
みな地獄行き、
と説かれている。

親鸞聖人は教行信証に
最勝王経疏を引用され、

「五逆といふは 
 最勝王経疏によるに
 五逆に二つあり。
 一つには三乗の五逆なり。
 いはく、
 一つにはことさらに思うて
 父を殺す、
 二つにはことさらに思うて
 母を殺す、
 三つにはことさらに思うて
 羅漢を殺す、
 四つには倒見して
 和合僧を破す、
 五つには悪心をもって
 仏身より血を出す。
 恩田に背き、福田に
 違するをもってのゆえに、
 これを名づけて逆とす。
 この逆を執ずるものは、
 身破れ命終へて、
 必定して無間地獄に堕して、
 一大劫のうちに無間の苦を受けん、
 無間業と名づく」
 
と、「一切衆生、必堕無間」の
後生の一大事が説かれている。

「五逆罪を犯していない者も
 いるだろう」

という者に対して、親鸞聖人は

「また下品下生のなかに
 五逆を取りて謗法を除くとは、
 それ五逆はすでに作れり」
  (教行信証信巻)

と、すべての人間、
五逆罪を造っていない人は
一人もいない。
皆、造りづくめであると
断言しておられる。



人間の実相を語る歴史人(光炎王光②)

2011年06月29日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(光炎王光②)

「仏光照曜最大一
 光炎王仏となづけたり
 三塗の黒闇ひらくなり
 大応供を帰命せよ」
  (浄土和讃)

では光炎王光の働きは
どんな働きであろう。

「三塗の黒闇 開くなり」

とあるように、
「三塗」とは迷いの世界、六道の中の
地獄・餓鬼・畜生のことである。
つまり三悪道をいう。

なぜ、諸仏方は阿弥陀仏を
諸仏の王とあがめずにおれないのか。

それは諸仏方の光明が
如何に素晴らしくとも
三悪道までは届かない。
三塗に苦しんでいる人には
届かないのである。

阿弥陀仏の光炎王光だけは
人間界だけではなく、
三塗の世界まで届いているのだ。

全ての生きとし生きるもの
人間に生まれて、仏法を聞かなければ
迷いの世界から出て離れることは
できない。

だから光炎王光の働きは
三悪道に沈んでいる者を
人間界に生まれさせようと
いう働きである。

このような働きのある光明を
持たれた仏は大宇宙でも
阿弥陀仏お一人ですから、
諸仏方は阿弥陀仏のことを

「三世十方の諸仏の
 本師本仏なり」

阿弥陀仏は全ての仏の先生だと
と言われている。

蓮如上人は御文章の二帖目7通に

「それ人間界の生を受くることは
 まことに五戒を持てる功力なり」

と五戒をたもたなければ
人間に生まれることはできないと
教えられている。

五戒とは
・不殺生=生きものを殺さない
・不偸盗=盗みをしない
・不邪淫=邪淫をしない
・不妄語=ウソつかない
・不飲酒=酒を飲まない

しかし、親鸞聖人は

「一切の群生界、
 無始よりこのかた
 今時、今日にいたるまで
 穢悪汚染にして、清浄の心なく
 虚仮諂偽にして、真実の心なし」
  (教行信証)

と、五戒をたもてるような人は
誰一人としていないと
喝破しておられる。

もし、阿弥陀仏の光炎王光の
お育てがなかったならば
とても人間界に生まれることは
できなかったと
述懐しておられるのだ。

そして、人間界に生まれてからも
何とか仏法を聞かせようと
働きかけて下され、、
仏法を聞くようになった人には
三塗の黒闇を破って頂き、
人間に生まれた本懐を果たす
ところまで導いてみせると
いう働きとなって現れるのである。

三塗の黒闇とは
我々を苦悩の根元である
無明の闇のことである。

無明の闇とは、

「死んだらどうなるか分からない、
 死後に暗い心」

をいい、また

「後生暗い心」

ともいわれる。

「後生」とは死後のこと。
「暗い」とはわからないこと。
死後ハッキリしない心を
「後生暗い心」とか
「無明の闇」と
いわれるのである。

「死んでからのことは、
 死んでみにゃわからん。
 つまらんこと問題にするな」

と言いながら、
有るやら無いやらわからない、
火災や老後のことは心配する。

火事にあわない人がほとんどだし、
若死にすれば老後はないのに、
火災保険に入ったり、
老後の蓄えには余念が無い。

「老後のことは老後に
 なってみにゃわからん。
 つまらんこと」

とは、誰も言わないようだ。

火災や老後のことは真剣なのに、
確実な未来を問題に
もしない自己矛盾には、
まだ気がつかないでいる。

「考えたって、
 どうなるもんじゃないよ」

「その時はその時さ」

「そんなこと考えていたら、
 生きていけないよ」

頑固に目を背けさせる死には、
無条件降伏か玉砕か、
大なるアキラメしかないのであろうか。

元気なときは、

「死は休息だ」
「永眠だ」
「恐ろしくない」

と気楽に考えているが、
"いざ鎌倉"となると、
先はどうなっているかだけが
大問題となる。
死後は有るのか、無いのか、
どうなっているのやら、
さっぱりわかっていない、
お先真っ暗な状態なのだ。

この「死んだらどうなるか分からない心」を、
「無明の闇」といい、
また、「後生暗い心」とも
「三塗の黒闇」ともいわれる。

その無明の闇、三塗の黒闇を
破って頂くことが
人生の本懐である。

「仏光照曜最第一、
 光炎王佛と名ずけたり
 三塗の黒闇(疑)ひらくなり
 大応供を帰命せよ」

「無明の闇(疑)を破するゆえ、
 智慧光佛と名ずけたり、
 一切諸佛三乗衆
 ともに嘆誉したまえり」

と教えていられる。

十方三世の諸仏でさえ
手こずって逃げた三塗の黒闇を、
ひらいて下さるからこそ、
その身になるまで導いて
下された阿弥陀仏の光明を
仏光照曜最第一と称讃されるのだ。

だからこそ、一切諸仏や三乗衆も、
本師本仏、諸仏の中の王なりと
嘆誉せずにはおれないのだ。




人間の実相を語る歴史人(光炎王光①)

2011年06月28日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(光炎王光①)

「人身受け難し 今已に受く
 仏法聞き難し 今已に聞く」

その釈尊のみ教えに
親鸞聖人は自己の本当の姿を
知らされた時、

「人間に生まれてこれたのは
 ひとえに阿弥陀仏の光炎王光に
 よるものであった」

と知らされ、御和讃の中で
このように教えておられる。

「仏光照曜最大一
 光炎王仏となづけたり
 三塗の黒闇ひらくなり
 大応供を帰命せよ」
  (浄土和讃)

「仏光」とは阿弥陀仏の光明のこと。
「光明」とは仏様の御念力のことだから、
仏光は阿弥陀仏の私達を幸せにしようと
なされているお働きという。

親鸞聖人は人間に生まれることが
できたのも全て光炎王光の
お働きによるものだと
いうことである。

「仏光照曜最大一」とは
真実の経典である大無量寿経に

「無量寿仏の威神光明は、
 最尊第一にして
 諸仏の光明の
 及ぶこと能わざる所なり」
   (大無量寿経)

とあるように、
大宇宙の仏方の王様であると
仰言っておられる。

続いて、釈尊は本師本仏の
阿弥陀仏の広大なる威徳を
讃嘆し、十二光仏を
教えておられる。

「無量寿仏の威神光明は、
 最尊第一にして
 諸仏の光明の
 及ぶこと能わざる所なり。
 この故に無量寿仏、無辺光仏、
 無礙光仏、無対光仏、
 炎王光仏、清淨光仏、
 歓喜光仏、智慧光仏、
 不断光仏、難思光仏、
 無称光仏、超日月光仏
 と号けたてまつる。
 それ衆生ありて、
 この光に遇う者は
 三垢消滅して身意柔軟に、
 歓喜踊躍して善心生ず。
 若し、三塗勤苦の処に在りて、
 この光明を見たてまつれば
 皆休息するを得て、
 また苦悩なく、
 寿おわりて後、
 皆解脱を蒙らん。
 われ無量寿仏の
 光明威神の巍々とし
 殊妙なるを説かんに
 昼夜一劫すとも
 尚未だ尽くすこと能わじ」
  (大無量寿経)

と十二光仏を列挙せられて
讃仰し釈尊にして
なお説きつくすことが
出来ぬ神秘の光耀であると
説かれている。

また、大阿弥陀経には

「諸仏の中の王なり、
 光明の中の極尊なり、
 光明の中の最明無極なり」
  (大阿弥陀経)

と光明で阿弥陀仏に及ぶ仏は
おられないことを
明らかにしておられる。

イタリアの国の童話に
こんな話がある。

或る山の一軒屋に
ローソクが自分程
明るいものはなかろうと
自慢していた。

そこへランプが
フラリと降りて来て
同じように威張った。

そこへ電気が遊びにきて
俺こそ一番だろうと
自惚れると、ローソクもランプも
光を失って、電気の前に
平身低頭した。

やがて東の空から
太陽が顔を出した。
あたりは薄明るくなって来た。

「あれは何万觸光の
 電気だろう」

と驚いていると
太陽が一切の闇を破って
光明界としたので
ローソクもランプも電気も
一切が光を失って
暗くなった。
自慢話は絶えた。

闇に対すれば
ローソクは明るいし
ローソクに対すれば
ランプは明るい。
ランプに対すれば
電気はもっと明るいのは
事実である。
これを相対という。

しかし、一度太陽という
絶対の光が東天に輝くと
諸光は絶対の光に
映奪(えいだつ)されて
皆んなが暗いというより
外はないことになる。

大宇宙のガンジス河の
砂の数ほどの諸仏方も
どんなに素晴らしい光明を
持っておられたとしても
それはローソクやランプ
電気のようなものである。

何万本のローソクを燃やし、
世界中の電灯を燈しても
太陽の光には
遠く及ばないのである。

阿弥陀仏の無量光の前には
どんな仏方の光明も遠く
及ばないのである。

だから全ての仏方は
阿弥陀仏を本師本仏と
崇めずにおれないのだ。

光明の中の王様であるから
阿弥陀仏を「光炎王光仏」と
呼ばれるのである。



人間の実相を語る歴史人(人身受け難し 今已に受く)

2011年06月27日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(人身受け難し 今已に受く)

人間、誰でも

「私達はどうして人間に
 生まれてきたのか。
 犬や猫、魚や昆虫に
 生まれることなく、
 なぜ、人間に生まれたのか」

と考えたことがあるだろう。

仏教では

「人身受け難し 今已に受く」

と人間に生まれることは
甚だ難しいと
教えられている。

どれほど難しいことなのか。

ある時、釈尊が
阿難というお弟子に、

「そなたは人間に
 生まれたことを
 どのように思っているか」

と尋ねられた。

「大変喜んでおります」

と阿難尊者が答えると、
釈尊は次のような話を
されている。
今日、「盲亀浮木の譬え」と
いわれているお話だ。

「果てしなく広がる海の底に、
 目の見えない亀がいる。
 その盲亀が、百年に一度、
 海面に顔を出すのだ。
 広い海には一本の丸太棒が
 浮いている。
 丸太棒の真ん中には
 小さな穴がある。
 その丸太棒は風のまにまに、
 西へ東へ、南へ北へと
 漂っているのだ。
 阿難よ。百年に一度、
 浮かび上がるこの亀が、
 浮かび上がった拍子に、
 丸太棒の穴にひょいと
 頭を入れることが
 あると思うか」
 
聞かれた阿難は驚いて、

「お釈迦様、そんなことは
 とても考えられません」

と答えると、

「絶対にないと言い切れるか」

釈尊が念を押されると、

「何億年かける何億年、
 何兆年かける何兆年の間には、
 ひょっと頭を入れることが
 あるかも知れませんが、
 無いと言ってもよいくらい
 難しいことです」

と阿難が答えると、

「ところが阿難よ、私たちが
 人間に生まれることは、
 この亀が、丸太棒の穴に
 首を入れることが有るよりも、
 難しいことなんだ。
 有難いことなんだよ」

と釈尊は教えられている。

「有難い」とは

「有ることが難しい」

ということで、
めったにないことを言う。
 
人間に生まれることは、
それほど喜ばねば
ならないことだと、
釈尊は教えられている。

七高僧の御一人、源信僧都は
横川法語の中で
人間に生まれたことを喜びなさい
と断言されている。

「まづ三悪道を離れて人間に生るること、
 大きなる喜びなり。
 身は卑しとも畜生に劣らんや。
 家は貧しくとも餓鬼に勝るべし。
 心に思うことかなはずとも
 地獄の苦に比ぶべからず。
 この故に人間に生れたることを喜ぶべし」

この喜びはどこから湧き出てくるのだろう。

「まず三悪道を離れて人間に生まれたる
 こと大きなるよろこびなり」

三悪道とは地獄界、餓鬼界、畜生界
のことである。

人間に生まれ、どれだけ卑しい身分と
さげすまれても、その人は飼い犬を
「この畜生が」と
叱っている。

どんなに貧しい家に生まれても、
餓鬼界のガキのように
食べることも飲むこともできないと
いうことはない。
何かを食べて、飲んで生きている。

どんなに人間関係に苦しんで
地獄のようだといっても
本当の地獄と比べたら、
苦にもならない。

しかし、これは下の者を見て、
これよりはマシだろうというような
退廃的な考えを言われているのではない。

人間でしかできないことがある。
畜生、餓鬼、地獄の世界では
できないこと。
それは仏法を聞くことである。

生まれがたい人身を受けた私たち。
では、その唯一の聖使命とは、
何なのか。それこそ、
真実の仏法、
阿弥陀仏の本願を聞信し、
魂の解決をするということ。

これを仏教では信心決定という。

しかもこのようなことは
何億年に一度しかめぐって来ない
絶好のチャンスなのだ。

これを千載一遇のチャンスという。

覚如上人は、「報恩講式}に

「弟子、四禅の線(いとすじ)の端に
 たまたま南浮(なんぶ)人身の針を貫き、
 広海の浪の上に、まれに西土仏教の
 査(うきぎ)にあえり。」

と書いておられる。

弟子(私は)受けがたき人身を受け、
さらに聞きがたき仏教に
出遇うことができた。

つまり今生において
聞くべきことを聞けた
という喜びが表明されている。

人身を受けること、
そして仏教を聞くことは、
計り知れないくらい高いところ
(地上から十番目の天界・四禅天)
から糸を垂らし、
この地上に置いた針の穴を
通すようなものだと表現されている。

地球上でいえば、
エベレスト山の頂上から
糸を垂らし、ふもとにある針の穴に
通すようなものである。
これは不可能に近い。

それ以上に
仏法を聞く身になったことは
難しい中の難しいことであり、
喜びの中の喜びなのだ。






人間の実相を語る歴史人(吾当安此 六道出離)

2011年06月26日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(吾当安此 六道出離)

「天上天下、唯我独尊、
 三界皆苦、吾当安此」

「吾(釈尊)当に此に安んずべし」

その苦しみの中にありながら
安らかな楽しい世界がある。

一切の人々は、この無碍の世界に
出るために生まれてきたのだ。

万人共通唯一の、出世の本懐を
教示なされた釈尊のご金言である。

では、何の為に我々は生まれてきたのか。
それは釈尊が御生誕の際、
東西南北に七歩、歩かれたことが
教えている。

七歩とは六歩を一歩出る。
六とは六道、迷いの世界のこと
だから、迷いの世界を出て離れる
というこである。

七歩とはこの迷いの世界
六道(三界)を出て離れる
というこである。
だから六道出離、六道出世といわれる。

出世といえば、世間では
「世に出る」
という意味で使われている。
選挙で当選し、議員になれば
世間の人からは「出世したな」と
いわれる。

一社員が大抜擢で社長になれば
「あいつは若いのに社長になったぞ。
 出世頭だな」
と持てはやされる。

ところが世に名前が出たからといって
幸せな人生を送れたかというと
そうではない。

織田信長は本能寺の変で最期を
遂げた時、能「敦盛」の一節を
舞って自害したと言われている。

「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、
 夢幻の如くなり。
 ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」
 
「人間の一生は所詮五十年に過ぎない。
 天上世界の時間の流れてくれべたら
 まるで夢や幻のようなものであり、
 命あるものはすべて滅びてしまうものなのだ」

豊臣秀吉の辞世の句も有名だ。

「おごらざる者も久しからず、
 露とおち 露と消えにし わが身かな 
 難波のことも 夢のまた夢」

栄華栄誉に極めた秀吉も
その最後の言葉は、
夢の中で夢を見ているような、
はかない一生だった、
との告白である。


徳川家康は徳川300年の礎を
築きあげならがも、その遺訓には

「人の一生は、
 重荷を負うて遠き道を
 行くが如し」

と人生は苦なりと残している。

戦国時代の立身出世した者達の
異口同音の言葉が、
「人生は苦なり」である。

仏教で出世とは
「世を出る」という意味である。

迷いの世から出ること
これこそが人生の目的であり、
仏教を聞く目的である。

迷いの世を六道というので
七歩歩かれたとは六道を
出て離れるということだ。

その六道出離は
阿弥陀仏の本願によらなければ
できないのである。

浄土真宗の勤行で拝読する『正信偈』は、
親鸞聖人が一字一涙の御心で
書き遺されたものである。

「即横超截五悪趣」

遠い過去からの苦悩の元凶を
断ち切られ、
永の迷いの打ち止めを
させて頂くにはどうしたらよいのか。

「即ち横に五悪趣を超截す」
と仰言っている。

「横」とは、他力を表す。

「『他力』と言うは如来の本願力なり」
   (教行信証)

と親鸞聖人仰せのとおり、
阿弥陀如来の本願力のみを他力という。

世間では、他力とは「他人まかせ」
のことであり、
"他力信心の人"と聞くと、
他人に依存する弱々しい人間像を
思い浮かべる。

これは本当の他力を全く知らないからだ。
他力とは、私たちの苦悩の根元である
無明の闇を打ち破って、
日本晴れの大安心にするお力であり、
「人間に生まれてよかった」
と大満足の身にしてくだされる
如来の威神力不思議をいう。

「超截」とは、迷いのきずなを断ち切り、
苦しみの絶えぬ世界を超越することであり、
その苦悩の境界を「五悪趣」といわれている。

すなわち、地獄、餓鬼、畜生、
人間、天上の五つの世界をいい、
修羅を加えて六道(六界)ともいわれる。

地獄とは、最も苦しみの激しい世界。
業火に焼かれる苦痛は、
この世の溶鉱炉の火を
地獄に持っていくと
霜か雪になってしまうと
例えられるほどだ。

餓鬼は、やせこけて
腹だけ膨れた姿をし、
のどが針のように細く、
しかも食べ物を口にしようとすると、
たちまち炎に変わり、
常に飢えと渇きに苦しむ世界。

畜生界は、私たちも目にする
獣や鳥、魚や虫などの世界。
淫欲満々とし、また弱肉強食の
世界ですから常に不安が
付きまとっている。
眠っている犬に、足音を忍ばせ
近づいても気づかれてしまう。
それだけ神経をピリピリさせている。

これら地獄・餓鬼・畜生は、
特に苦悩の激しい境界だから、
「三悪道」とか「三塗」といわれる。

修羅界は、憎しみ合い、
争いの絶えない世界。
世間でも、テロや殺し合いなどの
悲惨な場所を修羅場といわれるのは、
ここから来ている。

人間界は、常に善悪を問題に
している私たち人間の世界。
三悪道や修羅界よりもましだが、
苦悩は絶えない。

天上界は六界の中で、
最も楽しみの多い世界だが、
天人の五衰があり、
歓楽尽きて転落する苦しみは
何ものにも増して激しく、
やはり迷いの世界だ。

これら六道を車輪が回るように、
果てしなく生死生死を
繰り返しているのが、
我々の生命のすがたである。

これらの世界は、死後にのみ
存在するのではなく、
現在の私たちの心の中にも
うごめいている。

「どうして私だけ、こんなひどい目に
 遭わねばならぬのか」
泣くに泣かれぬ逆境に立ち、
他人をのろい恨んでいるのが地獄の心。

有っても欲しい、無ければなお欲しい。
食欲・色欲・名誉欲、
常に満たされぬのが餓鬼の心。

恐怖心が強く淫欲満々、
日夜、他人を自由に
犯しているのが畜生の心。

自分の意思に背く者を心の中で、
たたき合い殺し合っているのが修羅の心。

因果の道理を信じて、
人に迷惑をかけず、
正しく生きようとするのが人間の心。

健康や物質に恵まれて花見遊山、
一時、我を忘れているのが天上の心。

このように私たちの現在の心の中に、
地獄・餓鬼・畜生その他の世界があり、
もちろん死後にもこの世界が続く。





人間の実相を語る歴史人(三界皆苦)

2011年06月25日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(三界皆苦)

釈尊ご生誕の時、仰有た
「天上天下 唯我独尊」
の続きの言葉がある。

「天上天下、唯我独尊、
 三界皆苦、吾当安此」
   (釈尊)

「天上にも地上にも、
 人間(我)のみの独尊あり」

他の動物には、
因果の道理を弁えることも、
無上仏の本願を聞くこともできぬ。

人間のみ、仏法を聞くことができるから、
人命が尊いのである。

「人生(三界)はみな苦なり」

釈尊がご生誕なされ、仏陀のなられた
第一声がこのお言葉なのである。

凡夫が生死を繰り返しながら
輪廻する世界を3つに分け
三界という。
欲界・色界・無色界の三つ境界である。

欲界とは五欲のみで生きている世界だ。
欲の本性は我利我利亡者である。
自分さえ幸せであれば、
他人などどうなってもいい。
俺の欲望が満足できれば、
他人が不幸になっても構わない。
特に色欲・食欲の2つの欲望に
とらわれた有情の住む処である。

色界とは2つ欲望を満足しても幸せはないと
美しい音楽や綺麗な絵などを
鑑賞することに喜びを感ずる者達の世界。
芸術や音楽の世界のようなものである。

無色界とは形あるものに快楽を
求めても本当の幸福はないと
ただ精神作用にのみ住む世界である。
思想や宗教の世界のようなものである。

釈尊は
「三界は安きことなく、
 なお、火宅のごとし」
といわれるのは、迷いと苦しみのこの世界を、
燃えさかる家にたとえられたのだ。

その三界を6つの世界にわけられ、
六道と教えられた。

地獄・餓鬼・畜生・修羅
人間界と天上界の六つの世界。

欲界=地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間界
   天上界の一部

色界・無色界=天上界の一部

三界でも、殆どが欲界で苦しんでいる者ばかり。

たとえ、色界・無色界にいても
迷いの苦界に変わりはないのだ。

人間に生まれても
地震、雷、火事、洪水、噴火、
境界争い、裁判沙汰、交通事故、
嫌な人間関係など衆苦充満しているから
三界の獄ともいい、

人生は四苦八苦ともいわれる。

悩み絶えなく終わる一生なら
哀れというも愚かなり、である。





人間の実相を語る歴史人(天上天下 唯我独尊)

2011年06月24日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(天上天下 唯我独尊)

仏教で「まつり」と言えば、
四月八日の「はなまつり」
だけである。

釈尊の誕生日として、
知られている。

明治時代東本願寺で
真宗改革に尽力をつくした人に
近角常観がいた。
本山は彼の功績を認め、
明治33年、彼を、
欧米の宗教制度視察旅行に派遣した。
キリスト教の何を学ぶのか、
はなはだ疑問であるが、
ドイツで一つのエピソードを残している。

ドイツでは親鸞聖人と言っても
誰も知る人がいない。
しかし、釈迦の名声は
ドイツにも届いていた。

そこで、近角らが中心となって、
明治34年4月8日、ベルリンで、
釈尊降誕祝賀会を開催し、
初めて「花まつり」と名づけた。

この行事の成功をきっかけに、
以来、「花まつり」の名称が、
一般 に使われるように
なったのである。

約二千六百年前、
ルンビニーという花園で
お生まれになった釈尊は、
誕生なされてすぐ、
東西南北に七歩ずつ歩かれて、
右の手で天を、左の手で地を差し、

「天上天下 唯我独尊」

と仰有ったと伝えられている。

いくら釈尊が地球上で一番偉い方でも、
お生まれになってすぐに歩いて話を
されたとは信じられない。

このお言葉を通して、
何を明らかにされているのか、
その御心を聞かせて頂かねばならない。

多くの人は、
「この世で一番偉くて尊いのは、
 この釈迦である」
と、釈尊が威張られた言葉の
ように思っている。

他人の意見にあまり耳を貸さない人を見て、
「あいつは唯我独尊的な男だ」と使っている。

しかし、世界の偉人の中でも
一番に挙げられる釈尊が、
そのような傲慢なことを仰有るだろうか。

「実るほど
   頭を下げる稲穂かな」

「下がるほど
   人の見上ぐる藤の花」

とも歌われるように、
尊敬される人は腰が低いもの。

「我」とは、釈尊ご自身ではなく、
「私たち」一人一人のことである。

「独尊」とは、
「たった一つの尊い使命がある」
という意味である。

「天上天下 唯我独尊」
とは、
「天の上にも天の下にも、
 大宇宙広しといえども、
 人間に生まれなければできない、
 たった一つの尊い使命がある」
と教えられたお言葉なのだ。

万人共通唯一の人生の目的があるぞ、
との釈尊の一大宣言なのだ。



人間の実相を語る歴史人(釈迦の誕生・マーヤー夫人の見られた夢)

2011年06月23日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(釈迦の誕生・マーヤー夫人の見られた夢)

仏陀とは、仏教の最高人格者に
対する敬称であるが
地球上では釈尊のことである。
 
釈尊とは「釈迦族の尊者」
という意味である。

釈尊とは大聖釈迦牟尼世尊を
縮めて言われたものである。
大聖とは世界に多くの
偉人が現れ、三大聖人、
二大聖人といわれても
常にトップに上げられるのが
お釈迦様である。
世界で一番の偉人であるから
大聖と呼ばれたのである。

牟尼は無二ともいい
二人とないお方ということ。

世尊とは世の中で
最も尊いお方で
世尊と当時の人は
お呼びしていたのである。

釈迦族というのは、
今を去ること約2500年前、
北印度ヒマラヤ山麓に居住して
血統の尊貴なることを誇っていた
一民族である。

その首府をカピラ城といい
十人の長を選んで
更にその中から一人の
王者を選定して政治を
行わしめていた貴族的共和国である。
 
仏陀釈尊はこのカピラ城の城主、
浄飯王を父とし、
その妃マーヤー夫人を母として
誕生せられたお方である。

この王様夫妻は久しく
子供に恵まれなかったが、
或る夜、マーヤー夫人が
白象が胎内に入った夢を見て
懐妊せられたという。

古来印度では、
白象は縁起のよいものと
されていたからであろう。

何しろ初産なので
月満ちてから生家である
隣国、クリ城へ赴かんとして
カピラ城を出られたが、
その行列がルンビニー園という
花園にさしかかったところ、
突然産気を感じ、
白象の背より降り、
無憂樹の下で右脇より
玉のような男子を出生せられた。
 
印度では右を尊ぶと
いわれているから右脇と
いったのであろう。

然し今日産婦人科の医説によれば
男子は右方から生まれ、
女子は左方から生まれる
そうであるから
「男らしき生まれ方」と
思ってもよかろう。

しかもその日は4月8日で
時あたかもルンビニー園の
花は満開で、その中で
誕生されたことから
「花祭り」と称して
今日釈迦の御生誕を
お祝いするのである。





人間の実相を語る歴史人(夢の種類)

2011年06月22日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(夢の種類)

昔から聖人に夢なしといわれるが、
親鸞聖人には、
夢の記録が多い。

親鸞聖人は最も多く夢を
みられたお方のようだ。

夢は観念の作用であり、
疲れた意識の乱舞であって、
何の実在性も真実性もない幻だと
簡単に言い切る人もある。

しかし、それはあくまでも、
夢覚めた後の反省であって、
夢の中では忽然として
森羅万象があらわれ、
交通事故に遭ってもだえ苦しみ、
宝クジに当たって跳び上がって
喜んでいるなどは
現実生活そのものであり、
まったく変わったところはない。

観念の作用といわれたり、
意識の乱舞だといわれると、
なんの実在性もないように
思わるが、事実としても
厳然たる実在性をもって、
夢の中の私たちを
苦しめ、悩ませ、驚かせ、
悲しませ、ややもすれば
覚めたあとの私たちの生活までに、
大きな影響を与える。

たとえば、生々しい
恐ろしい交通事故に
遭った夢をみて、
とび起きた朝などは、
今まで参ったことのない
仏壇に三拝九拝して、
神経質なほどの
ビクビク運転をする
ドライバーのいることも、
否定できない。

現今の心理学などでも、
夢はいまだ解明されて
いないようだが、
夢の不可思議とも思える
神秘性を認めざるをえない。

そこで昔から夢は
種々に分類され
語り伝えられている。

仏や神、祖先から
授かるといわれている霊夢。

一般に正夢といわれている実夢。

思い続けていることを夢みる心夢。

とりとめのないことを夢みる虚夢。

種々雑多な雑夢。

恐れをなしていることを夢みる懼夢

などの大体6種がある。

だから夢というものは、
必ずしも正夢であるとか、
逆夢であるとは限らないが、
情けないことには
私たち凡愚のみる夢は、
明けても暮れても
借金とりに追い回される実夢ばかり。

「思いつつ  ぬればや人の みえつらん
 夢と知りせば さめざらましを」

夢と分かっていたならば、
さますのではなかったにと、
消えてしまった夢の世界を
惜しむ切ない虚夢も時にはある。

しかし、

「斬られたる  夢のまことか ノミのあと」

夢か、うつつか戸惑うような
懼夢が圧倒的に多いのは、
あわれというも愚かなりと
いわねばならない。





人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑰法然上人の仇討ちの断念)

2011年06月21日 | 人間の実相を語る歴史人
人間の実相を語る歴史人(赤穂浪士⑰法然上人の仇討ちの断念)

法然上人は長承二年(1133年)に
美作国(今の岡山県)稲岡庄の武士、
漆間時国(うるまときくに)の子と
して生まれられた。

幼名は勢至丸と名づけられたが、
それは阿弥陀仏の脇士の二菩薩、
観音菩薩(慈悲の象徴)
勢至菩薩(智慧の象徴)
のうちの勢至菩薩から
名づけられたものであった。

勢至丸はその名のごとく、
幼少のころより極めて賢い子供で
あったと伝えられていた。

勢至丸9才の時、その生涯を
決する大事件が起こった。

このころ、時国の所領にほど近い所に、
源定明(みなもとのさだあき)
という武者があった。
ふとしたことから時国に
大層の恨みを抱き、
ある夜半、大勢の手下とともに、
時国の館を襲ったのだ。

不意の出来事に時国は一人、奮戦したが、
何といっても多勢に無勢、
たちまち斬り伏せられてしまった。
騒ぎに目を覚ました勢至丸が
時国の寝所に行ってみると、
既に賊どもの姿はなく、
体の各所に致命傷を受けた時国が
虫の息で横たわっていたのである。

「おとうさん、さぞかし
 無念でございましょう。
武士が互いに一騎討ちをして
武芸つたなく敗れたのであればともかく、
 寝首をかきに来るとは
 何たる卑怯な賊どもでしょう。
 しかし、お父さん、
敵は勢至丸が成長した暁には
 必ず取ってご覧に入れます。」

勢至丸はけなげに、
臨終の父に敵討ちを誓った。

聞いた時国、

「勢至丸よ、敵討ちの志は嬉しいが、
 それは父の望むところではない。
 私の死は、私自身の
 前世の業縁によるのだ。
 もし、そなたの敵討ちが
 成就したとしても、
 敵の子は次に、
 そなたを敵と狙って、
 幾世代にもわたり、
 争いは絶えないであろう。
 愚かなことだ。
 もし、父のことを思ってくれるのなら、
 出家して日本一の僧侶となり、
 父の菩提を弔ってくれ。
 これがそなたへの最後の望みだ」

と言いつつ息絶えた。

時国の遺言は勢至丸の
心の中に深く刻み込まれた。
勢至丸はそれに従い、
出家を決意する。

この法然上人のお父さんの
ようでありたい。

仇討ちは、またその仇を
生み出すだけなのだ。