糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

ドラムスの椅子

2015-04-13 16:08:27 | 奉樂(賛美)の覚書
 ドラムスの椅子に関わる私の体験から二つお分かちしておきたいと思います。

 何人かのドラムス奉仕者がいたりする場面では、短時間の内に自分に合った高さに調整が必要になる場合が有ります。それがうまく行かないと不本意な奉仕になったりすることが有ります。幾つかのバンドが奉仕するイベントに参加した時のことでした。いざドラムに向かうと、椅子が大変低くセットされていました。調整をしようとするのですが、調整用のネジが大変固く締めてあり、どうしても動きません。そうこうしているうちに他のメンバーのセッティングが終わり、演奏を始めなければいけなくなってしまいました。調整は諦めて慌てて座り、フォーカウントを入れたのですが、あまりに焦って後半の二つが早くなってしまい、しっとりした曲のはずなのに慌ただしい演奏になってしまいました。

 もう一つの体験です。置いてある椅子が古いようで、調整のネジが少しゆるくなっている部分が有ったようです。演奏中に突然椅子が下がって来てしまいました。少しずつ下がり、ついには一番下まで下がってしまいました。自分の意図しなかった所でスネアがリムショットになっていしまったりしましたが、幸い演奏は無事に終えることができました。

 一応の対策として二つのことをお分かちしておきたいと思います。
 調整用のネジが自分の力では動かせない時は、ネジの頭を二本のスティックで挟んで回すと梃子の原理で力が伝わって回せるようになります。これは、ネジを締める時にも用いることができます。自分の力では十分にネジが締められない時は、今度はその方法できちんと締めるということもできます。
 酷使された椅子だと、ネジが摩耗したりしてゆるくなっている場合が有ります。上記の方法で締めても十分に締まらなくなってしまっているものも有るかもしれません。拘りの有るドラマーは、自分の椅子を持ち歩く場合が有りますが、それならば普段からコンディションがわかりますので、買い替えるタイミングも判りますので、突然の不具合で困ることはほとんどなくなると思います。
 






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詩編103編2節から(Good Fridayに寄せて)

2015-04-03 13:48:23 | 忍者的思索・奥義書より
わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。(口語訳)
Bless the LORD, O my soul, and forget not all his benefits, (ESV)


 「心にとめよ」、”forget not” と訳されている語は、否定語と原形はシャーカー、シャーケイアッハなどと読める語の組み合わせになっています。語幹の意味は「置き忘れる、記憶力や注意力が乏しいことによって認識が失われていること」などとなっており、「注意を払うことを止める」という意味合いを含んでいるようです。

 神様は私たちに過去の恵を記憶し、回顧し、くり返し確認することを求めておられます。この詩編においては、イスラエル民族をエジプトから救い出して約束の地まで導いた恵の詳細を覚えておくようにと求めています。新約に生きる私たちは、イエス・キリストが我々にしてくださった十字架と復活を通して与えられる救いの恵をくり返し記憶し、回顧し、確認することになります。この二つは共同体の記憶として確認する部分を含んでいます。ですから、過ぎ越しの祭が祝われ、私たちはレントとイースターの期間に瞑想し、また祝うのです。

 この記憶し、回顧し、くり返し確認するということにはもう一つの意味が有ると思います。それは、旧約のイスラエル民族の歴史に見るように、恵を信じられなくなってそこから離れることを止めることです。困難な時にもそれを思い出して立ち返るのです。確かに離散や捕囚を経験しましたが、エズラ、ネヘミヤの改革という立ち直りが有りました。

 更に、私たちは個人としてもこの記憶し、回顧し、くり返し確認する作業が必要になり、そのことが求められていることが多いと思います。私たち個人も将来に対する不安を持っています。その時に不信仰な気持ちになることが有るかもしれません。そこで、これまでに主がどれだけ良くしてくださったかをくり返し確認するのです。過去は過去、将来は判らないではないかと思うかもしれません。しかし、共同体全体に過去の恵の記憶を確認することによって神への信頼に留まるように神が求めておられるならば、個人の中でも同様の法則を持つのは当然の適用ではないでしょうか。






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