糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

お誕生「日」ではない!

2013-12-24 20:28:09 | 忍者的思索・忍界
 私たちは12月25日をクリスマスとしてお祝いします。10年程前は私は一度も気が付きませんでしたが、最近では教会のバナーや牧師の言葉にまで、「イエス様、お誕生日おめでとうございます。」だの "Happy Birthday, Jesus!" だのという表現がされていることに頻繁に出くわすようになって、暗澹たる思いになることがあります。

 クリスマス(Christmas)というのは、キリストのミサという意味が有ることはクリスチャンでない人達の間でも割合知られるようになっているのではないかと思います。キリストの降誕や最初の降臨を感謝して礼拝することがその中心的意義となります。ここで、感謝しているのはキリストが「降誕された事実」であって、降誕された「日」ではないということです。

 12月25日がキリストの誕生日ではないことも、クリスチャンではない人達の間で次第によく知られるようになってきていると思います。どうして、この日に祝うのかということは諸説あるということですが、比較的よく耳にするのは次のようなものではないかと思います。インドやイランで信仰されていたミトラ神(太陽の神)がローマでも信仰されるようになり、その冬至の祭をキリスト教化の過程で転用したということです。冬至から日が長くなり始めるので、その太陽神の力がまた回復に向かい始めることを祝ったものであるという説明も聞いたことがあります。
 
 ここで、12月25日がキリストの誕生日ではないとはっきり認識して、そういう区別をしっかりした表現を心がけるべき理由を二つ挙げておきたいと思います。
 一つ目は、当然なことでありますが、その日がキリストの誕生日という事実は無いからです。事実に反する表現を当たり前のようにすることは、私たちの神のご性質にも反していて、神の心にかなっていないと思います。実際の誕生日については、知る方法は無いように思いますが、9、10月頃であったろうとする説も有ります。
 二つ目は、クリスチャンでない人達の中には、私たちの信仰を挫くためにこのような背景を利用して、「キリスト教は他の宗教のパクリであって、神が啓示した宗教などでは有り得ない。」と論じることが有ったりするからです。あるいは、異教の神の繁栄を求めたり祝ったりする偶像礼拝的取組であるという立場での内部からの反対も出てきていたりします。キリスト教的な記念や礼拝に転用したことには宣教的背景や文化の文脈化などの取組が関わっているので、そのような批判は当たらないのですが、あまりよく理解していないクリスチャンの中には、真剣に自分の信仰はなんだったろうなどと悩む人も出てきたりするのです。

 そういうわけで、私たちは決して12月25日、クリスマスをキリストの誕生「日」とする表現を使わないように心がけるべきです。






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