糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

終末的記述の研究 1 (マタイ伝二十四,二十五章から)

2011-06-06 22:54:05 | 奥義書講解・新約
先日列挙した項目の最初の二つを扱います。(二十四章一から三節)

 キリストが神殿の石が一つとして積み重なることのない日が来ると述べました。ヘロデによる第二神殿は、その荘厳さで周囲の国々の人々にも印象深いものであった様子が、当時の文献からもうかがえるそうです。ギリシャ人の中には自分達の神々の神殿の方が素晴らしいということを述べた者もいるということです。その建築への評価はいずれにしても、それが壊れてしまうということでした。
 そういうことを聞いたキリストの弟子たちは、驚いたはずです。神殿はイスラエルの象徴的なものであり、間もなくキリストによってイスラエルが再興されるのではと期待していた彼らには、神殿が崩されるということは想像できなかったことになります。
 しかし、その後弟子たちはキリストに近づいて先ず、何時それは起こるのかを尋ねました。マタイはその部分への答えを記録していませんが、ルカの方は、二十一章二十節で「エルサレムが軍隊で囲まれるのを見たら」という記述をしており、それが70年のエルサレム崩壊であることを預言したものであると理解できます。
 弟子たちの質問は更に発展していきます。「あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか。」と尋ねています。どうしてこのような質問に発展したのだろうかと思ったのですが、手元の注解によると、弟子たちの頭にはザカリヤ十四章一、二節が有ったであろうとしています。
 ザカリヤ書を見てみると、十二章からエルサレムに関する預言になっていることがわかります。エルサレムが包囲されることへの言及も有ります。また、嘆きが有り、偽預言者が取り除かれ、人々の信仰が試されることが書かれています。そして、その十四章では、エルサレムが敵に打たれることが書かれています。三節には「主が出て来られる」という記述が有ります。弟子たちはそれをキリストであると考えていたという理解のようです。
 一節には「主の日が来る」ということが書かれていますし、主がすべての王となった時の記述は、奇跡的な内容になっていますから、それを「世の終わり」と考えることもできます。
 これらのことを合わせて、弟子たちの質問は発展したのだと考えることができそうです。





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終末的記述の研究 (マタイ伝二十四章、二十五章から)

2011-06-05 22:25:45 | 奥義書講解・新約
東北東日本大震災の後、終末を考える文章やコメントが頻繁に見られるようになりました。私自身は、少し違ったきっかけで、十人の乙女の例話の確認をしていたのですが、もっと大きな括りで研究するべきだと思いましたので、簡単な作業ではないとわかっていますが、このような取り組みをしてみようと思います。

取り合えず、大きな流れや疑問点を書き出してみました。


1)エルサレム神殿の石は崩されてしまう
2)1)は何時起きるか。また、再臨の前兆と世の終わりの前兆は何かという疑問
3)「終わりの日」の前に起きることと注意
4)エルサレム神殿の崩壊の前兆と警告
5)苦難に続く再臨の様子
6)前兆を読み取り且つ用心せよ(人の子は思いがけない時に来るから)
  (一人は取られ、一人は残される)
   現代のキリスト者にとって、思いがけないキリストの再臨に何の不都合が有るか?
7)忠実な僕、不忠実な僕
  (主人の財を勝手に使い、仲間を虐待する僕は厳しい罰を受ける)その内容は?
8)十人の乙女
  罰への言及無し。結びは、目を覚ましていなさい。その時を知らないから。
9)タラントの例話
  役に立たない僕は外の闇に追い出される。
10)再臨の後の選別
  左にいる者たち-永遠の刑罰に入る

*この話が、キリストの自身による受難の預言の橋渡しになっている。
 そのことの意味は?


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