糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

マイク、譜面台

2013-09-22 19:17:22 | 奉樂(賛美)の覚書
 私も何度か注意が足りなかったと反省したことがありますが、マイクや譜面台について書いておこうと思います。あまりこういうことを注意しなくてはならない状況になることは無いのですが、一応の判断材料として知っておくことのは良いことでなはいかと思います。

 比較的会衆と講壇が近かったり、賛美チームの配置が特殊であったりすると、奉仕の後のマイク(マイクスタンド)や譜面台が視覚的に邪魔になったりすることがあります。ですから、奉仕が終わってその場を離れる時には、譜面台やマイクをできるだけ下げておくという配慮をする必要が生じる場合があります。

 どうしてかと言いますと、説教の時間に、会衆は座っていますから、マイクや譜面台が割合高い位置で視線を遮り、説教者やスクリーンが見ずらいということが出てくるからです。すると、説教者の表現や投影された資料などが十分に見えなかったりすることになります。かなり礼拝の心を妨げる要因になる場合が有ります。

 もしあなたの里がyoutubeなどで礼拝ビデオを配信している場合、マイクや譜面台が画面に映りこんで、あまり整わない構図になったりすることも有るかもしれません。

 私の場合は、そういう取り決めるの有る里でのことであったのですが、うっかり忘れて自分だけマイクや譜面台を下げずに席についてしまったことが有りました。親しい人に、「マイクが中忍の顔にかぶって、顔が見えない。」と耳打ちされました。





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ザカリヤとエリサベツ (ルカ伝一章五節~二十五節)

2013-09-14 18:03:18 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
五節~七節 ザカリアとエリサベツの評価

ザカリアとエリサベツという夫婦の人となり、どんな人物であるかが説明されています。ザカリアという名前は祭司の間では人気の有る名前だったと思われます。ユダヤ人の聖書の順番では歴代誌が最後で、そこに登場する神殿で殺された忠実な祭司の名前にあやかったことになります。エリサベツというのも人気の有る名前であったと思われます。特に、レビ族の女性であるならばそうであったと思われます。それは、初代大祭司アロンの妻と同じ名前でした。ルカは、わざわざエリサベツが「アロンの子孫」つまりレビ人だと記しています。祭司はイスラエルのどの部族の女性とも結婚できたのですが、同じレビ族の女性ならもっと好ましいとされていました。
 ルカは更に続けて、彼らが「神の御前に正しい」歩みをしていたことを記しています。人気の有る名前を持つこと、レビ人の女性を妻に迎えたことは、体裁が良いから、世間体が良いからということではなかったようです。前の代から、真摯に神を求める家族を背景に持った二人が結婚し、真摯に神に仕えてきたということではないでしょうか。
 神の御前に正しい生き方をしてきた夫婦でしたが、それでも困難を体験していました。子供が無かったのです。子供が無いということは、当時の世界では何か祝福を失っている、何か足りないところが有るというように見られましたから、それは気の重いことであったと思われます。また、歳を取っても、生活の保証がきちんとしていた時代ではありませんでしたから、子供の労力をあてにできないということも、困難を増し加えました。
 キリストに何度も警告を受けたパリサイ人達は、真面目に、また律法に忠実に生きているようでしたが、「神の御前に正しい」生き方ではありませんでした。お金を沢山持って、自分達こそ神に祝福されていると思っていたパリサイ人でしたが、一度も「神の御前に正しい」と評価されたことはありませんでした。逆に、人間の目から見たら、何か足りないと思われていたザカリヤとエリサベツの心をご存知の神様は、ルカを通して、「神の御前に正しい」人物であったという評価を残されました。


八節~二十三節 与えられた特権

祭司にも組分けが有ったことがわかります。ダビデの時代に二十四組に分けられ、バビロンの捕囚の後、四組しか帰還しませんでしたが、その人達を再び二十四組に編成しなおして、昔の組の名前を与えたそうです。
 彼らは順番に神殿の奉仕をしました。年に二回当番が巡って来て、一回の期間は一週間でした。
 ここでザカリアは、一生できないかもしれない奉仕の特権を得ました。神殿に入って香を焚く当番がくじで当たったのです。この当番は、一度当たったことのある者はできませんでした。それでも祭司の人数は沢山いましたから、この奉仕を経験せずに引退する祭司はたくさんいました。
 香を焚く係りは三人選ばれました。一人目は、前の香の灰を掃き取ります。二人目は、全焼の犠牲の祭壇から金の器に炭火を取って、香を焚くための金の祭壇にその炭火を乗せます。三人目がその炭火の上に香を乗せ、香りと煙が立ち昇る中で、イスラエルの民のための執り成しの祈りをします。この三人目の役がザカリヤに与えれらたのでした。これがザカリアに与えられた第一の特権でした。

ザカリアが奉仕をしていると、香壇の右に天使が立ったと書いてあります。どうして、立つ位置までルカは書いたのでしょうか。当時の人達の理解では、右側というのは、好意、恵みを表す位置だからということのようです。つまり、天使は神様の好意、恵みを伝えるために現われたことを示唆しているわけです。そして、この天使はガブリエルであると名乗りました。ガブリエルは、名前が記されている数少ない天使のひとつで、神の意志や計画を伝えるのが主な仕事だとされていました。神の元から、このような特別な天使が来て伝えたことは何でしょうか。
 ガブリエルは、開口一番に、「あなたの願いが聞かれたのです。」と言いました。ザカリヤの願いとは何だったのでしょうか。ある人達は、直後に子供が生まれるという預言が有るから、子供が与えられることだったろうと考えます。しかし、それは状況に合わないようです。ザカリアは、香を焚いてイスラエルの民の祝福を祈る一生に一度有るか無いかの特別な奉仕をしていたのです。個人的な祈りをささげるような場面ではありませんでした。しかも、その預言に疑問を呈しています。ですから、彼は真心を込めて、イスラエルの祝福のために、また約束のメシアが与えられるように祈ったのだと考えられます。そのような彼の祭司としての務めを通して、神様がそのような大きな祈りに応えられたということが彼に与えられた第二の特権であったと思われます。

続けてガブリエルが伝えたことは、祈りの答えであるメシアの到来に先立つ「主のまえぶれ」に成る者として、ザカリアに子供が与えられるということでした。旧約聖書に現われる記述を参考にすると、幾つかのことがわかります。子供の生えは神がつけました。神に名前を付けられた者は、例えばソロモンのように、とくべつな働きをすることが予見できました。彼がぶどう酒も強い酒も飲まないという部分は、サムソンやサムエルが生まれる前に天使が告げた言葉と同じです。ですから、先の二人のような特別な存在になることが予見できました。胎内に居るときから聖霊に満たされると言われました。聖霊に満たされることは、旧約聖書では神の言葉を語る預言と関連のあることがらでした。ですから、この子供は神の言葉を伝える預言者の仕事をすることが予見できました。
 
 
 


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