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国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告の意義

2012-07-12 | Weblog
7月5日、黒川委員長が衆参両議長に委員会報告書を出した。

やっと、一応まともな調査が行われたことになったと思う。
今迄の行政府の行った事故調は、端的に言って、経済産業省と東電の意向に沿ったゆがめられたものだったのは、疑いの余地はない。

最大の論点は一つ。
東京電力福島原子力発電所事故は、
1. 本当に大津波によって引き起こされたものなのか、
2. それとも、やはり大地震で設備が被害を受けた結果だったのか
という点である。

過去の報道も、すべて、大津波による電源喪失が事故の原因だと言いつのっている。

その見本のような報道がNHKで行われ、不思議に思った筆者は、下記のコメントをNHKのクローズアップ現代に送っている。

[筆者コメント]
NHKの4/6(木曜日)のクローズアップ現代、「どうする原発。運転再開。不安は解消されるのか」を見てコメントします。

この「クローズアップ現代」はNHKの番組の中で、秀逸の、もしかすると唯一の優れた番組だと考えています。これは、国谷裕子さんの素晴らしい着眼点、勉強、優秀なサポートスタッフによるものだと思います。
さて、今回の放送を見ていて、ちょっと不思議な気がしました。
それをコメントします。

福島原発事故の直接的原因には大きく言って、二つのことが考えられます。
・一つは地震そのものの破壊力
・二つ目は地震の結果の津波による被害
です。

しかし、今回の放送は、珍しくバランスを欠いたものになったともいます。
それは、津波にはハイライトが十分すぎるほどあてられたと思いますが、地震の影響・被害については全く触れられませんでした。

本当の原発の安全は、その耐震性にあると思っています。
・原子炉
・格納容器
の強度の問題は取り上げられますが、いくらこの強度をあげようと、これらにつながる何千本の配管のジョイント部分の脆弱さは避けられません。

福島のメルトスルーの原因は、未だ明らかではありません。

しかし、地震の巣である日本列島を襲う地震のマグニチュードが高ければ高いほど、この脆弱なジョイント部分の破壊が決定的だと推測できます。

放送では、「津波対策」に目を持っていかれ、本体の持つ脆弱さを隠したものになっているのでは、と思いました。

ある意味では、本来の安全対策を議論するのではなく、「津波」の問題への矮小化につながった気がしました。
地震そのものの持つ、本来的な原発の安全対策に国民の目を向けてほしいものです。

津波対策という矮小化された番組は視聴者を偏った情報に導いたのではないかと思います。
次回は、バランスを取るため、地震そのものに対する原発の安全性に着目した番組を作っていただきたいと思います。

期待しています。 

[筆者コメント終了]

この私の疑問に対して、
今回の国会事故調の報告書は、やっと地震そのものが原子炉そのものに影響したとある。

今後、本当に国会はどうこの報告書を生かしていくのか、国民とメディアは注意深く見守っていく必要がある。
そうでなければ、大飯原発の再稼働が議論もなく、単に地元と関西電力の合意で行われた再稼働が、他の原発でも容易にぬくぬくと行われ続けるに違いないからだ。

ちなみに、海外のメディアはどうこの問題を扱っているかを知るのも、矮小化された議論の大好きな日本社会にとっては、一つの警告でもあるだろう。

下記は7月5日のウオール・ストリート・ジャーナルのオピーニオンです。

【オピニオン】日本のエネルギー政策の未来を変えるかもしれない結論 2012年 7月 5日

 昨年、福島第1原子力発電所で起きた部分的な炉心溶融(メルトダウン)の直接的な原因は何だったのか、という論争は日本の政府高官、政治家、ジャーナリスト、活動家などの間で今も繰り返されている。

この事故後、多くの近隣住民は避難を余儀なくされ、東京電力は莫大な損害賠償を負うことになった。重要なパイプを断裂させたり、土台に損傷を与えたのは3月11日の大地震だったのだろうか。
それとも重要な冷却装置の電力源となるはずだった非常用発電機を水浸しにして使いものにならなくした大津波だったのか。
日本にとってこうした質問を投げかけることは、その答え以上に重要かもしれない。

 この問題は国会事故調査委員会でも考察されており、その報告書は今週中にも公表されるだろう。あの大事故の原因となったと考えられるものは、他の原発でも大事故の原因になり得るということが想定されるので、その結果は日本の原子力産業の将来にとって重要な意味を持つことになる。

福島原発が地震の衝撃に耐えたのだとしたら、より高台にある他の原発に問題はなく、海面に近い高さにある原発に関してもより高い防波堤とより信頼できる非常用発電機さえあれば大丈夫ということになる。しかし、地震そのものが原発に壊滅的な被害をもたらしたとすると、原発に大きく依存する地震国、日本は大きな問題を抱えていることになる。

 この件に関しては意見の一致をみるのが難しいかもしれない。このような地震学的、水文学的事象はただでさえ複雑なのだが、人間が建設した施設との相互作用となればなおさらである。科学者たちにできることは最も有力な説を唱えるぐらいで、それが正しいかどうかは次の地震でしか明らかにならない。

 (中略)

 日本ではこうした論争の前例がなく、現在まとめられている国会事故調の報告は非常に興味深い。これまでの構図は、経済産業省の官僚たちが作り上げたエネルギー政策を国会が安易に承認するというものだった。低料金や安全性よりも電力の安定供給とエネルギーの輸入依存からの脱却が優先されてきたのである。

 しかし、あの大事故を経験した今、国会事故調の結論がどのようなものであれ、その報告書が物議を醸し続けることはほぼ確実である。国内の原発54基中の2基を再稼働させるという政府の決断も同様に物議を醸すことになるだろう。昨年の事故後、国民の激しい反発もあり、国内の原発は定期検査のために次々と稼働を停止し、再稼働できない状態が続いていた。遅きに失した感もあるが、原子力が日本のエネルギーミックスに占める割合が、ついに政治的な問題になったのである。

 福島の原発事故がきっかけとなり、他のさまざまな観点においても、日本で初めて有意義なエネルギー論争が起きている。東京電力の運命も大論争の1つとなっている。苦境に立たされた東電の株主たちは、6月末に開かれた株主総会で、1兆円の公的資金注入と引き換えに政府に50%超の議決権を与えるという計画に同意した。かつては東電の幹部と名目上の監督役である官僚のあいだに静かな共謀があったが、それが今や騒々しい政治的な問題になってしまった。今回の実質国有化が賢明なものかどうかについては疑問も残るが、今回に限っては社会主義がうまく機能する場面もありそうだ。

 今のところは政府も拒否している東電の総括原価方式(想定コストに事業報酬を上乗せするというもの)に基づいた電気料金の値上げ申請について考えてみよう。10.28%の値上げ申請に対して政府は9%しか認められないと強く主張しているが、これは東電への懲罰というわけではないし、料金値上げに政治的な制限を設けることが良いことだとは限らない。しかし、将来的には料金値上げを巡って政治的な主導権争いが勃発する可能性があり、それに伴って東電のコストが政治的に監視されるということもあり得るのだ。

 その他の動きにも注目してみよう。救済の一環として作成された事業計画では、将来独立しやすくなるように、東電を小売り、燃料調達・発電、送配電の3部門に再編することが求められている。今日まで垂直統合、地域独占を維持してきた東電だが、その資産のいくつかはバラ売りされることになるのだ。

 政府は透明性を高めるために、国内送電網に関する規制の改定を検討している。これは送配電事業分離への第一歩にもなり得る。というのも、ひとたび分離という言葉が出ると、電力業界のより市場志向な改革、国民が政治家を通じて望んでいたコスト、安定性、安全性のバランスを実現できなかった古くからの垂直統合・地域独占システムをついに壊すことになる改革についてじっくりと考えることが可能になるからだ。

 少し先走ってしまった。10年後、1兆円の公的資金を受けた東電は結局元の形に戻っているかもしれない。おそらく最終的には、国民もそうした決定を受け入れるのだろう。だとしても、それは少なくも政治的な選択であり、官僚たちからの絶対的命令ではなくなることが少しは期待できそうだ。
(筆者のジョセフ・スターンバーグは、ウォール・ストリート・ジャーナル・アジアのコラム『ビジネス・アジア』のエディター)

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