環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

「環境基本法」成立から14年③  中央公聴会での意見陳述-その1:エコロジー的視点が欠落している 

2007-12-08 08:25:59 | 政治/行政/地方分権


私のプロフィールや主張、著書、連絡先は、ここをクリック

持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>のブログは、ここをクリック


私の考えをもう少しご理解いただくために、少々長くなりますが、この公聴会での「私の意見陳述の部分」「委員との質疑の部分」を環境委員会公聴会議録第1号(平成5年5月13日)から転載しておきます。14年たった今、改めてこの議録を読み返すと「現在の知識で修正したい部分」や「可能であれば修正しておきたい部分」(発言をそのまま文字化していますので)も少々ありますが、このブログの目的は14年前に私が何を考え中央公聴会に臨んだのかを記しておくことですから、以下の記述はすべて議録の原文のままです。細かいことにこだわらず、私の意見の趣旨を読み取っていたがければ幸いです。まずは私の意見陳述の部分からです。 

原田委員長 
ありがとうございました。 
次に、小沢公述人にお願いいたします。



○小沢公述人 小沢でございます。
私は、スウェーデン大使館という職場で環境とエネルギーの仕事を長いこと担当しておりました。私がきょうお話しすることは、私は日本の環境の状況を多少とも知っておりますし、それからスウェーデンの状況も多少知っております。そして、それらの考えをもとにして、私がきょうしゃべることは私個人の見解でございます。 

私は、基本的に、今起きているいろいろな環境問題がありますけれども、何が現在の環境問題で、一番重要な問題かといいますと、環境の酸性化と廃棄物の問題だろうと思います。地球環境問題といいますと、九つぐらいずらずらと挙がってきますけれども、それらは相互に関連しております。 

私は最初に、この環境基本法を議論する前に、二、三あらかじめのコメントをしておきたいと思います。 

まず第一は、日本あるいはスウェーデン、どこでもそうですけれども、いわゆる法治国家と呼ばれるところでは法律というものが、社会の仕組みを構成する重要な要素になっておりますし、それから国家の機能とか自治体の機能、司法の機能あるいは国民の活動、こういうものをいろいろな形で縛るということがあります。これは日本の公害関係の裁判の話を見ていればよくわかることでございます。したがいまして、新しい法律をつくるときには、その法の立て方とか制定する時期とか法の内容ということに非常に重きを置いて考えなければいけないと思うわけであります。法律には、そういう縛ることのほかに、実は国民を教育するという効果が私はあると思います。 

私は日本の環境行政を眺めたときに、あるいは日本の環境立法を眺めたときに、基本的な欠落する点があると思います。 

それは一つは、我が国の環境政策あるいは環境立法の中にエコロジーの視点が欠如している、この最も重要なことが欠如している、これが私は非常に問題ありだと思います。顕在してきた、我々の目の前に見えてきたものに対して反応するということのために、余りにも現実の本質を見きわめる時間がない、これが私は非常に重要なポイントだと思います。

したがいまして、日本の環境の分野で活躍している専門家がどういう方が多いかといいますと、大体が工学部を出た方とか医学部を出た医者とかあるいは経済学者とか、こういう方たちが環境の専門家としておられるわけです。そこには科学者というものが欠落しているのではないか、私はこんなような気がいたします。 

それからもう一つは、この最大の問題である環境問題に対して社会の仕組みとか今までの習慣を変更する、こういう作業をどうもやらない傾向がある。しかし、ここをいじることが解決の糸口だろう、こういうふうに私は思うわけであります。 ・・・・・明日へ続く





それぞれのマークをクリックすると、リアルタイムのランキングが表示されます。お楽しみください。

      
        

最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
予防的アプローチについての質問 (しゅとう)
2007-12-08 14:42:37
小澤先生こんにちは!いつもブログ拝見しています。
寒さが厳しくなってきました。

ところで質問なのですが、
「21世紀も人間は動物である」のなかで、
ナチュラルステップが紹介した「予防的アプローチ」の考え方が書いてあります。
その考え方を僕の職場でも生かしたいと思うのですが、
「予防的アプローチ」の考え方のポイントはなんでしょうか?

僕の職場は、老人保健施設、いわゆる老人ホームで時々転倒、転落などの
事故が起きます。先日ニュースになっていましたが、
入浴中に床に落ちて死亡したという事故もあったそうです。
そのニュースを聞いて、自分もしかねないなと思い、とても恐ろしい気がしました。
僕の職場は、あまり現場の意見を反映できない組織のように感じます。
小澤先生の言葉を借りたら「民主主義が成熟していない」感じです。
お忙しいとは思いますが、一言アドバイスをいただけると幸いです。
返信する
本来は日本が得意なはず (小澤)
2007-12-09 10:12:24
しゅとうさん、
こんにちは!
「民主主義の成熟度」などという大きな話は、国家や自治体などで「新しい共通の問題」に対処するために、異なる目的をもって活動してきた様々な主体が一堂に会して新ルールをつくりあるいは変え、制度を変える(作る)ような場合に、問われることです。

「21世紀も人間は動物である」の中で、私が設定した場面では「目の前に生じたある場面」に対して同じ専門家の意見を聞いても、予防的アプローチをとるか治療的アプローチをとるかで、質問の仕方が異なり、結果が異なることを示したものです。つまり、

「予防的アプローチ」をとれば、“専門家の一致した見解(科学的知見)に支えられて”、政策担当者は早急にPCBの使用中止を決定するか、あるいは様々な理由により早急に使用中止を決定しないまでも、将来は中止する方向にあることを意識することができるのです。ところが、「治療的アプローチ」をとれば、政策担当者は“専門家の様々な見解(科学的知見)に従って”,問題を先送りせざるをえなくなり、再度、問題が起こるまで放置することになります。再度、問題が起こった時には汚染の状況は最初の諮問当時よりさらに悪化し、問題解決には多大の経費がかかるということになります。

しゅとうさんの場面は「民主主義の成熟度」などという大げさな話ではありません。それこそ目の前のことですので、自分の担当分野で仲間の方と一緒になって老人の方が転倒しないように、転落しないように、あるいは、たとえ転倒や転落をしても大事に至らないように予防的に対応策を考えることが必要です。そのときの予防策として決して忘れてはならないのは対象が“弱い立場にあるお年寄り”であること、つまり、“人権が優先されなければならない”ということです。

転倒や転落の予防対策のためにお年寄りを縛るなどという発想は、経済成長のために環境問題や資源の問題は無視するエコノミストの発想のようなもので、好ましくありません。

この種の担当者だけの努力で事態を改善できる活動は1970年代~80年代にかけて、日本の作業現場(特に工場)での「QC活動」や「改善活動」など、日本のお家芸でした。この種の改善活動(小集団)の結果が最終的には日本の工業製品の質の良さを国際社会に広めることになったのです。当時はスウェーデンからも日本のこれらの活動を調査に来ていました。

もっとも、これらの改善も対象が「製品」(非生物)いう点では素晴らしいものがありましたが、対象が環境だとから労働衛生のような生物的な分野がかかわった対象になりますと、必ずしも日本の改善活動の成果が十分に得られたかというと疑問でした。なぜなら、改善目標にそのような分野が対象になることが少なかったからです。

私の観察では、日本はスウェーデンと違って、戦略的なこと、システマティックな考えは苦手ですが、戦術的なこと、小さなこと、出来るところから始めるというのは大好きなはずです。

これも駄目だということになりますと、日本の将来は???ですね。

返信する
組織を変えるのは、容易じゃないですね (しゅとう)
2007-12-09 21:02:29
お返事ありがとうございます。

>「民主主義の成熟度」などという大きな話
すみません。大げさに考えてましたか。
でも、僕の勤めている小さな職場でも、ミクロな中に
日本社会の状態が現われているような気がしていて。

>予防的に対応策を考えること
僕はスタッフみんなで話し合う場があれば、
組織のルールはもう少し簡単に変えられるのかなと思っていましたが、
みんなで話し合って決めるということ自体、
いま僕の職場では難しいなと感じています。
(スタッフは20人ぐらいですけど)

自分自身、仕事のプロ=介護のスペシャリスト??に近づくべく
仲間の信頼を得られるよう、頑張らないといけませんが、
一人でできることは限られています。
みんなで少しずつ、より良いサービスができるように
入所者がより安全に生活できるようにするためにどうしたらいいか。。
それで「予防」という考え方はポイントになると思って質問しました。
乱文失礼しました。
返信する

コメントを投稿