○真言宗豊山派 雨引山楽法寺(雨引観音)
茨城県桜川市本木1
薬井門
俗称「黒門」といいます。元は楽法寺の表門であり、麓の集落中央に位置していたものを移築したものです。 雨引山一山の26坊末寺6ヶ寺門徒43ヶ寺の本山としての寺務を執行し雨引山観音堂の別当であった楽法寺の、権威の表徴であった建物です。
関ヶ原の戦(1600)以前は真壁城の城門であったものです。
現在桜川市指定文化財であり、平成11年に磴道入り口に移転修復しました。
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上記の薬井門の前の駐車場に車を置き(もっと上には舗装された広い駐車場があります)、門を抜けると見上げただけで嫌になるほど長い階段がありました(笑
階段の半ばには彫刻が施された鐘楼堂。
仁王門の手前には地蔵堂。
仁王門の天井には天女と龍が描かれておりました。
仁王門を抜けすぐに手水舎。
舎からは第一・二駐車場が見え、そこからの階段が続いています、その傍らには「宿椎」と名付けられたスダジイの巨木が立っていました。
それからまた階段…階段… ( ▽|||)
登り切った目の前に、本堂の観音堂がやっとありました。
雨引山楽法寺縁起
当山の開創は用明天皇二年(五八七)にして、本音は延命観世音菩薩と申し安産・子育・厄除の霊験あらたあな尊像である。
天平年中(七三〇)聖武天皇並に光明皇后の御願によつて安産を祈願し勅願寺となる。
嵯峨天皇の弘仁十二年(八二一)勅命をこうむつて雨を祈り、その効験によつて雨引山の山号を賜る。
建長六年(一二五四)後嵯峨天皇の皇子宗尊親王は三重塔・仁王門・鐘楼堂・客殿・不動堂を建立し、寺観整然として面目ここに一新す。
慶長九年(一六〇四)江戸幕府の祈願寺として百五十石の尌を得、十万石の格式に叙せられ、末寺四十三寺を統して幕末に及ぶ。
然かしてお供所棲下の大石垣は、この格式を象徴するものである。
当山の開山は中国梁の人、法輪独守居士である。
本堂には仏教の教えと思われる彫刻が綺麗に彩色を施されてありました。
本堂に向かって右側には東照大権現(徳川家康の神号)の祠堂。
お守りや御朱印は本堂を背にして右の建物、安政年間建立の建物です。
お土産や休憩は左の建物、絵馬堂を改修して利用してあります。見事な絵馬が飾られています。
他、多宝塔や六角堂など。
雨引山への細い山道をクネクネと車で登って行きました。
お天気がもう少し良かったら咲き始めていた桜も綺麗に写せたのに残念です。
でも久しぶりのお山で、狂ったように山登りしていた若かりしあの頃の気分をほんの少しだけ味わえました。
心臓やら膝やらはガタガタ言うとりましたけどね ┐(  ̄ー ̄)┌
さて次に行くのは、常陸国出雲大社・・・・の御朱印帳ゲットしに行くぜ♪ ((((≧▽≦))))ヾ(- -;)オイオイ