現在お付き合いのある映画会社の担当者に言われました…
「いっそ ご本人の人生をドキュメント化させて映画化した方が宜しいのでは?」…笑っちゃいましたネ。 確かに…と。
ただ、このブログの内容も 現在まではまだまだ序の口です。激変する人生は これからが本番!
精神が破壊されているかも…と感じる方もいらっしゃるほど命がけの人生が待ってます。
徐々に書いていきますが…時系列で書かなければ、おそらく理解できないかと。。。それでも理解できないと思いますが…
自ら決めたルール…給料の1%は「本を読む」。ずっと続けていました…
ある日 朝日新聞の広告欄に「レナウンを作った愉快な男たち」という発売前の出版の広告を見て、すぐにハガキで事前購入を申し込んだのです。
数日後には返信封筒と振込み書が送られて、必要書類に記載して即 振り込みを完了させました。
すぐに送ってきた著書を、毎日毎日 ページが指の跡で黒くなるほど何回も読み返していました。創業者マインドを知るためだったと思います。
創業者の戦争体験や復員後の生活…そして起業。
壮絶な体験に心打たれました。
感動しましてね…本社の社長あてに手紙を出したんです。
「字」には多少の自信があり、手書きで8枚ほど書きました。
どうせ届いても秘書で留まるんだろうと思っていましたので、激烈文を書いたんです。(酒を飲みながらだったので、思いのタケをぶつけたのだと思います)
1週間ほど経って、本社…例の課長から電話。
「お前 何をしたんだ?」 「はい?」 何のことか分からない…
手紙を出したことすら忘れている訳ですから、いきなり言われても何のことかわかるはずがない。
とりあえず本社へ来い…とはいうものの、急に出張で現場を離れる訳にもいかない。
ましてや、繁忙期の真っ最中で キャンペーンもやっている。その理由を丁重に 丁寧に説明して何とか分かってもらったのだ。
要は事業部自体も 社長から私を呼びつけた理由を知らされていないのだ。
出張の理由を確認すると、「お前 社長に手紙出したんだって?」…ははーん あれか。
だが、リスペクト 一辺倒の内容に怒られる理由などないはずだ。と判断して断った。こんなことで左遷や解雇など全くもって想像などしていないし、感謝の気持ちを込めて送った手紙だ。
事業部はただ単に 「こいつを呼べ」に反応しただけだった。
当時のダーバンには 白か黒か…しかなく一般的な「グレー」な意見や行動は皆無だ。
根っこから「体育会系」思想が蔓延していた。
私が染まったわけではなく、相性が合っただけの話だが…これが のちに苦労の原因になる。
ともあれ、社長への手紙は社内で一気に有名になったのだ。
悪い事以外「有名」になる事に問題はないし 地方の人間からすれば喜ばしい限りだ。
破竹の勢い…は言い過ぎかも知れないが、とにかく良く売れて私の立場もみるみる良くなっていった。
今までは、自分の転勤や異動がブログの中心だったが 今回初めての経験は 店の課長が転勤になった時の話だ。(結局、我々が売り上げ貢献した事で 西武百貨店の本社への栄転なのだが…)
その課長は、イチカワ課長…どことなく所ジョージに似ていて フロアーで人気者だった。
さらには 苦渋を舐めてきた私たち(私が帯広から来た時から)にも大変親切に長年対応してくれた課長だ。
一度も酒に誘ってくれなかった課長が、「チーフ 一杯行こうか…」と どういう風の吹き回しか ある晩に誘ってくれた。
何でも行きつけの居酒屋らしい…行った事の無い暖簾をくぐった。それほど高級な店ではないが、当時の私に知らない店はほとんどなかったはずだったが…路地奥の小さな店だった。
さすがに ここは知らない。
神妙な顔つきで 「転勤になった…明日の10時に引っ越しだよ」と弱々しく語った。急な話に 言葉を失った…
でも、栄転なのだろう…が、そこは大人なのだろう 自慢げには語らない。
私もイチカワ課長が大好きだった…店に不在で農作業を手伝っている事も心から理解してくれて、会社から電話があっても上手く取り計らってくれていたことも知っている。
フロアーでの宴会以外初めて二人だけの一献だったが、その夜は2軒目 3軒目とよく飲んだ…
何軒目か覚えていないが、最後に課長が言い放った言葉が私の琴線に触れた…「流氷でウイスキー 飲みたかったなぁ…」 店の天を仰いだ。
時計を見た…2時半だ。
幸い 課長はグデングデンだ…タクシーを呼んで帰ってもらった。
私も即刻自宅へ戻り、北見の部下へ電話した。
「船乗りの知り合いはいないか?」 何と いる…という事で、酔っぱらいながら車をぶっ飛ばした。私も相当酒を飲んでいる…愛車のカローラ・トレノで酔い覚ましのために窓全開で走った。
北見の部下には 到着予定時間を伝え、すぐに船を出して流氷近くまで行けるように指示を出していたのだ。
幸い 夜中でもあり警察のお世話にはならなかったが、極めて危険で違反行為だ。
北見の部下の家へ着き、すぐに彼の車で港へ向かった…帰りの所要時間を考えても時間が無い。
すんなりと港から船で北方へ出してくれ、小さな氷流をかき分けて沖へ出ていく。
これ以上は進めない…という地点で ツルハシで流氷をかち割り、アイスボックスへどんどん入れていった。(確かにブルーのきれいな流氷だった)
アイスボックスがいっぱいになると、港へ戻り 急ぎ帰らなければならない。
セワシイ話だが、部下と船頭に簡単に挨拶を済ませ 帰りの道を急ぐ…酔いは覚めてない。
自宅前を通過し、イチカワ課長の家へまっしぐらだ。
丁度引っ越しの最中で、何とか間に合ったのだ。
課長! 流氷です!!
アイスボックスごと手渡し、荷物に加えてもらった。
トラックに積む前にボックスを開けて、課長は … じっと眺めて目は潤んでいた。
そりゃ 数時間前まで飲んでいて、一睡もせずにオホーツク海まで行ってきた訳だ。
本人も「まさか」と思ったに違いない。
「ヒデ…一生忘れないよ」がイチカワ課長との最後の言葉だった。
トラックに手を振り見送りを終わった途端、睡魔が滝のように襲ってきた。
これが「情」…これでいいんだ。
一気にこの実話がダーバンとレナウングループ、西武百貨店の中に広まった。
「一睡もせずに 流氷を持ってきた男」らしい。
毎朝 開店前には各フロアーの点検に「鬼のハンダ部長」がエスカレータで降りて来る。
私のショップに入ってくることは 今まで一度もなかったが、その時だけはいつものワインレッドの靴でぬーっと現れ、「ありがとな…」とだけ言って去っていった。
返答を言い返す時間すらないほど あっという間だった。
いや 私の生き方は不器用かも知れないが、その時感じた事を計算せずに動くこと…良いことだと信じた事だけを。 自分の道理に従っただけだ…
旭川での立場は 不動のものとなった。
しかし、ここまでの道のりは 紆余曲折だった事を思い出していた…