硬派な生き方を選択しながらも、都会の生き方を忘れずに暮らす「頑固なボス」の痛快辛口日記

誰かがやらなければならない社会貢献がある。利他主義を貫く信条を主張するボスの独り言!

灯台下暗し…

2017-04-13 10:40:47 | 日記
私がご当地 山口県に来てから約10年の月日が流れました。


その中で強い印象にある事は、「山口県の県民性」ですかね…
WEBで県民性を調べても、あまり好意的な内容は出てきません。プライドが高く、年上の人の言うことは聞くが、年下の言うことには耳を貸さないという手堅い性格は健在です。組織に入れば、自分の意見を押し通すという、自己中心的な考え方を見せる人も多くいます。くわえて見栄っ張りなので、金払いのよさもよく指摘される県民性です。

山口県の県民性を一言で言うと「少し前の時代の古い考えを持った人が多い」ということでしょう。



私は無類の歴史マニアでして、戦国史・幕末史に詳しいと自負しています。
が、皆さんが同じように学校で学んできた事に対して詳しい…という事ではなく、歴史に隠された真実を掘り起こして という意味です。


自称 歴史研究家 とでも言いましょうか 笑


というような訳で、山口県民ほど山口(長州)の本当の歴史を知らない(知りたがらない)人の多いことに驚かされます。


総理大臣を複数輩出している事を、あたかも親戚縁者のように変な誇りを持つことも特徴でしょうね。



ちゃんと歴史を学ぶと、見えてくる事~所領が周防・長門2ヶ国の29万8千石まで大減封されたことが現代にまで続く潜在的なコンプレックスの源流なんです。


その反面、ヒーロー好きと言いますか 吉田松陰や高杉晋作という人物を好みます。
しかし、吉田松陰が何をしたのか? 松下村塾は何の目的で作られたのか? 何故松陰は早死にしたのか? 高杉晋作が奇兵隊を組成させた一方で行なった残虐性…などの話になると、途端に黙ってしまう。


それは、真実を知らないから…に他ならないんです。
学校教育のまま覚えているだけでは、悪人も全て善人となりヒーローになります。(例えば千円札になったからスゴイなんて方はいないでしょうね)


私と同じように幕末研究家だったお二人のご仁も 謎の死を遂げていますが、警察は「自殺」と片付け一切のマスコミも取り上げていないんです。
これ以上この件で詳しく記述しますと、私も危ないので この辺にしますが…



日本人は、真面目で勤勉家と言われていますので、学校で学んだことは真実であるかのごとく刷り込まれながら成長していきます。



その国民性を上手く誘導し ある種のプロパガンダを大々的に行ったのが「明治維新」なんですね。
サラッと書きますが、明治維新って長州と薩摩の合体事業のように習いませんでしたか? 皆 そうだと思います。


ところが 違うんですね…長州の輩は ほとんどお国のための開発的・建設的な事はやっていません。怒られそうですが…事実なんです。



こうした事柄を 身の危険を感じながらも今後徐々に開示していきますので、楽しみにしていてください。






コメント
この記事をはてなブックマークに追加

まだ 生きてます… が、そう長くはない。

2017-04-11 15:48:02 | 日記
久しぶりに書くブログですが、理由があります。


まず、パソコンがクラッシュしてほとんどのパスワードやIDが飛んでしまったこと。おまけに外付けのハードディスクまでもが役立たずの状態…


暮らしの中で大きなウエイトであるPCが傷んでは、全く歯が立たない現実でした。





さて、私もご当地山口県山口市へ転居以来 およそ10年が経過しました。
早いものです…


で、この10年間を振り返ると今まで経験しなかった事に気づかされました。

それは何かというと ズバリ「田舎者」というコトバですね。私自身北国のド田舎出身ですが、10代で東京へ出てから転勤やらで数年は動いた訳ですが、ほとんどを東京で過ごし鍛えられた経験があります。


東京というと、殺伐とした雑踏の中で「生きる」というより「生かされている」印象がありますが、私は決してそうは思わない。
ここ田舎に住んでいて、せっかく東京もしくは東京近郊の大学へ進学しておきながら、田舎に帰ってくる人間が多いことに驚きを隠せない。


例えば、実家が商売をやっているとか、農業を主業としており後継者がいないとか、地元で教師や警察官…というような目的や家族会議の結果で本人も承諾していれば、私なんぞが口を挟む事もない。


が しかし、長く住んでるとそんな人は ほんの一握りであることに気づく。


概ねは こうだ。。。

・東京はヒトの住むところではない
・あんな処に住んでると殺される
・コミュニケーションが全くないところ
・一人では生きていけない場所
・言葉が通じない


などなど、全てが自己の脆弱性からくる保身肯定型意見。



私が住んでいる頃は、エアコンもなし 電車は異常なほど満員で「学生」の腕章をした駅員バイトにドア越しにギュウギュウ押された毎日。当然電車にエアコンもなくやる気のない扇風機だけだ…
会社へ行くと、朝礼で必ず何人かは目標営業数値に満たないと 鉄拳で何発も殴られる。

夜の酒は 強制的で、上司のウサ晴らしの格好のターゲット。
今は、残業時間云々と言われているが、当時は休みなしは当たり前で 月の残業時間は平均150時間…泊まり込みも数日間はある。


安月給では近郊のアパートは到底無理で、片道2時間はかかる。



では 何故続けてこられたか?  ここが大きく前者のUターン族と異なる。


「自分は 東京で何をしたいのか?」「東京でどうなりたいのか?」という 自分だけの目標が無いことだ。人に話すわけでもないので、小さかろうが大きかろうが何でもイイ…心に持つことが大切だ。



多少言葉がきつくなるが、たまに出張などで東京へ行くと「田舎の人間の顔は緊張感がない」とつくづく感じることがある。

のほほーんとして、次の行動や思考を感じさせないフワユルな表情が多い。何もマユを絞って 目をつりあげていることが良いわけではないが、何故か「志向性」「知性感」を感じさせない…


それは、単に「食えているから…」に過ぎない。実家があり、地理的環境にも詳しく 不安や経済的危機感の上に立っていないからだと感じることが多い。



東京では そうはいかない、「食わなければならない」「食うためにどうするか」は必然的に体感させられる。だから『考える』という思考にならざるを得ない。



私は 酒を好みます…特にイモ焼酎を!
行きつけの居酒屋で親しくなった仲間たちと打ち解け合える年数も経過した今だから 率直に言ってくれることがある…「ホントに顔が怖いよね、初めは話しかけられなかった」と ???



ベースになる「顔」のパーツは元来生まれ持ったポジションにあるものだが、いつしか生きてきた過程で「怖い顔」へとパーツ移動したのではないか? 
私自身 若いころから議論を好む習性があり、酒を飲んでもついつい のめりこんでしまう事がある。


人間 顔がモノを言う年齢になってしまったようだ。
思い出すのは、入社したての頃ある役員に、「オイ!お前の顔はガキくさい、もっと勉強して大人の顔にならんとウチの会社では使い物にならん」と激高されたことがある。(会社の廊下ですれ違いざま…)


これはショックだった! 相当悩んだ記憶がある…で、とった行動はというと 「給料の最低1%は毎月本を読む」と誓った。
上場企業だったこともあり、安月給とはいえ1%というと1,500円前後になり賞与となると3倍ほどになる。


とにかく読み漁ったものだ。1%が2% 3%になり、月に10冊以上は読んでいた…20代後半(たしか28歳くらい)に その同じ役員と同席で宴会があった時だ。
役員は、常務から専務に昇格していた。


「お前 イイ顔になったな! 顔に頑張ったと書いてある」と言われたときは、小躍りするような気持ちだったことを覚えている。


田舎の人間をバカにしている訳ではないが、今の時代は何でも手に入る。
情報や学びの材料、人間形成のためのツールだ。

田舎にあって東京にないモノは、時間と変化のありよう…  ありあまる時間と変化のしようがない環境が、ヒトの顔から緊張感をなくし 不安や危機を感じさせない。



もっと勉強しろ! もっと体験しろ! 分からなければ聞け・調べろ! 恥ずかしがり屋は田舎者の特徴だ。奥ゆかしさとは程遠いクソにも役に立たないものだ。
さすれば「夢」「目標」は 自ずから見えてくるはずだ。





コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2016年の思い・・・

2016-01-02 17:50:01 | 日記
まずは、新年明けましておめでとうございます。

今年は サル年…年男です。で、還暦の年でもあります。

昨年は、人生において激動の1年でありました。事業の取引先に 裏切られ・騙され…同じ事業を営む者として、心の底からあってはならない会社と 今まで付き合っていたのか…と情けない1年でした。

その企業は製造業でありながら、自社の製品に過剰なまで過信をいだき、不備・不良な症状は「客-ユーザーが悪い」と言い切る代表。。。あり得ないでしょう。

前線でユーザーとの距離が緊密な 我々販売代理店の対応は、想像を絶するものでした。


取引を辞めて正解ではあったものの、軋轢はしばらく続きました。

私の経験上…というか、世の中のシステムとして このような企業が未来永劫継続できるはずがありません。

しかし、皮肉にも続いています。が…必ず世評の天罰は下るはず。そう信じたいものですね。




さて、年も新たに 本年はどう生きようか? と昨年末より模索しておりました。


事業の発展継続は当然ですが、「どう生きる」という課題は人間としてのイキカタの問題です。


数年前から「ゴルフ」を楽しんでおります・・・というか、執念に近いほど熱中しています。


私のカラダは、自称「ゼンマイ仕掛け」。サッカーのケガ三昧で、やってはいけないスポーツの一番に「ゴルフ」を医師に告げられました。



右足股関節の亜脱臼…もうすぐ人工関節が必要なほど 右足に体重をかける事は「最大のキケン」な事。
しかし、ゴルフの基本は 右足股関節を中心に行うスイング。


では、なぜやるか? 孤独からの脱却です。
サッカーを引退してから 茫然自失の生活を経験し、何かやらねば・・・と焦る一方で、何も手が付けられませんでした。


そこは 田舎でやることは一つ・・・ゲートボール?  いやいやまだ早いでしょ。


そこで目を付けたのが「ゴルフ」でした。


中間と知り合い 美酒とともに語り合えるゴルフです。


目指せ「シングルプレイヤー」と意気込んだものの、奥の深さに どうでもいいか・・・と楽しむゴルフに方向転換。



今は、楽しい仲間やワイフと一緒に楽しむゴルフに徹する日々です。

上手くなってシングルは、結果論。



息子もゴルフをやり始めて また別の楽しみが増えました。  これでいいんだろうなぁ・・・と。



私の信条は、道具を大切にすること・・・
練習やコースにでれば、ボール・シューズ・クラブなど 遊ばせてくれた道具に感謝しながら 磨く事。


これは、北海道の親友が やり始めた頃に教えてくれたことですが、性に合っているというか 大切な事だと思い ずっと続けています。


道具を大事にすれば きっと上手くなる・・・そんな事を信じているのかも知れない。


身体が悲鳴をあげて 壊れれば、人工関節で また頑張ればイイ。。。


想像はしたくないが、そんな日は近い。



今年は、体を労わりながら 楽しい仲間と、愛するワイフと ゴルフを少しでもやる事が 拙い希望だ。
自分の体の限界は、医師ではなく己が一番分かってる。


問題は、どこまで いつまで できるのか。。。だ。


五体満足で 何かを迷っている方がいるとすれば、背中を押すのは「自分だよ」と伝えたい。



やりたい時にやっておかない事ほど 取り返しのつかない後悔はないのだから。


北海道の大の親友にも 迷惑をかけっぱなしだが、心から感謝している。

当然 私よりゴルフは数段ウマイ! 一緒に廻っていてもかなわない事ばかりだ。



今年は、どこまで できるかわからないが 少しでもクラブを握っていたい・・・
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

息子と初めてのゴルフを終えて・・・

2015-09-29 09:40:40 | 日記
間もなく30歳を迎える息子(三男)が、帰省してきました。

ゴルフバッグを事前に送ってきたのです。
ゴルフをやったことのないはずだが・・・

息子は、今現在 セパタクローの日本代表選手…高校生から代表なので、かれこれ10年以上代表の座を維持している。

彼が高校2年生のある時、幼い頃から続けてきたサッカーを辞めたい…と言ってきた事がある。
日体大の学生で 当時既に日本代表だった教員インターンの教師に 体育時間の時に身体能力の高さを評価されたようだ。

実際 サッカーの強い高校へ入学させたものの、フイジカルの弱さ・小ささに懸念を持っていた事は否めない。
私もサッカー歴40年の経験から、体の小ささや弱さは致命的であることは分かっていたが…

蝶のように舞いながら 宙にある竹の球を蹴り、宙返りして着地するセパタクローには 向いているのかも知れない。

私は、空虚な気持ちになり 心底残念に思ったが、彼のためには良いのだろうと 諦めてセパタクローの道を勧めた事は記憶に新しい。


しかし、大きな課題が立ちはだかった…学力が足りない!

スポーツでは何ら全国レベルの成績を残していない彼にとっては、日体大とは言え難関大学になる。

3年生になった時、私は勉強へのカリキュラムを課した。
勿論 卒業まではサッカーを続け、入学もしていないのに 日体大へ出向き練習に参加する事もノルマとして。

模擬試験では偏差値計測不能の通知が何度も届いた…それほど成績が悪かったのだ。


思い起こせば、中学生の頃 イジメに遭った事がある。
身体が小さく 物腰が弱く 自分の意見をちゃんと言えない子だった…客観的には 優しい子だから と親は評価しがちだが、私はそうは思わなかった。

今の時代、学校の教師や教育委員会に何を期待できるだろうか? 既に教師の聖職イメージなど地に果てた時代だ。

自分の子は 自分が守り、本人にも精神性をしっかり持たせることを言い聞かせた。学校へも行って 理路整然と伝えてきた。


そんな彼が、高校生で日本代表になってから 周囲のイジメ風潮からヒーローとなって映っていた事は間違いない。

世の中と言うものは そういうものだ。羨望によるイジメの加速も想定したが、日本代表選手という名誉はそれらを寄せ付けないオーラがある。


さて、日体大志望への高校生最後の1年間は 彼にとって地獄だったと思う。
勉強漬けだったからだ。クタクタで帰宅しても、勉強から逃げる事は許されない。

第2志望の大学もナシ  浪人もナシ  という、私からのプレッシャーが一念発起へと駆り立てていったようだ。

現役で入学してからと言うもの、日本代表として大歓迎されたが、 当然大学へ行って「勉強」する学生ではなく 代表として世界中を飛び回る4年間があっという間に過ぎ去っていった。


今度は タイ 次は韓国 そしてニュジーランド カナダ フランス … 現在まで数知れない国へ行っている。羨ましい人生だ。


前回帰省した時に、私と一緒にゴルフの打ちっぱなしへ連れて行った時に、味と感覚・面白さを知ったようだ。


そして先週 「オヤジ ゴルフへ行こう! 勝負だ!」と豪語しながら帰ってきた。


私自身 サッカーを引退してから ゴルフを始めて まだ5年…決して上手いほうではない。


二日間のラウンドで、初日 彼は123というスコアだった。ゴルフの難しさを痛感したのか、夕食中も悔しさをあらわにする。

私の知っているゴルフ理論や 彼の欠点などを詳しく説明して 明日に臨む事にした。


翌日 彼は「100」という大台をクリアして「99」・・・何と人生で2度目のラウンドで100切り達成だ。私は 83...まぁまぁかな。
私は、半年かかって100をクリアしたが、2度目とは驚きだ!

夕食時は、有頂天だった。称賛に値する。


あれだけ 弱く 内気だった息子が、会うたび顕著に成長している姿には 感動すら覚える。。。オヤジは すっかり抜かれたよ。


次回は、年明けに帰省する予定でリベンジを突き付けて 帰って行った。

心の中で 大きな成長に拍手と同時に 涙が止まらなかった。


自分が オヤジを抜いたな…って思ったのはいつだったろうか?  思い出せないし、抜いていないのかも知れない。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

59歳の暑い夏を迎えて・・・

2015-08-03 12:08:04 | 日記
今年も暑い夏がやってきました…

来週で私も「59歳!」。北国育ちの私の誕生日は、ちゃんと祝ってもらった記憶が無い。

理由は明快で、北海道の夏休みはほぼ私の誕生日が最終日…加えて、炭鉱生活だったので給料日の数日前となれば、料理もプレゼントも 祝いコトバすら無い。

皆 宿題の仕上げに多忙で、遊んでいる者はいないし、家庭も給与前とあってか 乏しい料理に明け暮れる。

だから、自分の誕生日とはいえ 大人になっても 何となくいつもの平日感覚で過ごしています。


この2年間…本当につらかった。。。

最愛の父を亡くし、ゴルフ仲間で大変お世話になった方を次々 病魔が襲い 60代にも関わらず天国へ連れて行った。

神様は、試練を与えるために苦労をさせる…と聞いたことがあるが、この年になっても まだ試練を与えられるのか? と信心深くはない私も「神」を疑う時が幾度もあった。


一方で、新しいゴルフ仲間…酒+ゴルフ仲間もできた。
これは何よりも嬉しく 私の人生に大きく影響している。

ある居酒屋へ通うようになった・・・私の住む町ではなく 隣町の小さな小料理屋だ。


いわゆる新参者の私は、当初カウンターの端が特等席であり、行きつけの常連がカウンター中央を牛耳っていた。

何となく行きやすい店の空気が 足しげく通うようになり、話題がゴルフという共通点もあり 誘ってもらえるようになった。

勿論 私が年長者だが、当然常連には「敬語」での会話に気を付けている。


今となっては、「あなたは この店のガチガチのファミリーだから」と存在を認めて頂けるようになり、心の中で涙するほど嬉しいこの頃だ。

いつまでも 去って行った仲間を想い続けて 寂しい事から抜け出せなかった私を、救ってくれた仲間たち。。。

心から感謝したい!!


コメント
この記事をはてなブックマークに追加