さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

簡単に信じないイギリス人

2010年04月30日 21時52分22秒 | Web log
最近、ちょくちょく見かける記事。

イギリスの科学雑誌などか、似非科学的定説を覆してくれている。

例えば、茂木教授で有名な「DSの脳トレ」に効果はないとか
脳にいいと言われているドコサヘキサエンサン(DHA)も効果はないとか

科学といっても、統計などで出されたものは、サンプル次第で
どうにでも操作可能だし、短期間である結果がでても、長期に
わたって測定すると、違う結果がでるとかよくある話だと思う。

研究者は多額のお金をもらうでしょうし、企業側が欲しいデータが
でたらそれ以上続けなくてもいいわけで。

教授という学問の権威
企業側の欲しいデータ(科学的?裏づけ)
メディアのによる情報の流布

これで多くの人はだまされる。

でもそれに疑問を投げかけて、反論をする底なしの懐疑心。

イギリス人、いいですなぁ。

わたしも、数独ってどんなかなぁと思って(ボケ防止にでもなるかな?
と思って)やってますけれど、ある程度数をこなすと、コツというか、
パターンのようなものがわかってきて解く時間が早くなるんですよ。

慣れみたいなもんです。

でも、それ=自分が賢くなった、と思えないよなぁ、どう考えても。

というわけで、イギリス人の単純に物事を信じない精神、
ただ信じないだけでなくて、それをちゃんと知識や数字で
裏づけて論破してくれますから、

マイクもその通りの人物ですけれど、

脳トレするよりも、よっぽど頭使うと思いますよ。

まず疑え。

自分のことは自分で責任をとる社会

2010年04月27日 12時58分28秒 | Web log
最近めっきり寒くなってきました。
で、どうも腰痛が復活しつつあるようで怖い。

ぎくっと行っちゃいそうな気がします。

前も話したかと思いますが、父も腰痛もちだったし、姉もそうなので、
きっと遺伝的要素が濃いんだろうな。

さて、昨日は第一次および第二次世界大戦で戦った兵士を追悼する
ANZAC DAY で、お休み。といっても、わたしたちは式典に参加
するわけでもなく、普通の休日。

公園に行ったり、プールに行ったりでのんびりとした一日を
すごしました。

ベンジャミンとジョナサンがほぼ同レベルで一緒に遊ぶようになり、
見知らぬ友達と、モンテッソーリスクールで一緒だった男の子と
たまたま会ったので、4人でスターウォーズごっこをして遊んでました。

親である私が、あちこち追い掛け回して遊ぶことも少なくなって、
感無量なのかちょっとさびしいのか良くわかりませんが、
関わり方も変化しつつあるなぁと感じます。

わたしも自分の時間がぐっと持てるようになりました。

ホットする時間です。

さて、前回はアメリカのアイムソーリー法について述べました。

アメリカにはきっと『責任の所在を明確にする』ってのが第一義的に
求められる国なんだと思います。

それはある意味いいことなんだと思います。

責任がどこなのか?があいまいに扱われることが多い日本人の
多くは、それって大事なことなんじゃない?って思う人も多いと
思います。

オーストラリアも少なからずそういう傾向があることを感じる
ときがあります。

例えば、学校に関して言えば「子供に関する責任は全て親にある」
って感じです。

だから、親がアクションを取ることを第一に求められます。
学校も役所もあれこれ世話をしてくれません。

子供が地域の公立の学校に入るかどうかも、親が決めて申し込みます。
義務教育であっても、役所が「入学のご案内」なんて通知をよこしも
しませんし。

戸籍という概念もないので、おそらく市はわたしがこの家に住んでいる
という情報を把握していないと思います。

日本では、全ての情報を牛耳られていますからね。

怖いといえば怖い。
でも、ある意味面倒見てもらっているといえば面倒見てもらってもいる。
それを良しとするかどうかは、個人の判断によると思います。

お役所が何でもかんでも面倒みてくれるので、それは自己責任だろ
といって一線を引かれるという感覚は、なんだか日本人にはぴんと
こないと思います。

『誰も教えてくれなかった』というのは言い訳にならないのが
この国です。

で、例えば子供手当てというのがオーストラリアでも支給されている
のですが、移民で永住権をもらった人なんかはそれをもらえる権利が
あるのに、知らなかったりして、もらってない人もいたりするんです。

でも、知らなかったら申請しませんし、役所もフォローはしません
から、そのままってことになります。

でも、それは自己責任。

これを冷たいととるか? 当然ととるか?

自分のことは自分でやるのが当たり前。
誰も助けてくれませんよ。
助けが必要ならば、自分で行動を起こしなさい。

そういう意識がとてもはっきりしています。

あれこれとお役所に面倒みてもらうのが当然のように生きてきた
わたしなどは、唖然とした感じがします。

冷たいなぁ~って。

でも、プライベートに干渉しないという、ドライなスタンスが
良いのかなぁなんて思ったり。

良いところもあれば、冷たいと感じる部分もある。

ま、そういったところでしょうか。

お役所任せ的な社会構造が、日本人の依存心の強さを助長させている
部分があったりするのかなぁなんて思ったりもするのであります。

国民のメンタリティーと社会構造というのは、切り離せないもの
なんだと思いますです。















アイムソーリー法

2010年04月25日 18時43分13秒 | Web log
山形で学生をしていたとき。2つ目の大学ということもあり
結構財政的に厳しい生活を送っていた。

親のすねをかじってられませんからね。

で、トイレとお風呂共同の女性専用のアパートに住んでいました。

ある日、鍵をかけ忘れて用を足していたときに、次の人が
誰もいないとおもってドアをあけちゃったんですよ。

和式でしかもお尻をドアの方に向けてしゃがむスタイル
だったので、お尻をしっかり見られてしまいました。

で、わたしが咄嗟に言った一言

「すみません

アメリカは訴訟社会です。

簡単に I AM SORRY を言ってはいけないという話を聞いたことが
ある。何か問題が発生したときに、I AM SORRY を言うということ
すなわち、非を認めたことになる、ということ。

先日、ここでつぶやいたジョナサンが友達にスクーターでぶつかって
わたし的には納得していなかったけれど、SORRYを言うしかなかった
という話。

もし訴えられていたら、完全に訴訟に負けてましたね。

トイレの件は「被告はトイレの鍵をかけ忘れたばかりか、
非故意であるとはいえ不快にも原告に臀部をさらした。
すみませんと言った原告は事故現場にて己の非を認めたことになる。
よって被告は原告に対し、罰金○○万円を支払うこととする。」

なんてことになったりして。

ははは。

さて、隙あらばなんでもかんでも訴訟に持ち込む訴訟社会の
アメリカ。

製造者責任法だって、アメリカ発でしょ?

猫を乾かそうと思って電子レンジに入れたら焼け死んだ。
取説に「そうしてはいけない」と書いてはいないから、そうした。
愛猫の死については、電子レンジメーカーの非となる。

なんて、救いようのないあほの過失がメーカーの責任になるなんて
信じられないことが起こる社会、アメリカ。

そういえばどこぞの蒟蒻○リーの話もちょっと似たような話
かと思うのは、わたしだけですか?

社会の安全と安定、個々人の保護のために、ルールは絶対必要です。
しかし、なんでもかんでもルールにしてしまうというのは、どういう
もんかと思います。

黒か白かの判断がつきかねるグレーゾーンというのは、あいまいだけれど
必要だと思います。あってないかのような『常識』とか『良心』とかに
裁量をゆだねる部分を残しておくことは、相手に対する信頼を確保することに
つながると思うんです。

信頼ではなく、疑いが先立つところには自分を守るためのルールが
条文化されることによって自分を保護するということを明確に
しなければ、安心して生きられない。

ようするに、アメリカというのは、相手を疑うということが前提に
あって、そこから自分の権利を守るためにルールを作るという仕組み
の社会だということです。

でも、それってとても窮屈で息苦しい社会だと思うんですけれど。

いつ始まったかはわからないけれど、他州に遅れて、2001年に
アメリカのカリフォルニア州で、アイムソーリー法が可決されたそうです。
2008年にはカナダのオンタリオ州で可決され、アメリカの35州、
そしてカナダのブリティッシュコロンビアでも可決されているそうです。

これは、事故現場で「すいません」「もうしわけない」「ごめんなさい」と
言っても、証拠として採用しない、つまり、裁判において、不利にしないと
いう法律だそうです。

この法律の背景にこんな話がある。

自転車に乗った少女が自動車にはねられて亡くなった。
ところが、父親が、どんなに頼んでも、はねた相手は謝罪しなかった。
裁判で不利になることを恐れたという理由。

亡くなった子供の父親は州上院議員だったが、「わびる言葉さえ封じられた
のでは社会生活は立ちゆかない」として、この「アイムソーリー法案」を考え、
立法化の運動をすすめ、実現させたという話。

「これで安心して SORRY がいえる。」

この法律ができて、本当に良かったと思います。

でも、この父親が上院議員じゃなかったら、どうなっていたか
わかりませんがね。

しかしながら、そんなことまで条文化しなければいけないというのが、
本当にあきれるというか、なんというか。

アメリカ社会はそんな状況まで社会の中で人間の信頼関係が失われきっている
のだということ。

アメリカに追従するのが大好きな日本、日本人がそうならないように
と切に祈ります。



自分の利益のためなら?

2010年04月24日 17時00分38秒 | Web log
今日はジョナサンが参加しているグラスホッパーサッカーの
カーニバルがあって、Wembly Dawn までいってきました。

あちこちに教室があるのですが、全ての教室が一同に介し
ミニゲームをするのが目的。

ジョナサン、楽しそうに参加していました。

で、ジョナサンと同じ教室に通うマシューのお母さんと
いろいろ話したのですが、前回こういうことがあったそうです。

参加者全員にトロフィーが配るのですが、それを注文するのに
カーニバルの一ヶ月前には申し込みを済ませなければいけない
のだけれど、当日、飛び込み参加・申し込みをした人がいて、
トロフィーをもらえなかった人が数人いたとか。

結果的には、再注文して、数週間後に全ての参加者に
行き渡ったようですが。

でも、お母さん曰く、『子供なんてトロフィーが欲しくて
参加するわけだから、当日もらえなければ意味がない。』

マシューには『学校の名前が呼び出されなくても、
(ABC順でいくとWinthropは最後になってしまうので)
他の学校の子にまぎれて、最初にちゃんとトロフィーを
もらうように言っといたわ』とのこと。

ま、ずるをする人というのはどこにでもいると思いますが
ここでは顕著な感じがする。

たとえばですよ、スイミングプールでゴーグルを置き忘れた
とします。で、後で気がついて取りに戻ったけれど見つからなかった。
次にきたときに、似たようなゴーグルが落ちていた。

みなさん、どうします?受付に届けますか?

わたしなら、絶対に自分のものだという確信がなければ
手をだしません。

でも、ある人は(全てではありませんよ)、前に落として
戻ってこなかったから、拾って自分のものにして何が悪いの?

って人がいます。

感じ方、考え方、人それぞれです。

で、今回マシューのお母さんの話を聞いて思ったこと。

①どうしてスタッフは、トロフィーに限りがあるので
当日申し込みした人はもらえないということをはっきり
言わなかったのか。

②子供がわけがわからずもらったとしても、親が正直に
返却しなかったのか。

この辺、理解に苦しむのですが仕方がない。
大雑把なオージーだもん。
大雑把=おおらかでもあるわけでして。

でも、ふと思ったのは、わたしはジョナサンにルールを破ってまで、
自分の利益を優先させることを強いるか?

ずるして、人より先にもらうことを強いるか?
ということです。

もらえなかったら、ぜったい不貞腐れる。
泣くことはないにしても、絶対面白くないはず。

でも、自分のことばかり考えて、他の誰かがもらえなくて
泣いてしまうだろうことを想像すらできないような子供に
なって欲しいのか?

ということです。

人間は自己中心の塊です。わたしもそうです。
奇麗事だけでは生きていけないのはわかります。
究極的には自分が生き残ることを選ぶ、エゴイストです。

だから、敢えて自分の利益に走ることを優先させる人を
かっこよく非難したいけれど、所詮、自分も同じ穴のムジナだよ
と思っています。

でも、敢えてジョナサンには何もいいませんでした。

幸い、今回は何の混乱もなく全ての子供にトロフィーは
行き渡ったようです。

誰もが究極的にはエゴイストであることを十分承知の上で、
でも、理性を働かせる余裕のある範囲においては、
極力Integrityを持った人間でありたいし、子供たちには
そういう人に育ってほしい。

それがわたしの願いです。




泣くことの支配力

2010年04月23日 11時44分56秒 | Web log
おととい、子供たちを公園に連れて行きました。

ジョナサンはスクーターで遊んでいたのですが
勾配のある場所をスクーターで下降していましたら、
勢いよく降りていったジョナサンの目の前に
男の子が飛び出してきた。

で、激突。

その男の子、大声で泣き出した。

ジョナサンより年上で、わたしもよく知っている子です。

大人しく、気の弱い性格です。

「あちゃ~」と思いながら、なんで急に飛び出したんだろう。
猫じゃあるまいし。

と思いながら、近づいていきました。

その子のお母さんもその場にいたのですが、泣きじゃくって
収拾がつかないので、家につれて帰るとのこと。

私的には、ジョナサンは全く悪くないのに、加害者のように感じて
とても複雑な気持ちになってしまった。

「泣いたもん勝ちってことか」

ジョナサンだって、急に飛び出されて膝にあざをつくっていたし、
痛くなかったわけではない。でも、彼はそういうときに泣けない。
むしろおどけてしまうタイプ。深刻になりたくないのだ。

内心納得いかなかったけれど、ジョナサンに謝った?と聞くと
謝ったという。で、調子こいてもう一度 SORRY!!!! とふざけ調子で
言っていた。

泣くこともできなければ、怒ることもできず、緊張状態を笑いで
ぶち壊すしかないと思っているジョナサンの気持ちがわかるだけに、
はっきり言って根性のないその男の子にちょっといらついた。

痛かった気持ちもわかりますけどね。

公平にみたってジョナサンは悪くないと思う。

涙は女の武器って言いますが、泣くというのは一瞬にしてその場を
支配してしまいます。

泣いたものが同情を得て、優位に立ってしまいます。

で、この件に関しては「予防措置」として坂をスクーターで下りる
のは禁止にするしかなかった。危ないのは本当だし、小さい子も
うろちょろしていたので。

でも、ジョナサン納得いかないって顔していた。

ジョナサンとベンジャミンがけんかして、ベンジャミンがどうしようも
なくて泣き出すと、気持ち的にベンジャミン寄りになってしまうことが
あるので、よくわかる。

ジョナサン的には「ずるい」って思っているだろうなぁ。

でも、「泣き」に負けてしまう。

ある本を読んだときに、怒りも悲しみも根本は一緒というコメントを
読んだときに、イマイチ納得いかなかったけれど、今になって
納得。

自分でどうしようもできない出来事に遭遇したときに、その対象や
状況に対する不満をあらわした形が「怒り」であり「泣く」こと
であるということだ。

泣き悲しむということは、『自分の思い通りに行かなかった
ことに対する不満だ』と考えると、怒りも悲しみも根源は同じ。

痛みを受けたから泣くのは当然といえば、そうなんだろうけれど。

でも、怒る人には「怒るのはいけない」と言う事はあっても、
泣いてる人に「泣いてはいけない」と言う人は少ない。

でも、ここで泣くのはずるいだろうということは、結構
あるかもしれない。特に子供の世界では。

で、子供はそういうことを敏感に感じるのじゃないかと思う。

北米で起こったトヨタ レクサスのブレーキ事件にかんする
公聴会のときに、被害者代表で出てきたのは女性ばかりで
涙を流して訴えていた。

わたしもうるうるきてしまったのだけれど、ひねくれもの
の私は、何故女性ばっかりなの?男性も出してよ。と思いました。

だって、女性のほうが俄然感情的だし、感情に訴えるもんでしょ?

そのときに、トヨタの非がはっきりとしていなかったのに、
あれだけ米国民に涙で訴えれば、世論は絶対、反トヨタに
傾くに決まっていると思った。

で、15億円払うことになったけれど。

原因はアメリカ人独特のブレーキの踏み方と、マットの置き方に
問題があったとか。

よくわかりませんけれど、なんとなくこの件についても、
腑に落ちないというか、してやられた感を抱いているのは
ひねくれ根性をもつ私だけなんだろうか、と思うのであります。

日本や他の国で同様の問題起きましたか?

知っている人がいたら、教えてください。

北米仕様は、他国のと違うんですかね?

A子さんの勇気と行動力

2010年04月22日 12時52分15秒 | Web log
髪が伸びてきたので、髪をきってもらいに行ってきました。

髪を切ってくれたのは日本人のA子さん(仮名)

わたしよりも10歳以上も年下です。

プライベートに関わるので詳細は話せませんが、彼女の話が
なかなか面白く、毎回会うのが楽しみです。

で、彼女、こちらに来てまだ日が浅いのですが、一線で活躍する
人たちと働きたいと思い立ち、面接に行ってきたそうです。

業界関係者のみのコンベンションに正々堂々と入り込み、
いろんなお店をチェックして、「ここで働きたい」と
決めたところに、履歴書をだしたそうです。

で、そのコンベンションは、アジア人など出入りしない
白人が主体の催しだったらしく、彼女かなり目立ったらしいです。

すごいのは、大学で英語を勉強したとか、語学留学をしたことがあるとか、
そういうのはまったくなく、彼女曰く「英語には自信がない」そうです。

でも、堂々と面接を終えて、今、結果待ちとか。

わたしは話を聞いて「すごい!」を連発してしまいました。

怖くなかったの?って聞いたら

すごく怖かったし、緊張したけれど、自分のアピールしたい点をしっかり
まとめて伝えてきました、と言ってました。

でも、実際とても緊張していたので、行く前にビールを一本かっくらって
行きました!って笑ってました。

すごい。

こういう話を聞くと、勇気づけられます。

何事も、やってみなければわからないですものね。

彼女は単に無謀なのではなく、自分が築き上げてきた経歴と
技術にしっかりとした自信があったのでしょうね。

だから、その一歩を踏み出すことができたんだと思います。

こういう話を聞くと、

最終的には、失敗するのが怖くて何もしない人からよりも、
生きていくたくましさをしっかりと教えられたような気がします。

A子さん、ありがとう!



これって 

2010年04月21日 11時01分47秒 | Web log
BBCのニュースサイトでこんなのを見てしまった。

Stranded tourists reach for sky at Paris airport
→ http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_depth/8627270.stm

アイスランドの火山噴火で欧州発/着のフライトが次々に
キャンセルになったときに、Roissy Airportで足止めをくらった
日本人団体客がとった行動とは。

んー。

映像にある皆様には大変失礼かもしれませんが、
わたしはできないなと思いました。

えっ? わたしならできる? 参加していると思う?

ん~、これを完全なジョークととらえれば、できるかもね。

相手に笑ってもらおうとか、歓心してもらおうとか、
自分に戻ってくる反応が目的ならば、できるかも。

まじめなわたしにも、そういう一面はありますとも。

でも、これがマジだったら、できません。

きっと逃げていたと思います。

マジだろうが、ジョークだろうが、参加するという点に置いては
同じでしょ?

と思う人も多いと思いますし、自分も『何が違うの?』と
自分に突っ込みたくなると思いますが。

実は団体行動が苦手だったりします。

組織から「やれ」と言われたことには従順な、羊のように
気の小さいわたしでも、強制力が低いところで『自主的に』
団体行動を選ぶか?というと、選ばなかったりするのであります。

ジョーク抜きでこういうことができるってとても勇気のあること
だと思います。日本のご婦人方(男性の姿もちらほら)あっぱれです。

でも、どうしてその場所で、それが必要だったのか、不思議ですけどね。
そして、参加した皆さんがマジだったら、どうしてニヤニヤ笑っている人が
多いのだろう。

内心『笑われる、変だ』って気づいてて、でもそうせざるを得なかった
理由があるとしたら、それって悲劇ですね。

きっとグループの中に、真剣に、マジで「みなさん、一緒にやりましょう!」
って言った強引な人がいたと思うんですよ。

で、そのまじめさが、本人が気づいていないだけ、コメディとして考える
と大きな笑いどころだと思うんです。

もし、ニヤニヤせずに、みんなとっても真剣にやっていたとしたら、
それこそ『大勝利』だったと思いますけどね。

で、その強引さに負けて賛同した皆さんは、おかしいと気づいてて
でもやらざるを得なかったんだろうと思います。

みなさんとても優しくて、地獄に一緒に飛び込んでしまったんだろうと
思います。

(それにしても、みんなでやらなくてもいいんじゃないかと。)

そして国際ニュースになって、全世界に発信されてしまったわけですね。

意図的であれ、なかれ、世界一部(少なくともイギリス国内で)の
微妙な笑いを得たのは言うまでもないかと思います。














フランスの医療制度 その2

2010年04月20日 10時48分46秒 | Web log
ひさびさにフランス医療ネタに行きます。

さて、フランスと日本医療の違いの大きなひとつは
国民総生産GNPに対して、医療費に使われる税金の率が
低いということです。

毎月払う社会・国民保険料と診察時に払う負担分が診療費全体の
45%におよぶらしく、国庫、企業、地方負担金
が欧州の諸外国に比べると低いらしいのです。

日本では、公共事業費に投資される金額が、医療費に投資される
額の3倍だとかで、国の関心が国民の健康を維持することよりも
経済の発展、維持に向けられていることが、わかりますね。

こういう言い方は、きつい言い方なのかもしれませんが、
病人は働けないわけですから、必然的に生産性がなかったり、
あるいは劣っていたりするわけでして、生産性がある人をプラスと
みるなら、病人はマイナスな存在なわけです。

で、治療はマイナスをゼロ以上に持ち上げる手段ですから、結果的に
生産性を助けることになるのですが、それよりも確実にゼロをプラスに
転換してくれる可能性の高い『事業』にお金を投資しましょうという
考えかたが背後にあるのかなぁと思うわけです。

基本的に国が経済力を失ったら、沈み行く船になってしまうのですから
そういう考えもありかとは思いますけれども、

でも、以前 WHO(世界保健機構)で優良医療システム3位の地位を獲得してた
日本なわけでして(2000年時では10位です)

地位が落ちた要因は、医療費の個人負担率が2割負担から3割負担に
移行したときに、公的資金の医療費に使われる割合が減ったことが原因で、
その地位を失ってしまったようです。

超高齢化社会に突入する前に、国庫の医療費負担分を減らしておこう
なんて政府は考えたのでしょうな。

そういう点が、日本のシステムの悪いところみたいです。

さて、医者の分類についてですが、フランスはオーストラリア同様に
完全保険医、一部自由報酬医、無保険医との3段階にわかれているらしく
これは、医者の技量によって、より高い医療費を出せば、より腕のいい
お医者さんに診てもらえるというシステムですね。

これって日本人の感覚からしたら「お金のある人が、腕のいい医者に
みてもらえて、そうでない人はだめってことなの?」という
ある種の不公平感を感じさせるものですが、自由競争における差別化という
のは、市場原理からみたばあい避けられないものなのでしょうか。

いっぱい勉強して、技術を磨いた人は、たくさんお金をいただける
ということですね。要するに。

でも、フランスの偉いところは、高額の医療費を請求する一部自由報酬医
および無保険医の数を制限しているということですね。
そこに国家として平等性を極力維持しようという姿勢がみてとれます。

患者、医者双方に対する平等性です。

こうすることで、医療全体のレベルを低下させないようにしようという
試みもあるかと思います。

どんなに頑張って高度の医療技術を得たとしても、報酬が一緒なら
遭えてそういう努力はしても意味がないなんて、思うお医者さんも
でてくるかもしれませんからね。

でも、いいお医者さんには、たくさん患者が来るという理屈で考えれば
一生懸命学ぶことは無意味にはならないとはおもいますけど。

それから、フランスは医療保険負担分が日本よりも細分化されている
ようです。

日本は「一律3割負担」が原則かとおもいます。

が、フランスは

医療 70%
補助的医療(看護婦など補助的な立場にある人から受ける治療)60%
歯科(治療・義歯) 70%
医薬品 35%~100%
入院 80%
手術 70%

となっているようです。

入院など重篤で長期にわたる場合の負担減を考慮しての80%かなと
思います。

こうみると、国家の基本的な考え方が弱者救済の視点にあることが
数字的に現れていると思います。

さて、他にユニークだなと思った点がひとつ。

お医者さんには非常に権威があるということです。

ある人が風邪で病院にいったとします。
で、診察のあとお医者さんがとった行為は

「風邪なので、寝ていれば治ります。ので、2日間の労働停止命令を
だしますので、自宅で休んでください。それでも治らなかった
場合は再度診察にきてください。必要に応じて延長命令をだします。」

とのこと。

で、お医者さんが職場に提出するための手紙を発行してくれるそうです。

これ、面白いと思います。

会社や職場に気兼ねなく堂々と休めるって、素敵だと思いませんか?

『仕事があるから休めない』なんて、とてもまじめな日本人だからこそ
こういうシステムがあったらいいのに、と思うのは私だけですかね?

続く










5年経って

2010年04月19日 17時37分23秒 | Web log
ベンジャミンが4月2日で4歳になりました。

早いものです。

で、遅ればせながら今日パーティをしました。
総勢15人ほどの小さいパーティでしたが
和やかな時間をすごせました。

いろんな人に助けられたり、嫌な思いをしたりしながらも、
オーストラリアに来て5年が経ちました。

嫌なことがあっても、そればっかりじゃないというか
今日パーティーに来てくれた人は、ジョナサンとベンジャミンの
共通の友達の家族で、ジョナサン、ベンジャミン共々お世話になっていて
とてもいい人たちばかりなんです。

そんな人に囲まれて、ありがたいものだなぁと思います。

自分に正直に生きていれば、自分が正しいと思うことを
周囲の無関心にもめげず、続けていけば理解してくれる人も
いるんだな、なんて、いまだから言えるのかもしれません。

まったく理解してくれない人もいますよ。本当に。

でも、自分もそうかもしれないなぁと思います。

いくら好意を示されても、何かが噛み合わなかったりで、
長続きしなかった友達もいます。

受けた親切については、感謝しつつ、申し訳ないなぁと思いながらも
どうすることもできなかった人とか。

性格とかだけじゃなくて、意外と、物理的距離とか、環境とか、
タイミングとか、いろんなものに影響されて、友情って成り立つの
かもなぁと思ったりします。

こういうのを縁というのかもしれませんね。









フランスの医療制度

2010年04月14日 08時00分24秒 | Web log
先日、オーストラリアの医療制度について投稿したときに
フランスの医療制度がいいらしいと述べましたが。

フランスの医療制度について、調べたことをまとめて
みたいと思います。

まず、最初に言わなくてはならないこと。

フランスは税金が高い!
消費税は19%~20%だそうで。所得税は44.2%らしい。
欧州は、日本に比べるととにかく税金が高い。

ここまで多くのく税金を払っているのだから、制度が良くなくては
話にならないですよね。

日本人にそこまで税金を払う覚悟があるか?
そこが問題なんだと思いますが、それはさておき。

まず、フランスの医療制度の特徴は日本と同じ、皆国民健康保険の原則の
もとに、①患者の医師及び医療機関の選択の自由
②医師の収入は診療報酬の出来高払い
③病院勤務医師と自由開業医の二形態があり、
いずれへのアクセスも自由である。

しかしフランスの医療機関はたいてい、診察、検査、薬局、などなどが
分業している。
個人開業医で診察してもらって、必要ならば外部での検査を行い、処方箋に
基づき薬品を購入ということになるのである。

この点はオーストラリアも同じ。

でも、実際の話、日本のシステムに慣れているわたしには、これがまた面倒だったりする。
で、オーストラリアでよくあるのは、分業であるから、届いているはずの検査結果が医者のところに届いてなく、検査結果を元に次の治療方針を決めるなどの場合、無駄なお金や時間が発生することもあって、怒り爆発だ。

ただ、個人の医者が高額な検査設備に投資する必要もなく、また必要なら
まだしも、利益のために『とりあえず検査してみましょう』なんてことには
ならないのはいいかと思う。また、過度な薬の処方もなくなるだろう。

それから、フランスでは、医療費はとりあえず個人が全額を払い、還付金の
申請はその後で個人が行うという仕組みになっているらしい。

2割~3割だけを払って、残りは社会保険、国民保険から医療機関に直接
支払われるよりも、また個人が申請することによって、中間に発生する
事務費が発生しなくなる。

(イコール医療事務の仕事がなくなるということにもなりますがね)

医者に行く側の心理として、たとえあとで7千円返ってくとわかっていても
「1万円も払うなら、この程度の症状で医者にいくのはやめとこう」と思うと
すれば、無駄な医者通い(ドクターショッピング)もなくなるというわけだ。

これ、いいかもしれませんね。

そして、医療費がどれだけ高いのかを自覚することができるように
なるかとも思います。

続く。

署名

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