さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

久しぶりに走ってきました

2014年08月31日 17時02分36秒 | Web log
忙しかったり、雨だったりでなかなか定期的に走れず。

一週間ぶりにゆっくり、ゆっくり走ってきました。

走るとやっぱり気持ちいいです。頭も体もすっきりしますね。

なるべく毎日少しづつでも走りたいなと思います。

明日から9月。2014年も残り3ヶ月です。

早いなぁ....

Caregiver's Bill of Rights

2014年08月25日 21時18分34秒 | Web log
前にも書きましたけど「介護者の権利宣言」をご紹介したいと思います。

なんとか訳をつけました。

介護する人に一方的に「我慢しろ」と言ったり、ただ「頑張れ」とかいう言葉よりも、
こういった具体的な指針のほうが、実質的で効果的かと思います。

介護者の権利がしっかり認識されている社会じゃないと、介護を担っている
人たちは肉体的にも精神的にも追い込まれるだけで逃げ場がありません。

社会としての介護制度の整備も大切ですが、その根本を成す根本概念(土台)を
国としていかに据えるかも同じように大切かと思います。

最後の一文ですが、アメリカ人らしいというか、日本人にはあまり見られない
発想だなぁと思います。

「 介護者が必要な援助を受けられる社会として進歩することを期待し
それを要求する権利がある 」という部分。

社会の進歩、前進のために自分たちで働きかけて、要求していかなくちゃ
いけないんだ!という意気込みというか、黙って社会が変わるのを待っている
だけじゃだめなんだという気持ちが伝わってきますね。

権利を勝ち取る!というスピリットは欧米ならではの思考かなぁと思います。
力強くてポジティブでいいなと思います。

では、Caregiver's Bill of Rights を紹介いたします。

This powerful message first appeared in Jo Horne’s book “Caregiving:
Helping an Aging Loved One” (AARP Books, 1985), but has been adapted by many
organizations and people over the years. Wendy Lustbader – a social worker,
mental health counselor, author, and caregiver advocate in Seattle – is often cited
as its originator.
Whoever came up with it, these points can be a source of reassurance for caregivers.

この力強いメッセージは Jo Horneの本「介護:年老いた愛する人を助ける」(AAPR Books, 1985)
に初めて登場しその後何年もの間、多くの人々や組織に採用されてきました。
Wendy Lustbader(シアトル在住のソーシャルワーカー、精神医療カウンセラー、著述家、
介護者の代弁者)が「介護者の権利宣言」の発案者であると引用されております。

たとえ発案者が誰であろうと、これらのポイントは介護者を励ます源となっております。 

I have the right:

To take care of myself. This is not an act of selfishness. It will give me
the capability of taking better care of my loved one.

私には私自身を大切にする権利があります。これは自己中心な行為ではありません。
自分を大切にすることで、愛する人によりよい介護をできることができるからです。

To seek help from others even though my loved one may object.
I recognize the limits of my own endurance and strength.

私の愛する人が反対したとしても、私は他の人に助けを求める権利があります。
わたしは自分の忍耐力と強さの限界を知っているからです。

To maintain facets of my own life that do not include the person I provide care for,
just as I would if he or she were healthy. I know that I do everything I reasonably can
for this person and I have the right to do some things just for myself.

介護する人を抜きにした、私自身の生活を維持する権利があります。
それは、介護を受けている人が健康であると想定して考えうる私自身の生活です。
わたしは、私ができる限りのことをしていることを知っています。そして、わたしはただ
私自身のために何かをする権利があるのです。

To get angry, be depressed and express other difficult feelings occasionally.
わたしは、時々、怒ったり、落ち込んだり、またはそれ以外の困難な感情を表現する権利があります。

To reject any attempt by my loved one [either conscious or unconscious] to manipulate
me through guilt, anger or depression.

わたしの愛する人が、わたしの罪悪感、怒りあるいは落ち込んだ気持ちに付け込んで、わたしを思い通りに
動かそうとする(意識的、あるいは無意識的に行う)様々な試みを拒否する権利があります。

To receive consideration, affection, forgiveness and acceptance for what I do for
my loved one for as long as I offer these qualities in return.

わたしは、介護者へ「愛情」「許し」「受容」「考慮」をお返しとして与え続ける限り、
わたしが行っていることについて愛情、許し、受容、考慮を受ける権利があります。

To take pride in what I am accomplishing and to applaud the courage it has sometimes
taken to meet the needs of my loved one.

わたしは私が成し遂げようとしていることに誇りをもち、わたしの愛する人の必要を満たすために
必要な勇気を賞賛される権利があります。

To protect my individuality and my right to make a life for myself that will sustain me
in the time when my loved one no longer needs my full time help.

私は、わたし個人を守る権利があり、愛する人がもはやわたしのフルタイムのサポートを必要
としなくなったときに、私自身を維持することができるよう、私自身の人生を生きる権利があります。

To expect and demand that as new strides are made in finding resources to aid persons
living with illness, physical or mental challenges in our country, similar strides will be
made toward aiding and supporting caregivers.

病気であり、肉体的、精神的チャレンジを持つ人を助けるために必要な資源を得られるように
社会が進歩してきたように、介護者を支援、サポートするため、社会が進歩することを期待し、
そしてそれを求める権利があります。

大きな政府と小さな政府

2014年08月23日 18時59分05秒 | Web log
大きな政府と小さな政府という言葉はご存知でしょうか?

大きな政府(Big government)は、政府の市場への介入を強化し(もしくは市場経済を否定した
計画経済の導入を図り)、社会の平等・均等(富の再分配)と個人への高福祉(福祉国家志向)、
更には完全雇用を重視する反面、
個人の様々な自由への制約や規制・官僚・国家運営コスト(国家支出)の肥大化や保護貿易主義に
繋がり易い政策・国策に走りがちになる。

行政府の一形態であり、大きな政府を極限まで徹底した体制は(自主管理社会主義を除いた)
共産主義ともいう。

「大きな政府」では、高福祉、高負担、社会的義務などを元に、歳出の策定や高負担税率はもちろん、
巨大事業の国営化、企業活動に対する規制強化なども含まれる。

小さな政府(Limited government)では、市場の失敗などが起きず民間でも問題なく運営・
供給可能な事業においては、極力民間に行わせることを目指す。

そのため、国営事業の民営化・私企業化(privatization)や、規制の撤廃、国有資産の
売却などを行う。(Wikiより)


要約すると 国民は高い税金を払って、国が国民の様々な面倒をみる体制で、小さい政府は、
政府は最低限のことをして、多くの民間セクターが国民にサービスを提供する体制を言うのかなと
思います。

オーストラリアはイギリスの影響を受けているので大きな政府ですね。

大きな政府であるイギリスは鉄の女で有名なサッチャー政権時に多くの
国営事業を切り捨てました。

大きくなりすぎて、国家財政が思わしくなった結果に、彼女が登場した→財政立て直しのために
国営事業を切り捨てたということなのでしょうが、それでも、イギリスは高福祉、高負担を象徴する
「大きな政府」かと思います。

国営だったからこそ確保できたサービス、例えば利益はあまりでなくても生活弱者等を守るために
死守しなければならない部分があるわけですが、サッチャー時代のイギリスはそういった部分を
ばっさりと切り捨て、国民の反発を買った部分も多くあったかと思います。
今でもイギリス人の多くの人はサッチャー時代の政策を批判しています。

逆に、日本は「小さな政府」かなと思います。ヨーロッパ諸国に比べると税金は安く感じますし
福祉などのサービスもあまり充実していないと思います...税金は低いけれど、結果的にサービスが
行き届いていない部分が多いかな?と思います。

一番わかりやすい例は、高速道路でしょうか?

ま、ずっと問題になってきた例ですけれど、税金を投与して、日本にたくさんの高速道路が作られました。

税金を投与して作ったものなんだから、国民が無料で利用するのは当然と思いますが(イギリスも
オーストラリアも高速道路は無料です)、民営化になってしまった今、もうどうすることもできませんね。
民営化=利益の追求が正当化されたことになります。無料になることは永遠にないでしょう。

毎回利用者が結構なお金を負担しますから、結局最初から国民(利用者)が負担し続けている
ということになります。

で、最近は充実したサービスエリアもあちこちにできつつあるようですが、結局、そこを利用して
お金を落とすのも利用者ということになりますから、結局、損をしているのは国民です。

オーストラリア、イギリスは就学前の教育(日本でいう幼稚園)も無料です。Kindy→Preprimaryの2年間&
小学校の6年、そしてHigh Schoolの6年 合計で14年は無料です。

公立の病院にいくなら、診察&入院も無料。

実家近くの公園掃除は月一回の参加が義務で、参加しないとお金を払わされますが、公園掃除も行政
担当ですし、ゴミも行政の収集車が週一回家まで回収にきてくれますし、専用のゴミ箱も無料で各家庭に
配布されます。

小さな金額かもしれませんが、ゴミ袋を買う=税金を払って毎回ゴミを処理してもらう。しかも自分で
収集ステーションまで持っていかなければならない=分別も細かく規定されている。

細かく分別する=ゴミ袋の種類が増える=それぞれ税金を分けて払うという仕組み。

エコロジーという考えで正当化されているような仕組みですが、ひねくれた私は、少しでもより
税金をとるための手段に利用されているじゃないかと思ったりします。

そりゃぁ、エコロジカルな生活を推進するのは素晴らしいことですけれど。

小さい政府は民間でも問題なく運営・供給可能な事業においては、極力民間に行わせることを
目指すとあります。でも、日本の市場はガラパゴスという言葉で表現されているように、
かなり閉ざされた特異な市場であることは否めません。

日本の企業が日本市場の中でかなり保護されている感がします。

日本は「小さい政府」とは言ったものの、ある部分は「大きな政府」で上げられている「個人の
様々な自由への制約や規制・官僚・国家運営コスト(国家支出)の肥大化や保護貿易主義に繋がり易い
政策・国策に走りがちになる。」という部分に該当するかなと思いますけれど。

企業の利益を守るためにある種規制された自由競争...

携帯電話料金は高い
最近、SIMフリーが登場しましたが、それまではロックが当たり前だった。
こちらでは、SIMフリーは10年以上前から当然でした。

ATMからお金を下ろすのも、自分の銀行のATMからだったら無料で引き落とせます。
例えばスーパーでEFTOPOS払い(クレジットではなく、口座から直接引き落とし。
アメリカではデビット払いっていうのかな?)をするときに、キャッシュアウトも可能で、
あえてATMにいかなくても現金が欲しいときは、ほとんどそうします。

それに比べると、自分のお金を引き落とすのに手数料がとられたり、なんだか変なだなぁ
と思いますね。銀行が異常に守られているような...ね。

ところで、日本では電子マネーが普及しているようですね。

あれも便利なようでいて、商品券みたいなものですから、提携店でしかつかえない。

結局、あれは自分のお金がその電子マネーを提供する会社に「人質」としてとられるようなものですからね。
プリペイドカードで、例えばトップアップするたびにトップアップしただけのお金が企業に行きます。

ま、結局は企業も銀行と繋がっていますから、銀行にしたら、個人のお金がそのまま銀行にとどまるか?
企業経由で入ってくるかの違いだけにすぎず、ま、どうでもいいんでしょうけど。

銀行からしたら、他の銀行にいかなければいいだけの話です。

日本がそういう仕組みで成り立っているということですから、文句を言っても仕方ないと
思いますけど、どうして、銀行と直でできないのか?と思ってしまいます。
どうして、そこに企業が入らなければいけないのか?と思ってしまいます。

ポイント稼ごうが、なにをしようがポイント&還元率というトリックで企業に購買&選択の
自由をある程度コントロールされるということになるわけですよね。

それってどういうもんなの?

それが政府による日本企業を繁栄させる=国内での雇用確保&税金確保するための市場操作の
結果なのか、よくわかりませんが。

こういうシステムでより得をしているのは一体だれなんでしょうか?国民なんでしょうかね?

ま、国家、企業、国民の生活は複雑に絡み合っていますから、一概になんとも言えませんが
国民の94%が将来と老後に不安を抱えているという世論調査の結果からして、少なくとも
国&企業存続というレベルでは何らかの効果を生み出しているのかもしれませんが、国民
は不安を感じているということなわけです。

ま、大きな政府、小さな政府と簡単に言い分けるほどシステムはシンプルではなく、
部分部分、あるいは国によって運用の仕方が微妙に違いますから、いいか、悪いか
なんて簡単に判断できないのですけれど、海外に住んでいるから見えてくる、
そして考えさせられるという部分は確かにありますね。

夏休みが自由にとれないのも、日本国中が、ゴールデンウィーク、お盆、年末年始という
きまった時期に大移動する→ピークシーズンに当たるため、格安チケットもとれず
交通関連業界が大もうけする。

って、どうなのよ?といつも思います。

車の移動が一番安いけど、混雑して時間がかかる。列車もものすごく込む。

国民にとって大変なだけ。でも、ほかに選択肢がない。

本当に不思議です。

どうして休みのときにそこまで苦労しないといけないの???

どうしてそこまでコントロールされないといけないの???と思います。

復活

2014年08月06日 11時51分30秒 | Web log
鎮痛/解熱剤なしで二日間(先週の金曜日と土曜日)戦った結果、日曜日には
熱も下がって、かなり元気になりました。

ということで、オーストラリア介護者声明の訳もつけておきました。

日本では、というかきっと多かれ少なかれアジア全体がそうかな?と思いますけれど、
家族(配偶者やお嫁さんあるいは娘や息子)が様々な犠牲を払って介護するのが当たり前
のように考えられていて、介護を引き受けている人たちの個人として権利が無視されていることが
ほとんどかと思います。

そして「それが当然」というような風潮がまだまだ根強いような気がします。

そしてメインで介護をしている人は、肉体的にも精神的にも気が休まることなく、
時には個人のキャリアも諦めて、終わりのときがくるまで、介護し続けることに
なっているのではないかなぁと推測します。

私が思うに、この介護者声明の素晴らしいところは、介護する者の個人の権利が
しっかり受け止められ、それを保護するように明らかにしているところでしょうか。

そしてオーストラリア政府が宣言する=国がそれを保護するという姿勢を
明らかにしているという点にあります。

介護される人の権利とその保護はもちろんですけれど、それと平行して介護する人
の権利と保護についてのコンセプトが明確に示されていて、国内で行われている
介護事業もまたそれに則したものとなっていますので国民もある程度安心して
生活できるわけです。

先日記事にあげた My Aged Care というウェブサイトもそうですし。

そういえば、ラジオを聴いていたときに税金に関する国民の意識調査の結果について
語られていたのですが、オーストラリアの国民の多くが払った税金が健全に使われている
と思っていて、払った分だけのサービスを十分に受けていると思っているということでした。
そして、その多くがもし必要ならもうちょっと払ってもいいと思っているそうです。

確かに行政サービスは十分行き届いているなと思います。

もう一つ care giver's bill of rights というのがあるので、次の記事では
そちらにもちょっと触れてみたいと思います。

ジョナサンは優しい..

2014年08月01日 12時33分49秒 | Web log
火曜日くらいから、副鼻腔炎を疑っておりました。

鼻水はでるわ、頭は痛いわ、熱っぽいわで、とてもだるい毎日を送っていました。
そして、昨晩突然寒気に襲われて、熱を測ったら39度。

ジョナサンが先週末に発熱したときも、3日続いたから覚悟しないといけませんかね?

体調が悪くてもご飯をつくらなくちゃいけないし、やらなくちゃいけないことはあるし。

大変です。

そして今日は、ジョナサンのクラスパーティ用にまたまた寿司をつくらなければ
いけなかったのであります。

今朝は頭が痛すぎて、ちょうど鎮痛剤が切れた頃と思われる朝の3時に
起きてしまい、それから眠れず...

ヒーターの前に座ってぼぉっとしていました。

で、6時半からお寿司つくりに取り掛かったのですが、衛生には限りなく注意を
払いましたが、くしゃみで家中に撒き散らされているウイルスが寿司にくっついて
クラスに蔓延させるんじゃないかと思ってるところ。

そうでないことを祈ります。

で、このところ私の体調が悪いのを知っているジョナサン。昨日、学校にお迎えに
いったら、開口一番「良くなった?」と聞いてくれました。

そして「体調が悪いのに明日僕のためにお寿司つくってくれてどうもありがとう。」
というではありませんか?

で、夜にかけて段々調子が急降下。ガタガタ震えながら寒い、寒いとうなって
いたら「だったらお布団をいっぱいかけてあげる」って、布団をかけてくれたり
もう、優しいったらありゃしない。

マイクに似たんですね、きっと。

で、今回の副鼻腔炎ですが、ずっと「みずみずしい」鼻水なんですね。
副鼻空炎にもウイルス性とバクテリア性とがあって、ウイルス性だと抗生物質
は効きませんから、お医者さんに行くのもなぁと思っているところ。

ま、二次感染でバクテリア感染になったら、鼻水の色も変わるでしょうから、
それまでは、お医者さんに行くのは控えようと様子をみているところ。(素人判断ですけど)

でも、あまりにも不快なので、さっさと治したいという衝動にかられています。

通常のPanadol よりもパラセタモールを倍増した Panadol MAXを買ってきたので
それでなんとか痛みと熱を緩和して様子をみてみようと思います。

がんばります。

署名

<script src="http://www.shomei.tv/project/blog_parts.php?pid=1655&amp;encoding=euc"></script>