「芭蕉という修羅」嵐山光三郎 2017/4 読了 ☆☆☆☆☆
30~38歳期は、江戸に出てきて水道工事の実績で信用を得て俳諧宗匠として地位を築き、38~45歳期は日本橋から深川へ追われ、思索する庵住の身となり、45~51歳期は漂泊の日々で第二次芭蕉庵を売り払い、「奥の細道」の旅に出た。
日光東照宮修復工事、仙台藩の動向調査を中心とした隠密の旅であった「ほそ道」は、江戸への未練はなかった。
著者が原典や関連資料から幅広い人脈、金脈、俳句の背景など時代別に明らかにした密度の濃い内容は、読み進めるのに苦労したが、知られざる芭蕉の素顔を少し理解する。「ほそ道」や「のざらし紀行」「かしま紀行」などその行程の説明も興味深くおもしろい。
図書で1冊借りる
「本の雑誌 7月号」
30~38歳期は、江戸に出てきて水道工事の実績で信用を得て俳諧宗匠として地位を築き、38~45歳期は日本橋から深川へ追われ、思索する庵住の身となり、45~51歳期は漂泊の日々で第二次芭蕉庵を売り払い、「奥の細道」の旅に出た。
日光東照宮修復工事、仙台藩の動向調査を中心とした隠密の旅であった「ほそ道」は、江戸への未練はなかった。
著者が原典や関連資料から幅広い人脈、金脈、俳句の背景など時代別に明らかにした密度の濃い内容は、読み進めるのに苦労したが、知られざる芭蕉の素顔を少し理解する。「ほそ道」や「のざらし紀行」「かしま紀行」などその行程の説明も興味深くおもしろい。
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