how?

"so-whatical" music review

越路吹雪のすべて

2013-11-29 23:39:21 | 音楽
 2012年10月30日。親父が亡くなった。享年69才。

 ホント若過ぎた。生きていれば、これからもっと楽しい事が沢山あっただろうにとも思うし、いや、思い残す事はきっと無かっただろうとも思うし…。
 うーん。そんな複雑な思いは1周忌を過ぎた今も変わらないけれど、当ブログに関して言えば、親父の事を書かないと更新出来ない気もしたし、書こうと思うまで、結局、1周忌過ぎるまで掛かってしまった。

 更新が滞ってたのは「なるほど。喪中だったんだなぁ。」と思って下されば幸いです。読者の皆さん。すいませんでした。


 音楽ブログなので、音楽と親父の想い出について書こうと思ったけれど、そう思うと、親父は、音楽には、あまり関心が無い人だったなぁ。一言で言えば「仕事とゴルフの人」。だから、僕がロックに興味を持ち始めて、ステレオやらギターアンプやらで、やかましい音を出し始めた頃は、ホントよく怒られた。

 「やかましい!」

 怒鳴り声も今ではとても懐かい想い出だ。

 うーん。音楽と親父か…。

 
 で、レコード棚をチェックして、しばし考えた。そして思い出した。
 「そういえば、このレコード!」

 
 話は遡ること、僕が中学2年の正月。

 正月の2日か3日辺りは、デパートの初売(最近は元旦から空いてるけども)だが、我が家行事で言うと「初売の日は必ず西武百貨店」と決まっていた。そう。当時、滋賀県で唯一の百貨店と言えば、大津の西武百貨店だったのだ。で、この初売の僕の最大の楽しみは、当たり前ながら「お年玉で何を買うか」。当然、この頃の僕は「何のレコードを買うか」。
 当時、レコードを1枚買うのは、決して失敗の許されない大冒険だった。エアチェックで気に入った曲やアーティストを書き出し、正月の何ヶ月も前から吟味する。そしてお年玉で何を買うか決めるのだ。後は、当時、西武百貨店に入ってたレコード屋「新星堂」の品揃え次第という訳で…。忘れもしない、この年の正月に買うと決めたレコードの第1希望は、レッド・ツェッペリンの「聖なる館」だった。

 西武百貨店に着くや否や、一目散に3階の新星堂へ向かう。果たして「聖なる館」は…。「あったあった!」

 まぁ、でも当たり前ながら、あったからと言って直ぐに買わない。レコード屋を、一応くまなく全部チェックしてからの最終決定となる訳で…。そして長いレコード屋チェックが終わり、ようやく購入の1枚が決定!

 「うん。やっぱり予定通りツェッペリンにしよう!」とレコードを持ってレジに行こうとした時、突然、背後から親父に捕まった。

 「おい。何のレコード買うねん!」
 「(何で親父に言わなアカンねんと思いながら)言うても分からん奴や!」
 「まぁ、エエわ。お金渡すから、ついでにこれも買うてきてくれ。」
 「何や。面倒臭いなぁ…。」

 渡されたレコードは紫色のジャケットの「越路吹雪のすべて」。
 「うーん。ツェッペリンとこれを一緒にレジに出す中学生っておかしくないか?」

 恥ずかしさ半分でレジに差し出したのを思い出す。
 そしてツェッペリンの「聖なる館」は、今でも好きで時々聴くけれど、この時買った、もう1枚のレコード「越路吹雪のすべて」。この1枚は実家ではなく、現在、僕のレコード棚にしっかりと収まっている。いつの間にか、僕もこれを「いいなぁ!」と思える歳になっていたのだな!

 僕は親父に似てきたのだろうか?いや、似てない!多分!




 今だから書けるし、あの時の事を記憶に留めておこうと思う。
 親父が死んだ時、そして葬式の時、2回泣いてしまったけれど、葬式の時、何であんなに泣いてしまったのだろう。

 喪主の兄貴が素晴らしい弔辞をスピーチしてくれたから?
 そうだな。僕以外にも沢山の人が泣いてたもんな。
 
 
 話は変わって、確か友部正人さんの曲だと思うけど「はじめ僕は一人だった」っていう歌がある。僕がこの曲を知ったのは、僕が大学1回の時に一緒にバンドを組んでいたヴォーカルの先輩が、バンドを解散してからのある日のあるステージで、たまたま、この歌を歌っているのを聴いたからだった。
 その先輩のヴォーカルが凄く良くて、心に響いた。そして、それ以来、僕の頭の中で「はじめ僕は4人だった」っていう歌がずっと唄われ続けてきた。歌はいつの間にか、すり変わっていた。

 「はじめ僕は4人だった」

 僕がもし、自分の家族の系譜や自伝を書くなら、書き出しはこれに決まっている。はじめ僕は4人だった。両親と15ヶ月離れた兄貴と僕の4人。僕には5歳離れた弟がいるけれど、弟は後からやってきた。で、弟が生まれた時、僕はもう5歳だったから、その時の嬉しさは今でも強烈な記憶だし想い出。だから弟が生まれた時は「そして僕は5人になった」という感覚だ。

 「はじめ僕は4人だった」

 兄貴のスピーチを聴いていたら、そのフレーズで頭が一杯になった。そして、「僕のはじめの4人の中の1人だった親父」が居なくなってしまったという喪失感が、溢れ出して止まらなくなってしまった…。これが涙の真相だった。



 という訳で喪中は終わり!




 

ステディ・ローリン・マン~ロバート・ジュニア・ロックウッド

2012-04-01 02:39:44 | 音楽
 先日、大阪のライブ・ハウスに、ピーター・バラカンさんDJの「ニューオリンズ、音楽の旅」というイベントを観に行った。いやぁ。無茶苦茶、面白かった!テンション上がりまくり!

 勿論、目から鱗な話も沢山聞けたし、知らない曲も沢山聞かせて頂けた。そして、やっぱり僕は、ピーター・バラカンさんのラジオで知った音楽が多くて、多大な影響を受けてきたんだなぁという事実も改めて納得した。特に中学時代。バラカンさんの番組から沢山エアチェックしたもんなぁ…。音楽の情報が限られてたあの頃。バラカンさんがいなければ、今の僕は無かったかもしれないなぁ。

 で、そのイベントの中で、スヌークス・イーグリンというブルースマンの曲を掛けて下さったのは、僕の中で大変嬉しく、また驚きだった。で、バラカンさんが言うには「彼は日本に一度だけ来日して、僕は横浜で観たんです。」という話でさらに驚き!

 で、このイベント後、一緒に観に行った波部氏と横山氏と、ちょっとした感想会をしたのだけど、そこで、僕は得意気に、こう喋っていた筈だ!
 「ついに、あの伝説の夜の話をしなきゃいけない時が来た!僕は、日本では数少ない、スヌークス・イーグリンを生で観た男です!」と…。


 話は遡って、あれは多分、1995年位だと思う。確か、新宿のパークタワーとかいうライブハウスに、伝説のブルースマン、ロバート・ジュニア・ロックウッドを観に行った時の事だ。ロックウッド(大トリ)の出番の前に、サングラスを掛けて椅子に座って、とんでもなく強烈なギターを披露した男がいたのだが、彼こそ、スヌークス・イーグリンだった。

 人間は、ホントに凄過ぎる物を観た直後の場合、拍手する事すら忘れて、呆然としてしまうのだと思う。スヌークス・イーグリンのプレイは、僕の体験でも数少ないそれだった。

 で、そのスヌークス・イーグリンの演奏後、確か、ロックウッドの出番まで少し休憩があったのだけど、ホント呆然のままだった記憶がある。そして、我に返った時、僕は隣の奴にこう話していたと思う。
 「ヤバイなぁ。ロックウッドを観る前に凄いの観てしまった。ヤバ過ぎる…。」

 きっと、「メインを食ってしまう」というのは、こういう事なのかも?と、その時思った。で、ロックウッドという凄いプレーヤーと言えども、多分、この時、80歳台後半位。流石にもう高齢やもんな。
 「まぁいいや。「生ける伝説」をこれから観る。それでエエ!」

 お目当ての人を見る前に、気持ちを切り替えられない!こんな体験も初めてだった。「全く!何てこった!」という気分の中、いよいよロックウッド登場。

 だがしかし!だがしかしだ!彼がギターに触れた瞬間、そのあまりに強烈過ぎた今までの空気感は、一瞬で消えた。そして一瞬で彼の空気になった。何なんだ!さっきとは打って変わっての、この静かな落ち着いた雰囲気の圧倒的なオーラは!

 後は、ロックウッドの独壇場だった!いぶし銀かつ、あまりに圧倒的な演奏!

 僕は、この日、スヌークス・イーグリンの登場から、ロックウッドが演奏を終えるまで、ずっと口を開けてニヤけていたに違いない。


 僕にとって伝説の夜をブログに書く事が出来ました!
 きっかけを作って下さったバラカンさん。ありがとう!

 

震災から1年

2012-03-17 02:26:58 | 音楽
 あの震災から1年が経った。

 あの日起こった事、この1年に起こった色んな事を思いながら、頭の中を整理してみたい気になった。
 でもどうだろう?前向きな事を考えようとしても、結局、原発が邪魔ばっかりしてる。関西人の僕の立場だけで見てもそうだ。

 ●子供を連れて東北に行き辛い。東北の大事な人に会いに行き辛い。

 ●瓦礫受け入れへの恐れ。

 ●食品への恐れ。etc…。

 こんな事をウェブ上で書いてはいけない。現に住んでる人、頑張ってる人が居るのに、こんな事書いてはいけない。

 当たり前だが、東北にも子供達は沢山いる。瓦礫が山積みだし、地産の食べ物だって食べてる。観光にだって来て貰いたいに決まってる。安全もちゃんとアピールされてるやん!

 きっと東北の人はカンカンだ。でも、これも原発のせいだ。原発は人の絆も奪う。人同士が繋がりたい、分かち合いたいという気持ちも奪う。

 将来の子供の教育にも、原発は悪影響極まりない。瓦礫や食品を受け入れたが為に、将来の子供の健康に悪影響であったのなら、親は後悔するし、子供に恨まれる。逆に現状の様に受け入れなかったら、子供に対して「自分達さえ良ければ」的な事を教えてしまう様な感じになる。

 何て困った事を突き付けてくれたんよ!原発は!

 で、マスコミも、もう少し報道の仕方を考えてはくれないか?頼むぜ!何がおかしいのか、何が悪いのか。もっと冷静に報道してくれよ!

 で、もし福井の原発が同じ事になったら、明日は我が身だ。僕ら関西人は助けて貰えないし、今こんなである以上「助けて下さい。」とも言えない。言える権利もない。


 原発を早く無くせ!


 福井県は原発マネーで北陸新幹線を作るのか?それって福井県民も納得してるのか?


 原発を無くしてくれ!


 書きたい事は他に山ほどあるけれど、今、震災処理で問題になってる事のほとんど、原因の行き着く先は原発やん。箇条書きで書き出してみるといい。ほとんど原発さえ無かったら…の話ばっかり。びっくりする位。
 
 なのに何で無くなる方向にならない!原発!何で、まだ動かそうという意見が出てくるのか!原発!原発!原発!ホント腹が立つ!原発!


 話は変わって、僕は、たまたま京都新聞を読んでるけれど、京都新聞は、いかにも京都らしい内容で原発問題を論じてる記事が時々ある。例えば仏教会が原発廃止を訴えてる記事なんかもあった。

 で、その京都新聞で興味深く読んだ記事の中に、「哲学的視点からみた原発問題」っていう内容があった。ウロ覚えで申し訳ないが、その哲学科のどこかの大学教授は、こう結論付けていた。

 「太陽等の自然エネルギー由来で無いエネルギー(要するに原発。化石燃料は太陽由来エネルギー)を人類は使うべきではない!」

 勿論、あの震災から1年も経つと、そういった視点の論議も多いし、文系の学問分野からの意見はこういうものが多いなぁ。良い事だ。で、僕は、その論点をもっと踏み込んで、ここではっきり言いたい。

 「原子力エネルギーは、人類の進化に寄与しない!どころか、原子力エネルギーに突っ込んで行く事、依存は人類の退化だ!」

 原子力エネルギーが、現状、人類の手に負えないモンスターなら「飼い馴らせる様に科学を進歩させる事こそ、人類の進化じゃないのか?」という考えは、はっきり間違いだ(もっとも、作ってしまった物の後始末の為の進歩は、これから世界中でかなり必要)。原子力エネルギーは、人類が未成熟な部分を凝縮した様なもの。極端に言えば、未だに戦争を仕掛けている人、戦争をしたいと思ってる人の思考の様な、時代遅れの思考とかなり似通っている。

 つまり「自分さえ良ければ…」の究極の形だ。一部の人間が裕福になりたいっていう欲望。その為には、誰かが犠牲になろうが構わないという考え方。後の世代がどうなろうが知ったこっちゃない、という考え方。

 「原発が無くなったら、日本の国力が落ちる。君も貧乏になるよ。」という嘘を言う奴等!構いません!誰も原発を動かしてまで裕福になりたいなんてお願いしてない!


(追伸)福島の子供達の書いた作文を集めた本が出版されてて、本屋にあります。読んでない人は立ち読みでもいいから、読んで欲しい!

追憶のハイウェイ61

2012-03-05 02:21:57 | 音楽
 僕ら「わごむ」の出演も決まっている、第7回目の「楽音」イベントは、4月7日(土)。しかしながら、これほど、出演する僕ら自身が、毎回楽しみで待ち遠しい音楽イベントもなかなか無い。で、今回は、こちらのイベントでいつもお世話になっている「TT BAND」さんとの出会いについて、無性に書いてみたくなった次第。

 勿論、イベントの告知をしたくて書いてる訳では無いです!どちらかと言えば、楽音の事を知らない読者に読んで欲しいなぁって感じ。自分がカッコイイと思うバンドは、知らない人に教えたくなるものだ!(かと言って、あんまり有名になり過ぎて欲しくない様な、ローカルヒーローであって欲しい様な、変なファン心理も働くから複雑なんよなぁ…)

 TTさんとの出会いは、実は十何年前のアコースティックイベントだった事が、後に判明したけれど、その頃は、お互い全く知らなかった。ひょっとして、そのステージを観ていたら…と今となっては思うものの、何かの用事で他のバンドを観る時間が無く、自分達のステージが終わってすぐ帰った様な記憶がある。

 で、それから幾年経って、もう3~4年前位になるのかな?わごむメンバー間で、何となく新しい箱(ライブが出来る場所)を探そうという話になり、滋賀県の石山(琵琶湖を琵琶に喩えたら糸巻き辺り)にある「U-STONE」というライブハウスを見に行った事が、再びTTさんと出会うきっかけになった。
 U-STONEには、出演条件などを聞きに行っただけだったのだが、その時「大人音楽応援企画」というイベントを紹介されたので、後日、萩原君と観に行った所、そこにTTさんが出演していたのだった。

 実は、この「大人音楽…」もそうだけど、いわゆる「オヤジバンド」的な感じの企画イベントは、僕的には少し苦手感があった。これを観に行った時もそうだったけど、正直、半信半疑だった。

 で、イベント内容自体は半信半疑のままだった。「もうちょっと、こうだったらいいのになぁ…。」って感じ。だがしかし、だがしかしだ!僕の心は揺れまくっていた。何故なら、TTさんの演奏を観たからだ。ずっしり心に響いた。「僕等もこういう事がしたいなぁ。」って思った。「TTさんと一緒のステージに出たいなぁ。」と思った。で、同じ事を考えてるだろうことは、萩原君の表情を見ても何となく分かった。

 この「大人音楽」なるイベントに出るかどうか?イベントを観終わった後、萩原君と僕は悩みに悩んでいた。「どうするよ。どうするよ。」
 で、「結論出ないから帰ろうか。」と出口まで歩いた所で、萩原君がトイレに行きたいと言い出したので、二人で並んで用を足していた時に、どういう訳か、急にお互いのスイッチが入ってしまった。用を足して冷静になれたのかもしれない。で、言いだしっぺは僕だった。

 「今までそうやったけど、(ライブに)出るか出ないか迷った時って、結果、出た方が良かった事の方が多いよな?」そうと決まれば、僕等の行動力は電光石火だ。そのまま主催者に会わせて貰い、次回のこの企画に出る事が決まったのだった。

 で、この「大人音楽」のライブがどうだったかは、このブログのバックナンバーでも、わごむHPでも読めるので割愛するけれども、これは、結果「ホントに出て良かった!」って思える事になる。

 それから幾日か経ったある日、何と、TTバンドのyo!さんから、わごむHPに書き込みがあったのだ。で、それは、この「楽音」へのお誘いだった。

 無茶苦茶、嬉しかったなぁ…。

 で、これは自慢!6回目までの「楽音」で、フル出場してるのは、TTさんと僕とわごむHPに時々遊びに来て下さるDANAEさんだけだ!


<レコード評>

 このアルバムを語るには、色んな切り口があるけれど、僕はどこからでも挑めるし、多分、分厚い本1冊書けると思う。それ位、影響を受けたアルバムだし思い入れは深いけれど、今回は、TTさんの話題なので、それに絞って…。

 僕がTTさんの曲で一番好きな曲が「僕は小さな電車に乗って」。何とyo!さんが高校生の時に作った曲だそうだが、僕は、この曲のイメージと、このアルバムのB面の頭「クイーン・ジェーン」を凄くダブらせてしまう。

 僕は、この「クイーン・ジェーン」。例えば、夜一人で駅のホームで電車を待っていて、その日は、妙に人恋しくてとても落ち込んだ気分…。っていう時なんかに、よく頭に流れる曲。因みにこの歌自体は電車の事は唄ってない。

 だからあくまで僕のイメージだけの事だけど、TTさんの「僕は小さな電車に乗って」を聞いてからというもの、僕の中で「クイーン・ジェーン」以外の新しい「トレイン・ソング」が、出来た様な感じがしてる。

 「僕は小さな電車に乗って」は、恋人との待ち合わせ。早く会いたい!という歌だけれど、「会いに来てくれ」ってディランが唄う「クイーン・ジェーン」とは、また違うシチュエーションの、僕にとって、ここ何年かで最高の「トレイン・ソング」だ!

レット・イット・ブリード ~ザ・ローリング・ストーンズ

2011-08-19 18:56:43 | 音楽
A面①ギミー・シェルター②むなしき愛③カントリー・ホンク④リヴ・ウィズ・ミー⑤レット・イット・ブリード  B面①ミッドナイト・ランブラー②ユー・ガット・ザ・シルバー③モンキー・マン④無情の世界


 盆も過ぎた今、夏の総括じゃないけれど、今年の夏はどうだ!きっと、僕の人生の中で最悪の夏。戦後の日本にとって最悪の夏。そして永遠に忘れられない夏。それが2011年の夏だったんじゃないだろうか?それは勿論、震災による原発事故のせいだ。原発事故は終息に向かうどころか、益々、暗い影を落とし続けてるもんな!

 今回のブログは、原発について。

 原発の事を書かせて貰う前に、まず、前提として言っておきたいのは、原発に賛成か反対かという事は、論じたくないということ。原発を無くすのは当たり前の事だ。この議論をしているようなステージが巷に溢れてる様だが、すぐさま撤収して貰いたい。ホントお話にならない。

 それはともかくとして、今やらなきゃいけない事が、何故出来ないのか?という怒りだ。そしてこれは、僕自身にもあてはまる。自分自身に対しても怒り心頭してる。

 「子供を何故守ってやれないのか!」

 僕の様に関西にいると、子を持つ親がみんな「東北の食べ物は買わない。」「東日本の食べ物は買わない。」と言っているのを聞くけれど、当たり前だろう。これは、僕から見れば風評でも何でもない。
 評論家や学者の意見は信用ならない。信用出来るのは現実のデーターだけだ。チェリノブイリ後のチェリノブイリ周辺国が定めた、食べ物の子供への放射能影響を考慮した基準値と比べて、今の日本政府が勝手に大きく広げた基準値は全然違うもん。

 子供が住めない地域がどんどん広がっている。現実、内部被爆してる子供が増えている。汚染された食べ物や肥料や瓦礫が日本全国に広まってきてる…。

 一体この国は、宝であるはずの子供を見捨てたんだろうか?

 じゃあ、何故、戦時中の様に、せめて子供達を疎開させる事が出来ないんだろう?この際、大人は仕方が無い(子供に比べて放射能の影響が少ないし、原発が存在する事自体は大人のせいやもんな!)と考えたとしてもだ。

 今の元気とは言えない日本の経済事情、雇用事情であれば、それぞれの生活はみんな大変だ。それは、僕ん家だって例外じゃない。しかし「何とか生活を切り詰めれば、僕だって一人位なら、福島の子供を受け入れて、放射能から多少なりとも守ってあげられるんじゃないか?」そんな事を考えてみたりもした。妻にも真剣に相談したし、納得もして貰った。

 しかし、現実は何も出来なかった。僕には力が無かったし、結局、近しい子供すら、関西に受け入れる事が出来なかった。この件について、これ以上は詳しく書けないけれど、これが2011年の夏。僕に突き付けられた、情けなく、最低な現実だった。


●レコード評

 このブログの体裁上、レコードの話になるけれど、この夏、僕の頭に最もヘビーローテーションで流れたのがA①だった。英語がちゃんと聴ける人なら、この歌が戦争を唄っているのが分かると思うし、実際、僕が昔観た、ベトナム戦争のドキュメント映画でもBGMで使われていて、ドンピシャな曲だと思ったものだった。
 しかし、今、この曲が渦巻いてしまった理由は、ズバリ「oh!children!」と「gimmie shelter」というワードが現実と重なったからに違いない。

 このアルバム自体について言えば、紛れも無くストーンズ最高傑作の一つ。

 ストーンズのレコード制作におけるマジック、何ともな凄みを原点まで辿るとしたら、僕の勝手な見解は、60年代半ばに多くの傑作を生んだ「チェスセッション作品群」だ。ブルース好きな方なら分かると思うけど、チェス録音の音像の近さやエコーのかかり具合は、かなり独特で、何だか呪縛にかかってしまう様な錯覚にさえ陥るのだ。
 上手く言えないけれど、ストーンズは、チェス録音を通して、そういう技というか表現方法を手に入れた様な気がしてならない。その観点でみれば、サイケ期のストーンズも実は、そんなにブルースとかけ離れていたとも思えないし、そう思えば「ベガーズ・バンケット」「レット・イット・ブリード」「スティッキー・フィンガーズ」の傑作3部作と、見事に線で繋がる様な気がするのだ。
 
 後、この3部作を生んだ背景の一つに「カントリー」がある事は絶対に押さえないといけない。実は、ストーンズが、最も、カントリーに接近してた時期こそ、この3部作だ。A③なんかは、モロにグラム・パーソンズのアドバイスによって演っている!
 
 

 

給食の時間

2011-08-18 18:25:40 | 音楽
 本ブログでは以前、3月11日の地震当日の事を書かせて貰ったけれど、あの時、延期になってしまった義弟の結婚式は、無事終了。あいにく、東北の親戚の方々は、それどころではないという事もあって、出席という訳にはいかなかったけれど、会津に住んでいる義兄(地震当日は仙台に住んでいた)は元気な姿をみせてくれてで、僕の親戚筋は、久しぶりに楽しい時間を満喫する事が出来たのだった。

 で、あの震災以来の上京という事もあって、ホントだったら、3月11日に会う予定だった、ソライロネオンの布屋君、清水さん(ニュフニャフさんという方が通りが良いのかな?)にも久しぶりに会う事が出来た。布屋君の実家が仙台という事もあって、布屋君からも東北の色んな話を聞く事が出来た。

 うーん。震災については、また別記事で書こうか!今回の震災については、10人いたら10人の意見があると思うけれど、言わずにおれない事が多いもんな!全く!


 で、話を変えないといけない!今回紹介したいCDは「給食の時間」というオムニバスで、給食の時間に学校放送で流して欲しい的なCDだ。全曲、給食にまつわる歌なのだけど、何と、ニャフニャフさんの曲「輝く三角巾」も入っている。

 布屋君家でカードゲームしながら聞かせて貰ったけれど、何とも良い雰囲気のアルバムになっていた。何だか、小学校時代に戻ってしまう感じ。


 小学校の給食の時間って、一番楽しかった時間かもしれないなぁって、今でも思う。苦手な食べ物も多かったし、僕は今でもそうだけど、食べるのが大変遅いので、いつも教室に最後まで残って食べてた口だったけども…。

 でも一番楽しかったのは、僕が放送委員をやっていて、給食の時間の校内放送を製作して流していた時だったなぁ。当時、僕はいつも、学校内の面白い事に目を配っていたし、それを校内放送にのせた時の各教室から聞こえてくる大爆笑に、とてつもない快感を覚えたものだった。
 
 で、その放送委員の時に「放送で流す曲選び」という名目で、学校内のレコードを片っ端から聴いたし、その「放課後のレコード鑑賞の時間」が楽しくて仕方なかった。学校にあるレコードのほとんどはクラッシックだったけど、それでクラシックの有名な曲は全部覚えたし、後、先生が好きで学校に持ち込んだであろうレコードも沢山聴いた。

 だから、今でも、校内放送で流れてた曲とか学校にあったレコードの曲には、かなり反応してしまう。で、そんな事を考えながらこのCDを聴くと、なるほど、このCDを製作しようと発案した人も、きっと僕に近い感覚の持ち主なんだろう。「流石!」とも思うし、「くそー。このアイデア先にやられた!」っていう気持ちにもなってしまう。

 CDを製作するという世界からみると、校内放送の給食の時間に流して欲しいCDなんていうコンセプトは、言ってみれば「ニッチ」というか「隙間ビジネス」というか、そんな感じなのかもしれないけれど、こういうのこそ、きっと今の小学生にとってずっと心に残るに違いないと思う。何より、大人が楽しみながら音楽作ってるのが子供に伝わるだろうから、これほど素敵な事は無いんじゃないかと思う。

 娘もあと1年半で小学生か…。娘の行く小学校に寄贈するのもアリかもな!

ラブ・ゼネレーション~早川義夫

2011-05-23 06:01:02 | 音楽
 今回は「ロック本」について。

 ロック本と言えば、矢沢永吉の「成り上がり」っていう本をバイブルにしている人が多いそうだ。勿論、矢沢永吉の熱烈なファンが多いという点で当たり前と言えるけれど、実は、矢沢ファンではない僕も、中学時代、友人に勧められた事があって、多少読んだ事がある。で、それはそれで、バイブルとなる理由はとてもよく分かったのだけれど、ただ、僕には、まるで考え方が合わないと思った。残念ながら、勧めてくれた友人の様に、それを読んでテンションが上がる事は無かった。

 今から思えば、中学・高校位の歳でミュージシャンに憧れてるんだったら、もっと「成り上がり」的な野心なり自意識があっても良かった様な気もしてしまう。それが当時あんまり無かったのは、ある意味、とても残念な事でもあったのだけれど、じゃあ何故、「成り上がり」がピンと来なかったのかは自分でも分からない。で、僕が、初めにピンと来てしまったロック本は、実はこの「ラブ・ゼネレーション」だった。

 僕がバイブルとまでは行かないまでも、心の拠り所みたいに、時々、読み返す「ロック本」というものが、実は何冊かある。ここ2年位は、忌野清志郎の「ロックで独立する方法」っていう本が、最も読み返している本だと思う。何かに迷ったら読む本。テンションが上がらない時に読む本。

 で、「ラブ・ゼネレーション」は、ティーンエイジャーの頃にピンときて、且つ長年に亘って、僕が時々読み返す本だ。何故なら、きっと早川義夫の音楽に対する考え方が、とても僕と似ていたからだし、僕が、音楽を通して何か経験して感じ取る事も、後でこの本を読み返すと「そうやんなぁ…。」と納得する事が多かったからだろう。「ロックで独立する方法」もそうだけど、時々、読み返すロック本は、多分、現在進行形で、今、自分が音楽で演ろうとしている事や、演って感じた事がリンクする物の様に思える。

 で、今、現在、久しぶりに「ラブ・ゼネレーション」を読んでみたい機会があった。それは、僕の気の迷いとか、バンドの今後の舵取りに影響しての事だった。

 僕は、きっとバンドが好きだし、いつも何かを表現する手法としても、バンドの事を考えている。今後もそのスタイルを変えるつもりもない。けれど、表現者として「バンドスタイルで無いと自分の伝えたい事が表現が出来ないのか?」と言われると、それはとても辛くなる。

 「ラブ・ゼネレーション」は、早川義夫がジャックスからソロ活動に移行した時期に書かれていて、「表現したい事に、バンドとかソロとかスタイルは関係ない」という様な事が書いている。僕は、それもその通りだと思う。

 けれども、僕がこの「ラブ・ゼネレーション」という本全体を通して、一番感じ取る事は、実はこの本を初めて読んだ時からずっと「バンド愛」だった。特に、水橋春夫が最高のギターを弾いていた頃の4人編成のジャックスに対する「バンド愛」。

 上述した「表現したい事に…」はその通りだし、確かにそうでなければ本物と言えないかもしれない。実際、早川義夫はソロで「かっこいい事はなんてかっこ悪いんだろう」という傑作も物にしてるから、有言実行してるとも言える。けれど「表現したい事に…」というのは、あくまで僕の勝手な思いだけど、これだけは、早川義夫の持論というよりも「ソロ活動でやっていく」という、早川義夫自身の意思表示であったり、自分を奮い立たせて行こうという気持ちから出た言葉の様に思えてならない。「バンドじゃなくてもきっと俺は演れるさ!」っていう自分に暗示をかけてる様な感じ。

 だから、僕には、この本の全体像として「俺はこうだぜ!こう思うぜ!」という強気よりも、どこか自信無さげな部分だったり、不安げな部分を凄く感じる。でも、それこそが「ロックっぽい」と僕はずっと感じてきた。だから、ずっと読み続けてきた。

 で、今書いているブログも、ある意味、自分に何かの暗示をかけたい様な気持ちが手伝っているのだろうと、今、書いていて思った。

キャンディーズ トレジャー

2011-04-24 01:49:33 | 音楽
 スーちゃんのあまりに早すぎる訃報は、キャンディーズのメンバーの一人がこの世にいなくなってしまったという意味でも、一つの時代の終わりだろう。ホント早過ぎる。未だに信じられないし、久しぶりに芸能ニュースに釘付けになっている。

 僕は、普段、寝ても覚めてもロックの話ばっかりしてる人間だから、アイドルについて語る事はあまりない。だけど、キャンディーズだけは別格だ。僕がロック以外で所有してる音楽DVDは、キャンディーズとパフュームだけだから、実はアミューズの社長の思う壺なのかもしれないけれど、実はパフュームだって、かつてのキャンディーズの幻みたいな物を感じる部分があるから、ついつい応援したくなるのかもしれないな。3人組で3人が凄く仲の良いグループ!

 キャンディーズが解散したのは、僕が6歳位だと思う。だから、世代的にどっぷりはまってる訳ではない。僕が物心ついた時に、既にキャンディーズはテレビに出ずっぱりで、キャンディーズがテレビに出てる事は当たり前だった。で、その「当たり前がいなくなる」という予告をされた体験も初めてだった。
 で、解散コンサート。勿論、当時のテレビの生放送は鮮明に覚えてる。で、後にも先にも、あれ程華々しく、芸能界を去ったアイドルを他に知らない。子供にも強烈なインパクトを残して、キャンディーズは去って行ったのだった。

 あれから、キャンディーズのその後は、ポツポツと伝わり、僕の記憶にポツポツ留まる事になる。それぞれソロ曲も出たし、特にミキちゃんの曲は大ヒットした。スーちゃんとランちゃんは、女優として成功したし、みんな結婚もした。その時その時のニュースが記憶に留まってるという事自体、やっぱり、キャンディーズはいつも気になる存在だった。

 そして月日が流れてのある日、思いがけない事で、僕のキャンディーズ熱は突然甦る事になる。それは、僕が、たまたま懐かしさ半分でキャンディーズの動画をパソコンで何回か見ていた時、まだ2歳で言葉を覚えたばかりの娘が、突然「年下の男の子」を唄いはじめた瞬間だった。それは、大げさに言えば、キャンディーズの楽曲が世代を越えた瞬間だった。

 僕はあまりに嬉しくなり、娘にキャンディーズの曲を聞かせ、映像を沢山見せた。娘はあっという間にヒット曲のほとんどを覚えてしまった!


●「キャンディーズ トレジャー」について

 現時点で、キャンディーズのDVDで入手可能なのは、4枚組の「トレジャー」と「解散コンサート」だけだと思う。娘に見せたい気持ち7割で、僕は、この「トレジャー」を購入した訳だけど、「トレジャー」の方が、国民的行事だった解散コンサートと違って、まさに、普段、テレビで見てた、等身大のキャンディーズそのものと言える。

 4枚のうち3枚はホールでのコンサート映像だけど、こちらはヒット曲以外に、きっと本人達が大好きだった洋楽のカバーや、シングルになってないマイナーな曲も沢山演っている。
 で、それぞれがセンターの歌を演っていて、そこがまた良い!三人三様の魅力的な声を持ってるから、僕にとっては「誰がセンターの時が一番良い。」何ていうナンセンスな感想は全くない。それぞれ最高だ!




 訃報に接して、5歳になったばかりの娘は、テレビの前で泣いていた。

 

楽音VOL.5のお知らせ

2011-03-21 01:15:01 | 音楽
 普段は、宣伝に疎いというか、意外と今まで、このブログでは、ちゃんとしたライヴ告知をした事が無かった様な気もしますが、今回は「東北関東大震災チャリティライヴ」という性格上、なりふりかまわず、自分が宣伝出来るあらゆる媒体にイベントの宣伝をさせて貰ってます!させて下さい!そして、観に来て頂いて募金して下さい!お願いします!

 今回は、いつもの「わごむ」のバンドスタイルで演る事が叶わなかったので、僕一人で演ります。僕以外には、全部で8組の素晴らしいミュージシャンが出演されます。
 

 日時:4月16日(土)12時半~ 
 場所:Muse Cafe ナチュレ(JR石山駅前、駅から徒歩5分位)
    (詳細はHP:nature2009.blog66.fc2.com)
 入場無料(募金をお願いします!)
 出演:のりたま、欲助、わごむ、コントラルト25、トコトコ
    つかぼん、南井さん&”SAY”JUE ROCKS、たにしん、TT BAND(出演順)

 宜しくお願いします!

 
 

カバーズ ~RCサクセション

2011-03-18 23:41:43 | 音楽
 今回は、この様な非常時に、批判覚悟で書こうと思う。

 多くの音楽ファンが、今回の原発事故によって、このアルバムを思い出したんじゃないだろうか?もう25年も前の忌野清志郎の歌が現実になってしまったと思った人もいただろう。勿論、今は、このアルバムの事や原発の是非論なんか語ってる場合じゃないのは、百も承知だ。だけど、昼夜、命がけで作業されている方々や避難されている方々を見ていると、自分自身に腹が立って仕方がない。今回は、原発に対する僕の立ち位置を書きたいんじゃなくて、僕の精一杯の贖罪、謝りたい気持ちを書きたかったっていう事だけ御理解頂いて、読み進んで下さい。お願いします。

 
 僕は滋賀県で生まれ育ったから原発はとても身近な存在だ。それは勿論、すぐ北の福井県に沢山の関電の原発があるからだ。子供の頃は、原発に対して何となく色んな矛盾(例えば、原発の周りに無駄な公共施設が沢山建っているとか)を感じながら考える事はあったけれど、さほど知識があった訳ではなかった。
 で、中学生の頃。と言っても、中学生の頃の話だから許して欲しいという前置きをしておくけれど、僕の友達で「俺がもし、世の中に絶望して、もうどうにでもなれ!と思ったら、福井県の原発を狙うね!」と言ってた奴がいた。僕は「原発みたいな危ない所に、そう簡単に近寄れる訳ないやろ!」と言っていたが、その空想家の友達は、本当にそうなのか考えたらしく、映画「太陽を盗んだ男」さながら、色々調べてみたらしい。で、意外や彼の結論は「思ったほど難しくなさそうだ。」との事だった。まぁ、何故なのか詳しくは書かないけれど、それが僕が原発に恐怖を感じた最初だった。「もし、原発が誰かに壊されたら…。原発が攻撃でもされたら…、どこにどうやって逃げたら良いんだろう?」そんな事をよく考える様になった。彼は、まがりなりにも、僕にそういうことを考えさせるきっかけを作ってしまった。

 そして、RCサクセションが「カバーズ」騒動を起こしていたのが、僕が高校生の頃。ただ、高校生の僕が、この騒動の本質をどこまで理解していたか?と言われると疑問だ。それはひょっとしたら「原発があるなんておかしいじゃないか!」っていうメッセージよりも、言いたい事をはっきり言ってる態度がスカッとするとか、「ロック=反体制」みたいなパンク精神みたいなものがカッコよく見えた、程度の薄っぺらい感触の方が強かったんじゃないか、と、今になって思うのだ。
 あの伝説の「タイマーズ夜のヒットスタジオ事件」を観た日は、興奮して朝まで眠れなかったのを覚えているし、「もう、清志郎はTVに出れないだろう。」とも思った。ただ「何故、原発の事をはっきり言うと、メディアは過剰な反応をするのか?」という事を、もっと深く知るべきだった。あの頃にもっと知っておくべきだった。

 そして月日は流れ、僕は、自分のキャリアの中で、たった2年程度だけど、メディア広告の世界に身を置いていた時期があった。まだ何も分からない20代半ばの頃だ。
 そこで、僕は、身をもって、やっと「カバーズ」で、清志郎が言いたかった事が分かったのだった。そして、分かれば分かる程、自分の思いと真逆の仕事をしなければならない事に苦しんだ。

 サラリーマンと呼ばれてる人の多くは、「時には、それがたとえ自分の意思に反した事であっても仕事としてやらなければならない」という経験をした事があると思うし、そんなに珍しい話ではないのだろう。しかし、それは、当時、社会人駆け出しだった僕にとって、あまりに強烈だったし、深く傷付いた。それは、僕にとって、最も大きな価値観を持っていた音楽、その音楽を裏切った様な気がしたからだ。高校生の頃「カバーズ」を熱く語っていた自分は嘘っぱちになった。僕は、それが人生のほんの僅かな期間で、爪の先程度であったとしても、原発広報に加担した。

 僕は広告代理店という仕事が「無いものを売り歩く」仕事ゆえに、実は文化的にも深く、クリエイティブで、必要意義もあるのだ、と、自らの体験から自信を持って言わせて貰いたい反面、僕自身は「無いものを売り歩く」仕事に疲れてしまった。やっぱり向かなかった。だから、今、この世界にいない。

 で、相変わらずメディアは、この非常時に及んでも、偏った報道をしている。9電力と電気事業連合会を中心とした図式のサークルの中で、電気に関わって金儲けをしている人達の体質は、この後に及んでも、まるで変わってないように見える。